1部 シズク 5章 黒い蛇が少年と少女の思いを貪り食らう。§3 ③
「ア、アリス……」
アーティからか細い声が聞こえた。黒い蛇がアーティの皮膚の下に戻ろうと宙で暴れる。
「アリ……ス。頼、む」
「アーティ!? アーティなの?」
「……今なら、俺、が、から……だ、を動、かせ……る」
「体を動かせる? どういうこと? さっきまでのあんたは? その蛇があんたを……」
「……こい……つと一、緒……にお、れを……ころ……して……く、れ」
「何言ってんのよ、そんなこと出来るわけないわ?」
「このまま、じゃ……俺……が……シズクを……」
アーティ……、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらシズクが呟く。
「……わかった。でも気を失わせるだけ。マリアならなんとかしてくれる」
アリスは自分に言い聞かせ、木槌を振り下ろした。
――ぐちゃ。木槌には出せない音が聞こえた。アリスの木槌が転がっている。シズクが顔を上げると、アリスがアーティの腕に身体を貫かれ、両足を浮かせてていた。
「……アリ、ス?」
アーティが声を震わせる。アリスを貫く腕と蛇の尾が重なり、蛇が腕を引き抜き、血飛沫が噴出す。アリスとアーティは真っ赤に染まり、シズクの鼻と頬が赤くなる。
「シズ……ク?」
アリスはシズクに手を伸ばし、ゆっくり倒れる。
「アリスちゃん!!」
シズクがアリスを受け止め、アリスが吐血しシズクの肩が染まる。
「こんな怪我すぐに私が治すから」
シズクが祈りアリスが水泡に包まれる。しかし、アーティから伸びた蛇が口を開け水泡を啜り見る見る小さくなり、水泡が消える。
「邪魔しないで!!」
黒い蛇はシズクに向け、口を開けリズミカルに噴気音を鳴らす。シズクを挑発しているようだ。悲しみ焦り憎しみ恐れ、噴出する負の感情を楽しんでいるようだ。
それでもシズクはアリスを癒そう祈る。だが出来た水泡は小さくアリスを覆うことが出来ない。それすらも蛇が啜る。繰り返し啜られる水泡、すぐに作ることすら出来なくなった。
「……シズク」
アリスが木槌を杖代わりにして立ち上がる。傷口から大量に、どろっ、と血が垂れる。
「動いちゃ駄目! 動いちゃ駄目だよ……」
触れるだけでアリスが壊れそうだ。怖くてシズクは触れられなかった。
「シズク、わたしが、まも……る……。逃げ……て」
アリスはふらつきながらアーティに向かうが、四歩目で大きくよろめき、転がった。
「アリスちゃん!」
シズクはアリスを抱きしめる。
「……シズ、ク。ど……こ?」
「ここだよ、ここにいるよ」
シズクが泣きながらアリスに呼びかける。
「……よかった、ちゃん、と逃げ……たの、ね」
「アリスちゃん! ここにいるよ、わたしここにいるよぉ……」
シズクは何度も何度もアリスを呼ぶ。でも声は届かない。アリスの体から力が抜け、重くなる。重力に引っ張られるだけの躯になった。
「アリスちゃん! アリスちゃん! アリスちゃん! アリスちゃん! ……」
何度呼びかけてもアリスは反応しない。
「いや、いやぁ、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー……」
「――なんでだ! なんでこんなことに?」
アーティは、自分の腕から伸びる黒い蛇を睨みつけ、こいつが、と腰から短剣を抜き、自分の腕ごと、蛇を突き刺す。刺したはずの黒い蛇が彼の目の前で大きく口を開けていた。
「や、やめろ……」
大蛇はアーティを丸ごと飲み込み消える。そこには、両膝を地面に突き、両手で頭を押さえて震えるアーティがいた。
「やめてくれぇ! 俺――」
俺じゃない。この蛇が……。ユウがこの村に来たから、アリスが俺を止めてくれなかったから、シズクが俺の言うことを聞かないから……、アーティの頭の中でこだまする
このままじゃこいつに心を食われる。助けてくれ、シズク――。
アーティが手を伸ばす先にいるシズクは彼を睨み付けている。そこにあるのは憎しみだ。
そんな目で見ないでくれ。ダイタイ、お前が言うことを聞いていればこんなことにならナカッタ。俺はお前を守りたかったダケナノニ――。
――オ前ダケノ物ニスレバイイ。
お前は誰だ、
――俺ハ、オ前ダ。アイツヲ、俺ノ物ニシロ。
どうやって、
――俺をヲウケイレテ、ナニモカンガエルナ。ソレデ、アイツハオマエノモノニナル。
しずく。俺はきミを、ぼくダケノモノニ……。
「――シズクぅ、お前は俺のものだ。俺だけのものなんだよぉ」
そう言い、アーティはシズクににじり寄る。シズクはアリスを抱えたまま彼を睨みつけるが、アーティはアリスの首を掴み、シズクから引き離した。
「返して!! 返してよ。アリスちゃんを返してよぉ……」
アリスの体を取り返そうと、シズクは何度もアーティの胸板を叩く、何度も、何度もだ。
「これはもうごみだ」
アーティがアリスの体を投げ捨て、アリスの体が、ぐしゃっ、と地面に落ちた。
――許せない、許さナイ、ユルサナイ。シズクの心が黒く染まり、そして――。
どん、っと強く鈍い低音がシズクの足元で鳴り、彼女を中心に地面が凹む。シズクが黒い光に包まれ、髪の毛一本一本が根元から先端に向かい黒く染まっていく。黒くなった髪は長く伸び、一本一本が蛇となり、意思を持っているかのように宙を蠢き出した。
「これが〈黒い蛇を纏いし者〉……」
シズクの瞳が見開く。深く濃い紫だ。アーティを指すと数千の蛇が彼に飛び掛かかった。
「ぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー」




