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そのときには灰の月を  作者: しろてん
灰の鳥かご
19/20

19.


 『星の宿』って御伽噺を知ってる?

 少年がこっそり内緒話をするみたいに言うと、少女は不思議そうに首を傾げた。

 二人で隣同士に座る木の下には青い芝生が敷かれていて、柔らかな陽射しが霧のように降っている。緑色の葉っぱが木漏れ日の中へ舞うたびに少女はうっとりと目を向けていた。

 ふと少年が片手を翳した。白い手袋を嵌めた手は遠い遠い青空の方へ伸びていく。

 俺は生まれながらの次代の王だ。

 少年はそう言って笑った。その笑顔が少女は大好きで、彼の話がよくわからないまま笑った。

 母親ゆずりの美しい黒髪。父親ゆずりの青より青い瞳。美しくてかしこいこの子と、これからもずっと一緒にいたい。

 少女はそう思って、そっと少年に耳打ちした。

 王子さま、王子さま。

 だったらわたしもあなたに約束します。

 そのときには。

 そのときには、ジークリンデの百の羊を……。






 服をもういちど身に付け、毛布に包まって震えていると、なぜか窓辺に肉だんごが現れた。

 なぜ泥んこなのか。いや、それ以前に木登り男子の体型でもないのに無理していないだろうか。

 肉だんごは猫じゃらしの寝室を見渡すだけで部屋には入らず、だいじょうぶ、と聞いた。アウリスは答えにまごついた。

 肉だんごはひとりでしゃべりだした。

 一時間半程前、騎士団は完全に山を降りたという。送迎に出ていた少年たちの合図ののろしがふもとで上がったらしい。確かに遠くで何か大きな音がしていたような気がする。あれがのろしだったのかもしれない。

 肉だんごの後ろの空は既に明るみはじめていて、まだ朝ではないけれど、日の出を予兆する練乳色の霧が立ち込めていた。

 騎士団たちも視野がきくようになってホッとしていることだろう。それは送り役の少年達も同じだ。まったく人騒がせな馬鹿野郎達だと猫じゃらしはぼやいていた。まったくそのとおり、任務の為とは言え、足元の見えない夜の山をよく登ってくる気になったものだ。

 猫じゃらしは多分最初から気づいていたのだろう。騎士団は八人組みだったが、実は後ろの林にはもっと大勢が潜んでいたそうだ。山ふもと側を警備していたアルヴィーンたちが気づかないくらい巧妙に身を隠していた。

 そうして小細工をして、闇に身を潜めながら、必要ならば襲ってくるつもりだったのだろう。もしや施設の者を皆殺しにする手はずだったのかもしれない。

 けれど、アウリエッタがここにいないのを知り、速やかに撤退した。

 ここは今や、騎士団の名簿帳から外された。線を引かれた。彼らが戻ってくることはきっと、もうないだろう。

 そして今晩も、騎士団はまた別の「それらしい」組織の門を叩くのだろう。

 毛布にくるまりながら、アウリスは肉だんごの姿を見つめる。

 火事、だいじょうぶだった?

 そう聞いたら、肉だんごは驚いた顔をした。

 まだ夜の深かった頃、アルヴィーンと一緒に物陰に隠れていたじぶんの元にお婆が迎えに来たとき、彼女は川原の方で火事があったと言っていた。肉だんごは今晩、ちょうどそのあたりの見張りをしていたはずだ。

 怪我、しなかった?

 囁くように聞いたアウリスに、肉だんごは何も言わずに見つめてきた。

 心配げな視線。

 ああ、そうか。

 アウリスは思う。いつもそうだった。意外と他人の心の機微に鋭いのだ、肉だんごは。何も言わなくたって、わたしが落ち込んでるのがわかるんだ。

 ひとりで石の壁をよじ登り、てっぺんで膝を抱えていた日々。

 気づいたらいつも、地上では肉だんごが呼んでいた。 

 アウリスはふと寝台から立ち上がった。そっと窓辺の隣に座る。

 芯まで冷たくなった体を抱きながら、それでも今夜ひとつ、じぶんの中で謎がとけた。

 事情を知らない肉だんごには何も話せない。だけど、こうして一緒にいてくれるだけでほんの少し、落ち込む気持ちは紛れるのだった。

 肉だんごはアウリスの元気のない様子を見て、いつもよりおしゃべりだった。

 僕、朝ごはんの飯炊き手伝えないんだ。だから代わりに木の実、拾って煎てくれる?

