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其の拾陸 雨の中の懺悔

 息を切らして部屋に飛び込んできたのは、シーラだった。


「アネーロ殿が……?」

「詳しい事は、食堂で話すから……!」


 そう言い残して、シーラはまた廊下へと駆け出していく。

 龍蔵とエドガルド殿も、彼の後を追って食堂を目指して走る。



 ────────────




 食事を続けていた様子の面々が、当主アンコスの雇った忍びと共に、食堂で待機していた。

 龍蔵達の到着に気付いたアンコスは、こちらに顔を向ける。


「待っておったぞ、ヒムロ殿」

「申し訳ござらん。何やら、アネーロ殿らの身に異変が起きたそうだが……」


 すると、アンコスが忍びにちらりと視線を投げた。

 忍びは深く頭を下げてから、静かに顔を上げて口を開く。


「キュレボ森林に向かわせていた、配下の者からの報告です。アネーロ殿率いる組が、何者かによる妨害を受けたとの事。妨害を受けた後、アネーロ殿らは森林内で散り散りになり……我が配下も、その者から攻撃を受けたようです」

「妨害となると……彼が倒す予定だった魔物からの被害ではない、という意味なのかしら?」

「左様です。第三者からの妨害行為と見て、間違い無いかと」


 忍びの話によれば、その連絡を最後に報告が途絶えてしまったらしい。

 連絡が来た時点での話では、第三者による攻撃を受け、アネーロを含めた全員がそれぞれ負傷。

 自力での帰還は困難である為、早急に救助を求める──という内容だった。

 それを聞いたセバスは、反射的とも言える判断速度で声を上げる。


「なら、さっさとアネーロを助けに行くしかねえな。ヒムロ、悪いがあんた達にも力を借りたい。頼めるか?」


 真剣にそう告げた男の頼みを、龍蔵が断る理由などどこにも無い。

 そして勿論、サクラと村正も同じ気持ちだった。


「無論だ」

「ここまで来たんだから、断る理由なんてあるはず無いわ」

「森の中で行方知れずなのじゃろう? 人手はいくらあっても困らぬはずじゃ」

「助かるぜ……!」


 すると、シーラがアンコス殿に言う。


「……ぼくも行きます。万が一の事態に備えて、エドガルドには明日の朝一番にギルドへ救援要請を頼もうと思います」

「うむ、良かろう。……第三者による妨害、というのが気になるな。この件についても、引き続き調査を進めておこう」




 ────────────




 話し合いの結果、キュレボ森林へ向かう面々は計五人となった。

 まずは馬車を操るセバスと、途中での交代要員として、御者経験のあるサクラ。

 後方支援、中距離攻撃的要員である村正とシーラ。

 そして御者を務める二人のどちらかの手が塞がっていた際、基本的には龍蔵が一番槍を務める事で意見が纏まった。


 すぐにエドガルド達が食料や治療薬の類を袋に纏め、その間に龍蔵達がそのような作戦を立てていたのだ。

 ここ数日の疲労は溜まっているものの、この緊迫感の中にあって、この程度の事で愚痴を漏らす者は誰一人として存在しない。

 すぐに馬車に乗り込んだところで、シーラが龍蔵に小瓶を手渡した。


「これは……『ぽーしょん』という治療薬だったか。何故、これを拙者に?」

「基本的には外傷への治療薬として使われるけど、飲めば多少は疲労感が緩和されるんだ。飲まないよりはマシだと思う。ほら、ムラマサも」


 続いて村正の手にも、ちゃぽんと音を立てながら液体の入った小瓶が手渡される。

 栓を抜けば鼻の奥に広がる、独特の薬草の香り。

 それは不快感のあるものではなく、冷やして飲めば夏場にもってこいの飲料になりそうな、清涼感のある爽やかさだ。

 しかし、村正にはそれでも多少の抵抗感があるらしい。


「ぐぬぬぅ……! この青臭さ、どうにかならぬものなのか……?」

「これでも飲みやすい調合のはずだよ。腕の良い薬師から仕入れてるんだから」

「そうは言ってもだな〜……」


 渋る村正を横目に、龍蔵は瓶の中身を一気に飲み干した。

 飲んですぐに、頭の奥の痺れのような……溜まった疲労感がすうっと消えていく感覚がする。

 それとほぼ同時に感じたのは、身体全体の倦怠感の緩和だ。

 完全に疲労が抜けた訳ではないのだが、それでもシーラの言う通り、飲まないよりはマシになる代物である。


「ほう……。即効性があるとはありがたいな」

「でしょ? でも、あんまり乱用はしない方が良いんだ。こういう緊急時にだけにしておかないと、ポーション依存性になる人も居るからさ」

「依存性、か……」

「薬草で作られているとはいえ、これだけすぐに身体に影響を与えるものだからね。頻繁に常飲していると、身体的にも精神的にも負担が大きくなるし」


 そうやって身体に無理を強要し続け、ポーション無しには生活出来なくなってしまう者も稀に居る──と、シーラは語っていた。

 そんな話をしている間に、セバスが操る馬車は、アネーロらが消息を絶ったキュレボ森林へと出発するのだった。




 ******




 おかしい。

 こんな事があって良いはずがない。

 私は、こんな所で死ぬ訳にはいかないのに。

 取り戻さなくてはならないものが──生きなければならない理由があるというのに……!


