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そのときには灰の月を  作者: しろてん
灰の鳥かご
12/20

12.


 鏡台の前で手に取ってみると、黒漆塗りの箱は頑丈な見た目よりも軽かった。中が空洞になっているからだろう。

 フタと一緒に、小さな引き出しが二つ、開きっぱなしになっていて、色とりどりの首飾りが溢れでている。漆黒、朱赤、黄金、珊瑚。首飾りの軸はチェーンではなく、色のついた皮紐だ。もともとの動物の皮が多彩な色をしているのか、染め抜いたのかまではわからない。

 触れるとザラザラ砂のような感触がするだろう紐を伝い、滑らかな石が連なっている。石は色形さまざまで、質も異なっている。

 黄緑と青を溶き流した硝子細工の一粒から、隣の澄んだ石に視線を留める。水晶のように美しく無機質な翠色だ。荒削りされたような形もあり、猫じゃらしに似合いそうだと思った。

 猫じゃらしがじぶんの横を目配せするので、アウリスはとりあえず化粧箱をそこへ置いた。木工の箱がベッドシーツに皴を寄せて沈む。

「歴代の王にはそれぞれ何かしら特技があった」

 猫じゃらしが唐突に切りだした。アウリスは手放したばかりの箱から顔を上げる。今の話とそれはどう関係があるのだろう。

「例えば、現グレン国王の曾祖父、エルンスト国王は狩りの名手だった。戦場では騎馬弓隊を率いて最前線で戦い、他のどの部隊よりも多い数の敵を屠り功績を上げたといわれている。戦場での華々しい活躍話じゃぁ、一世代前のネスイール国王も負けていない。こっちは武官じゃなく文官だった。難攻不落だと言われていたミハネ王国の国境防衛線、エローラ城を突破した話は今でも有名だ。歴代の王の中でも特に気鋭として知られている」

 滑らかに猫じゃらしは語った。その間に髪留めを一つ外し、箱の中のハンカチを取り磨いては箱の中にしまうという、単調な作業をくりかえしている。暇つぶしに話しているだけのようにも思え、アウリスは不満で眉をしかめた。この話はじぶんにまったく無関係に思えるのだが。

「そして、現グレン国王だが……」

 小さく音をたてて簪が箱に納まった。

「グレン国王の特技は人徳だ。巷じゃぁ、我らが王が七年戦争を終わらせたなんて言ってる輩も多いが、俺はそうは思わねえ。そもそも父親のネスイールから途中で指揮棒を譲られただけだし、基礎の出来上がった大局を実際に動かしたのは本人じゃなく、その周りにいた人材だ。国王は温厚で争いごとの嫌いな性格をしている。だから、戦の実質的な指揮は他にやらせていた」

「……うちのお父さまとかに?」

 アウリスは遠慮がちに口を挟んだ。猫じゃらしが面白い物を見つけたように目を瞬く。

「そう、レオナート=ジークリンデは七年戦争で名を挙げた一人だった。当時のジークリンデは田舎の弱小貴族だったらしいが、卿は二十二の歳で王に拝謁するまでに至り、そしてその機会を逸さずにしっかり出世の道を切り開いた。そこは豪気だ。そして、ジークリンデ卿を召したのは目利きのグレン国王だった。人徳ってのはそういう意味だ、一種の才能だろ?」

 アウリスすら知らなかった父レオナートの過去をさらりと掠り、猫じゃらしは彼女の目を覗く。彼自身の双眸は長い睫毛の陰になり、いっさいの感情が見えなくなった。

「……グレン国王はそういうお人なりだ。名のない田舎貴族の努力をくんで活躍の機会を与えてやる、そういうおおらかな気質でいらっしゃる。オツムの方はあんま良くねえしな、策やら悪知恵やらには疎い」

「……あなたは個人的に国王を知ってるの?」

 猫じゃらしはその問いには答えなかった。彼女の目を覗くのをやめ、俯き加減で髪留めを一つ、二つと手早く外す。

「国王は今回の暗殺の依頼には関わってねえだろうよ。俺の勘ってだけじゃあなく、まあ」

 まるで最初から計算していたかのように、猫じゃらしは手元の髪飾りに見入った。雛菊の花びらを模し、中央に硝子玉を入れた精美な造りで、確かに目を惹く美しさだ。しかし沈黙するタイミングとしては不自然だった。ほんとうは、何か続けようとしていたのではないのだろうか。