 肉だんごが至極真剣な顔で言うので、アウリスは思わず笑っていた。

 そうしてどのくらい過ごしていただろう。唐突に部屋の扉が開き、お婆が入ってきた。

「あんた!」

「ひいっ」

「姿が見えないと思ったらこんな所で油売ってたのかい! 下で教官らが鬼みたいな形相になって探してるよ!」

「お、鬼みたいな……」

「さあお行き肉だんご!」

「に、く……? おいアウリス!」

「うん?」

「アウリスが変な名前で呼ぶから他の人まで呼ぶようになっただろ! もうやめろよ!」

「わかりましたから行って下さい、肉だんご」

「だからやめろよおぉ!」

「わたしはだいじょうぶです肉だんご。ありがとう肉だんご」

 肉だんごはぎゃあぎゃあ喚いていたが、お婆が窓の前まで突進してくるとムササビのような俊敏さで樹木を降りていった。最後の方で足を踏み外し、「ぎゃっ」と地面に背中から転がっている。

「ふん。人間、無理はするもんじゃないねえ」

「背中に天然のクッションがあるから大丈夫でしょう」

 けろっと返したが、アウリスも他人事ではなかった。ここ一ヶ月ほどで、この施設の木という木は大破している。いや、全部というのは言いすぎかもしれないけれど、建物の周りに植えられている木は最低一回登ったことがあって、この客室の前のは一度落ちて失敗しているのだ。

 ふとお婆が隣で窓枠にもたれた。

「今日はみんな、寝不足だねえ」

「え? 寝に戻らないの?」

「今更寝てどうするよ。あと一時間もすりゃあ飯炊きがはじまるさ」

「え……もうそんな時間……」

 驚き、今初めてのように木枝の模様の向こうに浮かぶ空を仰いだ。

 施設を抜け出そうとしたのは昨夜のこと。すでに日付は変わっていた。夜の間に武器庫では罪人たちに会い、騎士団の奇襲にあい、その騎士団を騙くらかして追い返したりして、散々立ち回っているうちに夜は明け始めていた。

 長く、長く感じた夜はほんとうに長くなっていたわけではない。夜は長くなったりしない。

 そして、いつもと同じに朝がくる。

「そうだ。武器庫の方は……?」

 お婆を振り返って聞こうとしたとき、開いたままの戸口に人影が差した。

「あ、アルヴィーン……」

 グレイの半袖シャツを纏う少年の姿を見て、とくんと鼓動がひとつ跳ねる。

 言葉が出てこなかった。急に頭が真っ白になって、アウリスは気づくと窓から身を乗りだしていた。

 ダン、と勢いよく床を蹴る音が背後で響く。間を入れずに背中の服がうなじの辺りで掴まれた。

「っゃ」

「嫌?」

 アウリスはひやりとした。機嫌の悪さを隠そうともしない、少年の低い声に気圧されて、おそるおそる目だけで振り返った。

 そこには、夕焼け色の髪の背の高い少年が立っていた。思わず息を呑むくらいに冷たい目をして、真っ直ぐにアウリスを見下ろしている。反射的にアウリスが身を強張らせると、アルヴィーンは何も言わずに目を細めた。そのまま彼女の首根っこを掴んでウサギか何かのように床から持ち上げた。

「ひゃぁああ!?」

「何故逃げる」

「放して! い、嫌!」

「後で様子を見に来ると言った。何があった?」

 アウリスは青褪めてジタバタした。どうしてこんなに戸惑うのかじぶんでもわからない。それでいっそう戸惑う。

 でも、アルヴィーンに顔を見られたくない。今すぐ消えてしまいたい。

「は、放して!」

「放さない」

「放して!」

「放さない。何があった。言うまでは手を放さない」

 ぐい、と片手でうなじを引き寄せられて、耳に吐息がかかった。

「きゃああ!?」

 ひどい悲鳴を上げてうずくまりそうになったが、アルヴィーンの手がそれを許さない。

(な、なんか泣きたい)

