【二創企画】 ユージュアルじゃないクエスト
王都マグンを中心として広がる、トンカ平原。
その外れにある山の近くを、四人の冒険者が歩いていた。
「うーん。今日はぜんぜん魔石が出ないわね……」
列の中ほどを歩く少女が不満げに漏らす。彼女はリノ・リマナブランデ。このパーティの、ヒーラーだ。
魔石というのは、生命体の源と言われる、小さな透明石のことだ。
生命が尽きる際に普通は消えてしまうものだが、まれに固形のまま残ることがある。生命体ごとに違う魔力を宿しており、魔法アイテムの原材料となることが多い。
魔石を手に入れるには、モンスターを倒すのが一番手っ取り早い。経験値も入る。なので冒険者はこうやって、魔石集めのクエストに挑むことが多い。
今回もそのつもりでリノはこうして仲間とやってきたのだが……今日はモンスターを倒しても倒しても、魔石が出る気配がない。
リノの言葉に、その前を歩いていた青年が反応した。背中にロング・ソードを負っている。剣士のリブレ・ロッシだ。
「じゃあ、もう帰ろうよリノ。こんな日もあるさ。モンスターなんて相手しないで、もっと平和なクエストを受けようよ……」
リブレは極度のモンスター恐怖症だ。小さなころから勇者である父に、訓練といってモンスターの巣に投げ込まれるなどしてきたからだ。
今だって、不安げにあたりを見渡している。厳しい訓練の成果で身に着けたのは、すさまじい逃げ足と、半径数キロ先までモンスターがいるかどうかがわかる探知能力だというのだから、彼の情けなさは折り紙つきだ。
腹が据わればかなりの実力の持ち主なので、こうして無理やり魔石集めのクエストにも引っ張り出されているのだが――その実力を目の当たりにしたことがあるだけに、リノはいらだたしげに、リブレに言った。
「やぁよ。こうなったら、意地でも魔石を見つけるまで帰らないんだから」
「そ、そんな」
「だいたい、さっきもなによ? ちょっと強いモンスターとエンカウントした瞬間に、かんしゃく玉爆発させて一目散に逃げ出して」
「う……」
リブレは言葉に詰まった。さきほど魔石の力で強化されたシェイムという樹木型モンスターに襲われたとき、彼はお手製のかんしゃく玉を投げつけて逃げ出したのだ。
ほとんど反射的な行動だったので、リノには止める暇もなく――煙幕の中を、パーティは必死になって逃げだした。
全員でかかれば、倒せないこともなかっただろうに。しゅんとするリブレに対して、リノは鼻を鳴らした。
そんな二人に割って入ったのは、軽鎧を身に着けた女だ。手には槍を持っている。ランサーの、アイ・エマンドだ。
「まあまあリノ。リブレだって悪気があったわけじゃないし、許してあげなよ。今度はかんしゃく玉を投げられる前に、あたしがモンスターをやっつけるからさ!」
彼女はリブレとは逆に、モンスターを見れば突撃していく人間だ。彼女自身が槍と一体になって進んでいく。
おかげでアイのレベルは、このパーティの中で一番高い。頼もしい言葉に、リノはとりあえずリブレを責めるのをやめた。
いったん収まったその場の雰囲気を、しかし引っ掻き回す人間がいた。最後尾にいる赤マントの青年、魔術師グラン・グレンだ。
彼は杖を持った手を頭の後ろで組みながら、アイに言う。
「はーあ。まったく色気のないセリフだぜ。たまにはもっと、女らしくならんのかね」
「なんだって!」
アイが過敏に反応した。「女らしくない」は彼女にとって、コンプレックスのひとつなのだ。
グランに食って掛かるアイを横目に、リノはあたりを見渡した。ああ、さっさと魔石を手に入れて、今日は帰っていつものぶどう酒でも飲みたいな。『ルーザーズ・キッチン』の35番を――。
