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其の玖 三兄弟の亀裂

 長男セバス、次男アネーロ。そして三男シーラの三人は、プローシライの屋敷から南に向かった先にある洞窟へ辿り着いた。

 洞窟の入り口は狭く、うっかりしていれば見逃してしまいそうな岩場に隠れている。


「このシャウライの洞窟には、かなり手強い魔物が潜んでいると聞きます。ここならば、私達の鍛錬には丁度良いはずです」

「前衛は俺、中衛はアネーロ、後衛はシーラで良いよな? 後方支援は任せたぜ、シーラ!」


 ガシッとシーラの肩を叩いたセバスは、全幅の信頼を寄せた様子で笑みを見せた。

 そんな兄からの信頼に応えねばと、シーラは何度も頷いている。


「う、うん! 兄さん達の足手纏いにならないように、ぼくがしっかりサポートするよ!」

「やる気があるのは良いですが、目の前以外の事にも気を配るのを忘れないように。特にセバス兄さん、貴方は戦いに気を取られて注意散漫になりやすいのですから、一人で突っ走るような事の無いようにお願いしますよ?」


 すかさずアネーロに小言を言われたセバス。


「わ、分かってるって!」

「本当に頼みますよ、兄さん」


 けれどもそんな発言をしたアネーロは、心の底から楽しそうに笑っていた。

 こんな賑やかな兄弟間のやり取りを、シーラは物心付いた頃から送ってきたのだ。

 明るく活発なセバスと、しっかり者のアネーロ。

 そんな二人の背中に追い付くべく、シーラは日々過酷な訓練にも耐えてきたのだから。



 シャウライの洞窟の内部には、周囲に漂う魔力を吸収し、発光する(こけ)──カガヤキゴケが生えている。

 その苔は適度な湿気と魔力に満たされた地域にしか生育せず、長年魔力を吸い続けたカガヤキゴケは、その特性を生かして魔法薬の材料として使われる事もある。

 けれども魔力に満ちた土地というのは、植物だけでなく、その土地に棲む魔物までもを成長させてしまう。

 だからこそシャウライの洞窟には、手強い魔物が潜んでいるのだ。


「ヒカリゴケって初めて見たけど、本当に光ってるんだね。ランタンも松明も必要ないなんて、この苔がどこにでも生えていれば、夜道も安全になりそうじゃない?」


 先を歩く兄達に、シーラが訊ねる。


「残念ながら、ヒカリゴケは特定の場所でしか育たないのです。他の土地へ移そうとすれば、そうですね……。数時間もしないうちに枯れてしまうでしょう」

「そ、そうなの?」

「俺も父さんから聞いた事があるな。ヒカリゴケは保存が難しいってんで、かなり高級な薬草として取引されてんだってよ」


 そんな話をしているうちに、彼らの目の前に魔物が現れた。

 プローシライの三兄弟は、瞬く間に魔物達を打ち倒していく。

 ただ、シーラの出る幕も無く、兄二人がすぐさま仕留めてしまっていた。


「もっと積極的に攻撃して良いんだぞ?」

「戦場では、躊躇している時間も惜しい。的確に判断が下せるよう、私や兄さんの動きをよく見ていなさい」

「う、うん……」


 そう返事はしたものの、シーラは何度敵を前にしても動かなかった。

 動かない的を狙う訓練場での鍛錬とは異なり、相手は意思を持ち、明確な敵意と殺意を向けてくる凶暴な魔物である。

 勇猛果敢で魔物との戦闘経験もあるセバス達とは違い、シーラは実物の魔物を目にして、はっきりとした恐怖を抱いてしまっていた。

 仮にこの洞窟へ彼一人で来ていたとすれば、今頃は魔物達の腹の中に収まっていた事だろう。


「このままじゃ、兄さん達に追い付けない……」


 ぽつりと呟いた少年の言葉は、誰の耳にも届いていない。

 彼の心を埋め尽くしているのは、兄達への尊敬と、嫉妬と焦燥。

 素人同然の冒険者では返り討ちにされるような危険な魔物を相手に、一切の怯えを見せない勇敢な戦士達。

 彼らと同じ血を引き、三年後には武勇の儀で競い合う二人。

 勇者の仲間として魔王を討ち果たした者の教えと技を継承するプローシライ家の人間として、シーラは今まで以上の激しいプレッシャーに押し潰されそうになっていた。



 しばらく同じような時間が流れた後、彼らは遂に洞窟の最深部へとやって来た。

 そこで三兄弟を待ち受けていた絶望が、今もシーラの網膜に焼き付く悪夢のような日々の始まりを告げるのだとも知らずに──。



 ******



 龍蔵達は真剣にシーラの言葉に耳を傾けていた。

 シーラはその青い目を伏せながらも、更に言葉を紡いでいく。


「……洞窟の奥には、大蛇が居た。それも、大人を何人も丸呑みに出来るぐらいの、とんでもない化け物だった」


 彼の話によれば、その大蛇というのは地底蛇と呼ばれる魔物だったらしい。

 しかし、本来であれば地底蛇はそこらの蛇と変わらぬ小柄な大きさであり、シーラ達が見たものは規格外の巨体だったのだという。


「それだけ大きな地底蛇というからには、洞窟に満ちる魔力で異常成長したと考えるべきでしょうね。そういった例は、これまでにもギルドへ報告されているし……」

「ぼくらもそうだと考えた。でも、それに気付いた時にはもう手遅れだったんだ」


 サクラの推測に、シーラが苦しげに返した。


「元々、地底蛇はあまり地上に顔を出さない魔物だって知ってるよね? あいつらの主な食料は、地中に棲む虫や鉱石の欠片だ。鉱石を食べる地底蛇は、そこから得た魔力特性に応じた魔法を操る事でも有名だ」