 アウリスの顔に熱い血液が集まる。ほんとうに涙が出そうだった。

 混乱して、やたらめったら喚いていたら、ふと傍で大きなため息がした。

「ったく仕様がないねえ。寝不足だっつのに静かにしないかい。頭に響いて堪らんよ」

 お婆はわざとらしく欠伸した。

「可愛げのねえ大人びたガキだと思ってたが、ガキはガキさな。ええ? アルヴィーン。こんなときに押すことしか脳にねえんだからな。ごらん、女の子は怯えて逃げちまうよ」

「……」

「放しておやり。あんた、アウリスが心配で来たんだろう」

 アルヴィーンはアウリスのつむじを見下ろした。宙吊りのまま震えている彼女に気づいたのか、どこか考え込むように黙り込んだあと、結局そのまま手を放した。

 アウリスは思わずこけそうになりながらお婆に飛びついた。縋りつく彼女をお婆はうろんと見る。

「あんたはあんたで何のつもりだい、この腑抜け」

「痛っ」

 お婆のでこピンが見事にアウリスの額の真ん中に決まった。 

「何だい、その乙女臭え反応は。ああ痒い痒い。どいつもこいつもいい加減にしさらせ、いつまでも辛気臭い顔しやがって」

「お、お婆……」

 アウリスがへたりこんだまま見上げるのに、面倒くさそうにお婆は眉をひそめた。

「あんたが誰にも会いたくないつーから、そいつはもうずっと部屋の前で待ってたんだろうが」

(アルヴィーンが……?)

 意外に思ってアウリスは振り向く。そこには少年が静かに腕を組んで、寝台の柱に背をもたれていた。機嫌の悪そうな雰囲気が全身から立ち昇っている。

「あんた、送迎に出てるときに騎士団の野郎どもから何か言われたのかい?」

「え?」

 驚いて、アウリスはお婆の質問を受けた相手を見上げた。

「アルヴィーン、騎士団の送りを任されていたの?」

 アルヴィーンの片方の眉毛だけ微かに動く。彼に見つめられ、訳がわからないままヘビに睨まれた蛙みたいに萎縮したアウリスを見て、彼は気だるそうにため息をついた。

「おぞましい趣向だと言われた」

「え?」

「実をなさぬ、おぞましい趣向だと。黒炭では少年を愛でる習慣があるのか。下賎で野蛮で反吐が出る。大の男が子供を相手に破廉恥三昧とは。おまえもあのように仕置きと称して上官の寝室に上げられるのかと、俺まで哀れそうな目つきで見られた」

「……」

「ぷくくっ、お気の毒」

 さあ、とアウリスの指先から血の気が引く。隣のお婆はとても楽しそうだ。

「それだけかい? 他になんて?」

「そうだな、ほかには……」

「ああああああ! いい! 言わなっ言わなくていいよ!」

 アウリスは大声で遮った。耳を塞ぎ、一気に火照った顔を見られんとするようにその場に突っ伏す。だんご虫みたいに丸まった彼女に、アルヴィーンは目を細めた。

「本当だったのか」

「んな訳ねえだろ、馬鹿が」

 アルヴィーンは静かにお婆を見た。邪鬼の目だ。もしくは獲物に飛び掛らんとする瞬間の梟の眼差しか。床で頭を抱えるアウリスの位置からはその様子はよく見えなかったけれど、お婆の口元は引き攣っていた。

「……意外と短気なガキだねえ。だから、騎士共を騙くらかす為に一芝居打ったのさ。そこで丸まってるチビにはまだ解らないかもしれないが、あんたなら少しは理解できるだろう。大人の事情ってやつだよ。大人同士には踏み込んじゃいけねえ事情ってのがある。寝間での趣向がそのひとつさ」

「高潔な騎士には見るに耐えなかっただろうな」

「そういうわけだ。わかってるじゃないか」

 アルヴィーンは冷たい表情で眉をひそめた。一方のお婆は上機嫌な笑い声を上げる。

「かかかっ、ブタの交尾でも見たような顔で出て行ったよ。女の子であることを隠して差し出したって身包み剥がれりゃすぐ、バレちまう。だが、寝台の上で色めく子供の体をわざわざ見に行く度胸はねえのさ。……都のお綺麗な騎士殿が揃って尾っぽを巻いて退散だ。ありゃあ見物だったねえ」

