6.
「下がれ、無礼者!」
焚き火の爆ぜる音を掻き消すような大声が響く。
アウリスは今まさに米を注ごうとしていた手を止めた。給仕中の今、アウリスの手前には料理の鍋が並べられ、その向こう側には人々が我先にと集まっている。夕食の列ははじめよりずいぶんと短くなっていて、そうして見えるようになった最後尾では、二人の皮ベストを纏う少年たちが、何やら言い争いをはじめていた。
「列を乱すとは何事か! よもや、ここにおわすのがアティレットの御仁であると知っての狼藉ではあるまいな!」
「いやおまえよ、今なんつった? もっとわかる言葉でしゃべってくれねえと」
一人が失笑すれば、列の方にも笑いが伝染した。辱められたと感じたのだろうか、喧嘩相手の方が何の前触れもなく木刀を抜いた。
アウリスは思わずお玉を投げ出していた。好奇心に身を乗り出せば、ちょうど挑戦された方の少年が、大袈裟な動作で両手を挙げたところだった。もう片方は剣を振りかざしたまま、相手の顔に刀身の先を絞っている。
「下賤の者の脳みそでは理解できんのか。横入りをするな、と言ってるんだ」
「知らねえなぁ、俺はさっきからここで並んでたんだが?」
「貴様! これ以上愚弄する気なら……」
少年がまさに剣をふりかぶらんとしたとき、唐突にその頭にぼっくりが当たった。面食らった風に彼が辺りを見回す間に、一つ、また一つと、石とぼっくりが混ざって投げつけられる。
唖然とアウリスは騒ぎを注視した。石投げは火に薪をくべるような勢いがついていて、四方で食事をする少年たちだけではなく、列の方からも次から次へ飛ばされていく。
標的の少年が堪らないという風に頭を手で庇い、その場にしゃがみこんだ。
アウリスは目を細めた。そのときになり、少年の背後に影のように佇む三人目の姿が、初めて目に飛び込んできたのだ。
「あーあ、またやってるよ」
アウリスの隣で、肉だんごが知っている風に呟いた。
「うるさいんだよな、あの二人。というか、セツがさ」
「セツ?」
「剣を抜いたバカの方だよ。あいつはアルヴィーンの従者気取りだからさ。ほら、後ろで何も言わない奴がいるだろ? あっちがアルヴィーン。セツはアルヴィーンの家の使用人だったんだってさ」
「……アルヴィーン」
「ま、どうせここに来る前の話だけどな」
肉だんごが吐き捨てるように言った。アウリスは何気なくその名を口の中で転がすのをくりかえした。
(従者がいるってことは、貴族なのかな)
興味の沸くままに視線を向けると、問題の少年は、石投げの的よろしく棒立ちになっている。セツのように叫ぶでもなく、しゃがむでもない。石が飛んでくると、ハエを散らすときのように叩き落とすのをくりかえしているだけだ。
「ほら、とっとと列に並べ!」
調子に乗った喧嘩相手の少年が、セツに向かって手を伸ばしたときだった。それまで機械的に石を払うのみだったアルヴィーンが、彼の手を掴んだ。
「……あ? やんのかよ、アルヴィーン」
相手の少年はやや引け腰になっていた。ここにきて急にやる気をだされるとは思いもしなかったのかもしれない。アルヴィーンは彼のこわばった顔を一瞥すると、あいた手でセツの肩を掴み無理やり立たせた。
アルヴィーンが離れれば、喧嘩相手の少年は一歩、二歩と列の方に後ずさりをした。その頃には石投げは止んでいて、周囲では興味を失ったかに食事が再開されていた。
「おい」
不機嫌な声に、アウリスは我に返ってお玉を取った。正面の少年が翳す椀に、米をよそう。
「もうちょっとくれよ」
「だめです。一人一杯って、決まってるから」
少年はアウリスの返事に不満そうな顔をしたが、しぶしぶ列を進んだ。アウリスの正面にはすぐに次の少年が立ち、アウリスは米を注ぐ。鍋のこちら側に立って間もなくわかったことだが、こうしてわざわざ給仕係りがつくのは、食いはぐれる者を出さない為だろう。料理を放置しようものならば、出来た食事はきっと数分でなくなってしまって、とても全員には行き渡らないのだ。
