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其の捌 サクラの決意

 炎を操る魔族──ジャーマは黒い霧に包まれ、姿を消した。

 彼の炎を浴び怪我を負った冒険者達は、他の者達と協力して治療が出来る場所へと運び込んだ。

 その後、龍蔵達は町長に報告すべく町を歩いていた。


「ごめんなさい……! 私、あんなに近くに居たのに取り逃がしてしまったわ」


 突然頭を下げるサクラに、龍蔵は気にするなと首を横に振りながら答える。


「サクラが気に病む事ではない。拙者も反応が遅れてしまった。しかし……」


 龍蔵の脳裏に蘇るのは、炎を操る魔族ジャーマが去る直前、村正が「妾を振るえ」と叫んだ時の事だった。

 村正の指示に従って刀を振るったあの瞬間、龍蔵には何かを斬ったような手応えがあったのだ。

 実際にはただ、何も無い空間を斬り裂いただけ──そのはず、だったのだが……。


「あれは惜しかったのぅ〜。リュウゾウであればもしや……と思ったのじゃが、まだ『死線』を見斬るまでには至らなかったようじゃな」


 いつの間にか刀の中から現れていた村正の口から、気になる発言が飛び出した。


「死線を見斬る……?」

「うむ。あのジャーマという魔族が姿を消す直前、お主に妾を振るよう命じたじゃろ? あの時、確実にあやつに剣が届かぬ距離であったはずなのに、何かを斬った感覚があったのではないか?」

「ああ、慣れぬ感覚ではあったが……妙な手応えがあったのは間違いござらん」

「その手応えというのが『死線』じゃ。人が生きるか死ぬかの境目……妾にはそれが見える。妾と契約を結んだリュウゾウにも見えるようになるはずなのじゃが……まだ力が馴染んでおらぬようじゃな」


 村正が言うには、彼女の持つ能力の一つが『他者の死線を見斬る』ものなのだという。

 その死線を己の目で()()()()事が出来れば、相手が人間であろうと魔族であろうと、完全にその命を断ち切る事が可能になる。


「あの時、リュウゾウはジャーマの死線を見斬るまでには至らなかった。じゃが、あやつの死線を傷付ける事は出来た。しばらくはあの魔族も動けぬはずじゃ。今すぐ狙われる事も無いじゃろう」


 村正の力が使いこなせるようになれば、龍蔵の目でも彼女にだけ見えている死線を目視出来るようになる。

 今はただ修行あるのみ、という事か。



 ────────────




 町長の家の前に到着すると、龍蔵達を待ち構えていたカテ村の人々に出迎えられた。

 彼らの村の秘宝である村正を持って飛び出していった事を心配していたのだろう。

 村人達は無傷で帰って来た龍蔵と村正を見ると、次々に質問を投げかけて来た。


「俺達の村を襲った魔族はどうなったんだ!?」

「ムラマサは……奪われていないんだな」

「あの魔族は倒せたのか? なあ!」

「安心せい! あの魔族は、妾達が追い返してやったぞ!」


 村正のその言葉に、少しだけ不安が和らいだ様子の彼ら。

 続いてサクラが言う。


「しばらくは安全になるはずですが、油断は出来ません。あの魔族は、魔剣を狙う魔王軍の一員です。彼は、ヒムロがムラマサを所持している事実を伝えたはず……。まだ魔王軍に襲われる危険は残っています」


 すると、村人達と共に待っていたらしい村長が口を開いた。


「……お二人が町長殿の家を出てから、私は悩んでおりました。我が村の秘宝として長年祀っていたムラマサ様は、我らの村ではなく、ヒムロ様と共に歩まれる事を望んでおられる。ならば、ムラマサ様を目覚めさせた者であるヒムロ様こそが、妖刀を持つに相応しいのではないのか……と」

