其の拾壱 男達の仁義
課題発表の日の夜、龍蔵達はプローシライ家の屋敷で一夜を明かす事になった。
「シーラの様子はどうであったか、村正」
村正は、表情を曇らせながら言う。
「うーむ……。本人は『大丈夫だ』と言っておったが、とてもそうは見えんかったのぅ」
龍蔵に一部屋、サクラと村正の二人にもう一部屋をあてがわれた。
その後は洞窟までの道順を地図で確認し、その周辺に生息する魔物の情報を調べるなどして過ごしていた。
それにはシーラも加わってはいたのだが、心ここに在らずといった様子で、まともに会話が出来る状態ではなかったのだ。
更にシーラは夕食の際、明日に備えて早めに休むと言って、食事にもろくに手を付けず自室へ籠ってしまっていた。
……この状況はどう見ても、今朝のアネーロからの言葉が原因だろう。
三年前の悲劇の舞台であり、シーラに課せられた試練の場として用意された、シャウライの洞窟。
そこで長男のセバスは左目を失い、次男のアネーロも何か大切なものを失ったのだという。
『次はあなたが何かを失う番ですよ。例えば……友人、だとか』
だからこそ、あの男はシーラにそう言い放ったのだ。
シーラにようやく出来た友人を──村正を失う事になるだろう、と。
「扉越しじゃったが、妾との会話には応じてくれた。……弟がようやっと前を向き始めたというのに、あの馬鹿兄貴は何を考えておるのじゃろうな」
シーラの様子を見に行った村正は、友である自分に任せておけと息を巻き彼の元へ向かったが、あまり良い成果は得られなかったらしい。
「妾でも駄目だというのなら、シーラは朝までこのまま眠れぬ夜を過ごすやもしれぬ」
友を心配し、落ち込む村正。
サクラは気晴らしに剣を振るうと言って、屋敷の外に出て行った。彼女もこの状況に、どうしようもないやるせなさを感じているようだ。
……シーラの為に、自分は何が出来るだろうか。
彼を励ましに行った村正でも、シーラの気持ちを軽くするには至らなかったというのに。
そもそも、アネーロは何故ああまでして弟を追い詰めているのだろう。
三年前までは仲の良い兄弟だったのだから、やはり洞窟での一件が原因であるのは間違い無いはずだ。
ならば……その場に居合わせたもう一人に、直接話を聞きに行くしかないのではなかろうか。
今夜は後継者候補の全員がこの屋敷に居るのだ。この機会を流せば、夜明けと共に彼は──セバスはここを発ってしまう。
龍蔵は、腰掛けていた寝台から立ち上がる。
「……少し部屋を空ける。もしサクラが戻って来たなら、すぐに戻ると伝えておいてくれ」
「どこに行くのじゃ、リュウゾウ?」
「セバス殿と話をしたい。拙者達は、シャウライの洞窟で起きた悲劇の核心を知らぬ。それを知らぬまま彼の地へ赴くのは、どうにも納得がいかぬのだ」
その言葉を聞いた村正は、扉の向こう──確かシーラの部屋がある方角を見ながら、こう返した。
「……あの日、馬鹿兄貴が一体何を失ったのか。先程聞いてきた限りでは、シーラはそれが何なのかは知らぬと言っておった」
彼女はこちらに視線を移し、真剣な眼差しを向ける。
「今からでも取り戻せるものであれば、妾はそれを馬鹿兄貴に……アネーロに返そう。それでシーラが救われるのであれば、妾は友の為、どのような事でもしてみせよう」
「村正……」
すると、村正は少女らしい微笑みを見せながら言う。
「妾にとっても、シーラは初めての友じゃからな! 何せリュウゾウは妾の唯一の家臣で、サクラは冒険者仲間であるからな。この世に一人しかおらぬ友の為、出来る事があるなら何でもやりたいと……そう思うのじゃ」
小さく揺れる彼女の黒髪に、不思議な付喪神の少女と出会った瞬間が呼び起こされる。
彼女の黒髪よりも深い、村の教会地下にあった封印の間。
その暗闇の中で、村正は永き時を過ごしていた。
いつ目覚めるやも知れぬ……。もしかしたら、永遠に目覚める時など巡って来ないかもしれない静寂の空間で、少女は一振りの刀の姿で眠り続けていた。
人間である龍蔵には計り知れぬ時間を、彼女はたった独りで生きていたのだ。
その眠りの時間が、いつしか少女にとって恐怖の象徴となっていた。
今でも村正は、誰かが側に居なければ眠れない。
最初の夜は龍蔵が一晩中彼女の手を握っていたが、あれ以降はサクラが共寝をするようにしている。
それほどに孤独を恐れる少女が助けたいと思う相手が出来た事実は、龍蔵にとっても喜ばしい事なのだ。
暗き地下から、明るい地上へ。
そこで出会った者達との絆が、彼女の心の糧となるのなら。
彼女の契約者として──主君である村正の唯一の家臣として、喜ばしい事この上ないのだ。
龍蔵は、自身の主君に微笑み返す。
「……そうだな。拙者も最善を尽くそう」
「うむ。……頼んだぞ、リュウゾウ」
心優しい主君に見送られながら、龍蔵は部屋を出て行った。