「あの二人、列の最後になったみたいだよ」
鍋の向こう側に身を乗り出した肉だんごが報告した。
「邪魔です、肉だんご」
アウリスは何より先に手を伸ばし、目の前を塞ぐ堂々とした背中の服を掴み、引き戻した。それからちらと列の後尾を気にしてみる。けれど問題の二人は見えない。石はもう飛んでないようだから、あれで片はついたのだろう。
「むだに威張ってるからだよ。感じ悪い」
「アティレット、ってセツが言ってましたよね。アルヴィーンの出自の家名ですか?」
「どっかの弱小貴族の家だろ? 知らないよ」
アウリスは、家庭教師によってジークリンデ領内の貴族家の名前を全て叩き込まれていた。けれど、アティレットという名前は知らない。別の領の出自なのだろうか。それとも、家庭教師に習わないくらい、弱小の貴族家なのかもしれない。
考えていると、肉だんごが更に気にかかることを言った。
「貴族たって片親だろ、アルヴィーンは」
「片親?」
「そう。親父がはっちゃけてさ、よそで作ってきた子供ってこと」
兄と同じだ。アウリスの顔がこわばったのを勘違いしたのか、肉だんごはとても丁寧に説明をはじめた。
「片親にはろくな奴がいないんだ。うちの母さんが言ってたよ。母親の顔も知らない、薄情者なんだ。親父のわがままで家に置かれても傍迷惑なだけ。けっきょくは煙たがられて、最後はキツネ狩りみたいに追っ払われるだけぁてててっ、痛て! 何するんだよ、アウリス! どけって!」
アウリスがすまし顔で足をどけると、肉だんごはその場にしゃがみ、大袈裟なくらいに踏まれた靴のつま先をさすった。
「なに怒ってんだよ。アルヴィーンと知り合いでもないくせに」
「べつに」
「なんだよそれ。意味わからねえ」
そっぽを向いたままのアウリスに肉だんごはため息をつき、それから気をとりなおすように立ちあがった。
「けど僕、前から不思議だったんだよな。片親って逆はどうなんだろう。母親がよそで子供を作ったら、その子はなんて呼ばれるんだろ。聞いたことある?」
「さあ」
アウリスはそっけなく答えた。あまりに空気を読まない肉だんごに呆れたからだが、内心では、漠然とした理解はあった。
女の不貞は男のそれより問題視される。アウリスには男女のつぶさの知識がないから、よくわからないが、妻がよその子を身ごもった場合、子に家名を継がせないどころの騒ぎではないだろう。子供は殺されるか、母親ともども家から追い出されてしまうかもしれない。
「というか、気づかれないんじゃないですか。同じおなかから生まれるわけだし」
「あ、そっか。便利だなあ」
なにやら感心した声で肉だんごが言ったとき、お鍋の向こう側で怒鳴り声が返った。
「おまえたち! 食事中になんて下世話な話をしている! 給仕係りはさっさと手だけを動かしてればいいんだ!」
その長々とした説教の間に二人でふりむくと、いつしか列は縮まりきっていて、最後尾のセツがすぐそこにいた。セツは茶髪を揺らして腕を組み、全身で不機嫌を体現している。さっき喧嘩に負けたことがまだ悔しいのだろうか。
視線で射殺されかねない様子に、アウリスは慌ててお鍋の中身をよそおうとした。そこでふと手を止めた。そのまま、目線のみをそろりと前にやる。
「あ」
アルヴィーンはずっと同じ体勢で椀を翳していた。小指の先ほども動かない。セツが次の番だったら、その前はアルヴィーンのはずだと思いあたってやっと、正面に誰かが立っていたことにアウリスが気づいたというくらいだ。
あまりに静かな相手を前に、アウリスは知らずと同じ体勢のままで固まっていた。アルヴィーンはとても背が高くて、こうして見ていると首が痛くなるほどだ。その髪は豊かな亜麻色で、前からは見えないけれど、どうやらうなじで緩く一つに束ねてあるようだ。
(……ほんとうなのかな、片親って)
色彩鮮やかな少年をアウリスは注視した。彼は鋭利な面立ちをしているけれど、そんな印象を裏切るかに、どこかボンヤリ目線を伏せたままだ。
(さっきからずっと下向いてる。眠いのかな?)