「そ、村長! そんなの認めて良いのか!?」

「反対意見が出るのも無理はない……。であるからこそ、ヒムロ様に妖刀をお譲りする為の条件を達成して頂きたいのです。村の皆が納得するような条件を……」


 その条件とやらを満たしてしまえば、正式にカテ村から村正を譲り受ける事が出来るのか。

 ならば、どのような条件を出されようとも達成する他あるまい。

 龍蔵が静かに頷くと、村長は真っ直ぐに拙者を見上げる。


「ヒムロ様には……我らの村を襲った、あの魔族を討ち果たして頂きたい。それが成された時、我々は貴方様をムラマサの真の所有者として認めましょう」

「村長さん……」


 複雑な感情が混じった、サクラの呟きが漏れた。

 カテ村を襲った魔族──ジャーマは、彼らにとって家族や友人を失う原因となった憎き仇だ。

 ジャーマを討ち果たす事は彼らの悲願であり、それと同時に、龍蔵が村正を持つに相応しい者であるかを見極める試練となる。

 龍蔵がこの世界に来た理由の一つは、彼らのような闘う術を持たぬ人々を救う事だ。

 そして、その中で強敵と闘い己を鍛える事が、もう一つの目的である。


「……良かろう。必ずやあの魔族を討ち果たすと約束しようぞ」

「頼みましたぞ。万が一、ムラマサ様が魔王軍に奪われるような事があれば──」

「心配無用じゃ! 先程はうっかり取り逃がしてしもうたが、もう同じ過ちは繰り返さぬ。相手に深手は負わせたのじゃ。次こそは確実に仕留めてやろうぞ! のぅ、リュウゾウ?」

「無論。村正の言う通りにござる」


 ジャーマに敗れるようでは、高虎との再戦を果たせるはずもない。

 龍蔵は、このような場所で歩みを止める訳にはいかないのだから──




 ────────────


 拙者が村長と約束を交わし、町長にも話を伝えた後、一度サクラの家に戻る事になった。

 サクラの屋敷が見えてきたところで、龍蔵は屋敷の門の前に見慣れぬ人物が居る事に気が付いた。

 その人物とは、筋骨隆々の大男だった。

 村正と会話をしていたサクラも彼に気付いたらしく、隣で驚きの声をあげる。


「えっ、父さん!? どうしてこんな時間に父さんが……」


 サクラの父といえば、自分の道場で門下生達に剣術を教えている元冒険者だ。

 若かりし日の父に憧れたサクラの気持ちが、今の彼女を形作っている。

 それだけの威厳や迫力を持った男であるという事が、言葉を交わさずとも伝わって来る。

 すると、娘の声に反応したサクラの父がこちらに顔を向けた。


「そろそろ帰って来る頃だと思っていたぞ、サクラ。その二人がお前のお客人だな? サクラから聞いてるとは思うが、俺はコイツの父親のスパーダ・ヴェーチルっつうモンだ」

「拙者は氷室龍蔵と申す」

「妾はムラマサじゃ。急にそなたの屋敷に寝泊まりさせてもらう事になってすまんのぅ」

「それぐらい構わんさ! ヒムロとムラマサ、だな。お前ら、サクラと一緒に炎の魔族を追い返したんだろ?」

「耳が早いのだな、スパーダ殿は」

「まあな。で、その件で話があってここで待っていたんだが……」


 すると、スパーダは右手の親指を立てて屋敷を指しながら、


「昼飯、まだなんだろ? 先に腹ごしらえを済ませようや!」


 と、豪快な笑顔を見せて言った。

 せっかくの誘いを断るような野暮な真似はしない。

 彼の厚意に甘えて食堂に集まり、食事を済ませる事となった。




 ────────────




 その後、改めて場所を応接室に移したところで、早速スパーダが話を切り出した。


「話っつうのは他でもねえ。例の魔族について、聞いておきたい事があるんだ。お前達が闘った魔族は……どんな相手だった?」


 サクラの話では、スパーダの左腕を奪ったのは炎の魔族だった。

 しかし、今の彼には左腕がある。

 けれども、稽古着のようなその服から覗く左手からは、素肌が見えない。彼が腕を失ったというのは嘘だったのだろうか……?

