1部 シズク 3章 祭りの日に日常を手に入れる。§4 ②
――おーい。
遠くから男の人の声が聞こえる。この子のお父さんだろうか。
「あ、パパ――」
――パパ。言葉が頭を巡る。血管を通り全身にも巡る。くらくら、し周りがぼやける。
気付くと、血溜まりの中に立っていた。目の前に立っているのは、パパだ。
パパは私を壁に押し付け、服を破り取り、アリスお前は私だけのものだ、と首に吸い付き、筋に舌を這わせる。膝が震え、足に力が入らない。手を振り回すと、何かにあたった。ナイフだ。どうしてそこにあったのかわからないけどそれを掴んで、無我夢中で振り回す。
――すぱ、そう聞こえて、私は赤く染まる。パパの首が切れ、血が吹き出していた。
「――アリスちゃん、アリスちゃん」
シズクの声が私の意識を引き戻す。辺りを見ると、目の前で、さっきの子が心配そうに私を見ている。
「あ、あ、あぁぁぁぁぁ!! ごめんなさい!! パパ! ごめんなさい。言うこときくから、パパのアリスでいるから、やめて、やめて、よぉ……」
訳が分からなくなって叫んだ。髪を掻きむしった。薬指の爪がめくれた。何も痛くなかった。目の前の子が怯えていた。視線から逃げたくて、全力で走った。気付いたら崖の前だった。眼下の川は昨日の雨で水かさが増し激しく流れ、茶色く濁っていた。
「アリスちゃん!」
シズクが追っかけてきた。全力だったのだろう、肩で息をしている。
わ、わた……、嗚涙と鼻水が止まらず、まともに返事できない。
「ごめんね。私が悪いの。外に出るのが早過ぎただけ。だから一緒に帰ろ、ね」
「シズクは悪くないよ。悪いのは私だから。私が普通だったら、パパもおかしくならなかった。私が我慢したらよかったの!!」
「そんなことない。そんなことないよ」
「ありがとう。でもごめん、もう何も失くしたくないの。シズクだって、いつか……」
ゆっくり、後ろ向き倒れ、私は崖から濁流のなかに落ちた。
これで終わり、そう思った。でも、シズクも飛び込み、二人とも濁流に飲まれた。
シズクが沈んだり浮いたりして、何か探している。私しかない。
「はやく上がって! 放っておいて!!」
シズクに向かって叫んだ。
「お、泳げないの……」
「なんで飛び込んだのよ!!」
シズクが水の中に沈む。そんなの駄目。あの子が私のために死ぬなんて、駄目。シズク、あの子の名を叫びながら力を解放する。川の水とシズクが爆発したように空に弾け飛ぶ。私は飛び上がって彼女を掴み、川べりに着地する。
「はぁ、はぁ、はぁ……。あんた、馬鹿なの!?」
「それは、アリスちゃんだよ!」
ほっぺに痛みが走る。シズクに叩かれたんだ。
「なにすんのよ! 私を一体誰だと……」
「知らない! そんなの知らない!! 死んだらもう何もできないんだよ! ご飯食べたり、喋ったり、遊んだり。笑ったり、怒ったり、泣いたり、何も出来ないんだからぁ……」
シズクは私を強く抱きよせ泣いている。ひきつけを起こしながら、私の名を何度も呼ぶ。よかった、バカ、何度もそう言っていた。本当にそうだ、この子を悲しませるなんて。
シズクにつられたのかはわからないけど、私も泣いていた。二人で声を出して泣いた。
「昔のアリスちゃんはもういない、いないんだよ。だから、全部忘れていいの。ここにいるのは、新しいアリスちゃんなの」
シズクが私から少し離れて手を出す。
「――これから、私達友達だよ。ずっと一緒、ね」
嬉しかった。だから手を掴んで俯いたまま頷いた。
その日から私は、髪を束ねて、リタリースのアリスになったの。
◆
きっとアリスはシズクと出会い、生きる意味を見つけたんだ、ユウはそう感じた。じゃぁ、俺の生きる意味は一体何なんだ、と不安が胸を通り過ぎた。




