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其の拾肆 洞窟の主

 想定より多少の時間を要したものの、しっかりと昼食を済ませる事が出来た。

 それからは順調に、山の方を目指して歩き続けていく。

 すると山の中腹まで来たところで、シーラが反応する。


「確か……この辺りに洞窟があったはずだよ。見覚えがある」


 そう言った彼の後に続いて行くと、ぽっかりと口を開けた洞窟の入り口を発見した。

 中を覗くと、奥の方からぼんやりとした光が見えてくる。

 先頭に立ったシーラは、納得するように頷いた。


「……うん、間違い無い。ここがぼくらに出された課題の場所──シャウライの洞窟だ」

「あの光……カガヤキゴケよね。これなら灯りも必要無くて楽だけれど……」


 四人は早速、シャウライの洞窟へと足を踏み入れた。

 洞窟内は少しじっとりとしており、ひんやりとした心地と、苔が発する自然の光がどこか幻想的である。

 松明の類が必要無く探索出来るというのは、いつ何時敵と対峙するか分からない状況下では、とても有利に働くものだ。



 先頭を龍蔵が行き、その背後からサクラが指示を出しつつ、ムラマサとシーラが後方に並び進んで行く。

 前方から来る敵には龍蔵が、後方より奇襲を狙う敵にはシーラがすぐさま反応し、各々が的確な判断を下しつつ処理していった。


「ヒムロ、足元に気を付けて! 小型の地底蛇が狙っているわ!」

「応ッ!」


 道中、地面から飛び出してきた地底蛇の群れに囲まれた。

 通常の地底蛇は動きが早く、近距離からではシーラも弓で狙いづらい相手だ。


(ここは拙者が──!)


