1.
深い森には妖精が出る。
そう言っていたのは確か、昨日の晩餐に招かれていた歌姫だった。
頭上では、黒木の木立が伸び放題に枝を広げていて、秋晴れのはずの空をうす暗くしている。木漏れ日の青い葉が眩しい。地面には何十年もかけて腐った木皮と落ち葉の絨毯が敷かれており、その柔らかな土の上に四つん這いで、混乱する少女はふるえる肘に力をいれ、身を起こそうとしている。
痛みのせいか、頭の芯がボンヤリする。落雷を受けたかのように痺れる体は、どこを怪我していて、どんな風なのか、何か所くらいを怪我しているのか、全くわからない。
落馬、したんだろうか。
ふだんならば、こういうときには必ずと言っていいくらい一番にヘリーネの顔が浮かぶ。
乳母のヘリーネは、日がね、淑女とは何か、公女とは何かといったことを少女に説いている人で、その逆を体現しまくる少女との相性はあたりまえのように悪かった。
少女が狩場で怪我をしたなんて知ったら、ヘリーネはまず、すごく怒るだろう。編み棒の一本や二本飛んでくるかもしれない。そうして体中で怒ったあと、少し落ち着いた頃になると突如豹変し、手を叩かんばかりに嬉しげな顔をして、こう言うのだ。「これは教訓ですよ、お嬢様」と。
これに懲りたら馬乗りはやめなさい、だの。もう高い所にのぼるのも禁止ですからね、だの。お説教だけで終わるのならばまだいい。けれど、「手綱を握るくらいならこれでも握ってなさい!」と刺繍針と糸を渡されたらもう、その日から一月は部屋から出してもらえなくなるだろう。というのも、少女は同年代の子たちの誰よりも、刺繍が苦手で遅いのだ。
それはもう、想像するだけで悪夢のような未来だろう。
けれど少女は、今回ばかりは怪我よりヘリーネに知られてしまう心配をするというわけにはいかなかった。幼く、経験の浅い少女には痛みの度合いはわからないものの、その根本にあるものは感じられているのだ。全身を包む、怖いくらいの寒気――死への恐怖と言う本能は。
そのせいだろうか。
少女の中には今、たったひとつ、家に帰りたいという願いしかなかった。
なけなしの気力でどうにか這いつくばっていると、ふと正面に人影が落ちた。少女はすぐには気づかなかったが、衣擦れの音をかろうじて聞くと、痛みに強く瞑っていた目を開いて相手を見上げた。
――深い森には、魔物が出る。
少女が、歌姫の言葉を無意識に歪めて思いだすほどに、目の前の人物は異質だった。狩り用の黒い上衣を纏い、大きなフードを被っている。フードのせいで顔は少し隠れているけれど、危険な程に美しい造形をしているのがわかった。艶やかな切れ長の目元に、満月の夜に若葉が月光に透かして見えるときのような、濃く暗い翠色の双眸。筆で描いたようにスッと通った鼻筋。
目の前に転がる少女を助け起こそうとする風はなく、青年は薄く笑っているのみだった。形の良い眉を片方だけあげる、皮肉じみた笑みだ。
「面白いくらい転がり落ちたな」
ひどく低音だけど滑らかな、いやに心地良い声だった。
「あんたは崖の上で落馬したんだ。覚えてないか? どうやら怪我はないようだが」
(え?)
怪我がない、とあたりまえに言われ、少女はすさまじいひっかかりを覚えた。だったら、この痛みは何だというのか。めまいで吐きそうなのは何だというのか。
少女の疑問が伝わったかのように、ふと男はじぶんの襟のあたりを押さえた。少女は眉を顰め、じぶんも真似して首の横に手をやってみた。そこに、チクリと僅かな刺激。
びっくりした少女は勢いよくそれを引き抜いてしまった。その瞬間、何かが弾けたような、あふれだしたような、嫌な手ごたえがあった。こわごわ血濡れた拳を見れば、そこにはどこかで見た形の物が握られている。ただし、その長さは異常で、手首から五指の中で一番長い中指の先くらいまで、ある。
(……針?)