「……ただし、こうも言われてる。グレン王の穏やかな性格は王宮内によからぬ思惑をはびこらせる。王の競争嫌いな気質は派閥を生む。サラン王妃が輿入れしてから、特にそれが顕著になったと。……国王とサラン王妃は見かけ通りの仲睦まじい夫婦だとは限らねえってことだ」

 猫じゃらしが唇を歪めた。その言葉が言いたかったのか、もしくは土壇場で別のことを口にする事にしたのかまではアウリスには読み取れない。

(王さまと王妃さまの仲が悪いってこと? そんな風には見えなかったけど)

 アウリスは話題に置いてけぼりにされまいと考えたが、よくわからなかった。別のことに気を取られているからかもしれない。猫じゃらしの話がじぶんの現状とどう繋がるのか、どうにも見えない。

(わたしは家に帰らなくちゃ)

 父親がまだジークリンデの領内にいるのかどうか、アウリスにはわからない。王族はすでに領を去ったと猫じゃらしは言ったから、もしかすると父もそれにくっついて王都の職場へ戻ったかもしれない。

 それでも、ジークリンデの家をあたる価値はあるように思えた。仮にも娘が行方不明だというときだから、父が留まっている可能性はある。

 父親に事情を話し、国王にそれを通してもらう。

(でも、その後どうするのかな)

 アウリスはその先まで想像出来ていない。国王に真実を話したあとにどうなるのかなんて、現時点ではわからない。

 それとも、投げやりになっているだけなのだろうか。猫じゃらしの話を聞いていると、何の根拠もなく父や国王を宛てにするのは無鉄砲だという気もしてきた。

 じぶんでは前向きに物事を解決しようとしているつもりでも実はまだ呆然としていて、危なっかしい現実逃避をしているだけなのだろうか。

 王妃がじぶんを殺そうとした、という事実には現実味がない。誰かに殺されかけたと認めることはつまり、じぶんに殺されるだけの理由があるのだと認めるのと同じような気がした。

 そして、アウリスにはそこまでの恨みを買うことを誰かにした覚えはないのだ――多分。

「レアトールの大狼の牙、誰にもらった?」

 頭の中を読まれたような気がした。

 息を呑み、アウリスは顔を上げた。猫じゃらしが己の言葉を追うように一点へと目を伏せている。いつしか髪飾りは全て取り払ったようで、白金の髪はくしゃくしゃの癖がついている。二手に縛っていたのか、頭のてっぺんから動物の耳が生えているみたいだ。

「出せ」

「な、なんで」

「またポケットに入れてなくすつもりか? 出せ」

 アウリスはおずおずと従った。意図を知らせず、ただ有無を言わせない口調で押しきるのは猫じゃらしの得意技のようだ。

 アウリスは猫じゃらしにポケットの中で温めていたそれを差しだす。

「やっぱり、わたしは家に帰るべきだと思います」

 それから強引に話を戻した。

 猫じゃらしはすぐには返事をしなかった。視線を外すと、側で開いたままの化粧箱の中から、一本の首飾りを取りだす。アウリスが気に入って眺めていた朱赤の皮紐だった。

「あんたの好きにすりゃいい。ここのガキ共はみんなそうだろ」

 猫じゃらしはあたかも他人事のように言った。手元で皮紐の先端の留め具を外し、下がっていた色とりどりの石を膝上のシーツにぶちまける。次に、飾り気のなくなった皮紐の中央辺りを二重にし、黒い牙の周りに幾度か素早く巻いていく。

「……ここのガキどもは出自の話をしない。入団のときに全て忘れることを誓ったからだ。黒炭では同じ黒炭の傭兵たちだけが家族だ。生まれ育った家、家族、友人、恋人、そういったものを己と一緒に持ち込むことは許されない。今までのじぶんと郷土を忘れるという誓いをたててから初めて、傭兵として剣を握るんだ」