「はあっ!」


 まずは、足元に忍び寄っていたのを一匹。


「続いて……せいっ!」


 こちらに狙いを定め、口をぱっくりと開けて赤い光を溜め込んでいた個体を、瞬時に斬り裂いてやる。

 この時点で、残るは五匹。

 地底蛇はただ噛み付いて攻撃するだけではなく、地中から得た魔石というものに宿る力を操り、術を繰り出す。

 龍蔵が仕留めた子蛇も、何かしらの術を使おうとしていたのだろう。

 その証拠に、また別の個体が村正に向けて口を開け放っているではないか。

 彼女を狙う地底蛇は、青い光の球を徐々に拡大させていく。


「ほほ〜う? 妾に対し水で攻めるとは、蛇のくせしてなかなかやるではないか! じゃが……妾の炎は苛烈(かれつ)じゃぞ!」


 村正はニヒヒと笑い、両手に漆黒の炎を生み出した。

 まるで美しい舞を踊るかのように、彼女は軽やかな動きでその炎を操っていく。

 と同時に、村正を狙う地底蛇も、術の発動準備を済ませたらしい。

 青い輝きはより強さを増し、黒衣の少女に向かって魔力の弾丸が放たれる。


「その程度の力で、妾の炎を消せると思うでないわ!」


 村正は両手の炎を一つに合わせ、それを頭一つ分程の火球にすると、子蛇に向かって撃ち出した。

 黒炎と水球は互いに真っ直ぐに飛び出し、空中でぶつかり合う。

 次の瞬間、彼女の放った炎は、水球を呑み込むようにして一瞬で水分を蒸発させてしまう。

 そのうえ炎の勢いは衰える事なく、地底蛇の全身を覆っていった。


「ギシャァァァッ!」


 村正の術は瞬く間に相手を燃やし尽くし、骨も残さず決着をつけた。

 それに続くように、サクラが背中の剣で一匹を仕留め、更なる攻撃へと移っていく。


「大物を相手にする前の、良い準備運動ってところかしら……! さあ、これでも喰らいなさい!」


 サクラは腰に着けた巾着袋のようなものの中から、小さな赤い石を取り出した。

 彼女はそれを二匹の地底蛇に向かって放り投げる。


「爆発せよ、エタンセル!」


 その言葉と共に、赤い小石はボンッと大きな音を立て爆発した。

 爆発に巻き込まれた子蛇達は宙に舞い上がり、ベシャリと地面に叩き付けられ──ピクリとも動かなくなった。


「あと二匹よ! シーラ、いける?」

「が、頑張ってみる!」


 残る二匹の地底蛇を前に、シーラは緊張した面持ちで弓を構えた。

 残った魔物との距離は、彼の立つ位置から狙いやすいはずだ。

 しかし、生き残りの地底蛇は、その俊敏性を発揮する。

 シーラが放った矢は一本、また一本とすり抜けられ、虚しく地面に突き刺さってしまう。


「まだ……やってやるっ!」


 次第に、あの動きに目が慣れてきたのだろう。

 今度こそシーラの放った矢は子蛇共に命中し、絶命の声を上げて生命活動を停止させる事に成功する。

 金髪の少年は大きく息を吐きながら、こめかみの辺りを伝う汗を手の甲で拭っていた。


「ふぅ……。焦りが抜けきるまで、まだ時間が掛かるみたいだ」

「だが、あれだけ動き回る敵を相手に矢を命中させたのだ。ここまで勘を取り戻せたのは、ひとえにそなたの努力の賜物でござろう」

「そ、そうかな……? そうだと……良いんだけど」


 一つの困難を乗り越えた少年の笑みには、安堵と照れ臭さの入り混じるものがあった。

 けれども彼の表情は、そう長くは続かない。

 少年は洞窟の更に奥を見詰め、顔を強張らせる。


「……このままの勢いを保てられれば、ぼくはきっと──兄さん達に追い付けるはずだ。そうでなきゃ、ヒムロ達にここまで付いて来てもらった恩も返せない」


 この洞窟で、プローシライ三兄弟の絆は引き裂かれてしまった。

 誰が悪い訳でもない、不運の連鎖としか言いようのなかった悲劇の記憶。

 それを経た三年後の今、この少年は過去と向き合うべく立ち上がった。


「父さんが言っていた、地より出でし邪悪──異常成長した地底蛇の棲家は、もうすぐそこだ。今度こそぼくは……あいつに一矢を報いてやるんだ……!」


 願わくは、彼の未来が光に満ち溢れん事を。


(……それを叶える為にも、拙者達がシーラを支えていってやらねばな)