それの正体がわかったとたんに、何か触ってはいけないものを触ったような気持ちになった。
少女の手が針を取り落とす。それと同時に、レース地の襟がすごい速さで濡れていくのを感じつつ、少女は首を手で押さえ、のめりこむように倒れた。血と泥が地面に爆ぜる。
青年は自身の足元で力尽きた少女を眺めていたが、遅れて気だるげに腰を低くした。そのまま片膝をつき、何やら地面を漁りだす。
衣擦れの音が耳をうち、少女は呻き声を漏らした。青年の眼差しがじぶんの旋毛から外れないのを感じて、少女はそれに怯えていた。見覚えのない、いかにも怪しげな大人から逃げようと思うが、擦りむいた両手や膝は痛いばかりでちゃんと動かない。
「暴れるな、お嬢さん」
じぶんに被さる人影が濃くなり、じぶんのすぐ頭上で青年がくっと喉を鳴らすのが、少女にはひどくはっきり聞こえた。
「これが何だかわかるか?」
青年はそう言って、少女の顎を掴んだ。怯えて顔を逸らそうとする少女だが、大の男の力に到底かなうはずはなく、さっき捨てたばかりのあのおぞましい物を目の前に翳されてしまう。
「毒針。体はもう殆ど動かないだろう? リョクショウって呼ばれる珍しい草があるんだが、これはその根っこを元にして加工した毒でな。致死性……とか言っても解らないのか」
まるで天気の話をするみたいな、あまりに抑揚のない声で語る青年が、怖かった。
「お嬢さん。あんたはじきに、死ぬ」
そう言って、青年が鋭い先端で少女の頬を撫でた。
少女は虚ろな目で彼を見返した。相手の言葉は聞こえていたけれど、少女の疑問をいっそう深くしただけだった。この人物は、少女が落馬したという。あたかも見てきたような口調で、毒塗りの針を刺されたと。その毒は人を殺すくらいに強い毒だったと言う。
自然と一つだけ浮かんだ疑問に、少女の唇が声もなく動く。それを見て、青年は聞き返すようにおなじことを呟いた。
「誰が、か?」
青年は面倒くさそうに唇を歪める。
「なぜ聞く。知ってどうする? 世界にはいろんな人間がいるからな、誰かを殺したい人間だっている。その人間と、実際にそれを実行する人間が別だってことも、ざらにある。……で? お嬢さんはそれを聞いて満足はしねえだろう?」
青年が上衣の内側を漁った。水筒を取りだすと蓋を外し、蓋を針と一緒に横っちょへ捨てた。そうしてあいた手の上へ水筒を傾ければ、草の塊が転がりでてきた。くすんだ色の、見るからに苦そうな塊だ。
それを大胆に毟って口に入れ、青年は少々下品に頬を動かした。
「まあ幸いなところで、俺は毒と解毒薬はいつも一式にして持ち歩いている。これも人間によるな」
青年が笑い、少女の目からは涙が伝った。
どうしてこんな目に遭うんだろう。あおざめ、冷や汗が滲むのは毒のせいだけではない。少女には、相手がじぶんの襲撃者だと知っても成す術はなかった。逃げることはおろか、疲弊した体は声を紡ぐことだって、もうない。青年の手が伸ばされて肩を掴むと、弱弱しく首を横に振るのみ。
「暴れるな」
青年は言うが、その雑な手管からは少女を宥めようという意志は欠片も感じられなかった。少女の襟を毟るようにして広げ、そこで血を流す首筋にぷ、と口内のものを吐きつける。
薬草の柔らかさが粘土みたいに少女の肌に吸いつく。痺れるような刺激の中には、他者の口の中の熱が尾を引く様に残っていて、少女は痛みより嫌悪感に眉をしかめた。
少女の表情を見て、青年が呆れたように頬を歪める。
「生意気なガキだな。助けてやってるってのに」
(どうだか)