 そんな疑問が顔に出ていたのか、スパーダが少しぎこちない笑みを浮かべていた。


「ああ……この腕の事か? これは義手だよ。昔のように自由には動かせねえが、日常生活に支障はねえ」

「義手……でござるか」

「ああ。だが、所詮は作り物の腕だからな。あまり目立つのも気分が悪いから、普段は手袋をつけてんだよ」


 ほれ、と手袋を外したスパーダの左手は、鉛色の金属で出来ていた。

 この世界では失った身体の部位を補う技術が発達しているらしく、スパーダは龍蔵にも分かりやすいようにと、手を開いたり閉じたりを繰り返してみせた。


「もうサクラに聞いたかもしれねえが、俺の左腕を焼き落としたのは炎の魔族でな。コイツはどうやら俺の仇を討つつもりでいるらしい。もしも今日このカルムに攻めて来た魔族があの時の野郎なら、サクラが黙っちゃいねえだろう」


 スパーダは、ちらりとサクラに視線を向ける。


「だが、あの魔族は今のサクラの手には負えねえ。同じ魔族だとしたら、何としてもコイツを止めるつもりだ」

「だ、だけど……」


 何かを言いかけたサクラだったが、父の本気の視線を受けて、思わず言葉に詰まったようだった。

 娘を危険に晒したくない、スパーダの気持ち。

 そして、尊敬する父の仇を討ちたいサクラの気持ち。

 そのどちらも間違った感情ではない。それ故に、どちらの肩を持つ事も難しい。


「……カテ村を襲い、この町にまで迫った魔族の名はジャーマという。鮮やかな赤い短髪の、魔王軍に属する若者であった」

「ジャーマ……だと……? その名前に間違いねえんだな?」

「ああ。あやつは確かにそう名乗っていた」


 例の魔族の名と特徴を告げると、スパーダの眉間には深い皺が刻まれた。

 しばらく考え込むように目を閉じた彼は、もう一度龍蔵の顔を見ると、こんな事を言い出した。


「……その名前には、聞き覚えがねえ」

「父さんを襲ったのはあいつじゃないの!? 私、てっきりあいつが犯人だと……」

「髪の短い男だったんだよな? それも違う。俺が襲われたのは、髪の長い魔族だった」

「ジャーマじゃ……なかった……」


 ジャーマが父の仇だと思い込んでいたサクラは、気の抜けたような声を出していた。

 だが、仮にジャーマが仇であればおかしな話になってしまう。

 一つの物事に熱中するあまり隙を突かれるような男が、単独で数々の偉業を達成したスパーダを負かすはずがない。

 しかしそれは、魔王軍にはジャーマを遥かに凌ぐ猛者が居る証明にもなる。


「では、スパーダ殿を襲った魔族の名は?」

「魔王軍四星将(しせいしょう)の一人、プロクスだ。間違い無く、奴はそう名乗ってたよ」

「四星将ですって……? 父さん、どうして四星将に襲われたって教えてくれなかったの!?」


 サクラが隣に座る父の肩を強く揺さぶった。

 そんな彼女に対し、スパーダは苦々しい表情で言葉を返す。


「いつかは言わなきゃならねえと思ってたんだがな……。お前がまだ小せえ頃、楽しそうに剣の稽古をする姿を見て、思ったんだよ。俺を襲ったのが四星将だなんて知ったら、お前は剣を辞めちまうんじゃねえかって……」

