外出禁止令、そして帰還
リョーが血塗れて宿の勝手口から入ってくると、全員の顔から血の気が引く。一気に酔いもさめて、それはもう大騒ぎであった。リョーからの説明を受けた後、ジェフは不安と心配、神官と戦った事を咎め怒鳴り、レヴィはどこのどいつにやられた、と報復に燃え、クラーラは自責とリョーに対する神殿の姿勢への不安で次々にリョーに話しかけてきた。
次第に彼らも落ち着いてきたが、とにかく神殿に反発を繰り返すリョーをこのままにしておくのは危険と判断し、ジェフとレヴィが宿に泊まり込みでリョーの護衛をする事になった。
リョーは当然、自室での絶対安静を三人からきつく言われてしぶしぶと自室にこもる約束をした。剣は万が一に備えて常備。だが、戦闘は厳禁、逃亡するようにと言われて面白くない。
そんなリョーが鬱憤を晴らすのに取った行動は、非常に解りやすいものだった。
「メイ~、他に何か欲しいものないか~?」
「大丈夫だよ、兄さん。クラーラさん、大丈夫?」
「……だ、大丈夫です。大丈夫ですから、お気になさらず」
メイに大量の贈り物。花やお菓子、毛糸玉等等。メイが興味持つもの、好きな物を、クラーラに尽く買いに行かせたのだった。おかげで今、リョーとメイが暮らす部屋は花とお菓子の甘い香りに包まれていた。クラーラは疲労と甘い香りで、若干の胸やけを起こす。クラーラも神殿に何をされるか解ったものではないからリョーといるように言われているにも関わらず、それらの買いだしの全てをクラーラにやらせるリョー。
「いやー、悪いなー。本当に感謝してもし尽くせないなー、クラーラ? ……そうだ、メイ。何か飲みたくないか?」
「ん、ちょっと、喉渇いたかなぁ……。兄さん、紅茶が飲みたい」
「そうか、紅茶か。ハーブティー?」
「ううん、いつもの」
「そうか、いつものか」
リョーがチラッとクラーラを見る。クラーラは無言で頷いて厨房にまで、紅茶を頼みに行く。店主はもう苦笑いだった。かれこれ三日間、リョーに使われ続けているのだ。店主は労いを込めて、クラーラに軽食にサンドウィッチを作ってやる。甘い香りに包まれていたクラーラは、少し強めの塩っ気に絶大な癒しを感じる。
「……美味しいです、ケリ―さん。今まで食べた何よりも」
「……お、おい、泣くなよ?」
「泣いてないです。塩っ気が汗に乗って目から出ただけです」
「そ、そうか」
店主は何か憐れみのような視線を向けていたが、クラーラは気にしないで紅茶を三つ、リョーの部屋に運ぶ。強面の店主には似合わず、紅茶を入れるのが実に上手いのだ。ジェフと一緒にそういうお菓子のお店でも開けば良いのに、と思う。見た目とのギャップこそあれど、きっと上流階級の人間でも気に入るハズだと、クラーラは思った。
部屋に戻ると、妹を溺愛し続ける馬鹿兄が妹に悟られないように小さく欠伸をしているのに気付く。リョーがこの三日寝ていない事をクラーラは知っていた。最初は床に横にはなるものの、メイが寝付いた頃になるとおもむろに部屋の真ん中に椅子を置いては、明け方まで気を張り詰めているのを知っていた。一度交代制にしようと持ち掛けたクラーラだが、あっさり却下されてしまったのだ。
「馬鹿か。テメェは良いからメイの目の治療に専念しろ」
そういうリョーだったが、クラーラの身体に気を使ってそう言っている事を知っている。こき使うが、その目が注意深く自分を観察されているのを、クラーラは感じ取っていた。そして、僅かにでも、自分でも解らない程度だが疲れを感じさせると、机に向かわせてそれ以降しばらくはめっきり何も頼んでこないのだ。
始めっから馬鹿みたいに頼むな、と思うかもしれないが、リョーの鬱憤晴らしはクラーラをこき使う事ではない。メイといる事だ。少しでも、愛妹と言葉を交わしたいのだろうと思い、クラーラは何も言わずにリョーに頼まれた事をやっていた。
「……」
