1部 シズク 5章 黒い蛇が少年と少女の思いを貪り食らう。§4
「――みこと……」
目の前の光景にユウは呟いた。紫黒の瞳と白い肌を輝かせ、シズクと同じ顔をした少女が立っている。髪がシズクと違い黒く、異常なほど長く伸び宙を蠢いている。先端が蛇の頭、それはユウが何度も夢で見た、みこと、だった。
少し離れた所でアーティが蹲っている。左肩から先がない。何十の蛇が彼女から伸び彼の前に群がっている。蛇たちはアーティの前に転がる腕と黒い大蛇に群がって、貪っていた。
「――アリス!!」
マリアの視線の先でアリスが倒れている。数匹の蛇が今にも食いつこうとしている。
「アリス!!」
ユウは、刀を産み左手に持ち蛇に向けながら、アリスに駆け寄る。いつでも動けるよう、膝を立てたままアリスを抱きかかえた。彼女は何も反応せず、体の真ん中に空いた穴から、血の塊が、どろ、っと垂れユウの腕を赤黒く染める。マリアが、下唇を噛み、目を背けた。
「お前はシズクか……シズクがアリスを?」
ユウは剣先を向け、少女を睨み付けながら言った。
「そんなはずない。……お前はみこと、なのか?」
百を超える蛇が一斉に噴気音を響かせた。
「――アーティ! 何があったのか説明しなさい」
マリアはアーティに駆け寄り、蹲るアーティに訊く。
「……黒い蛇が、……あの蛇が……俺の腕を動かしてアリスを。それで、シズクが……変わって。沢山の黒い蛇が、蛇が……俺の腕を、うぅぅわぁぁぁぁぁぁ!!」
最初アーティは呟くように喋っていたが、突然叫んで、尻餅をつき怯えだした。
「……もういいわ。後でちゃんと説明なさい」
「みこと、なのか? ……あぁ、悠矢はみことのこと忘れてるんだね」
シズクの声じゃない。その声はみこと、夢に見た幼い頃のみことの声だ。
「うん、みことだよ。みことのこと覚えてなくても悠矢はみことのもの……。離さない」
蛇たちが噴気音を響かせ、一斉にユウに襲い掛かかる。蛇達のおぞましいほどの殺気に、体が勝手に動く。ユウは長刀と短刀を両手に持ち、あっという間に、蛇たちを薙ぎ払う。そして、みことの懐に飛び込み、彼女を切りつけ――。
突然、ユウの腕に力が入り刀を止める。びきびき、と痛みが走った。大きく後方に跳び、みことと距離を置く。なくした記憶かそれとも眠る思いか、ユウは自分で剣を止めたのだ。
「ふふふ。シズクがいるのにいいの?」
「シズクがいる? どういう意味だ?」
「そのままだよ。ここにシズクがいるの。ここで泣いている」
みことは自分の胸を指した。
「――放てぇ! あれが世界を滅ぼす災厄だ!! 消滅させるんだ!!」
叫び声が聞こえ、百を超える魔法がミコトに放たれた。爆煙で彼女の姿が見えなくなる。いつの間にか村に責めてきた騎士と同じ姿の騎士に囲まれていた。叫んだのはイクトだ。
煙はすぐに消える。蛇が、ぱくぱく、と口を動かし煙を食ったのだ。煙の中に黒いかまくらがあった。それは何匹もの蛇が集まり、作られたかまくらだ。その壁がうねったかと思うと、表層の蛇がぽろぽろ落ち、無数の蛇に戻る。中に無傷のみことがいた。
騎士達がどよめく。イクトは騎士たちを静止して、跳んで、みことの前に立つ。
「――久しぶりだな」
「お兄ちゃん……。なんで、みことを殺そうとするの?」
みことが言うと、蛇たちはイクトに噴気音を響かせる。
「なんで? お前を殺すのに理由がいるのか? あいつらの顔を見てみろよ」
そう言ってイクトは、後ろにいる騎士たち親指で指す。騎士達がミコトに銃口を、恐怖を、汚い言葉を、様々な負の感情を向けていた。
「みんな化け物は嫌いだってさ」
「嫌い!! お兄ちゃんも、こいつらも、みんな嫌い!! 嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い嫌い。悠矢だけいればいい、あとの奴はみんな、死んじゃえーーーーーーーー―!」
ミコトの瞳が紫に輝き、騎士に向って蛇が伸びる。魔法銃から魔法が放たれる。だが、蛇たちは弾ごと飲み込んでしまい、騎士たちは蛇の波に飲み込まれる。
次々と蛇が襲いかかる。剣で切りかかる騎士は腕から、魔法を放とうとした騎士は口から、逃げる騎士は足から食われる。がしゃがしゃ、ぐちゃぐちゃ、鎧ごと肉を食いちぎる。足、腕、頭、頬、目玉と、食われる恐怖を感じた。蛇達には人の絶望と恐怖がスパイスなのだ。
「シズクは? アリスは誰に? 何でイクトさんがあいつらと? あいつは一体誰だ?」
マリアがユウの元に駆け寄ると、ユウはまくし立てる。
「落ち着きなさい。彼らの先導者はイクト、そうとしか考えられないわ。アリスを殺したのはアーティの前に転がる黒い大蛇あれよ。あの子の体は少なくともシズク、でも意識は違うわ、あの子は……」
「……みこと、なのか?」
「――ユ……ウさ……ん……」
なぜ届いたのか、騎士達の叫び声、蛇たちの噴気音、それよりもずっと小さな声が、みことからユウに届いた。
『ユウ……さん、わたしを止めて』
「この体はみことのもの」
『返して』
「悠矢と一緒にいるのはみことなんだから」
みことが一人で言い合っている。片方はシズクだ。ユウは、彼女の元へ向か――。
「――行ってどうするの!?」
ユウは振り返り、マリアを見た。
「わからない。でもシズクが、それにあの子が呼んでいる――」
――強い光が辺りを照らす。イクトが両手で金色に輝く剣を空に掲げている。
「アメノムラクモ? ……お兄ちゃんが使って無事でいられるとでも?」
どうでもいいことだ。イクトはみことに剣を投げる。錐もみに回転しながら剣は飛ぶ。彼の口の端から血が垂れた。
蛇達が壁を作り、主を守ろうとするが、。剣は蛇の壁を突き破り、彼女を貫く――。
――貫いていない。飛び込んだユウが彼女を庇ったのだ。剣は彼のわき腹を貫いていた。
「ゆう……や?」
崩れ落ちるユウは笑った。彼女が危ない、そう思ったら力が漲った。シズクとみこと、彼女達を守るためにユウと悠矢の思いが重なったのだ。
『うん、ずっと、笑顔でいるよ。みこととの――約束だ』
みことの頭に悠矢との約束がよぎる。
「ゆうぅやぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー……」
悲鳴とともに、黒い蛇達が灰になり、崩れ、風に飛ばされる。瞳も髪も銀に戻る。
「ユウさん!」
シズクがユウを抱え、ユウはシズクに、おかえり、と笑う。頷いたシズクはユウを癒す。
――さよなら、シズクの声が頭に響いた。