 皮紐が強く左右に引かれた。一筋の朱赤が黒い牙のちょうど中央辺りに締まる。それを眺めながら、アウリスは複雑な気持ちになった。

 剣を握らせてもらえないことを悔しく思ってはいた。

 セツのような例外こそあれ、少年たちが日がね、あまりそういった話をしないことには気づいていたが、まさか誓わされてそうしていたとは知らなかった。じぶんがじぶんであることを捨てなければ、傭兵にはなれないのだろうか。

(なんか納得できないな)

 みんな、何故そこまでして傭兵になりたいのだろう。それとも、彼ら自身の選択ではなかったのか。黒炭に入団することになった経緯は様々だろう。肉だんごと接していて、もしかすると、貧しい民たちの中では口減らしの方法の一つに数えられているのかもしれないと考えたこともある。

(剣に触らせてもらえないのはわざとだったのか)

 アウリスは最終的にそんな印象を持った。未だに剣を握らされていないじぶんには、まだ選択肢が残されているということなのだろうか。この訓練所に留まるか、否か。

「そういう事情だ、素性を知られたくない、あんたみたいな人間にとっては生きやすい場所には違いねえ」

 猫じゃらしの言葉を聞いて、アウリスは考え込んでいた目線を上げた。猫じゃらしは片足をまっすぐにおろし、もう片方の足をその膝の上に乗せて座り、手元の皮紐を弄っている。

「……そうかもしれないけど。それでも、わたしは家に帰りたいと思います」

 猫じゃらしがその提案に反対なのは今までの会話の雰囲気でわかっていた。頭の中を整理したうえで、しかしアウリスは引き下がらないことにする。

「あなたの言うこともわかりますけど、わたしの気持ちは変わりません。猫じゃらし、わたしを家に送ってください」

「断る」

 アウリスは目を瞬いた。唖然とするアウリスを無視し、猫じゃらしは二指に黒い牙をつまみ、転がして遊んでいる。乾ききっていない髪が俯く彼の額の前に揺れていた。

 見ていると、なんとなく突き放されているような態度に思えて、アウリスは次第に怒りに似た気持ちに占められた。

「断るって、どういう意味ですか。あなたがわたしをここに連れてきたんでしょう? だったら、ちゃんと家まで送り戻してください。こんな遠くにわたしを連れて来て、それで置いてけぼりにして。わたしが今日までどんな気持ちであなたを待っていたか、わかりますか? わたしは……」

 今日までの鬱憤が出口を求めて一気に噴きだしているのに気づき、アウリスはいちど口を噤んだ。これでは話がずれてしまう。落ち着く為に深く、長い息を吐いた。

「……あなたは、ラファエさまにわたしのことを頼まれたじゃない。それは王族の命です。あなたにはわたしを守る使命があるんです。だから、安全に家まで送り届けるのは当然なんです」

 そこまで言ったとき、猫じゃらしが急にのけ反り、声を上げて笑いだした。

 アウリスはギョッとして言葉を止める。何事かと思って見ていれば、猫じゃらしが皮紐を持つ手で半面を覆った。何か言っているようだが、笑い声に混じって聞き取れない。 

「さも当たり前とばかりに。貴族女ってのはチビの頃から考え方がつまらねえくらいに一緒だな。くだらねえ」

 やがて、手の甲の陰からそんな呟きが聞こえてきた。

 くくっと喉を鳴らし、猫じゃらしは俯いている頭を少し傾げるようにして起こし、アウリスを見る。楽しそうに笑っていたにしてはいつも以上に寒々しい瞳の温度だ。アウリスがうろたえるのを見て、猫じゃらしはまた喉を鳴らした。

「己の無力に泣いたガキの方がまだ可愛げがあった。じぶんじゃなく、国王ひいては妃あっての権威なんだと、少なくともあっちはわかってた」

(……ラファエさまのことを言ってるの?)

