其の肆 龍蔵、ギルドで悪漢に絡まれる
大柄な男は、どっかりと椅子に座りながら、ジョッキに注がれたエールに口を付ける。
同じテーブルに集まった二人の男達も同じものを飲みながら、周囲の者達に視線を配っていた。
ここは、カルムの町の冒険者ギルド。
その建物の中には飲食スペースがあり、冒険者登録を済ませた者であれば誰でも利用出来る食堂がある。
男達は依頼をこなす訳でもなく、会話も無しにエールをちびちびと飲み続けていた──その時だった。
「今日は違う種類の任務を受けてみましょう。出来れば、近場で済ませられるものがあると良いんだけど……」
男の目に飛び込んで来たのは、淡いピンク色の髪を一つに束ねた、華奢な少女だった。
その両隣には、黒髪の青年と少女も居る。あの二人は兄妹なのだろうか。
艶やかな黒髪を揺らす少女は、髪と同じく黒に染め上げられた異国風の装束がとても印象に残る。
「どの任務を受けるのじゃ? 妾はどのようなものでもバッチコイじゃ! 何せ、今の妾はサクラ手製の甘とろ焼きぱんを食してご機嫌じゃからな〜」
今にも踊り出してしまいそうな程に上機嫌な少女は、ピンク色の髪の少女にそう語り掛けていた。
そんな二人の少女を見守る青年に、男は──エドガルドは目星を付けていた。
正確には、青年が腰に挿している異国の剣に、ではあるが。
エドガルドは仲間の男達に無言で目配せし、彼らも黙って頷く。
すると、男達はジョッキの中身を一気に喉に流し込んで、テーブルの上に叩き付けるようにして立ち上がった。
彼らが目指すは、青年達が注目している依頼の掲示板の方だ。
和気藹々といった様子で依頼用紙を見比べる若者達の背に、エドガルドは声を掛ける。
「おう、兄ちゃん。ちょいとツラ貸しちゃくんねえか?」
エドガルドはそのガラの悪い顔に笑みを浮かばせ、計画の成功を祈っていた。
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龍蔵が今日こなす依頼を探していると、妙な男達に声を掛けられた。
開口一番に「ツラを貸せ」とは……。
何か彼らの気に触るような事をした覚えは無い。
仮にあるとするのなら、少々騒がしくしてしまったくらいだろうか。
けれども、ここは大勢の人で賑わう冒険者ギルドだ。
龍蔵達の話し声以外にも、騒音になり得る声は無数にある。
となると……龍蔵と村正の服装が、悪目立ちしてしまったのだろうか。
サクラにはなるべく騒ぎを起こすなと言われていたが、服装程度で面倒な輩に絡まれてしまうとは、流石に予想外であった。
「……何用だ。せめて要件を口にしてもらわねば、こちらとしても判断が付かぬのだが?」
龍蔵がそう問えば、男は不敵な笑みを浮かべたまま言葉を返す。
「要件? ああ、至って単純な話だよ」
声を掛けてきたのは、がっしりとした体格に革の鎧を身に着けた壮年の男。
その後ろには、彼と同じような年頃の男が二人控えている。
男はニヤリと口元を歪ませ、言う。
「アンタの持ってるその剣、見たところ相当の業物だ。それを俺達に譲っちゃあくれねえか?」
「何だと……?」
男の口から飛び出した予想外の発言に、村正が黙ってはいなかった。
「そなたなぞに譲ってたまるものか、このたわけが! 妾はリュウゾウ以外のモノになどならぬわ!!」
「ちょっとムラマサっ、あんまり大声出しちゃ……!」
会館内から、あらゆる視線が注がれている。
この騒ぎに気付いた冒険者達が、一体何事かとざわめき始めていた。
騒ぎを起こしたくないサクラの気持ちも、見知らぬ男の手に自身が渡る事を拒絶する村正の心境もよく分かる。
ならば自分は、彼女達の意思をそれぞれ尊重するしかあるまい。
「ここは拙者に任せよ、村正」
「リュウゾウ……」
龍蔵は村正を腕で制し、前へ出た。
そして、どこか酒臭い男達を正面から睨み付けてやる。
龍蔵は村正に選ばれ、成り行きではあるが彼女の臣下となった妖刀の所有者だ。
一人の少女の感情と君主の誇り。
そのどちらをも軽視するような彼らの言動を、龍蔵の侍としての魂がそう簡単に許すはずがない。
龍蔵は怒りの激流を押し留めながら、この男共にありのままの事実を告げてやる。
「この刀は、拙者の唯一無二の存在……。例えどれだけの金子を積まれようとも、貴様らなどにはやれぬ──拙者の愛刀にござる」
「わ、妾が……あい、とうっ……!」
何故か背後から村正の飛び跳ねるような下駄の音が聞こえるが、まあ今は気にせずとも良いだろう。
すっ……と村正の本体を優しく撫で、改めて男達に問い掛けた。
「何度言われても、この刀は貴様らには譲りはせぬ。未だにその考えが改められぬのであれば……覚悟は、出来ておろうな?」