少年が静かすぎるから、彼のことを人形相手みたいに感じたのかもしれない。アウリスは遠慮なく身を乗り出して彼の顔を覗こうとしたが、そのとき、ふいに相手の琥珀色の瞳が動いた。視線がまっこうから出会い、アウリスは思わず息をのんだ。
お面のように表情の抜けたまま、アルヴィーンは椀を差し伸べた。
「飯を」
「は、はい」
アウリスは大急ぎで米をよそった。
「ありがとう」
静かにそう告げた相手は、あとは一瞥をくれることなく去っていく。アウリスは遅れて我に返って、慌ててその背中に声を返した。
「どういたしまして!」
「おい! うるさいぞ!」
(うるさいのはそっちでしょう)
すかさず鍋を叩かれ、アウリスは木刀の持ち主を睨んだ。
「さっさと注げ」
ふん、とセツが顎を逸らした。アウリスは無造作に掬った米を彼の椀の中に落とした。このひとにだけ少なくしてやろうかと一瞬真面目に迷ったけれど、彼の手元をみたときに、どうやら他の給仕係りたちが同じことをやっていたことに気づいた。嫌な奴だけどごはんは大事だ。
それに、このセツで列は最後だった。やっと、じぶんが食事にありつける。セツが大股で去っていくのを尻目に、アウリスは機嫌をなおすことにした。
「肉だんご、お椀」
肉だんごが準備よく左右の手に椀をかざした。アウリスは鍋の底を漁れるだけ漁ると、お玉一杯半づつ米をよそった。おかずをもらってくるように肉だんごに頼む。
「自分はお鍋を洗い場に持っていきます」
よっこいしょ、と両手で大きなお鍋を持ち上げようとしたら、隣の給仕係りが声をかけてきた。
「いいよ。俺がやっとく。おまえはよく働いたから、先に飯行け」
「え? いいんですか?」
「あと、これな」
親切すぎる給仕係りは、さらにおかずの鍋を傾けて、残っていたニンジンとキノコのソースをアウリスたちの椀にかけてくれた。給仕を手伝うと、こういうおまけがあるらしい。
アウリスは機嫌がずいぶん上向きになって、給仕係りにお礼を言うと、肉だんごとあわただしく給仕場を後にした。
「アウリス、いつもどこで座ってんだ?」
次に向かった水場で、焚き火の上で濾した水を見つけ、二人分の水筒に注いでいると、肉だんごが聞いてきた。アウリスは少し迷ってから答えた。
「アルヴィーンを探します」
「えっ、は? なんで?」
「なんとなく」
アウリスは曖昧に返事をしたが、一緒に食事をとるような友達はいなかった。ふだんは、飯炊き係りの子供たちと集まって食べるけれど、あまり会話はしない。だから、一人で食べているようなものだった。
だけどべつに気にしてない。ずっとここにいるわけじゃないし。じぶんには、他に帰る場所があるのだから。
そんな風に、アウリスは食事の間だけではなく、事あるごとにじぶんに言いきかせていた。他の子供たちのように、一緒に手洗いや水場に行けないのもあって、ここの雰囲気にはまだまだ慣れることがない。
「なんだよそれ。薄情な片親野郎に媚びたって得しないよ。セツ二号にでもなるつもりか?」
その言葉にアウリスがふりむくと、肉だんごは口を噤んだ。後ずさる肉だんごのベルトに、問答無用で水筒を提げたアウリスは、続いて彼から椀を一つむしり取った。
「さようなら」
「おい! 待てって、なに、セツ二号のこと? 冗談だよ」
「ついてこないでください」
「待てよ!」
それきりむっつり黙り込み、浅瀬に向かっていくアウリスの横へと、肉だんごが転がるように坂を下りていった。