「……あら?」
『それ』が目に入って、リノはその場に足を止めた。木々に隠れて見えにくくなっているが、目を凝らせば確かに見える。
リノの様子に気づいた他の三人が、彼女の見る方角を見た。平原のはずれ、山のほど近く。
そこに、ぽっかりと穴が開いたように、洞窟への入り口があった。
△▼△
「……こんなところに、洞窟なんてあったっけ?」
その入口まで来て、アイが不思議そうに首をかしげた。何度か通ったことのある道だが、こんなところがあったとは知らなかった。
「おおかた、こないだの雨で入口が崩れたんだろうぜ」
グランが入口の様子を見ながら言った。洞窟の入り口には確かに、土砂や岩が転がっている。今まではそれらに覆われて、入口があるのもわからなかったらしい。
それはつまり、未発見のダンジョンということではないか。めくるめくお宝の予感に、リノは目を輝かせた。
「入ってみましょうよ。ひょっとしたらいいものがあるかもしれないわよ」
「や、やめようよ」
反対をしたのはリブレだ。洞窟なんて逃げ場のないところは、彼の恐怖心を大いに刺激する。どんなモンスターが出るか、わかったもんじゃない。そう言うリブレに、リノは反論した。
「そこまで言うなら、探知してみなさいよ。リブレなら、だいぶ先までモンスターの気配がわかるでしょ」
「う、うん……」
リブレは気配を探った。もはや戦うことよりも、こうしてモンスター探知機として働かされることの多い彼である。騎士団にすらその能力を買われたリブレは、ほどなくして顔を上げた。
「……強いモンスターの気配は、ないな。けど」
「けど?」
眉をしかめたリブレに、リノは訊きかえした。彼はそのまま、少し首をかしげた。
「弱い気配が、すごい数ある。洞窟中って言っていいくらい。青バルーンくらいのちっちゃい気配が」
「あ、ほんとだ」
アイが洞窟の入り口から漂ってきた青バルーン一体に槍を突き出す。「えい」と軽い声をあげて突きをお見舞いすると、青バルーンは一撃ではじけて消えた。
青バルーンは、この世界で存在する中で最弱のモンスターである。どうして全滅しないのかと言われるくらい、その存在は儚い。
いくら数がいるといっても、これなら大丈夫だろう。そう判断してリノは、洞窟に入ることにした。
「じゃ、行きましょう。なにか手に入れられないと、今日は赤字よ。せっかくなんだから」
「ま、青バルーンくらい敵じゃないよね」
「なんか見つけて、帰ったら『ルーザーズ・キッチン』でぱーっとやろうぜ」
リノに続いて、アイ、グランも洞窟に入っていく。
そんな三人を見て、リブレが相変わらず不安そうに「……大丈夫かなあ」とつぶやいたものの――置いて行かれるのは真っ平だったので、結局仲間たちの姿を追って、洞窟に入った。
△▼△
洞窟の中は、古いカビのにおいがした。グランの炎の魔法で松明を作り、一行は奥へと進んでいく。
壁に加工された感触はない。この質感は天然のものだ。ごつごつした岩肌に、わずかに水が流れている地面。ひんやりとした空気に、松明の熱気がゆらめく。
近寄ってきた青バルーンを、アイが槍で倒した。まったくなにも、危ないことはない。少し腰が引けているリブレを見て、リノは本格的にこいつはダメかもしれない、と思った。
分岐はないわけではないが、小柄なリノが通れるか通れないかぐらいの狭いものだ。なので、基本的には真っ直ぐに、四人は歩いていった。――また青バルーン。グランが松明の火を押し付けて、バルーンをはじけさせている。
