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そのときには灰の月を  作者: しろてん
灰の鳥かご
2/20

2.


 川べりの木々のてっぺんをまっすぐ日の出の方角に見上げると、そこには何の前触れもなく、あまりに黒く、大きな石の壁が聳えている。てっぺん近くには、アウリスの身長を半径にしたような綺麗な円い穴が二つ、開いているのが見えた。

 石を積む段階でどうやって穴を作ったんだろう。なんのためにあるのかもわからない。はじめてここで目を覚ました日に、そのことを飯炊きのお婆に聞いてみたけれど、彼女にもわからないと言われた。お婆の代よりもずっと古いときに作られたものらしい。

(あのへん登りがいがありそうだなあ)

 アウリスは、ここ三日でやっとわかってきた道筋をのっそり重い足で歩いていた。肩の後ろには一本の木工の棒を担いでいて、その左右には満タンの桶が一つづつ提げてある。上流で汲んだ新鮮な水を、下流の方にある飯炊き場へ運ぶ。それがこの時間の彼女の仕事だ。

 あかあかと燃える焚き火の照らす河原では、昼食時が近くなって集まってきた少年たちが、乾いた土や切り株の辺りで思い思いのことをしている。彼らは一様に砂っぽい色の衣服を纏い、その上から皮製の裾の長いベストを羽織っていて、腰には同じ皮のベルトを巻いている。その腰には、アウリスには渡される事のなかった木工の剣が下がっていた。

 アウリスは遠くの石壁を眺めるのに上を向いて歩いていたが、担いでいる物に何かがあたった衝撃で思わず転びかけた。

「っわ!」

 慌ててその場に踏ん張れば、今度は横につんのめった。担いでいた棒を側で取り上げられたのだ。肩が軽くなった……、と思ったときには、アウリスは地面に尻もちをついていた。

「うわ、こいつほんとにこけやがった」

「何やってんだ、新入り!」

 覚えのない怒鳴り声がかかる。それにアウリスが顔を上げると、四人の少年たちが行く手を阻むように立っていた。みんな知らない子たちだ。

 唖然とするアウリスに、少年の一人が奪った棒を放ってよこした。アウリスはとっさに手を伸ばしたけれど、桶棒は彼女の二歩程手前に沈む。

 転がった桶から水が流れていく。アウリスは服が濡れてはかなわないと避けるようにして立ち上がり、遅れて正面の少年を睨んだ。

「なにする……っか!」

 なにするの、と言いかけ、慌てて改める。猫じゃらしとの約束で、じぶんの性別を偽らなければならなくなったのだった。アウリスには男の子のふりをしなければならない理由はぜんぜんわからない。今度、猫じゃらしが帰ってきたら聞いてみることになっている。

 一方、そんな事情を知らない少年たちはバカにした顔になった。

「何こいつ。訓練所に出てこねえから腑抜け野郎だと思ってたが、言葉もしゃべれねえのか」

「知恵遅れかよ」

「知恵遅れじゃない!」

「じゃあ名前は?」

 アウリスは聞き返されてまごついた。

「ぁ……アウリス」

「アウリス。それだけか。姓は?」

「苗字。ねえのか?」

 少年たちがかわるがわる聞く。アウリスはムスッと口を噤んだ。じぶんの出自を知られてはいけない。ジークリンデ家の家名は何があっても出してはいけない。それらのことも、猫じゃらしにしつこくさせられた約束事なのだ。

 アウリスは戸惑いに河原の周囲を見回す。この施設に預けられてからまだ三日で、彼女にはあまり顔見知りがいなかった。そこへ何の前触れもなく、同年代か、それより年上の男の子たちに囲まれるなんて、当然、理由に身に覚えはない。

「……何の用」

 怯えを隠す為にぶっきらぼうに聞いたアウリスに、一人の少年が踏みだした。健康的に日焼けした面立ちは幼さを荒削りしたような感じで、だいたい十五歳くらいだろうか。逃げ腰になるアウリスに構わず、少年は少し先に落ちていた棒を拾った。

「おまえ、猫じゃらしの馬で四日前の夜に入ってきた奴だろ」

 少年はまだひっかかっていた桶を投げ捨てると、棒の先端をアウリスに向けた。くい、と顎を持ち上げられて、アウリスは警戒に身を固くする。

「だからなに」

「女みてぇな言葉使ってんじゃねぇよ」

「じ、じぶんは女じゃな」

 言い返そうとすると、顎の下をコツ、と叩かれる。先端の固さが薄い肌に沈んで、嫌な汗を覚えた。

(わたし何かした?)

