其の拾漆 炎は憎悪を糧に燃え盛る
プローシライ家の屋敷より北西に向かい、龍蔵達一行を乗せた馬車はキュレボ森林を目前にしている。
今現在馬車を操るのは、休憩を挟んで御者を交代したセバスであった。
サクラは地図を片手に、セバスへの道案内を任されていた──のだが。
「それにしても……最悪な天候ね」
サクラの言う通り、屋敷を出て数刻が過ぎた頃から、天候が荒れ始めていたのだ。
ふと気が付けば分厚い暗雲が空を覆い隠し、しとしとと雨が降り注いできた。
「このまま雨が激しくなれば、アネーロ殿らを捜すにも苦労するであろうな。視界の悪い森の中、得体の知れぬ相手に警戒しながらの捜索か……」
「仕方あるまいて、リュウゾウ。流石の妾でも、天候までは操れぬからのぅ」
木材と縄とを組み合わせた布張りの屋根で、どうにか後方に座る龍蔵達は雨を凌いでいる。
だが、馬車を引く馬とセバスはもろに雨を受けている状態であった。
すると、手綱を握るセバスが声を上げる。
「おい、見てみろお前ら!」
彼に促され、進行方向へと視線を移す拙者達。
「何なんだよ、あれ……!」
シーラが驚愕する。
龍蔵達の目的地であるキュレボ森林。
その奥から、激しい黒煙と炎が上がっているのが視界に飛び込んで来たのだ。
火の手はあまりにも壮絶で、放っておけば森が全焼してしまうのではないかという程の勢い。
この状況を生み出したのがアネーロであるのなら、彼自身も無事では済まないのではなかろうか……。
龍蔵は目の前の光景に言葉を失っているシーラの肩を掴み、問い掛ける。
「……シーラよ。あれはアネーロ殿の操る術によるものだと思うか?」
問われた金糸の髪の少年は、ふるふると左右に首を振って否定した。
「違う……と、思う。ぼく達の一族は、全員雷属性の使い手なんだ。だから、アネーロ兄さんの仕業じゃないはずだよ」
「……可能性があるとすりゃあ、一つだけある」
会話に入って来たのは、セバスである。
彼はこちらに背を向けたまま、馬車を走らせ続けていた。
「その可能性、というのは?」
「自滅覚悟の……雷魔法の行使だ。あいつは俺達三兄弟の中でも、特に魔力のコントロールに長けてんだ。俺やシーラじゃ武器を使っての攻撃に魔力を乗せる程度しか出来ねえが、アネーロなら……」
「特大の雷を落とす魔法で、森ごと敵を焼き払う……という事じゃな」
「ああ、そういうこった」
「そ、そんなのっ……!」
悲鳴に近い声を発した後、シーラは押し黙る。
背の高い樹木に直撃した雷が、木を真っ黒に焦がした光景は見た覚えがあった。
アネーロの力であれば、それを遥かに凌ぐ威力で雷を落とせる──とはいっても、その発生地が炎に包まれてしまえばそう簡単には逃げ出せまい。
それに……龍蔵にはまだ、残されている可能性が脳裏にちらついていた。
どうやらそれは、サクラと村正も同様だったらしい。彼女達の瞳が、龍蔵へと向けられている。
「……残る可能性も、視野に入れておきましょう」
「謎の敵襲と炎……。妾達には、それらに該当する者に心当たりがある故」
──あの炎の魔族が居るかもしれない。
「……油断は禁物でござるな」
三人で頷き合い、改めて視線を森へと向けた。
────────────
馬車はいよいよキュレボ森林へと到着し、龍蔵達はそれぞれ武器を手に地に降り立つ。
すると、比較的安全であろう場所に馬車を移動させたセバスが、こちらに歩を進めながら口を開いた。
「お前ら、この土地の特徴は知ってるか?」
すかさずサクラが森から上がる煙を眺めつつ、その問いに答える。
「一年を通して雨が多く、湿り気を帯びた沼地の多い森。夜間にここを抜けようものなら、底なし沼に引きずり込まる覚悟をもって臨むべし……と言われているわね」
「ああ、その通りだ。よく知ってるじゃねえか」
「これでも勇者候補ですから」
至極当然といった様子の彼女に、セバスは満足げに口元を緩めた。
しかし、状況は刻一刻と緊迫していく。
拙者達は気を引き締め、セバスを先頭にキュレボ森林へと突入を開始した。
サクラが告げていたように、雨を含んだ地面はぬかるんでいた。
森の外側には未だ火の手はまわっておらず、振り続ける雨は、彼らの全身と森の木々を濡らし続ける。
何度か修行の一環としてこの森を訪れていたらしいセバスの案内で、比較的通り抜けやすい道を選んで先を目指していく。
炎の発生源へ近付いていけば、アネーロや護衛役の者達と出会える可能性が高まる。
生きていれば幸いだが、相手が悪ければ……。
「アネーロ兄さん……」
少し遅れ気味なシーラに、龍蔵も歩調を合わせる。
この状況で、僅かでも孤立させるのは不味い。
兄の無事を確認するまでは、彼も気が気でないであろう事は容易に想像出来た。
「シーラ! このままではセバスやサクラ達に置いていかれてしまうぞ!」