少女は頭の中で果敢に毒づくが、相手にすり寄ってこられると一転して怯えを見せた。少女の意志など歯牙にもかけない男は、嫌がる彼女の首を掴み、揉んでひどい痛みを与えた。逃げようと彼女が二の腕を相手の胸に突っぱねれば、その頭を押さえつける為に抱く。
「まだ多少は動けるのか」
青年は少女の旋毛を見下ろした。少女と一緒に土まみれになるのが気にならないのだろうか。顔色ひとつ変えずに、汚れた少女の顔が変形するくらいにきつく彼自身の胸元に押しつけた。
「こうやって首を押さえておけ。動かずに大人しくな。まあ、嫌なら、残りはあっちにやってもらえばいい」
その言葉に重なり、遠くで蹄の音が聞こえてきた。
少女は痛みに固く瞼を閉ざしていたが、焦点の合わない瞳を開いた。徐々に大きくなる蹄の音の方を見ると、新緑の茂みが揺れていた。秋晴れの陽のしんきろうみたいだ。そこへ、白くしなやかな獣の姿が現れた。
馬のいななきが止むと、乗り手は積もったばかりの落ち葉の上に黒いブーツで着地した。立派な狩り用の上衣と肩掛けを纏った少年だ。
「ラファエアート殿下」
青年がにやついた顔で伏せる。さらに何か告げかけたようだが、歩いてきた少年が音もなく抜き晒した剣先が彼の顎の下へあてられたので、苦笑した。
顎を逸らすことで切っ先を避けた青年が、上等な敷き物を敷くときのように丁寧に両手で少女を寝かしつけた。彼がそのまま距離を取るのを尻目に、少年が膝をつく。
「アウリエッタ、だいじょうぶ?」
「ぁ」
初めて怯えではないものが少女の目に宿った。視野は霞んでいて、覗き込む相手の顔は陽射しにぶれたように朧げにしか見えない。それでも、彼女には誰なのかがわかった。きっと心配して馬を駆けてきてくれた、優しい、荒い息づかいが頬を打つ。
「エッタ」
(……ラファエさま)
少女が兄のように慕う声は心配げに掠れていた。
「よかった。落馬の怪我はないみたいだ」
少年はほんの僅か安堵したようだったが、そこに慇懃無礼な声音が割り入った。
「チビで体重も軽いからでしょう。でないと、そこの崖のてっぺんから落ちて無傷はありえません」
少年の剣筋の間合いを計っているのか、青年は程よい距離を離れて立っていた。少年が彼の言葉に顔を上げると、その鼻先に先程の薬草を投げてよこした。
「傷口の方には塗って吸収されますが、口の中にも流しいれた方がいい」
「これで毒の効果が相殺されるのか?」
少年は草の塊を注視する。
「これでエッタは助かるのか」
「断言はできません」
少年は早くも腰のベルトから水筒を外しかけていた。その手を止め、相手の方を見る。十四、五の子供のものとは思えない、標的に向けて瞳の焦点を凍てつかせるような、不気味な冷たさを孕んだ無表情だった。
「どういう意味だ。おまえの毒とおまえの解毒薬だろう。エッタは助かるのか、助からないのか?」
「そこまでは解りません。その子供の体力がもつかどうかでしょう」
居心地の悪い沈黙が降りたあと、少年がため息をついた。彼はあからさまに不機嫌だったが、すぐに気を取りなおすように頭を振ると、一転して優しげな手つきで少女の頬を撫でた。そのまま、薬を少女の唇に添える。
「エッタ。飲みこめる? すぐ水をあげるから」
少年は柔らかく語りかけるが、少女は口を開かない。少年は怪訝そうにしたが、すぐに何か閃いたようだ。
「だいじょうぶだよ」
いちど少女に微笑み、己自身で水筒の水を煽った。それから、枯茶色の塊を小さくかじり、うつ伏せになって少女の唇を塞いだ。
「っ」
とたんに少女の手が泥の上をバタバタした。
(苦っ、にがい……!)