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今夜は『武勇の儀』の前日という事もあり、屋敷内の人影はまばらだった。
夜明けと共にここを発つのだから、早く身体を休めておこうという者が多いのだろう。
しかし──セバスは違っていた。
彼はサクラと同様に武人であり、更に言えば『武勇の儀』への意気込みが違っている。
世界を魔の手から救った勇者の仲間。
その血を受け継ぐ戦士の家の長男として、彼は何としても弟達を上回らなければならないのだから。
長男セバスは、屋敷の敷地内にある剣術の稽古場に居た。
燭台の灯りに照らされた室内で剣を振るう青年は、今の龍蔵の年頃とそう変わらないように見える。
「……俺に何か用か? カタナ使いの兄さんよ」
気配に気付いたセバスは、その手を止めてこちらに振り返った。
夕食の席で見掛けたが、あれ以降ここでずっと剣を振るっていたのだろう。蝋燭の炎に照らされ、彼の肌が汗によって静かに輝きを放っていた。
彼の方に少しずつ歩み寄りながら、その問いに答える。
「ああ、少し貴殿に話があって参った。……それにしても、そなたは刀を知っているのだな。この国ではあまり主流な得物ではないようだが……」
「剣を極めるべく勉強中の身だからな。どの国でどんな剣術が生まれたのか、どんな剣が誕生したのかとか、そういうのは一通り教え込まれてんだよ」
セバスは自身の剣を壁に預けると、手頃な布で汗を拭いながら言う。
「それで、俺に話ってのは? こんな時間に俺の所まで来たんだ。世間話をしに来た訳じゃないんだろ?」
「話が早くて助かるな。拙者が聞きたいのは他でもない、貴殿の弟君らの関係についてでござる」
「アネーロとシーラの……?」
疑問の色を浮かべたセバスの隻眼が向けられる。
「シーラの側仕え……と言うのだろうか。エドガルドという男からの依頼を受け、拙者達はシーラの護衛役を引き受けた。貴殿から見れば、一介の冒険者風情が家族間に口出しをするなど言語道断であろう。しかし──」
しかし、龍蔵達とシーラは……少なくとも村正とシーラは、それだけの間柄ではない。
「拙者の支える主が、シーラと友情を交わしてな。彼女がシーラを励まそうと躍起になっておったのだが、どうにも上手くいかぬのだ。そこで、兄である貴殿であれば、彼ら兄弟が何故あのような険悪な関係になってしまったのか、存じておるのではないかと」
「……それで俺を頼ってきたって事か」
セバスは床に腰を下ろすと、立ったままの龍蔵に「座れ」と目で促した。
彼に従って床に胡座をかいて改めて向き合うと、セバスの表情に苦悩の影が差す。
何から言えば良いのやら、といった様子で言葉に迷う青年。
彼が口を開くまでじっと待ち続けていると、ようやくその口から声が発せられた。
「……その様子じゃ、あの日に起きた事はある程度シーラから聞いてるんだろ?」
「ああ。アネーロ殿の成人を機に、兄弟揃って腕試しに向かい──その場所というのが、拙者達が明日向かうシャウライの洞窟だったと」
「そこで俺達兄弟には、埋められない溝が出来ちまったんだ」
魔物との戦いに大きな恐怖を抱いたシーラは、まともに矢を射る事が出来なくなっていた。
そんなシーラにどうにかして戦闘経験を積ませたかったセバスとアネーロは、それでも弟を連れて洞窟内を突き進んでいってしまった。
「ほぼ確実だと思うが、お前達に出された課題は……俺の左目をやった地底蛇だろう。あいつとの戦いで、俺は足がすくんで動けなくなったシーラを庇って、左目を潰された」
「……シーラを庇った事に、後悔はしておらぬのか?」
その問い掛けに、彼は即答する。
「んな訳あるかよ! あいつは俺の大事な弟だ。あいつが無事なら、俺の身体がどうなろうと気にならねえさ。ただ……」
「ただ?」
セバスは声を張り上げたかと思うと、すぐにその顔を曇らせた。
「……ただ、アネーロの事はまた別だ。あいつはあの日以来、まるで人が変わっちまった。いくら血の繋がった家族とはいえ、実の弟にあんな酷え事を言うような奴じゃなかったんだよ」
「人が変わった……?」
「まあ、変わっちまったのはシーラもだがな……。俺の知るあいつらは、本当はもっと仲が良くて……屋敷にはいつだって、あいつらの笑顔があったんだ」
過去を懐かしむ青年の右目には、在りし日の弟達の笑顔が映し出されているのだろう。
泣き出しそうに、けれども愛おしそうに呟くその声は、兄弟達を慈しむ優しい兄のそれだった。
「……アネーロはな、左目を潰された俺の分までシーラと俺を護ろうと、身体を張って地底蛇と対峙したんだ。その時に強く頭を打ち付けたショックで──対人関係の記憶だけが、すっぽりと抜け落ちちまったんだよ」
「それはつまり……貴殿やシーラとの思い出も、全て失ってしまったと……?」