そんなクラーラだが、リョーの小さな欠伸の頻度には問題を覚えていた。朝から夜までメイにつきっきり。夜から朝までは気を張って奇襲に備えている。恐らく、相当疲れているのだろう。
「メイさん、リョーさん、昨日あまり寝付き良くなかったみたいなんですよ」
「え、そうなの?」
メイが驚いたように、手を握ってくるリョーの方に顔を向ける。リョーは驚きながらも、何言ってやがる、と言わんばかりの視線をクラーラに送る。だが、ここはリョーの脅しに負けてはならないところだ、とそれを受け止める。
「そんな事ないぞ、メイ。兄さんは元気だ」
「いいえ、そんな事あります。ちょっと休んでもらいたいな、と思うんですが、リョーさん、私が休めと言っても多分聞かないだろうな、と」
「もー、兄さん! クラーラさんに変な気を使わせて!!」
「そんなつもりはないんだがな」
メイが頬を膨らませてリョーを叱る。怒った顔も可愛いな、と顔が弛緩しきっているにも関わらず、リョーは困ったような声を出す。表情と声をここまで使い分ける事が出来るのか、とクラーラは感心する。さらに片目でしっかりメイの顔を見ながら、片目でクラーラを睨んでいるのだから、恐ろしい使い分けであった。
「……プロの傭兵って、皆こんな使い分けできるのでしょうか」
「馬鹿な……。馬鹿な事言うなよ、クラーラ。めっちゃ昨日寝てたぞ」
一瞬素が出た。チラッとメイを見るが、何もリアクションが無い事を確認すると、クラーラを恐ろしい形相で睨む。それだ、それ。
「も~、兄さん、少し寝て! これ以上クラーラさんに迷惑かけないで! 恥ずかしいでしょ!? ……あー、けど今兄さんのベッドはクラーラさんが使っているし……。私のベッド使って寝て?」
「ごふっ!」
「……へんたい」
嬉し恥ずかし吹き出すリョー。それを見たクラーラのひどく一般的な意見に、さすがのリョーも反論できなかった。しばらくメイのベッドを眺めていたリョーが、ボソッと呟く。
「……寝れる気がしねェ」
「本当に変態ですか、リョーさん」
妹のベッドで興奮する変態兄。だが、最終的に何事もないようにベッドに入る。
「つーか、たまに寝ぼけてメイが俺のベッドにもぐってくるしなァ」
「兄さんっ!?」
ボソッとリョーが洩らした一言。メイはばっちり聞いていたようだった。顔を真っ赤にしてリョーに近寄ると、ポカポカと腕を振りあげてリョーを叩く。
「もー! なんでこの間のレヴィさんの時といい、そういう事言うのー!?」
「アハハ、痛い痛い」
まったく痛くなさそうにリョーが笑う。本当に、メイといる時は良い顔するのになー、とクラーラは呆れる。その愛嬌をもう少し周りには使えないのだろうか。
「クラーラ、何かあったら、迷わず叩き起こしてくれ」
何かあったら、とは奇襲の事だろう、とクラーラは察する。しっかり頷いたのを確認して、リョーは目を瞑る。
「はい、そうさせていただきます。はい、メイさん。もうお兄さんは寝ますから」
「ううっ」
顔を真っ赤にするメイをテーブルに連れて行く。メイはテーブルの上に置かれたクッキーを恥ずかしそうに口に持っていきながら顔を俯かせる。よっぽど疲れていたのだろう。リョーはすぐに小さな寝息をたてて眠る。
「……子供っぽいですか?」
「仲が良いんだな、と思います。良い事ですよ」
「でも、寝ぼけてとはいえ、兄のベッドになんて……」
「例えば四、五十になっても一緒のベッドで寝る夫婦もいますよ」
「それは夫婦の話です~」
雷やお化けの話は聞かなかった事にしよう、とクラーラは心の奥にその話題をしまう。
「メイさんが、リョーさんの事を大切に思っているから、そうやって間違えてしまうのですよ」
あの変態兄だと、いささかの不安が残るが。まさか手は出していないだろうと信じる。いや、信じたい。
「けど、クラーラさんも、兄さんの事を大事に思ってますよね」
「……はい?」