噛みつくような激味から解放されるためには一生懸命飲むしかない。まず過ぎて、少女の意識は多少覚醒するのに成功した。それにしても、早くも泣きそうになっていた。仮にじぶんで噛める力があったとしてもぜったい食べなかっただろう。
「エッタ、口を開けるんだ」
少年の言葉に、少女はいやいやと首を横に振る。少年は初めて笑みを浮かべた。少女はどう見ても彼を拒絶しているのだが、そこに、ふだんのはつらつとした彼女の様子が思いだされたのかもしれない。
穏やかな笑みを浮かべるまま、少年は少女に薬草を与えるのをくりかえした。繋がった口の中に、少女の獣じみた唸り声が漏れる。それをまるきり無視して重ね、何回にも別けて水と一緒に与え続けた。
じぶんを息苦しくさせていたものが離れていくと、少女はうっすら目を開く。
(なにが、起こってるの)
少女の緑色の目は、訴えるようにゆっくりまばたきして見せた。まだかなり混乱していて、彼女はじぶんがどこにいるのかも解らなくなりそうだ。危ういところにいるのだけれど、こうして王子が側にいる事で、少しだけ記憶が晴れてきていた。
この夏、ジークリンデ公爵家の居城には、王の一族が遊びにきていた。ラファエアート王子殿下は、その大事なお客の一人だった。
少女は、王子の遊び相手になるように言われて、一緒に狩りについていくことになったのだ。王族の一声の威力と言ったら。こんなときにまで最後まで渋っていたヘリーネのムスッとした顔は、きっと一生忘れないだろう。
けれど、その後の記憶がない。
そして今は、怖いくらいに冷たい地面に寝ているのだった。少女の霞む視野には、一緒に遊んでいたはずの王子の心配そうな顔が大きく映っていて、少し離れた場所には、黒い木立と一体化したかに静かな、別の佇まいがある。彼は何者なんだろう。見知らぬ大人は、王子の出現からこの方近づいてくることはなかった。ただ、その濡れた宝石のような瞳のみが、片時も離れずに少女の方を眺めている。
王子と彼は知り合いなのだろうか。最初に王子が現れたときに青年はすぐわかっていた。少年の方だって、初対面というには割りとさくさく話をしている感じだ。
それだけではない。王子は現れたときに、既に少女の容態のことを知っていた。毒針の存在を知っていた。少女が落馬をしたときに近くにいたから、そんなことまで知っているのだろうか。どこか釈然としない。
第一、大人の方は襲撃者だと少女に名乗ったのだ。考えてみると、解毒剤をくれるのはおかしくないだろうか。それとも、よく聞く、「りょうしんのかしゃく」とかいうやつ……?