 お婆はふと手を伸ばし、こつん、と軽くアウリスの頭を叩いた。

「だからねえ、あんたもしゃきっとしな」

「……お、おばば」

「まあな、山奥の小さな施設でのことだ。噂はまだ暫く続くだろう。くくっ、あの三度の飯より女が好きな猫じゃらしが少年趣味ときたもんだ。あいつ、これから行く先々で笑いものだよ。いい気味だ、くくくっ」

「こっちも何か大事なものをなくしたような気がするんだけど」

 思わず呟いたアウリスの頭をこつん、とまた軽くお婆がぶった。

「あんたは堂々としてりゃいいのさ。だいたい、フリなんかでここまで恥ずかしそうにしてちゃ、いつか本番するときどうなっちまうんだい? あんたは」

「ほ、……」

 その言葉の具体的な意味はアウリスにはよくわからなかった。わからないけど、なんだかまた体中が熱くなる。

 ふと体の下の床が小さく軋み、お婆が魔女みたいに大口をあけて笑うのを半ば呆然と見ていたアウリスは顔を向ける。衣擦れの音をさせ、身を引いたアルヴィーンが背を向けるところだった。

「あ、アルヴィーン?」

 唐突な様子に驚いて思わず声をかける。アルヴィーンは歩みを止めずに戸の枠に手をかけ、軽く振り返った。

「馬鹿馬鹿しい。持ち場に戻る」

 アルヴィーンはもう振り返るような素振りもなく消えた。早足に去っていく靴音が石畳みの屋敷に反響する中で、アウリスは取り残されたような顔でへたりこんだままだった。

 いったい何だったんだろう。

 一夜経ったあとに現れたアルヴィーンはまるでアルヴィーンらしくなかった。

 最後に見た背中はいつものように相手との距離をあけようとしていた。そう感じられた。だけど、それだけじゃなかった。よそよそしいような。戸惑っているような?

「あんた、いいのかい?」

 お婆が気を休めるように重たげに寝台に腰下ろした。アウリスの問うような目線を受け、面白そうに顔を緩める。

「さっさと追いかけてやらなくていいのかい。あの馬鹿野郎。あの目は猫じゃらしを殺しかねないよ」

「ええ?」

「そしたら半殺しにされるけどいいのかい? もちろん、アルヴィーンの方が、さ」

 アウリスはその言葉に青褪めた。力の入らない体を起こし、ベッドシーツを引きずっていることも忘れて転がるように部屋の外へ走り去った。

 ぺたぺたと裸足の足音が遠くなっていく。

 それを耳に、一人残された老婆は誰知られずに含み笑いをこぼした。




 明るみ始めた空の下では既にたくさんの人間が集まっていた。

 少年はいつも早足で歩いていってしまう。それでも、アウリスはいつも彼に追いつくことができた。それは、彼の纏う異質な程に鮮やかな色彩のおかげだ。

「あ、アルヴィーン、アルヴィーン……」

 小走りで隣に並び、アウリスは相手の様子を伺った。

「あの、どこへ」

「持ち場」

 アルヴィーンは一度だけアウリスの方を見た。まるで彼女がそこにいるのを認識していることを伝えるようにして、また前に向きなおる。

(いつもどおりのアルヴィーン……)

 ホッとしたような、少し物足りないような不思議な気分にアウリスはじぶんで戸惑った。手持ち無沙汰に少年の横顔を見つめた。

「持ち場って。朝練?」

「今朝は無い。林の方でまだ捜索をやっている。逃げた罪人の」

 その言葉に息をのんだアウリスを琥珀色の瞳が一瞥した。

「武器庫の……?」

「そう。夜のうちにドサクサに紛れて逃げたらしい。その間、教官が二人と子供が一人やられた。教官の一人は即死、残りは重傷を負って今医師の元にいる」

「そんな……」

「運送されていた罪人も残りは全滅。このことについては多分、猫じゃらしの責任問題になる。相手は瑣末な盗みか何かで捕まっていたようだから、こちら側に油断があったのは否めない」