 それこそが冒険者として──彼と共に行く仲間としての責任であるのだから。




 ────────────




 洞窟の奥地が見えてきたあたりで、シーラが無言で立ち止まった。

 彼がそっと指差した先には、とぐろを巻いて眠る大蛇の姿。

 その体長は、話に聞いていた通りの化け物並みである。

 太さは、大樹の丸太ぐらいはあろうか。長さもそれに見合った特大であり、絵物語に登場するような非現実的な外見をしていた。

 巨大であるからこそ、その大蛇の鱗もよく見える。

 壁にみっしりと繁殖したカガヤキゴケの光を反射して、ぬらりと輝く茶褐色の鱗。

 その一枚一枚が、握り拳一つ分程度の大きさがある。

 あれだけ大きな鱗であれば、それを断ち斬るだけでも苦労をするであろう事は、容易に想像が出来てしまった。


「……打ち合わせ通りに仕掛けるよ。準備は良い?」


 囁くシーラに、それぞれ頷き返す。


「それじゃあ……いくよ」


 彼の言葉を合図に、村正が大蛇に向かって右手をかざした。

 すると、とぐろを巻いた大蛇の巨大の下に、複雑な赤い模様の描かれた円形の術式が浮かび上がる。

 それが済んだら、今度は龍蔵とサクラの出番だ。


 未だに眠り続ける敵の懐へ、二人でじりじりと忍び寄る。

 気付かれないよう、極限まで音を立てぬよう意識する。

 吐息も、衣擦れの音も、当然足音にすら細心の注意を払って進んでいく。

 ここであやつに勘付かれれば、最初の一撃を失敗してしまう事になる。

 これは四人の連携が必須となる作戦なのだ。

 無事に村正が役目を果たした今、この流れを龍蔵とサクラがシーラへと繋いでいかなくてはならない。


 ……そして遂に、龍蔵達は打ち合わせ通りの配置についた。

 龍蔵は妖刀村正を、サクラは背中の剣をしっかりと握り──静かに眠る大蛇の身体に、それぞれの刃をお見舞いする。


「はあぁぁぁぁっ!!」


 勢い良く振り下ろされたサクラの剣は、バキバキと鱗が割れる音を響かせながら肉を貫き──


「……(ざん)ッ!!」


 龍蔵の妖刀は見事な斬れ味を発揮し、鱗ごと綺麗に一刀両断する。

 突如として与えられた二つの激痛の衝撃に、いよいよこの地の王──大地底蛇が覚醒した。


「ギィシャアァァァァァァァッ!!」


 痛みに暴れもがく大蛇は、すぐに狙いをこちらに定めてきた。

 二人は即座に敵から距離を取り、それを確認した村正が大蛇の下に描いた術式を発動させる。


「炎よ、闇よ! この妾の名の下に、敵を焼き払うのじゃ!」


 後方から響く少女の声によって、大蛇は瞬く間に闇色の炎に包まれていく。

 龍蔵とサクラの物理攻撃、村正の魔術による特殊攻撃──そして最後は、この戦いに決着を付けるべくやって来た少年の出番である。


「さあ、シーラ! お主の本気を見せてやるのじゃ!」

「思い切りやってやりなさい!」


 少年は酷く緊張した様子で、両手を震わせて弓を構えた。

 龍蔵はそれを見詰め──無言で彼を見守っている。



 ******



 ヒムロとサクラが先制攻撃を繰り出し、それに追い討ちを掛けるようにしてムラマサの真っ黒な炎で、地底蛇を追い詰めてくれた。

 ここまでの流れと作戦を組み立ててくれたのは、他でも無い彼らだった。

 特にサクラの経験豊富さは、勇者候補として選ばれた実力を感じさせられた。


 彼ら出会って間も無いぼくを励ましてくれた、ぼくの大切な恩人達だ。

 皆の期待を、ここまでの努力を裏切らない為にも、失敗は許されない。それは痛い程分かっている──はずなのに。


 指先が、震える。

 自身の心臓の音が、まるで耳元で聞こえているような錯覚を覚えていた。


 ぼくらの目の前に居るのは、ぼく達兄弟から、幸せだったあの日々を奪った元凶だ。

 それをこの手で討ち果たす役目を与えてもらえて、その願いが叶う目前にまで迫っているはずなのに──怖いんだ。


 あいつは、セバス兄さんの左目と、アネーロ兄さんの記憶を奪った憎き仇。

 三年前のぼくが何の手出しも出来なかった恐怖の象徴が暴れる様を見て、あの日の記憶がフラッシュバックする。


 ぼくを庇った兄さん達。

 ぼくなんかよりずっと優れた才能を持った兄さん達が、身を呈して大事なものを失ってまで守る価値が、ぼくにはあったのだろうか。

 ……それが頭の中でぐるぐる、ぐるぐると渦巻いて、思考が定まらない。

 今はそんな事を考えている場合じゃないのに。

 ぼくが動かなければ、彼らのここまでの努力が水の泡になってしまうのに。


「シーラ!」


 誰かがぼくの名を叫ぶ。

 その声で現実に引き戻されたぼくは、反射的に矢を放っていた。

 けれどもその矢はあらぬ方向へ飛んで行き、せっかくムラマサが作ってくれた絶好の機会を逃してしまう。


「ああっ……!」


 ムラマサの炎の魔法陣は効力を失い、地面から消失してしまったのだ。


「ぼ、ぼくは……ぼくは何て事を……!」


 灼熱の黒い炎から解放された大蛇は、激しい怒りを露わにしながら大きく口を開いた。

 その口の中には、濃密な魔力で構築された緑色の光弾──風の魔力があった。

 呆然とそれを眺めていると、隣に立つムラマサが一喝する。


「何を呆けておる! まだ諦めるでない!」

「ムラマサ……」