 この子たちに嫌われるようなことをしただろうか。けれど、ほんとうに見たことのない集まりなのだ。アウリスが困惑に動けないでいるうちに、少年たちは脅しの輪をどんどん縮めていく。

「おまえは新入りだから知らねぇんだろ。ちょっと辺りを見てみな。ここは傭兵団、黒炭の北境の訓練所だ。入った初日から、そいつは『黒炭』の一員だ。剣と弓の使い手になるために訓練を始める」

「俺は去年の夏のはじめに来た。それからずっとだ、朝から晩まで体を鍛えて戦に備えてんだ」

「そりゃあ厳しい訓練だよ。見なよ、朝練だけでこんなに汗だくだ」

「汗だくは体型のせいでしょう」

「どっ、どういう意味だよ!」

 アウリスはふんと鼻を鳴らした。彼女の言葉で真面目に険悪な空気になりかけたとき、アウリスと肉だんご体型の少年の間を割るように、桶棒が風を鳴らした。

「アウリス。おまえ年は」

 アウリスは棒の持ち主を上目づかいに睨んだ。

「十歳」

 ほんとうは十二だけど、とアウリスは不満げに内で漏らす。十歳の少年設定は当然猫じゃらしに与えられたものだ。ほんとうに、あの男はどうしてじぶんにこんなことをさせるのだろう。

 棒を持つ少年が前髪越しにアウリスを見下ろした。その双眸は、河原の円い石みたいに黒くて艶のない、冷たい色だった。金に近い朱金の髪の蔭になって、より感情がわかりにくくなっているそれらを、アウリスは逃げ出したいのを堪えて、まっすぐ見つめる。

「おまえは何で剣を握らない」

 アウリスは言葉につまった。

「ここではみんな剣を握ってる。飯炊きの手伝いをしてる奴でも、だ。若いんだと、おまえより年下の九つの子供だってだ」

「知ってるよ」

「いや知らねえだろ、おまえは」

「訓練に出てこねえじゃん。一回も剣を握ったことのねえ臆病者にはわからねえよ」

 アウリスは眉をひそめた。彼女の動揺が伝わったせいか、少年たちの口調は底意地の悪さに磨きがかかったようだ。

 どうやら、男の子たちは単純に暇で苛める相手を探していたようだ。べつにじぶんではなくても良かったのかもしれない。けれど、少年たちの言葉は棘のようにアウリスの心に引っかかった。

 三日前に目を覚ましたとき、アウリスは飯炊き係のお婆の元で働くことに決まっていた。もちろん、ご飯時以外での仕事もたくさんある。傭兵見習いたちの、装備の手入れを手伝ったり。道を整えたり、かがり火の番を手伝ったり。今男の子たちの着ている訓練用のベストを洗うのだって、日課の一つだ。

 もともと体を動かすのが好きだから、仕事そのものは辛くはない。けれど、この五十人ほどの集まりの中で、じぶん一人だけが訓練にまったく出ていないことには、アウリスも気づいていた。

(ベストを見せびらかして。剣だってただの木で出来たやつじゃん)

 考えれば考えるほど、アウリスの悔しさは加速する。そうしてやるせなさに気が散ってしまって、アウリスは近づく気配に反応するのが遅れた。

「何とか言えよ。ほら」

 髪の長いその子に踏みだした勢いで押され、アウリスはなすすべもなく地面に尻もちをついた。乾いた砂が巻きあがる。

「あれ? おかしいな。そんな力入ってねぇぞ」

 男の子が意地悪く驚いた風にじぶんの両手を見た。周りが火の点いたように笑いだす。

 アウリスは尻もちをついたまま、身を捩って笑い悶えている少年たちを呆然と見回した。ここまでバカにされたのは生まれて初めてだった。

 体に怒りが灯る。跳ねるように起き上がり、手近な切り株に駆けた。そこには、一本の木刀が立てかけてあった。持ち主のわからないそれを握り、両手で絞ると、アウリスは振り返りざまに斬りかかっていった。

「えっ?」

 おかしなことに、少年たちは一人として動かなかった。まさかと思ったのだろう。おかげで、目に見えて多勢に無勢なアウリスにも、存分に標的を狙う余裕があった。アウリスはじぶんを突き飛ばした相手の胴体に斜めに斬り込んだ。いくら皮製のベストだからって、ぜんぶの勢いは吸収できないだろう。

 案の定、少年は痛そうに肩に手をあてて崩れた。彼が地面に膝をつくやいなや、隣の肉だんごが意外な身軽さで逃げだす。とは言え、軽量のこちらとではバネがちがう。アウリスは五歩もいかずに追いついて、少年の膝の裏に見事一撃をくらわせた。