「……ねえ、やっぱりやめない? なんだか、嫌な予感がするんだ」
リブレがそう言ってきたのに、リノはため息をついた。なにを言っているんだこいつは。さっき、自分で強いモンスターの気配はないと言ったではないか。
「リブレ。あなたのモンスター探知機としての能力は大したもんだと、私は思うわ。なのに肝心な本人が、その能力を信じてないの?」
「そんなことないよ。モンスターを恐れまくって研ぎ澄まされた俺のこの感覚は、誰にも負けないよ」
「胸を張らないで。殴りたくなるわ」
どんな自慢なのか。額を押さえるリノに、リブレは言った。
「だからかなあ。モンスターが怖いっていうこの感覚が、俺の中で警報を鳴らしてるんだ。なにかが起きる、これは逃げなきゃって――実際は、青バルーンしかいないのに」
さすがのリブレも、青バルーン相手なら逃げない。ロング・ソードでの一閃は、的確にバルーンを切り裂いた。
なに相手でもこうならいいのに。はじけて消えるバルーンを見送って、さらに奥まで歩く。
やがて一行は、洞窟の最奥へとたどり着いた。そこは今までの通路とは違い、広間のようになっている。
そしてそこには、棺が置かれていた。
「てことは、なにかの墓だったのか?」
一段高くなった祭壇に、安置された棺。グランが松明を近づけて、棺を観察する。土やカビで腐食した棺は、ぴたりと蓋が閉まっていた。ただの棺だ。魔法や呪いが仕掛けられている気配はない。
開けても問題ないと判断し、アイが蓋をずらした。中にいるのは金銀財宝を身に着けたミイラか、それとも――
「……これって!?」
予想以上のものが目に入って、リノは思わず叫んだ。
そこに横たわっていたのは、青く透き通る鎧だ。その素材は、魔石。本来小さな結晶でしかない魔石を加工して鎧にしたとすれば、いったいその価値はいくらになるだろうか。
「とんでもないお宝よ。まさか私たちにこんな幸運が巡ってくるとは」
「すげーな。リスタルでもこんなの、見たことねえ……」
グランが自分の出身である、魔法都市の名前を出して言った。魔術や魔石の研究が盛んなリスタルにもないとすれば、これは本当に、伝説級のアイテムだ。
リノは魅入られるように、震える手を鎧に伸ばした。これさえあれば、こんなその日暮らしの生活ともおさらばだ。ぼろっちい布の服じゃなくて、もっときれいなドレスが買える。髪の毛だってもっときれいに整えて、戦いで乱れることを気にしない暮らしを送ることだってできる。
そう、これさえあれば。
指先に鎧が触れて、これが夢じゃないんだとわかった。嬉しくてさらに手を伸ばそうとしたとき、異変が起こった。
『我の眠りを妨げるものは、誰だ……』
頭の中に直接響いてきた低い声に、リノは思わず手を引っ込めた。声が聞こえていたのは自分だけではなかったらしく、他の三人も同じようにあたりを見回している。
いや、これは、まさか。ゆっくりと顔を正面に向けると、そこには――カタカタと小さく震える、鎧があった。
震えに引き寄せられるように、そこらじゅうにいた青バルーンが鎧の中に吸い込まれていく。
鎧に収まりきらないくらいのありえない量が、固まって凝縮して堆積して――鎧がだんだん、光り輝いてきた。
その光景に顔を引きつらせる一行へと、低い声は宣言した。
『我は青バルーンの王である。我の眠りを妨げし者よ――永遠の眠りに、堕ちるがよい』
その瞬間、鎧ははじけ飛んだように見えた。青い閃光が爆発して、洞窟を照らし出す。
目を開けたとき――祭壇の上には、青く輝く全身鎧がリノたちを睥睨していた。
青バルーンの王 が あらわれた!
リブレ は にげだした!