 異国の黒衣と、それを同じ色をした滑らかな長い黒髪をした、紫色の瞳をした少女。

 彼女はぼくの背中を叩いて、空いた方の手で大蛇の方を指差した。


「ここに至るまで、お主は何度も魔物を仕留めてきたではないか。今のシーラであれば……妾はきっとあやつを仕留められると、そう信じておる」


 ムラマサはぼくの手の甲をそっと撫で、にっこりと微笑んだ。

 それは紛れも無く、信頼する友人に向けられた親愛の笑みだった。

 彼女はぼくの──大切な友達だ。

 友達の信頼を裏切るような……そんな人間にはなりたくない。


「……ムラマサが、サクラが、ヒムロが……あんた達が信じてくれたから、ぼくはここまでやって来られたんだ」


 ぼくは奥歯を噛み締め、今にも魔法を撃ち出そうとしている大蛇へと矢を向ける。


「何度失敗したって、その分何度でも立ち上がれば良いんだ。目標があるなら……夢があるなら……それを諦めたくないのなら……」


 指先から魔力を流し、それを矢に込めていく。

 ぼくがプローシライの人間として受け継いだ力──伝説の戦士、トネール・プローシライと同じ雷属性の適正。

 その魔力が注がれた矢は、バチバチと電流を巡らせながら、輝かしい光を浴びていた。


「後悔しないように──今出せる全力を尽くして、ぶつかれば良いんだっ!!」


 限界まで張り詰めた弓の弦から、ぼくの渾身の一矢が放たれる。


「輝き貫け! 偉大なる戦士の雷鳴の光よ‼︎ トネール・アルシェ・フレーシュ!!」


 大蛇もぼくの矢に対抗するようにして、溜め込んでいた風の魔力を一気に解き放って来る。

 その魔力は嵐のような烈しさを伴い、ぼく達を巨大な風の渦へと吸い寄せていく。

 ぼくらは身体を持っていかれないように踏ん張りながら、雷鳴の力を纏った矢に視線を送る。


「行っけぇぇぇぇぇぇぇーっ!!」


 雷鳴の矢は風の中を突き進み──渦の中へ突っ込んだ。

 しばらくの間、暴風が吹き荒れる音だけが耳に届き……次の瞬間、ぼくらの視界を強烈な閃光が覆った。


「ギッ、ギシャァァァ!?」


 ぼくの矢は……竜巻をものともせず、その苛烈な雷を維持して、大蛇の頭へと命中していたのだ。

 矢が纏った雷は、大蛇の全身を駆け巡り、肉が焦げる臭いと共に筋肉をビクビクと痙攣させていた。



 それから、何秒が経過しただろうか。


「やった……のか?」


 ぼくの問いに答えるようにして、ヒムロが動きを止めた大蛇に近寄った。

 彼が何度か蹴りを入れても、地面に倒れ伏す大蛇は何の反応も示しはしない。


「……どうやら、そなたの一撃で見事に討伐したようでござふな」

「ほ、本当に? ぼくが……ぼくがこの地底蛇に、とどめを刺したの……?」


 ムラマサと一緒に彼らの方へ駆け寄ると、サクラもヒムロの意見に頷いていた。


「ええ、そのようね。一時はどうなる事かと思ったけれど……」

「妾の目にも、こやつの死線はもう見えぬな。きちんと仕留めたのは間違いあるまい」


 ムラマサの言う『死線』というのが何なのか分からないけれど、三人がそう言うのだから、多分それで間違い無いのだろう。


「そうか……ぼくは、ちゃんとこいつを倒せたんだね……」


 一気に魔力を消費した反動か、それとも因縁の大蛇を倒した事で気が緩んでしまったのか……ぼくは地面に両膝をついた。

 ひとまずは、大きな困難を乗り越えられた。

 それに安心しきっていたぼくに、ヒムロが声を掛けてきた。


「まだやるべき事は残っておるぞ、シーラよ」

「え……?」


 すると、ヒムロはカタナを抜いて──大蛇の首を斬り落としていた。


「これを持ち帰らねば、この大蛇を討ち果たした証明にはならぬのだろう? 拙者とそなた、交代で背負って帰ろうではないか」

「ああ……そ、そういえばそうだったね」

「大事な事なんだから、忘れちゃ駄目じゃないの」

「まあまあ、終わり良ければ全て良しじゃ! さぁて、皆で屋敷を目指して出発じゃなっ!」


 ぼくの腕では抱えきれない程の大きさ。

 それをぼくと二人掛かりで袋に詰め、まずはヒムロが背負って洞窟を出る事になった。





 サクラとムラマサが先導し、洞窟を抜けて草原を歩いている最中、ヒムロがこんな事を言い出した。


「なあシーラ、この大蛇の目玉……後ほど一つだけくり抜いても良いだろうか?」

「……は?」


 ヒムロはぼくの恩人の一人ではあるけれど、少し……いや、かなりおかしな事を言い出す人だなと思ってしまった。


「いや、これには立派な理由があってだな? セバスにも、シーラが許せば大丈夫だろうと言われたのだが……」

「に、兄さんが? ますます訳が分からなくなってきたな……。まあ良いけど……サクラの目には入らないようにやってよね。多分気持ち悪いって言われるだろうから」

「分かっておる。さて、後はエドガルド殿から例の物を受け取るだけでござるな……」


 ……彼が何を考えているのか分からないけれど、少なくともぼくには関係の無い話だろう。

 それよりも、彼らへのお礼に何を用意しようか考えておかないとな。


 この時のぼくは、ヒムロの話をそんな風に流していたのだった。

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