 肉だんごが地面に転がると、今までになかった量の砂が舞い上がった。ちょっとした爆発みたいだ。

 空気が汚れた向こうでは、別の少年がやっと思いついたかに切り株の方へ駆けていく。アウリスは片手を離して剣筋の届く範囲を広げた。アウリスの切っ先が、今にも木工の剣を取ろうとしている少年の手首を打った。

「おい!」

 そこで、何かが顎の下に入った。その固さが柔らかい肌を沈め、喉の方まで圧迫する。息苦しさに暴れるアウリスだが、後ろにいる相手は彼女を逃がさない。代わりのように、アウリスの首の前に回された桶棒が思いきり引かれる。

「っ」

 アウリスは剣をふり回した。が、相手との力差は歴然だ。そのうえ、斜め後ろという角度で引かれているため、身長差の分だけつま先立ちにさせられる体勢になり、身動きがままならない。息が切れ、何がなんだかわからずに涙が滲む。

 身を捩るアウリスの火照った顔を、後ろにいる少年が見下ろした。

「木刀から手を離せ」

 アウリスは必死に首を横に振る。後ろに回した手が少年の服の半袖を見つけた。それを握り、ついでに少年の腕に爪を立たせ、どうにか距離を離れられないものかと暴れる。

 アウリスの抵抗を眺めていた少年は、その漆黒の瞳を細めた。それから頭を低くすると、少女の耳の側に唇を寄せてフッと息を吹きかけた。

「わひゃぁ」

 思わぬところに刺激を受けたアウリスから奇声が上がった。

 アウリスはその場にしゃがみこんだ。木刀を捨て、赤い耳を隠す。

「なっ、なな」

「あ?」

「気持ち悪い……!」

 アウリスは射殺す目で睨んだ。少年の方は桶棒の先を見るともなく見るような気の抜けた表情をしていたが、アウリスの告発に眉をしかめた。

「おまえ、ほんとうに女みてぇな奴だな。気持ち悪ぃ」

「気持ち悪!」

「てめえがな」

「気持ち悪!」

 少年の目つきが悪化すると、アウリスは負けじと睨んだ。その彼女の円い後頭部に、前触れもなく飛んできたお玉があたった。

「いたっ」

「なにやってんだ、クソガキ共!」

 アウリスの呻きを押し流し、それこそお玉が鍋の中に落ちたときのような派手ながなり声がかかった。

 少年たちの顔色が変わる。アウリスが声の主を探していると、骨と皮だけの手が伸びてきて彼女の肩を掴んだ。

「いたっ」

「痛、じゃないバカ垂れが! あんたが油を売ってるうちに飯が炊けちまったよ!」

 無理やり足を立たせられ、アウリスは顔を歪めた。じぶんの肩を掴む相手を見上げれば、そこにいるのは、アウリスと変わらない背丈の小柄な老婆だった。ゆったりした紺色の上衣で平たい肩を覆っており、手拭い代わりのように分厚い布で襟首を暖めている。これで上衣が黒かったら、童話の魔女そのものの姿だろう。

「あんたらも! 飯抜きにされたいんか!?」

 飯炊きのお婆がここぞとばかりに怒鳴りつけると、少年たちは静かになった。日の出からの「厳しい訓練」とやらで空っぽの腹に、その脅しはひどく響くのだろう。

 二人の少年たちは、アウリスの剣筋からまだ立ち直っていないのか、痛そうに屈んで腕や膝をさすっていた。肉だんごも尻もちをついたままだ。潮の引くように静かになった場では、一番年長らしき、あの朱金の髪の少年までもが不気味なくらい黙り込んでいた。わざとらしくよそを見ている彼の手元を見て、アウリスは驚愕した。桶棒がない。

(いつの間に捨てたんだろ。すばやい)

 少年たちが仕事を妨害したという、確固とした証拠がなくなってしまった。そもそも、最初に棒を奪ってけんかを売ってきたのは彼らなのに。この場を見る限り、それは第三者にはわからないかもしれない。

 苦々しい思いをこめ、アウリスはもう一度朱金の髪の少年を睨みつけた。そっちへ仁王立ちになろうとしたら、お婆にむりやり引き戻される。

「まったく。目を離せばすぐにサボりやがって」

「さ、さぼってない」

「うるさい! さっさと桶をひろいな!」

 拾ったお玉で頭を小突かれ、アウリスはしぶしぶ口を噤んだ。集まっている少年たちを押し退けていくお婆に遅れ、アウリスはムスッとした顔で、担いだ棒の先に桶を揺らしていった。


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