「どうせ私じゃ魔王軍の幹部には敵わないからって? そんな理由で剣の道を諦めるはずないじゃない! だって私は──私は、剣も父さんも大好きだもの!!」


 勢い良く立ち上がったサクラは、手を胸にあてて言う。


「私は母さんみたいには魔法が使えないけど、父さん譲りの剣の才能だけはあった。初めの頃、父さんは護身の為にって私に剣を教えてくれたけど、少しずつ上達する度に褒められて嬉しかった。冒険者だった頃の父さんの話を聞いて、私も父さんみたいに何でも出来る冒険者になりたいって……そう思ったの」


 彼女の言葉に、スパーダは真剣な面持ちで耳を傾ける。

 そして父に注がれるサクラ自身の瞳も、熱いものが宿っていた。


「そうして私は、勇者候補として魔族と闘う使命を与えられたわ。私の大好きな父さんから、私も父さんも大好きな剣を奪った、憎い魔族と闘う使命を! 今更相手が四星将だと知ったからって、私のやるべき事に変わりは無いわ! だけど……」


 するとサクラは、龍蔵と村正に視線を向けた。


「私、ヒムロ達と出会って気付いたの。父さんの言う通り、私にはまだ魔族と渡り合うだけの実力は備わっていないわ。だけど、彼らと一緒なら一矢(いっし)を報いるくらいの事は出来るんだって」

「……それが昨日の晩、お前が言っていた話に繋がる訳だな」

「ええ、そうよ」


 父の言葉に、サクラは短く返事をする。


「……あのね、ヒムロ。私、貴方と一緒に旅をしたいの」

「拙者と……?」


 サクラは強く頷く。

 その目に嘘は無いようだが、龍蔵は彼女の突然の申し出に内心戸惑っていた。


「貴方はちょっと不思議な人だけど、とても同年代とは思えない戦場での冷静さにはとても驚いたの。それに、貴方は妖刀に認められる程の実力者だわ。貴方の側に居れば、私はもっと新しい事を学べる……そんな気がするの」

「それは……」

「父さんからはもう許可は貰ってる。後は貴方と……ムラマサが許してくれるならの話だけど」


 彼女は父であるスパーダのように、単独で活動する事にこだわっているのだと思っていた。

 しかし、今のサクラの考え方は変わったのだという。


「妾は構わぬぞ? 魔族は妾にとっても危険な相手じゃ。戦力が増すのは好ましいからのぅ」


 村正はサクラが共に来る事に好意的らしい。

 実際、彼女が居る事で救われた場面があまりにも多かった。

 魔王軍が村正を狙っており、なおかつ罪無き人々を襲う集団であるのだから、間違い無く龍蔵の敵である。

 それはサクラにとっても同じ事で、恩人である彼女との利害も一致する。

 それに……この町でサクラと別れるのは難しかった。

 彼女の願いも、剣の道を志した熱意も、どんな家庭で育ってきたのかも、どんな友が居るのかも──ほんの少しの時間で、龍蔵はサクラという一人の少女の事をあまりにも知りすぎてしまったからだ。

 サクラが龍蔵と共に行く事を望むように、龍蔵もまたサクラと過ごす事を望んでいた。

 その事実に、たった今気付かされてしまったのだ。


 龍蔵はサクラに向けて、右手を差し出した。

 それを見て首を傾げるサクラに、龍蔵は昨日彼女と出会った時と同じ事を言い返す。


「まさかとは思うが、握手を知らないという訳ではあるまい?」


 握手という行為を知らなかった龍蔵に、あの時サクラが投げかけてきた言葉だ。

 その事に気が付いたサクラは、


「貴方、意外と意地悪な事をするのね」


 と文句を零しながらも、その言葉とは裏腹に満面の笑みを浮かべて龍蔵の手を握っていた。


「拙者達と共に行こう、サクラ」

「ええ! 全ての魔族に……魔王軍に勝利する、その日を目指して……!!」


 こうしてこの日、龍蔵と村正の旅の仲間にサクラが加わる事になった。


 彼女は気付いていなかったが、嬉しそうに微笑むサクラの隣で、スパーダはどこか寂しそうな笑顔を見せていた。

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