様々な疑問が沸き水のようにとめどなく溢れる。けれど少女の意識はそれらを整理するのに追いつかなかった。それどころか、逆に霞がかっていく。激烈な味を飲み干すことに、きっと全力を使い果たしてしまったのだろう。
まどろむように目を閉じた少女の元へ、澄んだ声がかかる。
「ソラはだいじょうぶだよ、エッタ」
少女の頭を撫でている少年が、寝物語をするみたいに静かに語りかけた。
「崖から落ちなかったんだ。だから、ソラは無事。エッタはソラがお気に入りだもんね」
ソラ。九歳の誕生日に顔を見せない父が買ってくれた馬の名前だ。
夢心地の心地良さに抱かれ、少女はぼんやり考えた。ソラは温厚な性格をしている。暴れたりする方じゃないから、じぶんの不注意で落馬してしまったのだろう。
ソラが無事でよかった。家に帰るのだって、ソラに乗ったら半刻とかからないだろう。
(早く)
少女は閉じた瞼の裏で願った。
早く、早く家に帰りたい。
ここはどこかわからない。
早く、わたしを連れて帰って――。
少女の想いは指先まで伝わり、それまで動きのなかった手が震え、少年の手を握り返した。すると、負けじと少年の手も力をこめた。
「ごめん、エッタ」
その声を聞いて、少女は違和感を覚えて重い瞼を開く。じぶんはいつの間にか泣いていたようだ。そのせいか、頬を打つ水滴の持ち主が誰なのか、すぐには気づけなかった。
「エッタ、ごめんね。痛かっただろ? ごめん、エッタ。俺」
少年がびっくりするくらい乱暴に彼自身の目元を拭った。
「迎えに行くよ」
少年が決意を口にした。その濃紺の瞳は、夜闇に光るフクロウの目みたいに、怖いくらいの光を放っている。
「俺がエッタを迎えに行く。だから、これから辛いことがあっても辛抱するんだよ。諦めずにちゃんとしてるんだよ。いつか必ず、俺が迎えに行く。約束だ」
少年は少女の手を取り、少女の円い指先に口づけた。その感触に戸惑う彼女を置いて立ち上がった。
「それはいいですが、そっちはこれからどうするんです」
少年の視線が手元にくるのを待っていたのか、青年が口を開いた。
「ちゃんと対策を考えてるんですか?」
「そんなことは心配しなくていい」
少年はもう少女をふりかえらなかった。背を向けて歩いていく彼の声には、先ほどと一転して、静かな中に相手を突き放すような、冷たい何かがあった。
「おまえにはエッタを託す。おまえは時期がくるまでエッタを隠すんだ。エッタの身の安全と生活を保障するんだ。頼まれてくれるな?」
「簡単に言ってくれますねえ」
「頼む」
落ち葉を踏む足音が急に途絶えた。妙に静かになって、少女の見えないところでは、懇願する少年が頭を下げた。
「あー……」
青年は居心地が悪そうだった。目の前の相手の動作に意表を突かれたのだろう。棒立ちになっていた彼は、やがてその場で膝を折り、頭を垂れる。その伏せた顔には、あの面倒くさがりな笑みが浮かんでいた。
「出世払いってことにしときましょう」
そのときになって、少女にはやっと状況の断片が理解できた。
閉じた瞼の裏で夢うつつになりつつ、ボンヤリ聞こえていた会話の内容が明らかになる。
(いや)
皮靴が落ち葉を踏み鳴らして近づいてくる。必死に聞き耳をたてつつ、身動きのならない少女の身に恐怖が走る。
(いや)
どうして。どうして王子はこんな男に頭を下げるんだろう。こんなひとは嫌だ。怖い。
わたしは家に帰りたい。
家に帰して、こんなひとに、わたしを渡したりしないで――。
足音が頭の隣で止み、衣擦れの音が掠めるのと同時に、大人の腕に抱きかかえられるのを感じた。そのとき、嗅いだことのない不思議な甘い香油が漂って、それで少女は、じぶんの祈りが届かなかったのだと知った。
少女の睫毛がおののく。
かろうじて瞼がいちど開いた。涙の滲む目に最後に映ったのは、黒いフードを被る幽鬼のような存在と、完全にフードの影になった真っ黒い顔のみだった。
それきり、少女は意識を失った。
次に目が醒めたとき、少女はやっぱりぜんぶ夢だったらいいのにと思った。寝ている間に、質素だけど上質な狩猟用の服は剥ぎ取られていて、代わりに砂みたいな色をした半袖半ズボンを着せられていた。そして、湯あみのときに水面一面に広がっていたはずのブルネットの長い髪は、毛先をうなじで躍らせるくらいに短く失われていた。
唖然とする少女の枕元に、森で出会ったあの青年が近づく。彼は左右腑対称な面倒くさがりな笑みで、こう言った。
「お目覚めか。可愛い坊ちゃん」
少女には声もなく見返すことしかできなかった。
その日、ジークリンデ家第二令嬢、アウリエッタ=リア=ジークリンデは、ヴァルトール王国の大地から消えた。