どう考えても、神殿が守るべき市民だとか、仲間だとか、そう言った話題ではないはずだ。クラーラは突然すぎるその言葉に困惑する。
「目が見えなくても解ります。クラーラさんと兄さんは、言葉以外の何かで通じ合っているなぁ、と感じる時が、何度もありますから」
それは、あの目のせいではなかろうか。クラーラは何と言おうか悩む。盛大な誤解である。クラーラは恋愛なんて自分に無縁だと思っている。相手が、等と言う悲観的なものではなく、生涯を自らが信ずる神、アーティアに捧げるつもりだった。
そう、生きると決めた。
そう、生きざるを得ない。
「私、クラーラさんが兄さんの御嫁さんになってくれたら嬉しいな。兄さん、ちょっと表では素行が悪いみたいだから」
リョーさん、筒抜けですよ。メイの前で必死に素を隠しているリョーに僅かに憐れみを感じてしまう。そもそも、妹が二階にいるにも関わらず、一階の酒場であれだけ大声で騒げば筒抜けになるのも無理はない話だ。
「レヴィさんも優しいけど、レヴィさんってライバルって感じがするから。兄さんとはずっと仲の良い友達、みたいな。……本当は、傭兵なんて危険な仕事して欲しくないけど、私の目が見えないから、兄さん頑張って働いてくれてるの。
だからね、私。目が見えるようになったらうんとお金を稼いで、兄さんに楽させてあげたいの。私、どういう仕事が向いてると思うかな」
「う~ん、メイさんは努力家で周りにも配慮出来るので、どんな仕事でも出来るのではないでしょうか?」
「そうかなぁ……。だとしたら、兄さんもどんな仕事でも出来ると思うんだけど……」
リョーは無理だ。素の口が悪すぎる。恐らく我慢できるのはメイがいる前だけだろうし、目が見えるようになった時、あの目や顔の使い分けをどうするというのだろうか。
「クラーラさん、神殿のお仕事って危ないんでしょ? 私、クラーラさんがどこか行っちゃったら嫌だな」
「大丈夫ですよ。私には、アーティア様のご加護がありますから」
「……神殿の人は、どこの人でもそういうの。アークリュピア様の神官様も。だけど、私の目を治そうとしてくれたのは、クラーラさんが初めてじゃないの。……けど、そういう人は、絶対いつも来なくなっちゃうの。しばらくするとね、無理をして山で事故にあったりとか、戦争に巻き込まれて……」
メイは悲しそうに肩を落とす。確かに、神殿に仕えている人間ならば戦争に駆り出される事は多々ある。人類の恒久平和を詠うアークリュピアの神官であっても例外ではない。彼らは戦場に赴き、戦場で怪我をした人の手当を行う。その中で、敵に攻め込まれて命を落とす事は珍しい話でもない。
今アンバルロガが戦っている近隣のアルム・レ・ウォスとの戦争においても、アークリュピアの神官は何十人も命を落としている。
アルム・レ・ウォスとアンバルロガは元々一つの国であったが、先代の王が死去したのちに、王位継承争いの果てに分裂した国家だった。前王の息子であるアーリースは肥大化したアーティア神殿と対立。王による絶対統治国家を提唱した。アーリースの息子であるアーブロースは前王の弟レムロスの王権を主張。アーティア神殿との良好な関係提唱した。
アーティア神殿は人類の平和を詠い、武力を行使する。アーティア神殿はアルム・レ・ウォスがアーティア神殿と対立する事は人類の平和に対する宣戦布告だと主張し、アーブロース、レムロス率いるアンバルロガと同盟を結び、アルム・レ・ウォスに宣戦布告。同じく人類の平和を詠うアークリュピア神殿を筆頭に多くの神殿をアンバルロガは味方につける事となった。
一方のアルム・レ・ウォスは軍神アレーウォスを新たに奉る。アレーウォスは戦場における狂気、混乱の神であり、戦いを好む荒ぶる神である。それ故に、多くの闇夜の眷属を仕える国家となった。