 どこかの鉄鉱場へ運送中に罪人が脱走した。それは確かに黒炭の責任問題だろう。更に悪いことに、脱走犯はどうやら筋金入りの凶悪連続殺人犯。

「……大変なことになってたんだ」

 気づくとアウリスは独り言を呟いていた。

「騎士達が来てなかったら逃がさなかったかもしれない」

「今更だ」

「そうだけど、でも昨日はみんなそっちに気をとられてた。わたしたちだって、すぐ武器庫を出て教官たちに報告していたら」

「セツが教官を連れてすぐ戻った。その頃にはあいつは姿を消していた」

 やはり、もっとしっかり拘束しておくべきだったか。だが、子供三人だけでここの教官と互角以上に渡り合うあの男をどうこう出来たとは残念ながらあまり思えない。

 施設の人間の中にはあの男を追って出ている者が何人かいるのだろう。

 追跡はいつまで続くのだろうか。アルヴィーンの言葉通り、黒炭は、猫じゃらしはきっと責任を問われることになるだろう。そして、逃がしてしまったあの男が犯罪を重ねるたびに、責任は重く圧し掛かっていく。

「ここの教官は、そんなにやわじゃないです」

 ぼそっと呟くと、隣のアルヴィーンが目線だけをよこしてきた。

 彼の言うとおり今更なんだろう。だけど悔しさにアウリスは拳を握った。

「黒炭はそんなやわな施設じゃないです。丁度手薄になっていたところでまんまと逃げられてしまったんです」

 アルヴィーンはどこか意表を突かれたような顔をした。

「おまえがそこまで黒炭に入れ込んでいるとは知らなかった」

 その言葉に驚き、アウリスが相手を見上げると、ふとアルヴィーンの目が可笑しそうに細められたようだった。

「うぬぼれるな」

 少年はそう言って進むほうへ顔を向けた。

「失敗はある。それに、絶対に捕まえる」

「は、はい!」

 思わず大きくアウリスはうなずいた。

 少年は彼女の少し前を、わからないくらいにこちらを気にして歩調を緩めて歩いてくれている。その朝焼けを凝縮したような色の髪を眺めながら、アウリスの心は落ち着いた。この少年の言葉はどうしてだか、いつも正しかった。現実にはそんなことはありえないのかもしれないけれど、彼がそう言ったら絶対そうなんだと、きっとそうなんだと思ってしまう。

 そういうところが少し、別のひとに似ているのだった。

「? 何ですか?」

 目の前でアルヴィーンが立ち止まっていた。アウリスは怪訝と隣に頭を出したが、すぐに表情を曇らせた。

 二人が歩いてきた中庭の先には林の茂みが鬱蒼と篭っていて、その手前に猫じゃらしを含めた何人かが集まっていた。猫じゃらしと一緒にいるのは教官の誰かだろう。彼らからは距離をあけた場所には丸太が二つ、地面に寝かされていて、その上では見知った少年たちがバランスを取っていた。彼ら各々の肩に担がれた棒にはアウリスも見覚えがある。川原での水汲みに使う竿だ。左右には桶が二つづつかかっていた。

