其の拾玖 再会と再開
ジャーマとの戦いを終えた後、龍蔵達は一足先にアネーロ殿を捜しに向かったシーラとセバスを追う。
しばらくして、森の奥地の崖付近にて彼らと合流する事が出来た……のだが、発見されたアネーロの状態はかなり悪いものであった。
恐らくはジャーマにやられたのであろう右脚は、重度の火傷を負っていた。
そのような状態では逃げる事すら困難であっただろうに、奇跡的に息があったのだ。
セバスの手によって既にポーションによる応急処置が施された後であったものの、それでも命に危険があるのは間違い無い。
気を失っているアネーロをセバスが軽々と抱え、森の外に停めておいた馬車へと運び、大急ぎで屋敷を目指す。
……しかし残念ながら、アネーロの護衛達は見付けられなかった。
どこか遠くまで逃げて行ったのか、ジャーマの手で消し炭にされてしまったのか──答えは出ない。
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プローシライの屋敷に到着すると、すぐさまアネーロは寝室へと担ぎ込まれていった。
龍蔵達の帰りを待っていた屋敷の者達は、一様に表情を曇らせ、今も彼の無事を祈り続けている。
そして、その間の龍蔵達はというと……。
「彼が生きていてくれたのは、不幸中の幸いだわ。このまま何事も無く、意識を取り戻してくれると良いんだけど……」
皆でシーラの部屋に集まり、アネーロの治療が終わるのを待っていた。
窓の外では未だに雨が降り続けており、この状況も相まって、彼女達の気持ちも沈んでいる。
村正は窓辺に佇みながら、卓を囲む龍蔵達へと目を向けた。
「事前にシーラの父君が、優秀な癒し手を屋敷に呼び寄せておいたのじゃろう? ならば、きっと大丈夫じゃ。遅かれ早かれ、あやつは目を覚ます事じゃろう」
「……うん。そうだね」
力無く返事をするシーラ。
村正はアネーロの回復を信じているらしく、その立ち振る舞いに不安の色は見られない。
それよりも、彼女の意識は卓上に置かれた大きな瓶──拙者がエドガルドに用意させていた、月光を浴びせた水に注がれているようだった。
「……で、リュウゾウよ。その瓶は何なのじゃ? 微かに魔力を帯びた水のようじゃが……」
その言葉に、サクラとシーラも反応を示す。
何の説明も無しにこの部屋に運んだものなので、気になるのは当然の事。
龍蔵は早速口を開き、彼女達に説明を始めた。
「これは、アネーロ殿の為に用意した物にござる」
「に、兄さんに……?」
「火傷の特効薬……には見えないわね。何かの儀式的なものかしら?」
「左様。下準備は済ませてあるのだが、最後の仕上げは拙者には出来ぬものでな」
言いながら、懐から取り出した小瓶をシーラに差し出す。
「……その仕上げは、シーラに頼もうと思うのだが」
「……な、何なのこれ。何か分からないけど、ドロドロした変な液体っぽいものが入ってるよ」
「これに念……というか、魔力か? それを込めながら、この水の入った瓶に注いでもらいたい」
「このドロドロが何なのか、頑なに言わないつもりなの……!?」
シーラの願いに従って正体を口にすれば、サクラが気味悪がるのは確実だ。
黙っておいた方が幸せな事もある。
「……拙者の馴染みの者に習った、呪を取り祓う儀式にござる。月の光を四日浴びせ、太陽の光を四日遮った水。そこに魔力を込めながら、この小瓶の中身を注ぎ、呪に蝕まれた者の名を唱えるのだ」
「もしかして……前にヒムロが言ってたのって、この事だったの……?」
シーラの言葉に頷き、改めて小瓶を差し出した。
しばらく怯えた目で小瓶を見詰めていたシーラ。
しかし兄の為に勇気を振り絞り、そろりと手を伸ばす。
「……これで、兄さんの記憶が戻るって事……なんだよね?」