すでに高齢のレムロスは死去したが、その正当性を説くためにアンバルロガはアーブロースを王として、戦争を継続した。レムロスの死とアーブロースが王位に就いた事を含めて国内が混乱した事もあり、戦争の初期から中期にかけてはアルム・レ・ウォスが優勢であり、殊更多くの神官が命を落としていった。だが、アンバルロガが安定を取り戻し、大量の傭兵を投入した事によって、戦況は一変。傭兵達の活躍によって、今ようやく五分のところまで持ち直した。
持ち直したが、戦争が過酷な状況である事に違いはない。首都アンバルロガにまで到達してこそいないものの、国境沿いは未だに酷い惨状なのだ。あまりにも長く、激しい戦争で、多くの人たちが命を落とした。
クラーラが前線に行く事も、ないとは言い切れないのだ。
「メイさん、私、約束します。私は聖女になります。そして、アルム・レ・ウォスはとの戦争を終わらせます。これ以上、私は誰かに血を流して欲しくないのです。私は、生き延びます。
そして、メイさんの目も、きっと見えるようにしてみます」
大丈夫! とクラーラは自らの胸を叩く。
「まだまだ未熟者ですが、私、悪運だけは強いんです!」
「……もう」
メイは、自らの暗い不安が消えて行くのを感じる。すっと心が晴れやかになっていく。クラーラの笑顔は、それだけの力があると思えた。
「じゃぁ、約束して?」
メイがすっと小指をさし出す。昔は無邪気にこれで約束したな、と懐かしく思う。
「良いですよ?」
クラーラは小指を強く絡めた。自らの言葉を、達成できるように。
「クラーラさんは絶対生き延びて、兄さんの御嫁さんになってね?」
「はえぇぇえぇぇっっ!?」
予想外の付け足し。クラーラは思わず叫んでいた。
「ま、待って、待って下さい! な、なんですか、お嫁さんって!?」
「え、そういう話だったよね?」
きょとん、とメイがいう。クラーラの頭の中が混乱する。
「え、いや、そうですけど、違くて……!」
リョーのお嫁さん? 神の前で愛を誓う? 全く想像つかなかった。その光景が、あまりにも想像つかない。そもそも、この不仲で神殿と傭兵区とで結婚できるとは到底思えなかった。まず法皇に何かを言われて、その後も議会で散々に言われるだろう。
だが、もし傭兵区と神殿の不仲が解消されたら? ふと、そんな事を思う。リョーが、あの笑顔を自分に向けて、幸せな家庭を築けたら?
「……」
裏があるとしか思えなかった。神殿への交渉要員として扱われるだけではなかろうか。きっと、それはリョーが変わらなくてはあり得ない。
「……って、あれ?」
リョーが変われば、自分はリョーに惹かれるのだろうか。
その時、扉をノックする音がした。クラーラは考え事を断ち切る。馬鹿な事を考えただけだ。自分は、一生を神殿に奉仕すると決めたのだ。
「……リョーは、いるか?」
レヴィの声だった。クラーラは扉をあける。クラーラの顔を見てレヴィはうん、と頷く。厳しい表情だ。
「貴様、私の後に刺客がいるとは思わなかったのか? 例えば、私が誰かに敗れ、そう言う様に強要された可能性を何故疑わない?」
「他の方なら疑いますが、レヴィさんは多分そのような事はしないと思ったので開けました」
そんな事を要求されようものなら、舌を噛み切るなりなんなりと、自害する方をレヴィならば選ぶだろう。
「ふむ。だが、その状況で人質がいたとしよう。私はソイツを守るために、きっとそうしただろう」
「……神殿は」
「神殿はそんな事をしないか? リョーは神官二人と戦って勝った。にも関わらず、遠方に控えていた伏兵に矢を射られたのだぞ。それが騎士としてどれだけ道を外れた事か、解っているのか?」
レヴィの責める言葉に、クラーラは何も返せない。レヴィだけではない。リョーも、他の傭兵達も神殿をまるで信用していない。ジェフは少し擁護するような事を言うが、傭兵達のそれを、強く咎めたりはしようとはしなかった。
「それで、リョーの奴はどうした?」
「今休んでます。最近、あまり寝ていないようだったので、お身体に障っても事なので」
「うむ。ありがたい配慮だ。アイツは時に無理をしすぎる」