「ぎゃああああああああっ!?」
「早いっ!?」
リノは叫んだ。わかっていたとはいえ、あんまりの早さだ。こうなってしまうと、リブレの選択肢に「こうげき」は無くなる。一番上が「にげる」。せいぜい「どうぐ」があるくらいだ。
でも確かに、今回は逃げるのが唯一の正解だ。こんな伝説級のモンスターと戦って勝つなんて、このレベルの低いパーティではありえない。
青バルーンの王は、青バルーンが寄せ集まってできた、集合体だ。だからリブレの探知能力もすり抜けてしまった。
バカリブレ、こんな肝心な時に頼みの能力が不発だなんて――リノはそう思ったが、彼を責めている場合ではない。隙を見て、なんとか逃げ出さなければ。リノは王を視界に入れながら、じりじりと後退した。
「だめだああああああっ!?」
後ろから、逃げたはずのリブレの声がした。振り向けないので状況が分からない。聞こえてくるのはリブレの声、そして、彼が剣を振るう音だけだ。
「洞窟中の青バルーンが、広間の出入り口をふさいでる! すぐ倒せるけど、数が多すぎて……!」
背筋がぞっとした。これはいわゆるあれだ、そう――
「……『大魔王からは、逃げられない』ってやつ? 『ルイス冒険記』でも確かあったわよね、そんなシーン」
勇者の冒険を描いた物語のことを思い出し、リノは言った。しかし、これは本の世界のことではない。現実の世界で、起きていることなのだ。
△▼△
「はっ!」
気合いの声とともに、アイが槍を構えて青バルーンの王に突撃した。王は、手にした剣でその一撃をはねのけた。
「リノ、今のうちに後ろに下がって!」
「う、うん!」
戦闘を続けながらアイが叫ぶ。ヒーラーであるリノは、前線にいるだけ邪魔になる。アイの叫びを背に、リノは走った。
広間の出入り口では、リブレが青バルーンをなんとかしようと剣を振るっている。必死に斬撃を繰り出し、青バルーンを葬っているが――いかんせん、数が多すぎる。突破口を開くには足りない。
「おいボケリブレ! もっとがんばれよ!」
「やってるよ! グランも手伝えよ、ちょっとは!」
グランもこちらまで後退してきた。リブレはさらに手数を増やし、青バルーンたちを押し戻そうとしている。
アイは。アイは大丈夫か。振り返れば、彼女は相変わらず青バルーンの王と戦っていた。攻撃よりも回避主体の戦法を取っている。時間を稼いで、なんとか全員で逃げるつもりなのだ。
リノはアイにすばやさを上げる支援魔法をかけた。これで少しはやりやすくなるはずだ。
もし彼女が怪我をしたときのために、回復魔法の準備をする。たった一人で王と戦い続けるアイを見ていると、ヒーラーである自分がとても情けなく感じた。見ていることしかできない。
親指の爪を噛んでいると、後ろから声が聞こえた。リブレだ。
「もうだめだあぁ……おしまいだあ」
「てめえ、なに言ってるんだよ!?」
リノの気持ちを代弁するかのように、グランが怒鳴った。リブレは剣を振るうのをやめ、がっくりと膝をついた。
「だって、もう無理だよ……数が多すぎる。いくらやっても、ぜんぜん出口が見えてこない……」
「立ちなさい、リブレ!!」
アイの戦いを見続けながら、リノは怒鳴った。自分も情けないが、こいつはもっと情けない。それが、かえってリノを奮い立たせた。
「アイが戦ってるのよ! 私たちを信じて、戦ってくれてるの! あなたがやらないで、どうするっていうのよ!」
「リ、リノ……」
振り返らなくてもリブレがどんな顔をしているかはわかる。絶対に涙目だ。こいつはちょっと壁にぶつかると、いつもそんな顔をして逃げ出すのだ。そんな彼がとてもいらだたしくて――放っておけないのだ。
「――ハッ、言うじゃねえか、リノ」
グランがいつもの調子で、そう言った。こちらの表情もわかる。傲岸不遜で皮肉屋で意地悪で、悪知恵ばかり働かせる、そんなやつ。
この状況にであまりにいつもの感じの声だったので、リノはそれに違和感を覚えた。こいつもまさか、あきらめてしまったというのか。
「リブレと一緒にすんじゃねーよ。でも、ま、ちょっと肩の力抜けたな。おかげでちょっと思いついたことがある」
「なによ……!?」
アイから目を離さず、リノは訊いた。グランの悪知恵には手を焼いているが、状況が状況だ。この手詰まりの状況を打開できるなにか思いついたというなら、聞かない手はあるまい。
グランはリノの質問には答えず、離れたところにいるアイに向かって叫んだ。
「アイ! こっち来られるか!?」
「馬鹿なこと言ってるんじゃないよ! あたしがそっちに行ったら、誰がこいつを引き付けるっていうんだい!?」
王の一撃を受け流しながら、アイが怒鳴り返してきた。もっともだ。彼女の活躍があって、今の均衡が保たれているのだ。
グランにもそれはわかっているはずだ。どうするつもりなのか。リノがそう思っていると、グランは信じられないことを言った。
「リブレだ! アイ、リブレと交代!」
「はあ!?」
「なんだって!?」
その言葉に、リノとリブレが声を上げた。この臆病にもほどがある剣士を、伝説級のモンスターとの最前線に持っていく? そんなことができるのか?
