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1部 シズク 3章 祭りの日に日常を手に入れる。§0 キオクノカケラ

「――みこと!! 急いで!!」


 寒さが残る時期、杉林の中、幼い僕らが何度も枯れ枝を潰し駆けている。新葉の朝露が日に照らされ木々の間で輝いていた。


「ゆ、悠矢、待ってよ。は、はやい……よ!」


 黒い髪をなびかせ、必死に追いかけてくる紫袴の巫女装束でみことが息を切らせている。

あんな恰好しているからだ。でも、しょうがない。着替える間なんてなかった。

ぼくは追いついてきたみことの手を取る、みことが恥ずかしそうに俯く。


「――悠矢ぁぁぁ!」


 遠くから父さんの怒声が聞こえる。あの人と横を走る生斗に追われている。生斗はみことの兄で、黒い生地に紋が縫い付けられた袴を穿いているやつだ。


「きゃ!」


 木の根に足を引っかけ、転びそうになるみことを抱きしめる様に支えた。


「ほら、気を付けて!」


 なぜか、みことは嬉しそうだ。急がないと。僕はみことを引っ張て急ぐ。父さんの強さは異常だ。一人だけでどこかの国の内紛を止めたとか、テロ組織を滅ぼしたとか、母さんから聞いた。僕も父さんだけにはまだ勝てない。憤怒の表情で追って来る。捕まってただで済むはずがない。