「そ、そんな事が本当に可能なの!? どれだけ手を尽くしても駄目だったんじゃ……!」
決意を固め瓶を手にしたシーラとは対照的に、半信半疑でこちらに問うサクラ。
そんな彼女に、ちょこちょこと歩み寄る村正が言う。
「やるだけやってみれば分かる事じゃ。リュウゾウには、妾達では考えも及ばぬ知恵を持った知り合いがおる……その可能性に託してみれば、案外簡単に状況を打破出来るやもしれぬぞ?」
「それは……そうだけど……」
村正に諭されたサクラはそれきり反論せず、不安げな顔でシーラを見守る事にしたらしい。
「それじゃあ……やってみるよ」
小瓶の栓を開け、少年は兄を想って儀式に臨む。
「アネーロ兄さんと、セバス兄さん……また三人で一緒に、昔みたいに笑い合うんだ!」
ドロリとした液体の入った小瓶が、ぼんやりと光を放ち始めた。
それを少しずつ水の中へと垂らしていくと、無色透明だったはずの水が、次第に白濁していくではないか。
「アネーロ兄さん──ぼく達の事を、思い出して……!!」
そうシーラが叫んだ瞬間、白濁水に大きな変化が現れた。
版の底の方から禍々しい色をした……まるで墨のような渦が巻き上がり、瞬く間に全てを黒一色に染め上げてしまったのだ。
それを目視した龍蔵は、すぐさまその瓶に蓋をする。
一連の出来事に、儀式を執り行ったシーラは勿論、サクラも目を丸くして驚愕していた。
ただ一人、村正だけは冷静にしていたが。
「……どうやら、儀式は上手くいったようだな。このおどろおどろしい液体こそが、その証拠」
「呪いそのものを掻き集め、別のものに封じ込んでしまう術か……。ある意味、これも一つの呪いじゃな。今回は封じる先がこの瓶の中身であったから良いものの、その対象を変えれば──」
「別の人間を呪う事も出来る……そういう事ね、ムラマサ」
「うむ。……リュウゾウの馴染みとやらは、中々に厄介な術を身に付けておるようじゃな?」
ちらりと視線を寄越した村正に、龍蔵はあの姫君の面影が重なったように感じた。
確かに彼女は多少……それなりに手の掛かる娘ではあるのだが。
こうして彼女の知識が役立ったのだから、ここは素直に彼女へ感謝の意を捧げるべきなのであろう。
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それから数刻後。
アネーロが目を覚ましたとの報せを受け、シーラが一目散に部屋を飛び出していった。
「兄さんっ!」
急いで彼の後を追い辿り着いた先には、癒し手らしき白装束に身を包んだ者に背を支えられ、寝台から上体を起こしているアネーロの姿があった。
既にセバスや当主アンコスも集まっており、廊下から心配そうに部屋を覗き込んでいるエドガルド達も見えている。
するとアネーロは、シーラを視界に捉えてすぐ視線を逸らしてしまった。
そんな兄の態度を目の当たりにしてしまったシーラが、悲しげに声を絞り出す。
「アネーロ……兄さん……」
「おい、アネーロ。いつまでそうしているつもりだ?」
「…………っ!」
長男セバスの声に、アネーロの顔が歪む。
兄にそう言われてしまえば、弟を無視し続ける訳にもいかないだろう。
「……私は……あなたに心配してもらえるような、良き兄ではありません。そして、この家の次男としても……相応しくない」
「兄さん……ぼく、ぼくはっ……」
顔を上げたアネーロの青い目には、涙が滲んでいた。
傷は癒えたであろうが、心の傷というのはまた別問題なのだ。
それもこれまでの己の振る舞いと──今日に至るまでの全ての記憶を取り戻した今ならば、その痛みは想像を絶するものである故に。
「私は……! シーラにとんでもない行いをしてしまったッ!! 自分の事を何も思い出せないからと、そのやり場の無い怒りの全てを弟にぶつけてしまったのです!」