数歩先を行く村正が、振り向きながら言う。
龍蔵は、てっきり村正が「泥で着物を汚したくない」と言うだろう思っていたのだが……彼女は懸命に前へ進みながら、友を導こうとしていた。
黒い着物によく映える、美しく白い村正の柔肌。
小柄ながらもしっかりと自分の脚で泥道を行く彼女の頬には、ぴちゃりと跳ねた泥が付着していた。
「ほれほれ、シーラもリュウゾウ急ぐのじゃ! ぼやぼやしておる暇は無いぞ!」
「わ、分かってるよ! すぐ行くから……」
きっと、己の顔に付いた泥など彼女は気にしていないのだ。
今はただ、友の為に夢中で突き進んでいるだけ。
側から見れば滑稽に映るやもしれぬ。
けれども龍蔵は、そんな村正のひたむきさがとても好ましく思うのだった。
出来る事ならこれからも、彼女の側でその生き様を──共に同じ道を歩む主人と家臣として、眺めていたいと思うようになっていたのだ。
「これ、リュウゾウ! 早うせぬか!」
「応、暫し待たれい」
ぷりぷりと頬を膨らませる、小さく愛らしい花のような主。
龍蔵が急いで彼女の元へ駆け寄れば、つい先程までへの字口をしていた口元が嬉しそうに弧を描く。
彼岸花と暗黒の衣を纏う、気丈で愛らしい漆黒の髪の少女。
彼女こそが、龍蔵がこの世界でようやく出逢えた……二度目の生において、最初で最期の主なのだろう。
────────────
森の奥は、雨の勢いに負けず燃え盛る炎の地獄と化していた。
焼け落ちた木々は地面に倒れ、激しい火焔によって草花までもが灰と化す。
村正はその光景を一目見て、眉根を寄せた。
「……この嫌な気、覚えがあるぞ」
彼女の言葉に、龍蔵もサクラも同意する。
「この炎、雷のせいで発生したものじゃないわ」
「肺まで満たそうとするこの陰の気は……あの男のものに違いなかろう」
「あんた達、何か知ってるの……?」
「ああ……。この邪悪な炎……これを操っているのは──」
その刹那、龍蔵は頭上に殺気を感じた。
「ふんっ!!」
龍蔵は妖刀を振り抜き、反射的にその殺気の正体を斬り伏せる。
それは、明確な手応えを持たぬ炎の球。
龍蔵が火球を防ぐ事を想定していたのであろう。第二、第三の攻撃が揺らめく炎となって放たれる。
「同じ手が何度も通用すると思わない事ね!」
「妾達を侮るでないわっ!」
しかし、続く火球攻撃はサクラの剣と村正の黒炎によって弾かれた。
突然の不意打ちに、シーラは思わず腰を抜かしているようだ。
「セバスよ、暫しシーラを頼む!」
「ああ、勿論だが……」
言いながら、セバスは地面に尻餅を付いた弟を抱き上げる。
シーラが落ち着くまでの間、彼が側に付いて居ればひとまずは良いはずだ。
それを横目で確認し、拙者は眼前に揺れる炎の壁──その奥に座す人影を睨み付ける。
「またかァ……またなのかよォ……!」
炎の向こうから、ゆらりゆらりと近付いて来る声の主。
底知れぬ怒りの色を滲ませる、激しい怨恨を秘めた男の姿が露わになっていく。
燃えるような赤い髪。
こちらを射殺すような鋭い目。
けれども、見覚えの無い黒い外套を纏った姿に、何故だか胸が騒ついた。
一歩一歩踏み出される男の足元からは、抑えきれない憤怒の炎が漏れ出している。
「一度だけじゃなく、二度もこのオレ様を邪魔しやがるってのかァ!? ヒムロォォォッ!!」
「くっ……!」
紅蓮の炎を飛び散らせて吠える男──魔王の手先、炎の魔族ジャーマ。
彼から発せられる強烈な熱気に、思わず喉を焼かれるようであった。
ジャーマは龍蔵を睨み、次に村正へと顔を向ける。
そうしてまたこちらへと視線を戻し、ジャーマは再び吠え猛る。
「ここで会ったんだ、会っちまったモンは仕方がねェ! 今日という今日こそは、このオレ様が今度こそテメェを消し炭にしてやらァ!!」
龍蔵は刀を構え直し、背後のセバスへと囁いた。
「ここは拙者が食い止める。シーラを連れて、今の内にアネーロ殿を捜すのだ」
アネーロらを襲った敵襲。
そしてこの森を炎に包んだ犯人は、この男の仕業であろう。
ならば、ここで自分達が時間を稼げば良い。
その間にアネーロ達を捜し出してもらい、龍蔵達は今度こそジャーマと決着を果たすのだ。
龍蔵の言を受け、セバスは幾らか悩む。
「……かたじけねえ」
「構わぬよ。こやつは一度、退けた事があるのでな」
「ごめん……ヒムロ」
「気にしておらぬ。……さあ、早く行け」
申し訳無さそうなシーラの声を背に浴びて、そのまま二人が遠ざかっていく足音が耳に届いた。
ジャーマは、セバス達を気にしてはいないらしい。
何が狙いでこの地に現れたのかは知らないが、この機会を流せば、また新たな被害が生じてしまうだろう。
「ヒムロ……ヒムロォォォォ! オレの前に現れたのがテメェの運の尽きだァァッ!!」
「……悪しき魔王の僕、ジャーマよ! 此度こそ──貴様を成敗致す!!」