「何でしょう、あれ。罰ゲームみたい」

「罰なんだろう」

 素っ気無い相手の反応にアウリスは首を傾げて隣を見た。アルヴィーンは振り返ることなく、どこか頑なに目の前の景色に見入っていた。

「騎士団の送迎から帰り、教官の元へ報告に行った。そのときセツに罪人たちの話を聞いた。武器庫からは幾つか物が紛失していたらしい。それで、おまえのことを思い出した」

 アルヴィーンはアウリスの方へ顔を向けた。

「おまえが言っていたように、放っていたら盗まれて、手元に戻らなかったかもしれない」

「あ……」

 アルヴィーンの手が彼の腰元の剣に軽く触れてみせた。彼の言っていることに思いあたり、何か返事をしようとアウリスは顔を上げたが、頭に重たい手を乗せられた。

「ありがとう」

 くるっと旋毛の毛が乱れた。何か壊れ物に触るような手つきはすぐに離れ、それをアウリスが目線で追う間もなく少年は背を向け、林とは別の方角に歩いていった。

 アウリスは唖然と突っ立っていた。言葉にならない気持ちが沸く。手首の脈が速い。

「あ、ありがとう、アルヴィーン……!」

 掠れた声で言ったら、アルヴィーンは足を止めた。逆光になって振り向く顔の表情は見えない。

「ごめんね。逃げたりしてごめん。アルヴィーンと会うのが、なんかその、は、恥ずかしかったの。でも、ほんとうはき、来てくれて嬉しかっ……」

 アウリスが言い終わる間もなく、くるりと向きなおった人影がまっすぐに歩いてきた。距離が縮むのはあっと言う間で、アルヴィーンが伸ばした手はいとも容易くアウリスの頭のてっぺんに届き、それを引き寄せた。

 頭を撫でられるのかと思ったアウリスは反応に遅れた。アルヴィーンの五つの指が額の髪の中に入り込む。そうやって振り仰ぐ形で彼の接吻を受けたのだと気づいたのは、二度、三度と触れてきた唇の熱さが完全に遠くなってからだった。

 アルヴィーンが手をのけ、身を離す。

 アウリスはその場にしゃがみこんだ。

 思考が追いつかない。鼓動が早い。心臓が口から飛び出してきそうだった。思わず唖然とアルヴィーンを見上げる。

「おまえが言ったんだろう」

 アルヴィーンは腰を低くし、アウリスと同じ目線になった。いつもの静かな口調だ。だけど、アウリスの髪を指に掬い、耳にかけながら、アルヴィーンは何がおかしいのか愉快そうな目をしていた。

「俺は手が早いんだろう」

 静かに耳にかかった吐息に、アウリスの目が大きくなる。

 ――逆に、アルヴィーンのような人の方がむっつり助べえなんですよ。

 確か、川原でグレウとアルヴィーンが戦っていたときに言った言葉だ。聞こえていたのだろうか。だが、だからといってこんなことをしたとは思えない。アルヴィーンのことをよく知っているとは言い難いが、悪戯でされたとは思えなかった。

 目の前の少年のことをいつも追いかけていた。距離をあけたがっていたのは彼の方だったからだ。アウリスの方から距離を開けようとしたことは一度もなかった。そう言えば、今日の寝室での出来事が初めてだったかもしれない。

 ずっと、嫌われてるのかと思っていたのに。

 アウリスは膝を抱えて丸まった。これ以上は上がらないと思っていた体温が急上昇する。吐く息まで熱くなっていそうだと思って、必死に呼吸をしないようにした。

 ふと衣擦れの音と共に頭上に影が差し、アルヴィーンが傍を去っていく靴音がした。そっと、風かと思い違いするように軽く、旋毛が撫でられたような気がした。

 やがてほんとうに、風が地面の砂利を巻く音しかしなくなると、アウリスはおそるおそる顔を上げた。相手の少年の姿はどこにもなかった。

 綺麗さっぱり消えてしまう。まるで今だけの幻だったみたい。そう思ったけれど、そう思いたいじぶんとそう思いたくないじぶんがいることに気づき、アウリスは更に動揺した。

 アウリスは頬の温かさに手を添えたが、また恥ずかしくなりそうなので、すぐやめた。

 ふと背中に視線が感じられて振り向く。木陰になった林の手前で佇む人物を認めると、途端にアウリスは眉をしかめた。

 気持ちを入れ替えようと大きく息を吐く。

 やや勢いあまって立ち上がったアウリスはまず服についた泥を両手で丁寧に払った。それから木陰の方へ近づいていく。

 こちらが動くのを見たからか、男の方も他の人間たちを置いて一人で歩いてくる。白い煙が宙にほどけていた。いつもの香木みたいな甘い匂いはキセルの煙から来ていたのだろう。

「よぉ、坊ちゃん。寝起きみてえにボンヤリした顔だ。客室の寝台はそんなに心地がよかったか?」

「おかげさまで、一人になってからは爆眠しました」

 嫌味に嫌味で返したら、赤い唇が愉快げに歪んだ。猫じゃらしは静かに煙を吐き、ふと真顔になってアウリスを見つめた。その斬りつけられるような鋭い眼差しに身の固くなるのを堪え、アウリスはじっと彼を見返す。

 


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