「はぁっ……はぁっ……」


 使い物にならなくなった右脚を引きずりながら、何とか森の奥へと逃避していく。

 醜く、焼け爛れた皮膚。

 悲鳴を上げる肺。

 ほぼ使い果たしたポーションの類を頭の中で思い浮かべながら、私は今後の行動を選択しなければならない。


 私は本来、この森に潜む魔物を討伐するはずだった。

 兄のセバスよりも、愚弟のシーラよりも先に屋敷へと帰還し、私の実力を見せ付けてやらねばならなかったのだ。


 それなのに──あれは一体、何なのだ?


 圧倒的な魔力を、全身で感じた。

 大気が震え、死の予感が身体中を駆け巡り──目の前で、護衛役の一人が跡形も無く消されたのだ。


 この三年間、私は無我夢中で腕を磨いた。

 私に残された記憶は、戦う術しか無かったから。

 槍術に没頭すれば……この腕を遥か高みへと到達させれば、全ての記憶を取り戻す切っ掛けになるのではないかと──そう思い至った。


 その為ならば、己の腕を磨き上げる事だけに専念したかった。

 ビクビクと怯え、こちらの顔色を窺うだけの臆病者など、記憶を取り戻す手掛かりにすらなりはしない。


 兄のセバスですら同様だ。

 弟への接し方に文句があるならば、正面からそう言えば良かったのに。

 私やシーラを守れなかった兄に、割って入れるような権利は無い──そう言わんがばかりの不干渉ぶりに、嫌気が差した。


 三年前のあの日、私達兄弟の身に何が起きたのか、詳しい事情は知らない。

 少なくとも、私という人間を形作る核が失われた日……。

 私は、そう認識している。



 片目を失った兄。

 記憶を失った私。

 誇りを失った弟。



 治療が遅れた兄の目は、近隣で最も腕の良い治癒術師に診せても、もう手遅れだと告げられて。

 これまでの思い出の全てを失った私は、その治療法をどれだけ探しても見付からず。

 兄達の大切なものを奪ってしまったと嘆く弟は、屋敷の敷地から出ず、部屋で縮こまる事しか出来ずに。


 ……たった一日で、私達兄弟は多くのものを失くしてしまった。

 そのやり場の無い怒りを、私はシーラにぶつけるしかなかったのだ。


 自覚はしている。

 私は酷く、醜い心を持った兄であるのだと。

 あの洞窟に向かったのは、私達全員の意思だったはず。

 それなのに私は、その責任の全てをシーラ一人に押し付け、冷遇している。


 どれだけ手を伸ばしても、深いもやの中に埋もれた記憶には届かない。

 どれだけ取り戻したいと願っても、欠片すら思い出せない家族との日々。

 一人の戦士の端くれとして洞窟へと向かったはずの自分は、成人しても成熟しきれなかった中身を抱えた、外面だけの大人に過ぎなかった。


「その報いが、これなのか……」


 立っているのも困難なほど、どれだけの距離を移動してきたか分からない。

 元居た場所も、他の二人がどちらへ逃げて行ったのかすら、覚えていなかった。

 私は近くの樹に身体を預けて、どうにか呼吸を整えようと酸素を求める。



 ……私は酷い兄だ。

 こんな状況になったのも、これまでのシーラへの行いを罰した神からの仕置き──そう考えれば、あの灼熱に焼かれた事だって、地獄の業火だと言われれば納得出来てしまう。

 戦士にあるまじき、非道な言動の数々。

 いくら自暴自棄になっていたからといって、簡単に許されるべきでないのは間違い無い。


「……兄さんはもう……屋敷に着いた頃だろうな……」


 弟は……シーラ達は、あの洞窟を攻略したのだろうか。

 私達の運命を狂わせた、洞窟に眠る大蛇。

 あの異国の衣装に身を包んだ二人組と、勇者候補の少女サクラ。

 その三人が、あの大蛇を……足手纏いを連れて、討伐出来るのだろうか。


「……だが……もしもシーラが、私を憎んで、憎み続けて……その憎悪で弓を握れば……」


 私への憎しみをバネに、再び弓を扱えるようになったとしたのなら──


「それが、弟を救う切っ掛けになるのなら……」


 ──そんな散り方も、悪くはないのかもしれない。


「許してくれとは言わない……。一生恨み続けてくれて良い……! 私は──実の弟に対して、それだけ酷い事をしていたのだから……」


 出来る事なら、あの日に戻ってやり直したい。

 今更後悔したところでもう遅いのだと、激しく罵られても構わない。

 今の私は、シーラが笑ったところを一度も見た事が無い。

 けれど、昔の弟はよく笑う少年だったのだと……兄は言っていた。


「……どうして、なんだろうな……。何も思い出せないのに……どうして兄弟の顔を思い浮かべただけで……こんなにも胸が痛いんだ……?」


 いつの間にか降り出した雨が、私の頬を伝うものを洗い流していく。


「私は……兄としても……戦士としても、失格だ……!」


 固く目を閉じ、情け無く嗚咽を漏らす。


 私にはもう、何も無い。

 護衛には見捨てられ、死はすぐそこまで迫っていて──家族からの信頼すら失って、ここに独りきり。

 ここで惨たらしく死ぬ事こそが、こんな私の最期には……きっと、相応しいものなのだろう。


 だがせめて……こんな私に、もしも許される事であるならば。



 ただ一言だけ、二人に謝りたかった──

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