二人の疑問をよそに、グランは再び声を張り上げた。
「そいつを引き付けるには、手数とスピードのあるリブレのが向いてる! こっちの突破口を開くのは、突撃力のあるおまえのがいい! だから、交代だ! 合図したらこっち来い! いいな!?」
「っは。なんだかわからないけど、あんたがそう言うならそうするしかないね!!」
アイは覚悟を決めたようで、獰猛な笑みを浮かべて王に一撃を入れた。鎧には傷一つついていないが、王の気を引くのにそれは、最適の一撃だった。
合図があるまで王の攻撃を引き付け続ける。そう決めたアイに対して、リブレは――
「む、無理だよ……あんなのの前になんて、絶対出たくないよ……!」
やばい。こいつ最低だ。この期に及んで覚悟が決まらないなんて、男じゃない。
心底見損なった。リノが杖を握りしめていると、グランがリブレに言った。
「リブレ。わかってるよ。おまえが普通の手段じゃ、あんなとこ行かないことくらい」
「グラン……おまえ……」
男同士で意味の分からない友情を築くな。イライラしながらアイを見守っていると、グランはリノの後ろに立った。彼女の頭越しに声を張り上げる。
「アイ! あと五つ数えたらこっちに来い!」
「わかったよ!」
「グラン?」
リノは眉をひそめた。状況は全く変わっていない。これでアイを引っ込めたら、大変なことになるというのに。
グランはリノの後ろで、笑った。
傲岸不遜で皮肉屋で意地悪で、悪知恵ばかり働かせている、そんな顔で――
「じゃ、リノ。頼んだ」
「え?」
状況が把握できていないリノの首根っこを、グランは掴んだ。
「んじゃ……行ってこぉぉぉぉぉい!!」
放り投げられる。
リノの小さな身体が、宙を舞った。
青バルーンの王のほうへ。入れ替わりにアイが走り去っていくのが、眼下に見えた。
△▼△
「なにするんだよグラン!?」
目を見開いてその光景を見ていたリブレは、グランに掴みかかった。赤マントの魔術師は、口笛でも吹きそうな顔でそっぽを向いて、言う。
「あー。大変だなー。攻撃手段がなんもないヒーラーのリノが、敵の目の前に行っちまったぞ」
「おまえ……っ!?」
「行けよ」
首を絞めんばかりのリブレに、グランは言った。
「いくらおまえでも、好きな女が死にそうなときになにもしない、クズ野郎じゃねえだろ」
グランが首を横に向ける。つられてそちらを見れば――青バルーンの王が、へたりこんだリノの頭上で、剣を振り上げていた。
△▼△
「グランの馬鹿あぁぁぁ! あとで覚えてなさいよぉぉぉぉっ!?」
グランに投げ飛ばされながら、リノはそう叫んだ。
もっとも、もう彼とも会えないかもしれないが。頭のどこかで、そう思う。
地面に激突して顔を上げれば、王の姿はそこにあった。青く輝く鎧に、同じ素材の剣を携えた、伝説のモンスターの姿。
それが剣を振り上げるのが見えた。しかし、身体が動かない。
こんな洞窟、入るんじゃなかった。リブレの話を聞いて、おとなしく引き返していれば。
いまさら、そんな思いがよぎる。
そう。リブレ。
ちょっと壁にぶつかると、いつも涙目で逃げ出す馬鹿。
そんないらだたしくて――放っておけないあいつは、助けに来てくれるかな。スローモションで迫る剣を見上げながら、リノは場違いにそんなことを考えていた。
そして――
ギイィン!! という音がして、リノははっと我に返った。自分を切り裂くはずだった青い剣は、ロング・ソードに受け止められて、止まっている。
見慣れた剣だ。その剣の持ち主を、ずっと叱り飛ばしながらここまでやってきた。
彼は――剣士リブレ・ロッシは、相変わらずの涙目で王を見返しながら、叫んだ。
「こ、来いよ、青バルーンの王――おまえの相手は、この俺だ!」
△▼△
「はあ、あっちはなんとかなったみたいだね」
グランのところへたどりついたアイは、そう言った。リノが飛んできたときはどうなることかと思ったが、次いでリブレが猛スピードで走っていったのを見て、彼女は指示通りこちらにやってきた。