「つまり、蛇でありながら人のように術を操る……という事にござるな?」

「そう。そこがまた厄介でね……。シャウライの洞窟には他にも地底蛇は居たんだけど、比較的小さな蛇ばかりだったんだ。だから、そいつらが使う魔法も大した事は無かったんだよ」


 魔法というと、村正が繰り出したような黒い炎や、魔族のジャーマのように次々と火球を出して攻撃する事を言うのだろう。

 他にも、地域によっては地中に含まれる鉱石に水の魔力が多ければ水を、風の魔力が多ければ風で攻撃してくる地底蛇も居るのだという。


「ただ……最深部の地底蛇はレベルが違った。操る魔法も、その属性のバリエーションも豊富で、接近技を得意とする兄さん達じゃまともに攻撃を加える隙も無かったんだ」

「ふむ……」


 シーラの言葉を受けて、龍蔵は思案を巡らせる。


(『ばりえーしょん』とやらが何かは分からぬが、要は多種多様な術を操る強力な敵であったという事だろう)


 剣術を得意とする長男、槍術を得意とする次男ならば、確かに苦戦するのやもしれない。


「本当だったら、そんな時こそぼくが弓を使って隙を作ってやらなくちゃいけなかったんだ。だけど……何も出来なかった。……怖かったんだ。あの巨大な魔物が」

「シーラ……」

「ただ呆然と立っている事しか出来なかったぼくを、兄さん達は身体を張って守ってくれた。……でも、そのせいでセバス兄さんは左目を、それにアネーロ兄さんは……!」

「まるで己が悲劇の主人公だと言わんばかりの語り口ですね、愚弟(ぐてい)よ」


 聞き覚えの無い声と共に休憩室の扉を開いたのは、冷たい目をした金髪の青年だった。

 その男の登場に、シーラが顔を真っ青に染め上げる。


「あ、アネーロ兄さん……!?」

「……貴方達が愚弟の護衛を引き受けたという冒険者ですか。そしてそちらのお嬢さんが、かの有名なソロ冒険者、スパーダ・ヴェーチルの……」

「サクラ・ヴェーチルです」

「ええ、サクラさんでしたね。同郷から貴女のような優秀な勇者候補が誕生した事、喜ばしく思いますよ。そんな貴女が、何故この愚弟の依頼を引き受けたのかは、理解に苦しみますがね」


 アネーロ……プローシライ家の次男が、何故この弓の訓練場に顔を出したのか。

 アネーロに暴言を吐かれたサクラは、眉をぴくりと動かしたものの、それ以外に目立った反応はしなかった。

 彼はその氷のような眼差しをシーラに向け、とても家族に向けるものとは思えない冷めきった声を浴びせる。


「……まさか、貴方のような失敗作が『武勇の儀』に挑戦しようとは思いもしませんでしたよ。セバス兄さんの左目を奪い、私からも大切なものを奪った元凶である貴方がね」

「……っ!」


 ぐっと唇を噛んだシーラの前に、小さな黒い影が立ちはだかる。

 村正が、アネーロとの間に割って入ったのだ。


「そこまでにせい、若いの」

「何の真似です? 貴女は所詮他人でしょう。家族間の問題に口を挟まないで頂けますか?」


 絶対零度の視線を浴びながらも、村正はそれと同等の鋭く冴えた眼で応戦する。

 カテ村の人々に対する態度でも感じていたが、村正は想像以上に肝の座った少女であるのは間違い無い。


「他人ではない。妾はシーラの友じゃ」

「友ですって? こんなどうしようもない人間の?」

「ハッ! 妾からすれば、貴様の方こそどうしようもない馬鹿兄貴じゃわ!」


 不敵な笑みを浮かべて堂々と言い放った村正に、アネーロはその表情を不愉快そうに歪める。


「妾の友であるシーラを愚弄する事は、この妾を愚弄するのと同じ事。妾を怒らせた事、必ずや後悔させてやろうぞ、小童(こわっぱ)

「……良いでしょう。貴女がどこの馬の骨かは存じませんが、そこまでこの愚弟を庇うのでしたら、こちらにも考えがあります」


 すると、アネーロは村正の目の前に指を一本突き立てた。


「『武勇の儀』でシーラのチームが私よりも先に屋敷へ帰還した場合、私は大人しく彼への態度を改めましょう。勝者には敬意を払うのが、この家の決まりですからね」

「では仮に、妾達が破れた場合はどうなるのじゃ?」

「シーラをこの家から追放するよう、父上に掛け合います。満場一致で追放が決まるでしょうから、今のうちに荷物を纏めておいた方が良いでしょうがね」

「なっ……!?」


 アネーロの口から飛び出した衝撃的な内容に、シーラとサクラは言葉を失っていた。

 そんな反応を見越していたのか、アネーロは余裕の笑みを浮かべながら言う。


「いつまでもこの武勇の名門の名を汚す恥知らずを処分出来ず、困っていたところでしたから。これは丁度良い機会です。せっかくですから、愚弟には到底クリア出来ない課題を出して頂けるよう、これから父さんに頼んできて差し上げますよ」

「貴方っ、それでもシーラのお兄さんなの!?」


 遂に激昂したサクラ。

 けれども彼は、どこまでも冷酷で冷静に、こう答えるのだ。


「血が繋がっただけの他人ですよ。私は、彼を家族だとは思っていない。それは、彼に左目を奪われた兄さんも同じ意見のはずですよ」

「…………っ、セバス、兄さんも……」

「それではもう失礼させて頂きます。敵情視察のつもりでしたが、貴方達は大した相手ではなさそうですので」


 そう言い残して、次男アネーロは姿を消した。

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