よくやってくれた。レヴィが笑いながらクラーラの肩を叩いて労う。同性でも見とれてしまうような、凛とした笑顔だった。他の傭兵の話によると、傭兵からの支持だけでなく、女性からもかなりの支持があるという。それも納得できる程の笑顔だった。
レヴィはクラーラの脇を通りすぎると、メイに挨拶をする。
「おはよう、メイ。体調はどうだ? リョーが馬鹿な事しでかしていないか?」
「おはよう、レヴィさん。ううん、大丈夫だよ」
「そうか。雷が怖ければ私に言うと良い。雷でも斬ってやろう」
「れ、レヴィさん!!」
メイが顔を真っ赤にする。クラーラが先程胸にしまっておいた話題は、こうしてあっさりと暴露された。レヴィは笑う。
「ははは、すまんすまん。ついな。しかし、良いではないか。クラーラも、もう聞き及んでいるぞ」
「ええっ!?」
クラーラは静かに視線を逸らす。メイはガクッと頭を垂らす。
「……うう、音凄いんだもん」
「メイさん、大丈夫です。雷が怖い人くらい、この世にはきっといっぱいいます」
「慰めになってないですー」
レヴィがよしよし、と頭を撫でてやってからリョーの方に向き直る。その寝顔をふむ、と顎に手を当てて眺める。
「普段からこうやって大人しい顔をしていれば良いものを」
「本当ですよね」
クラーラがレヴィの意見に賛同する。しかし、レヴィはなんの用なのだろう。まさか、寝顔を拝みに来た訳ではあるまい。しかし、寝ているリョーを起こすような事、まさかする訳もないだろう。
「リョーッ!!」
「したぁぁっ!?」
大声でリョーを叩き起こす。なんの用だか解らないが、あまりにも褒められたものではないだろう。おまけに、急用があったとして、リョーは宿から出るな、とあれだけ言われているのにだ。
「……んだよ、レヴィ。人が気持よく寝てるってのに……」
「それは、愛するメイのベッドだからか? 起きろ、変態。何故貴様がメイのベッドで寝ている」
「今俺のベッドはクラーラが使ってんだよ」
よっこいせ、とリョーが起き上がる。酷く寝むそうだった。やはり、大分無理をしていたのだろう。クラーラは少し胸が痛んだ。対して、自分はなんの成果もあげられていないのだから。
「奴が帰って来た。今下で貴様を待っているぞ」
「……アイツが?」
「ああ」
二人の間に、僅かに嫌そうな空気が流れる。クラーラは訳が解らず、首をかしげる。傭兵区の人間は、誰かが無事帰ってくると、大いにその生還を喜んでいるのに、何故そんなに嫌がるのだというのだ。
「面倒クセ―事に俺を巻き込むな」
「馬鹿を言うな。彼奴は本当に千里眼でも持っているぞ。貴様が矢で射られたと聞きつけて帰って来たと言っているのだ」
「……本当に千里眼持ってんのかな」
「持ってないわけがない」
「あの、どなた様が帰ってきたのですか?」
二人は深いため息をついている。メイも訳が解らないみたいで、首をかしげている。おいてけぼりな感じがして、クラーラが尋ねる。二人はクラーラの顔を見るとやはり溜息をつく。
「「知らない方が身のためだ」」
そして、同じ言葉を口にした。二人にそれだけ言わせるのだ。きっとかなりの危険人物なのだろう。きっと喧嘩っ早くて酒好きで傍若無人で、と思いつく限りの危険そうな人物像をつくってき、クラーラは部屋に閉じこもる決心を固めた。その時、開きっぱなしの扉から、傭兵の独りが顔を出す。
「姉御? カローナが、リョーの部屋で世話になってる神官も連れて来いって」
チラッと、気の毒そうな顔でクラーラを見る。厄介事に巻き込まれたクラーラは、机にしがみつく。絶対にここから動かないと首を振る。
「嫌です。私、ここを動きません。きっと本当に危険な目に遭う気しかしません」
「クラーラ、私も出来れば会わない方が良いと言いたいのだが……」
「ご指名なら、会わないときっともっと不味いぜ?」
「うう~」