セバスは無言で頷いた。
「まさか、そのような事が……」
「信じたくは無かったんだがな……」
仲の良かった三兄弟。
その関係性が、何故たった一日で壊れてしまったのか──ずっと疑問を抱えていた。
「アネーロは、十五年生きた人生経験はそのままに、あいつにとって何も知らない家族との生活が始まったんだ。俺や父さんはこの家について説明もしたし、屋敷に居る人間の事細かな紹介もした。……母さんが病気で亡くなった事だって話したさ。それでもあいつの記憶は、何一つ呼び起こされなかった」
己の事を一方的に知られた状態で、見知らぬ土地に放り出されたような孤独。
名門一族の次男として生活してきた槍術の腕や戦闘の知識、日常生活における基本や国家の歴史などは記憶にある。
ただただ、これまでの家族や友人との思い出だけが、まっさらに消えてしまった。
そのかけがえの無い十五年にも渡る思い出を失ったアネーロは、いつしかその原因を生んだ者──彼が地底蛇から庇った相手であるシーラを強く憎むようになっていたのだ。
「医者に診せても無駄だった。奇跡でも起こらない限り記憶は戻らないだろうと……そう言われた。それを告げられた時のアネーロの顔は、今でも忘れられねえ」
するとセバスは怒りを込めて、拳で床を叩き付けた。
やり場の無い青年のその怒りを目の当たりにして、龍蔵は言葉に詰まる。
「俺が……俺がもっとしっかりしていれば! 地底蛇なんぞに負けねえぐらい、もっと強かったなら……! シーラを不安にさせなかったかもしれねえ。アネーロの事だって護ってやれたかもしれねえ……!! そんな後悔が、いつまでも頭の中で渦巻いて……溺れそうになっちまう」
誰が悪かった訳でも無い。
セバスは兄として立派にシーラを護り、アネーロもそんな兄と弟を護るべく立ち向かい、犠牲になった。
シーラはそんな兄達に憧れて、兄弟揃って初めての冒険に出たのだ。
何せ地底蛇の異常成長は、彼らには予測不可能だったのだから。
「……俺は卑怯な男だ。アネーロの気持ちを考えると、表立ってシーラを庇ってやる事も出来ねえ。それなのに、アネーロの記憶を取り戻してやる事すら出来ねえ。そもそも、こんな俺が当主を目指そうってのも間違いなのかもしれねえな……」
「……アネーロ殿の事で、一つ心当たりがある」
龍蔵の呟きに、セバスはハッと顔を上げた。
その青い隻眼には、疑念と期待の両方が入り混じっている。
龍蔵は彼の話を聞きながら、とある情報を思い出していた。
「拙者の……遠い故郷に、呪術に詳しい姫君がおってな。その姫君が言うには、この世には相手の記憶を奪う呪術があるのだとか」
「そんな呪術があるのか……? だが、それとアネーロの事に関係は……」
「なくは無い、かもしれん。ただこれは、拙者の予想が正しければの話でござるが……」
そうして龍蔵は、セバスにとある姫君からもたらされた知識と、それを元にした解決の糸口を語り始めた。
彼女の話がこの世界でも通用するのであれば、アネーロの記憶を取り戻す事が出来るかもしれない。
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全てを語り終えた後、セバスの目には、先程よりも強い期待が宿っていた。
「……それが上手くいけば、アネーロは助かるかもしれねえんだな?」
「ああ、ここは拙者に任せてくれ」
まだ夜は明けていないが、それなりに話し込んでしまった。
彼も少しは身体を休めるべきだろう。ここらで話を切り上げようと拙者が腰を上げると、セバスもすっと立ち上がった。
「セバス殿?」
「最後に一言だけ言わせてくれ」
彼は真剣な面持ちで龍蔵を見詰め、こう告げた。
「シーラとアネーロの事は、悔しいがお前達に任せる。……ただし、『武勇の儀』では俺達は敵同士だ。お前はお前の、俺は俺の仁義を通そう」
「いざ真剣勝負、という訳でござるな」
「ハハッ、そういう訳だ! ……アネーロの記憶が戻ったら、その時は最大な宴を開いて祝おうや。そしたらその後で──思う存分手合わせしようぜ、カタナの兄さんよ!」
そう言って、セバスはこちらに右手を差し出してきた。
それがどのような意味を持つか、分からない龍蔵ではない。
彼の鍛えられた腕から伸びる大きな手を、それより少し細身の自身の手で握る。
「拙者の名は龍蔵という。以後、気軽にそう呼んでくれ。セバス殿」
「お前のその堅っ苦しい呼び方もやめてくれ! 俺の事はセバスで良い。あんたのカタナと俺の剣、どちらが上か楽しみにしてるぜ──リュウゾウ!」
「拙者も心待ちにしていよう──セバスよ」
二つの約束──アネーロの記憶を取り戻す事と、セバスとの手合わせを誓い、彼と握手を交わす。
武人である彼とは、良き友になれそうな……そんな気がする夜だった。




