元彼の再訪
隣国サラント国の王子の来訪で、御前会議は中断された。ロイランは渾身の枕営業が不発に終わった事に落胆の表情を見せていたが、私は取り敢えず安堵した。
後で記録官の残した文章を改ざん、もしくは破棄しよう。国の歴史資料に手を出す事は、王と言えど禁じられている。
だが、私は暴君と罵られてもあの記録だけは残さないと堅く誓った。あんな恥部を後世に残してなるものか!断じて!!
私は王の間に移動すると、バフリアットは既に玉座の前に立っていた。私と目が合うと、元恋人は気さくに笑った。
······そう。この笑顔にかつての私は心を奪われた。いえ。違うわ。端正な顔立ちのバフリアットを一目見てから、私は彼に魅了されていたのだ。
玉座に座った私に、バフリアットは完璧な敬礼と挨拶をする。どうやら元恋人は、女王に即位して一ヶ月の私を祝いに来たらしい。
口上が終わると、バフリアットは同行して来た臣下達に聞かれないよう、私に少し近づき小声で話す。
「······お祝いは表向きでね。本当はカリフェースの査察官の件で来たんだ」
バフリアットの来訪の真意を聞き、私は驚いた。な、なんでサラント国がモンブラ殿の事を知っているの!?
私はサラント国からのお祝いの品を受け取ると、バフリアット一人を私の執務室に招き入れた。
「どう言う事バフリアット?なんで貴方の国がカリフェースの査察官の事を知っているの?」
私は元恋人に質問する。私も人払いをしたので、この執務室は二人だけだ。これで遠慮なく話せる。
「アーテリア。サラントの諜報能力は優秀なんだ。サラントの間者はタルニトの宮廷内にも潜ませている。今回僕はタルニトの国際条約加盟に関して探りに来たんだ」
バフリアットの言葉に私は驚愕した。きゅ、宮廷内にも間者がいる!?じゃ、じゃあ私達の事はサラントに筒抜けって事!?
で、でもどうして?どうしてバフリアットは自国に不利益になる様な事を私に教えるの?
「アーテリア。以前言っただろう?僕は君とこれからも友人として······いや。違うな。正直に言うよ。カリフェースに留学していた頃の君なら、今僕はこんな事をしていない」
こんな事って?私にサラントの探りを伝える為にわざわざタルニトまで来た事?
「······アーテリア。女王になってからの君はとても魅力的だ。これまで僕が出会ったどの女性よりもね」
ソファーの向かいに座っていたバフリアットは身を乗り出し、私の瞳を真っ直ぐに見つめる。
な、何よこの展開?君とは遊びだったと言っておいて、今更もう一度付き合おうって言っているの?
私は困惑した物の、不思議と頭の中は冷静だった。考えたのはバフリアットの言葉だ。彼は私を誘惑し、私を意のままに操り自国の利益を図るつもりか。
それとも、言葉通り私を本当に好きになってくれたのか。前者なら言語道断だ。遊ばれた挙句、更に利用されるなんて冗談じゃないわ。
後者なら?やっぱりお断りだわ。私は貴方に一度振られた。いや。恋人だと思っていたのがそもそもの間違い。
だって。貴方は最初から私とは遊びだったんだもの。そんな相手にやっぱり好きと言われても、心は動かないわ。
バフリアット。貴方に振られ、悲しみに打ちひしがれたアーテリアは確かにいたわ。でもそれは過去の私よ。
私はもう貴方の笑顔一つでときめいたアーテリアじゃないの。私はこのタルニト国の女王なの。
私はとびっきりの笑顔をバフリアットに見せた。私は彼に決して言質を与えない。私はバフリアットとの復縁に関して一言も答えず、この国の暫く滞在する事を提案した。
「いいのかい?是非そうさせて貰うよ。君の側に居られて僕も嬉しい」
かつて虜になったその笑顔に、私も微笑して答える。バフリアット。貴方の真意がどちらでも構わない。
ただ一つ覚えておいて。今度利用されるのは私はじゃなく貴方よバフリアット。
私は退室するバフリアットを扉まで見送った。すると、半開きのドアの外側から、半泣きのナニエルの顔が見えた。
ナ、ナニエル?また泣いているの?さっきの会議室と言い、一体どうしたの?バフリアットと入れ代わるように、ナニエルが入室して来た。
私はナニエルに優しく問いかける。その涙の原因は何なのか。
「······アーテリア。僕は自分が情けないんだ。モンブラ査察官は僕より年下なのに、あんな重要な仕事を王から任されている。バフリアット王子だってそうだ。僕は王子に······」
僕は王子に勝てる所なんて一つも無い。ナニエルは弱々しい声でそう言った。そ、そんな事は無いわナニエル!
貴方は温和で優しい。薬師って立派な特技もある!自分を卑下する必要なんて無いわ!
私の励ましの言葉に、ナニエルの表情に一瞬だけ生気が戻ったが、すぐにまた沈んだ顔になる。
「アーテリア。君が好きになる筈だ。バフリアット王子は男の僕から見てもハンサムだからね」
ナ、ナニエル!?どうして私とバフリアットの事を知っているの?
「王子とのお話は終わりましたかな?」
乾いた声を発しながら、メフィスが入室して来た。奴の顔には「ナニエルに二人の仲を話したのは当然私だ」と書かれていた。
こ、この馬鹿宰相、余計な事を!!
「女王陛下。バフリアット王子の甘い誘惑には乗らなかったご様子ですな」
メフィスが人を小馬鹿にしたような目つきで私を見る。
「······この執務室の壁を早急に作り直す必要がある様ね。室内の話が外に丸聞こえのようだから」
私は怒りを滲ませた声でメフィスを睨む。
「話し声を聞く迄もありません。女王陛下。貴方の顔を見れば分かる。貴方の顔は恋に浮かれる女のそれでは無い。権力の磁力の沼に、その身を置いている者の顔だ」
······またその話。コイツは本当に権力って代物に固執しているのね。
「メフィス宰相。私は私情より国の利益を優先させるだけよ。この国の王として、それは当然の行為じゃなくて?」
「違いますな。女王陛下。貴方は無自覚でも、心の中は既に権力の色で染まっている筈です。バフリアット王子に何か言われても、貴方は冷静に王子を利用しようと考えたのでは無いですか?」
メフィスのこの言葉に、私の呼吸は一瞬止まった。コ、コイツは人の心が読めるの!?
「······メフィス宰相。仮に貴方の言う通りだとしても。私は貴方と違うわ。私は王の力を国の為に使う。貴方は権力を自分の為に使っているではなくて?」
メフィスは目を閉じ首を振った。そして確かにこう言った。
「同じ事です」と。メフィスが身体から放つ異様な鬱屈とした思念に、私は息苦しさを感じていた。