クラーラは涙を流す。ああ、きっと今日死ぬんだ。そんな気しかしない。リョーとレヴィに両脇を抱えられながらクラーラはとぼとぼと歩く。
階段を下りて一階につくと、それは異様な光景だった。
独りの女性が、一番奥のテーブルに座り、紅茶を飲みながら読書をしているではないか。クラーラは眉を潜めた。その女性は、長い茶髪で軽装に身を包んでいるものの、特に危険そうな雰囲気はない。むしろ、まるで上流階級のような優雅さがある。
だが、そもそもこんな店で紅茶を独りで飲んみ、本を読んでいるのが異質だった。何より、他の客が一切いない。昼間であっても、この店は常に客がいる。それもまた、異様な光景だった。
「……皆逃げ逃げやがったな」
「そのようだな」
客がいない理由はそれだったらしい。屈強な傭兵達が揃いも揃って逃げ出す。危険な気配は感じられないのに、何故こうも皆逃げ出すのだろう、とクラーラは首を傾げる。
リョーが先陣を切って手を挙げて挨拶をする。カローナと呼ばれた女性が、それに気付く。
「よう、カローナ姐。一年ぶりくらいか?」
「久しぶり、リョー君」
にっこりと微笑む絶世の美女。クラーラがおお、と思わず感嘆の声を上げた。柔和な雰囲気の、感じが良い人。もうそういう風にしか見えなかった。
「肩、射られたって聞いたのだけど……大丈夫かしら?」
「あ、ああ。ほぼ完治してるよ」
リョーが向かいの椅子にクラーラを勧めた。そのままレヴィも向かいの椅子には座ろうとせず、他の椅子に腰を下ろす。やられた、と思った時にはもう遅い。二人が嫌がる様な人物だとは思えないが、向かいの席を、押しつけられた形になった。クラーラは椅子に座らず立つ、という選択肢をとる事にした。だが、カローナは柔和な笑顔を浮かべる。
「そんなところに立ってないで、座ったら?」
「え、あ、はい」
作戦は失敗した。そして、改めてカローナをよく見る。長い茶髪の柔らかい物腰の美人。クラーラはそう称した。また垂れ目なのが愛嬌がある。指も手も、ほっそりとした身体つきで、とてもだが傭兵だとは思えなかった。
クラーラの視線に気付き、やや困ったような笑顔を浮かべる。
「あら、そちらの神官さんは、そっちの趣味の人? ふふ、良いわよ、お姉さんと良い事する?」
「そっち? 良い事? ボランティアですか?」
「……まぁ、そんなもんだと思っとけ」
「あとで説明してやる。適当に笑っておけ」
「……アハハ」
二人の必死さに笑うしかなかった。カローナはそんな二人にも気を悪くしたような素振りは見せない。
「私はカローナ・ヴァン・フォルゲン。このアンバルロガで傭兵をやっているの。あなたは?」
「あ、申し遅れました。私はクラーラ・フォン・アーティア・ブルックベンです。アーティア神殿の……一応……聖女候補です」
「あらあら。まあまあ」
驚いたように頬に手を当てた。さほど驚いてはいないようにしか見えない。
「そうなの、そうなの。では、どうしてその聖女候補さんが、こんなところで?」
「……うぐっ」
気不味そうにレヴィとリョーを見る。レヴィが嘆息一つついて代わりに答える。さすが姉御、と心の中で感謝する。
「メイの目の治療だ。神殿からそういう試練を課されたようでな。我々傭兵に対しても非常に協力的なので、ここに泊っている」
「あら、リョー君、それ本当かしら?」
これには本当に驚いたようだった。リョーの方をまじまじと見つめる。リョーはメイに向けるのとは違った、乾いた笑顔を浮かべる。
「ああ、そんな感じ」
「けど、リョー君、神殿嫌いでしょ? いつか潰してやるって息巻いてたじゃない?」
「……一体いつの話し掘り返してやがる……。そうだけど、コイツはメイの目の治療に本気で真剣に取り組んでるし、良い奴だな、ってな?」
「けど、この間のランベル奇襲作戦の話はこっちにも来てるわよ? 大分傭兵区に被害でたみたいじゃない? これはまたリョー君と神殿がもめると思ってたのだけど」