まったく、こいつは。グランを呆れたまなざしで見やると、「なんだよ」と言われた。
「別に。後でリノになにされても、知らないよ」
「知ったことじゃねえよ。俺は全員の命の恩人だぜ? ――ま、それはともかくだ」
グランとアイは広間の出入り口を見た。狭い空間に、青バルーンが所狭しと浮いている。
アイが槍でまとめて数匹を貫いた。しかしやはり、これでも足りない。リブレの剣よりは、確かにマシかもしれないが……。
どうする。アイがグランを見ると、赤マントの魔術師は、不敵に笑った。
「俺が炎の魔法を使う。まとめて焼き切るから、とにかく槍を構えて走れ。リブレたちもその後を追ってもらう」
「わかった」
失敗したらどうする、なんてこと、アイは考えなかった。彼女はランサーだ。敵が何体いようが何に阻まれようが、まとめてすべてを貫き通すだけだ。
後ろから、「すっ、すみませんでした! ちょ、謝るから許してください! ほんと!」というリブレの情けない声が聞こえる。あちらも長くは持たないだろう。
グランが炎の魔法を作り始める。アイはそれを見入った。炎魔法を使うときだけ、この男はそこいらの魔術師よりよっぽど、凄腕に見えるのだ。
そして魔法が――完成する!
「顕現せよ、炎の帯――『剛炎』!」
杖の先からほとばしった火炎の帯が、まとめて青バルーンたちを焼き尽くした。今だ。アイは槍を構え、炎の残滓がきらめく空間へ突撃した。
あたしは槍。
貫くもの。
ただひたすら信じて――突き進め!
行く手を阻む青バルーンをまとめて串刺しにしながら、アイは一本の槍と化して走った。
△▼△
「リブレ! リノ連れてすぐに来い!」
グランの声がして、リブレは待ってましたとばかりに懐に手を突っ込んだ。取り出したのはリブレお手製の、かんしゃく玉。
おなじみのそれを爆発させて、煙幕を張る。王の攻撃は空を切り、リブレはリノの傍に駆け寄った。
彼女は座り込んでいた。無理もない。抱えたほうが早いと判断して、リブレはリノを横抱きに抱えた。
「全力疾走するから――しっかり、つかまっててね、リノ」
「うん……」
リノがしがみついたのを確認するが早いか、リブレは全力でその場を逃げ出した。グランの後を追って、通路に飛び込む。
先頭を行くアイは、グランの炎の魔法の残滓を身にまといながら走っていた。炎が巻き付いた槍は弾丸のようで、進む方向を照らす閃光となっていた。
それ目指して、駆ける。吹き散らされる熱が、洞窟の空気をかき乱す。
だんだんと光が大きくなって――その光に飛び込んだとき、洞窟はすでに、終わっていた。
振り返れば、遠くに青い輝きを放つ鎧が見えた。洞窟の深淵から、王は侵入者たちを追ってきて――
「あばよ」
グランがそう言い放って、炎を放った。洞窟の天井に当たったそれは爆発して、土砂が入口をふさいだ。
△▼△
「た、助かった……」
リブレはそう言って、その場にへたり込んだ。
怖かった。これだから、モンスターと戦うのは嫌なんだ。
抱えていたリノを見る。ぼんやりと自分を見ていた彼女は、はっと我に返って自分から離れていった。
それがちょっと残念な気がしたが、ともかく、みんな無事でよかった。へたりこんだままでいると、グランが言った。
「あーあ。今日はもう、つっかれたなあ。帰って一杯やろうぜ」
「さ、賛成……」
リブレは言った。帰りたい。『ルーザーズ・キッチン』へ。そこでエールでも飲んで、今日のことは忘れてしまうのが一番だ。
さすがのリノも、これ以上クエストを続けようとは言わないだろう。こんなひどい目にあったのだ。彼女も少しは懲りて、もっと地道なクエストをやったほうがいい。例えば、薬草集めとか。
リノが「ま、まあ、そうね。疲れたわね。今日はもう帰りましょう」と言った。少し手足の動きがぎこちない気がする。どこか怪我したのだろうか?
