正義の対立
今日、TSUTAYAで「デスノート」の最新映画を借りて見ました。まあ、頭脳戦とかキャストの演技とかストーリーの内容は諸々置いておいて、デスノートって本当に考えさせられる作品だと思うんですよ。
キラの本来の思想は「犯罪者を粛清して平和な世界を目指そう」と言うもの。対する警察(とLの後継者竜崎)はそれを否定する。殺人は何があっても許されない、例えそれが凶悪な殺人犯であっても。
この作品は"殺す正義"と"生かす正義"の戦いだと僕は考えている。力による平和な世界の実現化、人間が作り出した法律やルールによる平和の実現か。どちらもきっと正解だろうし不正解だろうと思う。一長一短なのだ。
前者なら短期間でその効果は表れるだろうし犯罪を未然に防ぐ力もかなり強いだろう。だが、殺された者の関係者は憎しみを募らせ、新たな犯罪に繋がってしまうかもしれない。力を持ちすぎて悪用し正義と言う名の下に大量殺戮をするかもしれない。
一方、後者なら圧倒的に平和までに時間がかかる。法律ならその整備から時間がかかるだろうし、抜け道もずるい奴はいくらでも見つける。これだけ見れば短所ばかりかもしれないが長所も勿論あるだろうと思う。平和的な解決を一番望めるのはこの方法しかないだろう。一度冷静になり客観的に問題点を解決するにはこの方法が一番だ。
今、世界ではテロが頻発している。日本もいつどこでテロが起こるかは一切わからない。テロは断じて許されるべきものではないけれど、それが起こるのには必ず原因がある。そして、それを解決する方法も必ず存在する。デスノートではそれがデスノートによる粛清というだけだ。
正義と言うのはありきたりな言葉で誰でもすぐにつかえる言葉だが、非常に抽象的な言葉だと思う。デスノートを見て、安易にこの言葉は使うべきではないなと感じた今日この頃であった。