 でもみことがいる。みるみる距離が縮まる。逃げるだけじゃ駄目だ、小さな崖を飛び降り、姿が隠れるよう崖にへばりつき息を潜めた。


 御山の外に連れていく、みこととの約束だ。どんな手を使っても出し抜く必要がある。そもそも目的のために手段を選ぶなというのが、あの人の教えだ。躊躇する必要もない。

 無になれ、自分に言い聞かす。殺気は空気を揺らす。あの人が見逃すはずがない。


 二人が追いつき、崖から飛び降りる。着地を狙い、僕は父さんの股間を蹴り上げた。


 ほぉあ★ぁ▼△ぁ☆、父さんがよくわからない声を上げ。股間を押さえ転げ回る。


 いたそー、みことが顔を両手で押さえる。指の間から覗いているようだ。


「――捕まえたよ。御山の外は危ない。わかるね、みこと。いい子だから帰るよ」

振り返ると、生斗がみことの腕を掴んでいる。

「離して! 悠矢といっしょにいくの!!」


 みことが振りほどこうと腕を振り回す。


「いつまでわがまま言っているんだ! お前はどういう立場――ぶ!」


 生斗が吹っ飛んだ。横っ面に飛び蹴りしてやった。生斗でも僕には勝てない。生まれた時から戦い方を叩きこまれている。


 みことの手を取り、駆けた。


 暫く走って振り返った。二人とも見えない。上手く撒けたみたいだ。


「二人とも、大丈夫かな?」


 あの二人だよ、少なくとも父さんはあの程度でじゃどうにもならないし、生斗だってあの位じゃどうってことないはずだ。

 みことが、そうだね、と少し赤くなった頬で微笑んだ。胸が熱くなり思わず目を逸らす。


「どうしたの?」


 みことがぼくの顔を覗き込む。すぐ目の前にみことの顔がある。鼓動が激しくなる。

なんだっていいだろ、と顔を背ける。顔が熱い、赤くなっているかもしれない。


「みことは、御山を降りて何したいの?」


 ばれない様に話を変えた。


「悠矢と一緒なら何でもいいの」

「何でも? みことが御山の外に出てみたいっていうから、ここまでしたのに?」

「いいの! えすこーと、してよ」

「なんだよ、わかんないよ」


 もう、とみことは頬を膨らませながら考えているようだ。


「そうだ!! 御山のふもとの、ばぁむくーへん、がおいしんだって」

「……それで?」


 もーーーー、とみことは両手を振り憤り、その後で恥ずかしそうに、行きたいな、と上目づかいで呟いた。

 可愛くて言えなかったけど、それ買って来て貰ったら済むよ。ふもとなら普通に連れて行ってくれるかもしれない。何のために、って文句をいいたい。


「それとね……ぶらぶらしたいの」


 ぶらぶらってなんだ、もう、何言っているのわからない。


「でーと、したいの! それで、最後にね、あのね、あの、き……」


 僕の当惑に気づいたのか、みことは急に顔を真っ赤にし、もごもご、し始める。


「何? 聞こえないよ」

「きす、するの!!」


 みことが急に大きな声で叫んだ。き、きすだって、そんなの、そんなの――。


「そんなの恥ずかしいよ。みことのえっち」


 いきなりでびっくりする。思わず拒んだけど、本当はしたかった、な。


「えっちじゃないよ!」


 興奮したのか、隠そうとか、みことが、大きな水溜りに、僕を突き落とす。

ばしゃん、と泥水が飛び散る。水溜りに尻もちをついた。


「何するんだよ!」


 仕返しに、泥水を両手ですくってみことに浴びせる。


「な、なにすんのよ!」


 と、みことがやり返し、僕も応戦し、泥水をかけあう。暫くして、僕も、みことも地面に座りこみ向かい合った。


「悠矢、泥だらけだよ」


 みことが、僕の顔を指差す。


「みことだって」


 目が合って、僕らは二人で笑った――。


 突然、横腹に強い衝撃があって吹き飛ばされる。


「――楽しんでんじゃねー! 何でてめぇがいちゃつくの見なきゃならねぇんだよ!!」


 殺意のこもった声、父さんだ。


「穣ちゃんを連れ出しただけでなく坊ちゃんの顔面を蹴りやがって。ふざけてんのか!!」


 倒れているぼくに向かって、父さんが怒鳴りつける。


「大丈夫ですよ、少しびっくりしただけなんで……あ」


 生斗が口の端を親指で擦る。すると指に血がついていた。

それで父さんは目を血走らせ、二度、三度……と何度もぼくを蹴る。


「止めて!! 悠矢が死んじゃう!! みことが御山から下りてみたいって頼んだの。ゆうやは悪くない。だからやめて!」


 父さんの足にしがみつく。


「みこと、離れろ……」

「穣ちゃん……」


 父さんは困り顔でみことと、ぼくを交互に見る。あの人だってみことには手を出せない。


「くそっ! わかりましたよ。みこと穣ちゃんも、みっちり神主様に叱ってもらいますよ」


 父さんはみことの頭に手を置くと、髪をもみくちゃにしながら言った。


「ひっく、ひっく」


 あれは嘘泣きだ。僕にはわかる。でも、父さんの足にしがみ付いたのは本気だった……。


「うん、パパに叱ってもらうから。でも、悠矢と一緒にいるから」

「えぇ、えぇ、わかりましたよ。悠矢! 穣ちゃんに感謝しろ。いくぞ!! 早く立て!」


「――もっと強くなれ、悠矢。こんな小さなしきたりじゃない。一族の運命をも破れる程にだ。でないと、みことを守れない。君が終わらせることになる」


 みことの父さん、神主様が悲しそうに言った。意味はわからなかった。でも大切なことの気がした。みことの父さんは普通の神主じゃない。〈白なる力〉を守る〈白なる者〉だ。それが何か僕にはわからない。でも凄く大切なことで、みことの一族も、僕の一族もこの力を守るためにいるらしいんだ。一族の運命、って〈白なる力〉のことなんだろうか。


 結局、僕たちは罰として境内を掃除することになった。なんでこの程度でだったんだろう。


「――何考えているの?」


 みことが不思議そうに、僕を見ている。


「みこと、ごめん!! 今度は上手くやるから!!」


 手を合わせ、みことに謝ると彼女は、きょとん、とびっくりしているようだ。


「また、おじさんに痛いことされるよ」

「そんなの気にしなくていいよ。そうそう、これ」


 ポケットから小袋を取り出し、みことに渡した。


「これ……? ……ばぁむくーへん?」

「喜ぶと思って。家にあったから、今日はこれで我慢してよ」

「……悠矢はどうして、みことにいつも優しいの?」

「どうしてって……みことの笑顔を見ると、楽しくて安心するし力が湧く。だからかな?」


 みことは顔を真っ赤にして僕の胸を小突く。そして、ばか、と小さな声で言った。


「……悠矢。お願いがあるの」

「なに?」

「みことも、悠矢の笑顔が好き。だから……、だからずっと、笑顔でいて」

「うん、ずっと、笑顔でいるよ。みこととの――約束だ」


 約束なんていらない、みことと一緒ならずっと笑顔に決まっている。



「――悠矢をみことちゃんの? あいつはまだ十になったばかりの子供だ」

「みことは悠矢くんに惹かれている。それに悠矢くんもだろ?」


 その夜トイレに行こうとして、偶然、父さんと、神主様の声を聞いた。


「扱える武器も既に百を越え、まともに相手出来るのはもう守り手の一族でもお前だけ。最後の守り手として運命を遂行する。それだけのためにあの子は造られたのだろ?」

「……あぁそうだ。でも、蛇を継ぐのは生斗坊ちゃんじゃないのか?」

「次の器で蛇が目覚めるだろう。次の守り手は、彼しか務まらない。みことと悠矢、二人は惹かれ合い始めている。誰かが蛇を継ぎ、誰かが守り手になるんだ。それが我らの運命だ、わかっているだろ? ……それに、みことも最高の器だ――」


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