1部 シズク 6章 世界と時を超え、少年と少女は何を手にする §0 キオクノカケ
蛇で作られた黒い雲に包まれ、太陽も月も見えなくなった。時折、黒い雲から、蛇が降り生き物を食い散らかす。世界の盟主が人から替わった。黒い蛇たちとみことのものに。
草も生えてない不自然な荒野に、ぽつん、と彼女が立っていた。無数の武装した兵と戦車が彼女を囲んでいる。空に、何台ものヘリがプロペラの音を響かせている。一斉攻撃の爆煙が彼女を包んだ。
――爆煙の中から無数の黒い蛇が風を斬って、真っ直ぐ兵達に飛び掛る。
蛇は兵の戦車のヘリの体を貫く。貫いて、人を生きたまま貪り食う。痛みを感じないのか、完食されるまで、兵たちは死なない。途中で、気がふれ、狂っていった。ある者は笑い出し、ある者は汚物を垂れ流し、ある者は叫び声を上げ続け喉を潰し、ある者は手に持った武器を乱射した。燃える炎と、おびただしい血で、地面が赤く染まり、黒い空が赤黒く染まる。
――無数のミサイルが彼女に向かう。辺りにはまだ生きた兵がいる。巻き込まれることは間違いない。でも、そんなの関係ない。彼らの命と天秤で測られるのは世界そのものだ。だがそれも雲から顔をだした蛇が全て飲み込んだ。発射元にも蛇が降っているだろう。
滅びを迎え、全ての人種、民族、思想が手を結んだ。でも遅すぎた。彼女はいつでも人類を滅ぼせる。兵に囲まれたのもただの戯れか、より深い絶望と恐怖を人類に与えるためだ。
――今から俺は、君との約束を守りに、きみのもとに向かう。
「君はもう十分頑張った。もうみことが戦う必要はない。どうせこの世界はもう終わりだ」
生斗さんが俺に諭す。この人は強い、妹のみことが堕ち、愛する人も失った。絶望の中にいるはずだ。それでも、生き残った人を一人でも救う為、寝ずに働いている。
でも、みことは、俺の全てだ、本当の俺も、俺の罪も受け入れてくれた。彼女がいない世界で生きる意味がない。
「……悠矢。持っていけ」
説得を諦めたのか、それとも俺の意志を尊重してくれたのか、生斗さんは俺に金色に輝く剣を手渡した。柄に赤黒く鈍く輝く宝石が埋め込まれたアメノムラクモ、古の時より上乃宮の党首が鍛え続けてきた剣、〈黒き者〉を滅すために主の思いに応える剣だ。
「――みことぉぉぉ!」
いくつもの瓦礫と死体を越え、みことに向かう。数百の蛇が襲い掛かってくるが、ムラクモを振り出ずる衝撃が、一瞬で数百の蛇たちを灰にする。蛇たちの作る壁も同じだ。
「……ゆう、や……」
まだ遠くて小さいミコトが、口を開く。声は届かない。でも、お願い、そう聞こえた。
息を継ぐ暇もなく飛び掛ってくる蛇たち、彼女に近づく程数が多くなる。何度もムラクモを振るう。振る度にきみの顔が浮かび、その度に体、その度に心が重くなる。
君との約束を守り、君と死ぬ、その思いが俺の体と心を支えてくれる。
「悠矢、はやく、あの子が出てくる……前に……」
みことの声が届く。あの子? 一体誰だ。
「――ふふふふふふふふ、ははははははははははは」
突然、みことが笑い出す。蛇たちも宙で激しく波打つ。笑っているようだ。
「いいの? この子の望みを叶えても、空の蛇が地上に降り、命を貪るわ。蛇達が死に絶える前に世界は終わる、この世界はもう終わり。あなた達の愛も終わる」
俺はみことの望みを叶えるだけだ。でも何かおかしい。この子の? それに、今の声……。
「なんならこの体で、あなたと一緒にいてあげてもいいのよ」
「お前は誰だ……?」
一体こいつは何だ。
「ふふふふふ。私、このあの子の体で、私が飽きるまで、あなたに付き合ってあげてもいいのよ。そうすれば私の中のこの子の絶望をもっと味わえる。どうせ、あんたの魂は美味しくないしね」
「ふざけるなぁ!!」
「どうして? 人の魂は美味しいの、恐怖と絶望に満たされれば満たされる程にね」
怒りで剣を握る手に力がこもる。
「ふふふふふ。どうする気? この子と一緒に殺す? 本当は死にたくないと思っているのに? 本当は全てを押し付けた世界を恨んでいるのに? 本当は世界なんてどうでもいいと思っていたのに? 本当は悠矢あなたに殺されると怯えていたのに?」
笑うみことから、涙がこぼれる。
「当たり前だ!! みことは人間だ、そんなの当たり前だ――」
押し付けられた力と運命、自分を殺す者を守り手にされ、小さな幸せも諦める。恨みの一つや二つおかしくない。それでも俺とみことはこの世界で出会って恋をして愛し合った。
「みことは、我儘だし、すぐ拗ねる……でも、誰にも傷ついて欲しくないと思うし、どんなやつだって守ろうとする。今お前が言ったのも、全部がみことだ!!」
アメノムラクモの赤黒い宝石が、輝き閃光を放ち、俺とみことを光で包む。
……光が収まると、みことが四つ這いで苦しんでいる。
悠矢……。みことだ彼女の声がした。
「悠矢、今よ!! 今ならこの子を抑えられる、だから……」
剣に力を込めるが、一歩が出ない。
「お願い、この子にどんどん意識も奪われていく。悠矢を好きなままで終わらせて……そんなことさせるわけないでしょ!!」
突然、みことが叫び、空に跳び、宙に浮く。
「その剣危険だわ。気が変わった。あんたも食べてあげる。そうすればわたしの中であなたとこの子はずっと一緒よ、触れられず話せない。でも、ずっと一緒、嬉しいでしょ」
蛇が飛び掛かってくる。だが、蛇達は、俺とみこと一直線の道を開け、全て静止した。
「悠矢、好き。大好き、私の大事な気持ち、これだけは誰にも汚させないで。だからお願い、約束を――」
みことが涙を浮かべ、俺に訴えた。
俺は両手で剣を握り腕と両太ももに力を込める。一気に飛び上がり剣で胸を貫いた――。
みことの身体と口から血飛沫が舞う。頭から伸びた黒い蛇達が舌を伸ばし、泣いている。
宙でみことを抱きしめ、一緒に地面に落ちる中でみことが言った。
――今まで、ありがとう。それに辛い思いばかりさせて、ごめんね。
「みことーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……」
俺ときみから零れた二粒の涙がムラクモの宝玉に落ちると、強く光った。そして俺とみことは最後のキスをした。
悠矢、もう一つ、約束残ってるわ。私がいなければあなたは自由よ。だから、ずっと笑顔でいるって、約束守って。……悠矢、あなたは私の分も生きて。




