始業式
それからは、特に何もなかった。
小金井から思い出したように連絡は来たけれど、私は特に返すということはしなかった。
あの日の出来事は、私と小金井の中でなかったことにされたのだろう、多分。
夏休みの間は受験生らしく勉強に励んで、たまにふらりと小金井のいるコンビニに行ったりした。
小金井はいたりいなかったり、たまに喋ったり目も合わせなかったり。
そんななんとも言えない状態のまま、新学期を迎えた。
始業式も上の空のまま、でも小金井のことを考えていたかと言われたらイエスとは言えない。
始まったばかりでさすがに授業はなく、二時間ほどで下校になった。
小金井の学校はやはりうちより遅いらしく、校門のほうを覗きこんでも誰もいなかった。
夏休みが終わったとはいえまだまだ暑い炎天下のもとに行こうという気は起きない。
しょうがないので、扇風機がまだ回っていて涼しい教室内で待つことにした。
クラスにはまだ何人か人が残っていて、そのうちの一人にはるかがいることに気づいた。
「……はるか……っ」
用もないのに、小さな声で呼び止めてしまって、幸か不幸か、はるかの耳にそれが届いてしまったらしく、ん?と小さく小首をかしげて、はるかがこちらを向いた。
「……あ、その、えっと……あの」
用は本当に何もないのだ。何も、言えないのだ。
そうやってしどろもどろしていると、はるかが少しだけ目尻を下げて、
「この間は有梨沙がごめんね。嫌だったでしょ」
と謝罪をした。
何のことか一瞬わからなかったが、有梨沙さんのキャッキャと笑う顔が頭に浮かんであぁ……あれか、と思わず少し顔をしかめた。
「あー……うん、まぁ、大丈夫だよ、気にしないで。
はるかは、有梨沙さんのところに行くの?」
有梨沙さんのことを遠ざけたくて、話題を変えようとしたはずなのに結局有梨沙さんの話題に戻してしまった。自分は本当にバカだと思う。
「うん」
はるかは屈託のない笑顔で、それが一番私が気にしていることだとも知らずに笑ってうなずいた。
返す言葉も見つからなくて、そう、とだけ言った。
「緑も、最近いい人ができたでしょ」
はるかはそう言って校門のほうをチラリと見やる。
そこにはいつの間に来たのか、小金井が相変わらずの仏頂面太陽を睨みつけながら立っていた。
もしかしたら、いやもしかしなくても怒っている、机の上に乗せたままの携帯に目をやると、メールが来たことを知らせる光が点滅していて、私の心を少し憂鬱にさせた。あぁ、また怒鳴られる。
「迎えに来てくれたんだ、幸せ者だね」
「幸せに見えるの?」
そう言って、視線をはるかに戻すと、はるかは宿題を忘れたて誤魔化すときなんかに使う笑顔を見せた。
あぁ、やっぱり見えないんだ。
「……はるかは、幸せそうだよ」
「……そう」
はるかは素っ気ない返事をしながらも、口元は微笑んでいて、今本当に幸せです、と体全体から伝わってくるような気がした。
なんだか、いたたまれなくて、でも、はるかのそんな笑顔を久しぶりに見れたのがうれしくて、なぜだが心臓が鳴りやまなかった。
微かに震える手を、悟らせないように携帯に向けて、カチリとホームボタンを押す。
着信もメールも小金井だらけで、少し笑った。
と同時に心臓の音が鳴りやんで、教室の扉が閉まる音が聞こえて、教室にはまだ人がいたのに、はるかが有梨沙さんのもとへ行った合図に聞こえて、少し泣きそうになった。
バイバイぐらい、言え、ばか。