「だから、コイツが無料で往診するって話になったんだ。皆を治療してくれてよ」
「あらあら~」
二人が嫌がる理由が解って来た。先程から質問攻めであった。おまけに嫌な事まで聞いてくる。ランベル奇襲作戦も、クラーラがここに寝泊まりしている理由も、あまりクラーラからしたら思い出したくない理由だし、リョーも神殿がどうのとかという話を、クラーラの前でするつもりはない。その時のチラッと一瞬クラーラを盗み見るのが、気を使われているのだというのがよく解った。
おっとりでは収まらない。ある意味で、傍若無人。空気が読めないと言う方が正しいかもしれない。
その時だった。店の奥から店主が出てくる。
「カローナ。積もる話もあるだろ? 店の奥の部屋でゆっくり話して来たらどうだ?」
「「「!!」」」
追いやるつもりだ。確かにカローナがいたら人が入って来ない。だから奥の部屋に隔離しようというのだ。それを察知した三人が店主を見ると、店主は許せ、と小さく呟いた。
「……あー、すまねぇ、二人とも。俺、メイの食事の世話しにいくわ」
おもむろにリョーが立ち上がる。二人とも。完全にレヴィとクラーラにしか言っていない。リョーが戦線離脱すると、レヴィも立ち上がった。
「すまない、そういえば……」
ガシッ! クラーラが泣きそうな顔でレヴィの腕を掴んだ。独りにしないで、とその目が物語っている。
レヴィは静かに瞳を閉じる。そして、
「他の奴らと食事の約束があってな。私もこれで失礼させてもらう」
パシッとクラーラの手を払い、外に行ってしまった。
「あらあら、二人とも、予定があるのねー。クラーラちゃん、奥の部屋で」
「すまねぇ、カローナ姐」
ポンっ、と立ち上がろうとしたカローナの肩をリョーが叩く。いや、抑え込む。
「あら、どうしたのかしら、リョー君」
「メイの奴がさ、クラーラになついててよ。食事はいっしょが良いって言いだしたんだ。こいつも借りてくぜ? ……レヴィは?」
「食事の約束があると言って帰りました」
「……逃げたな」
「ええ」
こうやって戻ってきてくれただけ、リョーの方はまだ良いかもしれない、とクラーラは思い直す。とんでもない人でなしだと、二人の事を本気で恨みかけた。
「クラーラ! 他の奴らがお前……と」
被った。さすがは相棒と、クラーラはどうしようという顔をする。このままだと、結局四人プラスアルファで食事になるだけだった。話があっちこっちに飛んだ時に、それら全てを拾うのは難しいだろう。
「いや、レヴィ。メイがクラーラと喰いたいってんだよ」
「そうか。私の連れも同じ事を言っている」
「黙らせろよ?」
「貴様こそ、メイをクラーラにとられてるんじゃないのか?」
「んなわけあるか」
ピリピリ、と二人の間に緊張が走る。このままだと味方を売ったと言われかねない。二人は、自らの保身のために、クラーラを引きこもうと必死だった。
「ああ、カローラ姐。レヴィの食事に一緒になったらどうだ? 悪ィけど、メイはちょっと人見知りするからよ」
「んなっ!?」
「それ名案だわー! そしたら私も、レヴィちゃんとおしゃべり出来るものね! ささ、行きましょ、レヴィちゃん」
「ま、待て! カローナ姐!?」
目的地など知らないだろうカローナに引き摺られて、レヴィは宿屋を後にした。リョーは手短な椅子に腰を下ろす。安堵しきった顔だった。
「良かった。俺は味方売りの裏切り者じゃねェ」
「え、今のかなり立派に味方売り……」
「裏切り者じゃねェ」
リョー曰く、裏切り者にはそれ相応な不幸が付きまとう。それだけ厄介者扱いされるカローナに憐れみすら覚える。
「リョーさん、カローナさんは、傭兵なんですよね?」
「ああ」
リョーは頷く。その顔は、苦々しいものであった。
「ああ、間違いなく、最強の傭兵だ。……俺とジェフ、レヴィの三人がかりでやったって勝てやしねェよ」
化け物を見るような眼で、リョーは忌々しそうに呟いた。