「リノ、大丈夫?」
「だ、大丈夫よ。誰かさんに運んでもらったおかげで、なんともないわ」
「そう。ならよかった」
その返事に安心して、笑う。するとなぜかリノが顔をそらし、グランに食って掛かった。
「グラン! あんたねえ! いくらなんでも、あれはないでしょう!」
「いいじゃねえか。おかげで、ちょっといい思いできたろ?」
「んなっ……!」
グランのニヤニヤ笑いに、リノが絶句した。しばらく固まっていた彼女は、「もう! 帰るわよ!!」と叫び、ずんずんと進んで行ってしまった。
「ま、待ってよ」
リブレはリノを追いかけた。この平原だって、モンスターは出るのだ。一人で行ってしまったら危ないではないか。
「リノ、危ないよ。ひとりで先に行って、またモンスターに襲われたらどうするんだよ」
「……そのときはさっきみたいに、リブレが助けてくれればいいじゃない」
立ち止まって言うリノの背中に、リブレは言った。
「嫌だよ! もうあんなの、絶対にやりたくないよ!」
「……」
リノは少し沈黙して、振り返ることなく再び歩き出した。
「え!? ちょ、待ってよ!?」
「いや」
リノはそう言って、スタスタと早足で歩いた。
後ろからリブレが追いかけてくる気配がする。それに少しだけ笑いながら、リノはつぶやいた。
「……その日暮らしの冒険者でも、たまにはいいことがあるものね」
△▼△
リノとリブレの後を、グランとアイは歩いていた。
「はあ。リノじゃないけど、これだけ動いて収穫ゼロっていうのは、ちょっときついねえ」
アイが言った。彼女は炎の中を走っていたため、鎧があちこちすすけている。
ま、あれはあれで楽しかったけどね。そう言って肩をすくめると、グランがなにか小さな青い塊を指ではじいたのが見えた。
なんだろうと思ってよく見れば、それは青バルーンの魔石だった。あれだけ倒したのだから確かに、ひとつくらい落ちていても不思議ではないが。
いつの間に。抜け目のなさに感心していると、グランはニヤリと笑った。
「あーあ。今日の収穫はこれだけかよ。まったく、シケたもんだぜ」
「なんかその青いの見てると、あの鎧を思い出すね……」
青バルーンの王の姿が脳裏によぎって、アイは苦い顔をした。回避主体で立ち回っていたからいいようなものの、一歩間違えればただでは済まなかった。
いつかあいつを倒せる日は、来るのだろうか。そう考えていると、グランが言った。
「知らねえよ。こんなもんさっさと売っちまおうぜ。エール一杯分くらいの価値はあるだろ」
「違いないね」
あまりにいつも通りのグランに、アイは笑った。そうだ。遠い未来のことなんて知らない。
今はただ、今日の酒のことだけを考えよう。あたしは『ルーザーズ・キッチン』でミストを飲むのだ。誰にも邪魔はさせない。
酒を飲んで、ぐっすり眠ろう。そうしたら冒険の日々は、明日も続くのだ。
透き通る青い結晶が、グランの指にはじかれた。それは日の光を受け、きらりと光った。