 思わずアウリスは眉をひそめた。王子のことをガキだなんて侮辱する人間に会ったのは初めてだ。それに対して、怒るべきなのか呆れるべきなのか決めかねた。その間に大きな手のひらが首のとなりに触れる。

「よちよち歩きしてる幼子でも犬に噛まれれば犬を避けるようになる。あんたはどうだ? 傷が塞がったら痛みを忘れちまったか? それとも、「王子さまがこの人にわたしのことを頼んだからだいじょうぶ」とでも思ってんのか」

 その言葉にやっと、どこに触れられているのかアウリスは理解した。猫じゃらしのクモの肢みたいな五指が首筋をすっぽり覆う。そこにある傷跡に爪が沈む感触がして、恐怖にアウリスは身震いした。

 思わずよろけたアウリスを見て、猫じゃらしは一拍遅れて手を放した。

「俺はべつに誰かに従ってあんたを助けたわけじゃない」

 猫じゃらしはふと真顔に戻って言った。

「十四、五の思春期のガキが気紛れに出した命令なんぞ知らねえ。ただ、何であんな頼みごとをされたのかに興味がある。あんたなら解るんじゃねぇのか? 心当たりがあるんだろう? サラン王妃があんたを殺そうとした理由に」

「……殺されるような身に覚えはない、って言ったでしょう」

 アウリスの肩が震える。猫じゃらしの言動はアウリスの幼い吟持を造作なく傷つけた。彼の攻撃性がじぶんに向かっているのを感じいやおうない恐怖も生まれていた。アウリスはそれを表に出さないよう努力して身に力を入れているが、結局棒立ちになっているのみ。

 猫じゃらしがゆったりと自身の膝を立て、そこに頬杖をついた。

「中央集権ってわかるか? あんたが殺されるべきかどうか、決めるのはあんたじゃねえ。王族が殺すべきだと言ったらそうなる、べつに当人に身に覚えがなくてもいいんだ」

 猫じゃらしの言葉のあまりの冷淡さに、アウリスは身震いした。このふてぶてしい男に何か言い返してやろうと思うのに、何も思い浮かばない。

 悔しいように怯えているようにアウリスが下唇を噛むと、猫じゃらしはふと笑みを深めた。

「あんたの王子はそのへん、どう考えてんだろうな。あのガキは、母親があんたを殺そうとした理由を知ってたのか? その上であんたを庇ったのか? それとも、何も知らないままだったのか。母親があんたを殺そうとした理由を知ったら王子は果たして同じ決断をするかな? これから先、ほんとうに王子が迎えに来るって保証はあんのか?」

「そ……」

 それを聞きたいのはこっちだ。

 最も気になっていた部分を正面から堂々と指摘され、アウリスには言葉がなかった。

 王妃の思惑よりも、何よりも。ラファエ王子がどこまで知っていて、何を考えて、何を決断したのか。どうしてじぶんを救ったのか。

「わからねえなら、どっちかと言えば俺の方に媚びを売っといた方がいいと思うが?」

 猫じゃらしが喉の奥で笑う。アウリスは怒るより呆然とした。頭の中がこんがらがって爆発しそうだ。これ以上話していても何も伝わりあわないどころか、こちらがより混乱するだけの気がする。

 アウリスは強く頭を振り、とっさに手を伸ばした。人差し指の爪に微かな手応えが返るが、掠っただけだ。

 アウリスが睨むと、猫じゃらしは片手を頭上高くへ翳し、首飾りになった黒い牙を少女に届かないようにした。あいた手はアウリスの肩を固定する。

「出ていきたいなら好きにしろ。だがその前に、サラン王妃があんたの命を狙った理由を聞かせてもらう」

(そんなこと、あなたに関係ないでしょう)

 アウリスは苛立ちを眼差しに込めて目一杯相手に注いだ。

「……あなたは、それを聞く為に助けたの?」

 底意地の悪い顔をまじかに見ていると、飯炊きのお婆の言葉が思い出された。猫じゃらしは黒炭の審議会の一員で、情報屋なのだと。

「王妃さまが知られたくない情報は、高く売れるの?」

 見返す翠の瞳が驚いたように大きくなる。猫じゃらしはひとつ瞬きし、口の右の端を棘か何かが引っかかったかのように吊り上げた。それが答えのような気がした。

 このひとだって、じぶんの味方じゃないんだ。

(わかってたのになんで……)

 唐突に乾いた音が鳴った。

 猫じゃらしが意表を突かれた風にアウリスを見た。遅れて彼が打たれた頬に手をやるのを尻目に、アウリスは素早く彼の逆の手にある牙を奪い、一目散に部屋の戸口へ走り去った。






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