「兄さん……本当に、全部思い出したの……? なら……それなら、ここからもう一度やり直そうよ! ぼくと兄さん達と、あの頃みたいに三人一緒に!!」
「許されるはずが無いでしょう!? 私はあなたを理不尽に傷付けて、世間からも冷たい目を向けられてしまうように仕向けてしまった……!」
強く自己否定を繰り返すアネーロに、シーラはそれ以上に声を張り上げて叫ぶ。
「そんなのどうだって良いよ!! 兄さんが昔の優しい兄さんに戻ってくれたんなら、それだけでぼくは救われる!」
シーラは兄の手を握り込み、真っ直ぐに思いの丈をぶつけ続ける。
「出来損ないとか恥さらしとか……そんな風に言われても……それでもぼくはアネーロ兄さんやセバス兄さんみたいになりたくて、ヒムロやムラマサ、サクラ達の力を借りて武勇の儀を乗り越えられたんだ! それはやっぱり、兄さん達に憧れていたからこそ叶えられたものなんだよ!!」
「シーラ……あのような態度を取っていた私を……あなたは許すというのですか……?」
「許すとか許さないとかの問題じゃない! ぼくはただ、あの頃のぼく達に戻りたいだけなんだよ! だから……だから兄さんっ……」
──もう二度と失わないように、皆でやり直そうよ。
シーラの祈りが、静けさを取り戻した室内に溶けていく。
その祈りに、青年の頬には熱い雫が伝っていき……
「……はい。あなたが私を、兄だと認めて下さるのなら……!」
思わず次兄に抱き着いた弟を、長兄が二人纏めてその腕で包み込む。
いつの間にか涙で顔をぐしゃぐしゃにしていた三兄弟に、彼らの父が温かな視線を注いでいた。
(ここ家族水入らずにしてやるべきだな)
長居するのも悪いので、村正達に目配せして合図を送る。
彼女達も同意見だったらしく、黙って部屋を出ようとしたその時だ。
「……ヒムロ!」
呼ばれて振り返れば、満面の笑みを浮かべるシーラが。
彼に寄り添う兄達も同じく、涙と笑顔とで彩られた表情でこちらを向いていた。
「本当にありがとう! ぼく、ヒムロ達に会えて本当に良かった!!」
これが、シーラの心からの喜びの笑顔なのだ。
「ああ……! 拙者も貴殿らに笑顔が戻った事、まことに喜ばしく思う」
後悔と無念が支配していたこの屋敷には、もうその影は無く。
眩い太陽のように笑い合う三兄弟は、これからも互いを支え合い、二度と同じ過ちを繰り返さぬよう歩んでいく事だろう。
その手助けが出来た事を、龍蔵は心の底から誇りに思うのであった。
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「やはり、この件は貴様に任せるべき任務ではなかった。無駄に大きな野心を抱いた男の末路がこれとは、姫様もさぞや落胆なさる事だろう」
未だ雨が降り止まぬ中、そこに男が姿を現した。
魔剣の使い手と魔王軍幹部の戦いが集結し、その場にある人影は、この男のものだけ。
男は地面に転がる骸を軽く蹴り、仰向けにさせる。
その骸──ジャーマの口元から流れ出ていた血が、雨によって滲んでいく。
「だから無駄だと言ったのだ。私は止めた。これは、貴様が更なる力を望んだ結果に違い無い」
ジャーマの赤い髪を眺め、男は自身の前髪を掻き上げた。
もう二度と目を開かない青年の色と同じ、炎の色を宿した髪。
腰まで伸びた長髪が、男の白い皮のコートによく映える。
「……ジャーマ。哀れな最期を遂げた、我が失敗作よ。私の研究の糧として、骨の髄まで再利用させてもらうとしよう」
感情の読めない男の背後に、巨大な影が現れる。
その影に実体は無く、男が顎で指示をやると、それはジャーマの亡骸を覆い尽くし──飲み込んだ。
「魔剣回収の任務……後はこの私、四星将プロクスが引き継ごう」
男と影は、黒い霧の中へと身を隠す。
そうして彼らが去ったキュレボ森林の中央部に眠っていた骸は、跡形も無く消えてしまったのだった。