静かに剣を抜き放つ構えを示すと、男達は震え上がりながら懇願する。
「す、すまなかった! 兄ちゃんの言い分は分かった。分かったから、頼むから命だけは助けてくれぇ‼︎」
「……うむ、分かれば良い」
(まあ、元よりここで刃傷沙汰を起こすつもりは無かったのだがな)
何故なら龍蔵は、天女との契約によって新たな生を得られた身だ。
彼は天女の目的である『魔物の殲滅』を果たす為に、この世界に送り出された。
龍蔵は人斬りではなく、魔物を斬るべくして若返ったのだ。
例え村正を寄越せと言ってきたこのような男達であろうとも、無闇に命を奪うような真似はしない。
(余程の悪人でない限り、この先拙者が斬る相手はただ一人──雲春高虎だけであるのだからな)
すると、すっかり萎縮した様子の男がこんな事を言ってきた。
「ただな、その……剣を譲ってくれとはもう死んでも言わねえが、兄ちゃんの力を貸してもらうってのはダメか……?」
「刀の次は力を貸せじゃと? 全く、妾達はそなたらに構っている暇など無いというに……」
「……何か、特別な事情があるようでござるな。理由くらいは聞いてやらんでもない。話してみよ」
「ほ、本当か⁉︎ ああ、きちんと全部説明するさ!」
村正はあまり乗り気ではないようだったが、龍蔵はどうにも彼らの様子が気に掛かっていた。
まだ昼食にも早いこの時間帯に、大の男が三人も揃って酒を飲む。
そうして彼らが刀を目当てに声を掛けて来たのが、この拙者。
今は『力を貸してくれ』と頼んできているが、何かしらの理由が無ければ、これらの行動の疑問は晴れない。
それを晴らすべく、龍蔵は彼らの言葉に耳を傾けてみる事にした。
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「……というと、そなた達はその『武勇の儀』に参加する戦力を必要としているのだな? それで拙者に声を掛けた、と」
「ああ、そうだ。アンタがウチの坊ちゃんの護衛を引き受けてくれるなら、きちんとした報酬を支払うつもりだ」
場所をギルド会館内の雑談スペースに移し、大柄な男──エドガルドは、彼らの身の上を含んだ詳細な説明をしてくれた。
どうやらエドガルド達は、この町から少し離れた丘の上に屋敷を構える名門一族に仕えているらしく、今はその跡取りを決める争いの真っ只中なのだという。
跡取りを決める手段とやらが、どうやら厄介な魔物を討伐するという『武勇の儀』と呼ばれる伝統の儀式らしい。
その儀式に参加する前に、彼らは良い武器や護衛を探す為にこの町へやって来たのだという。
将来有望な若者や歴戦の戦士が集うこのギルドで、彼らは協力してくれそうな者を探していたのだそうだ。
けれども、何故か声を掛けた冒険者からは怯えられ、一切収穫は無かったのだとか。
……龍蔵の勝手な予想ではあるのだが、それが上手くいかなかったのは彼らの人相が悪いせいではないかと思った。
エドガルド曰く、人当たりを良く見せる為に常に笑顔を心掛けていたそうなのだが──それすらも裏目に出ている気がしてならないのだ。
「ひとまず、理由は分かったが……。何故このような日の高い時間に酒を飲んでいたのだ? 一族の未来を決める争いを前に、気持ちがたるんでいるのではないか?」
「そ、それは……」
言い淀むエドガルド達。
しかし、そこへ助け舟を出したのは意外な人物だった。
「武勇の名門……。この町の周辺で、そのキーワードから導き出される答えは一つだわ。貴方達、プローシライ家の関係者なんでしょう?」
その人物──サクラは、更に続けて言う。
「プローシライ家といえば、過去に勇者の旅に同行した戦士を排出した武芸の名門よ。最近は、あまり目立った話は聞いていなかったけれど……」
「武芸の名門、か……。ならば、少し興味が出て来たな」
「貴方ならそう言うだろうと思ったわ。……それで、私の予想は合っているわよね?」
彼女の問いに、ギルガルドは大きく頷いた。
「ああ。俺達はプローシライ家の三男、シーラ様にお仕えしている」
「シーラ・プローシライ……か。それはちょっと……いえ、ある意味でかなり手強そうな相手ね」
顔を歪めるサクラ。
村正はあまり興味が無い話だったのか、ギルガルドが奢ってくれた茶碗蒸しのような甘味──プリンを堪能している。
「サクラよ。そのシーラという者は、かなりの実力者なのでござるか?」
その質問に、彼女は筆舌に尽くしがたい苦悶の表情で首を横に振った。
「いいえ、その逆。……何故なら彼は、名門プローシライ家の面汚しとまで言われた、跡取りから最も遠い存在と呼ばれているからよ」




