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ミミック・コミュニケーション  作者: ごぼふ
一章 擬態する日常
4/39

有馬某と三橋愛華

 ザバァン。

 飛び込み、長めに潜水し、水流に導かれ水面に顔を出し、水を叩きまた短く潜る。

 この動作で何故前に進めるのか、たまに不思議に思うことがある。 そして、そんな疑問が出る時は、大抵良いタイムなど出ない。

「――」

 告げられたタイムを聞き、俺はため息をついた。自己ベストからは程遠い結果である。

 タイムを計る時は無心。 隣で同じくタイム計測を終えた綾菜も、前にそう言っていた。

 その綾菜は、またしても自己ベストを塗り替えたのだろう。自らのタイムを聞いて嬉しそうにしている。

「冴えないですねぇ、先輩」

 俺がそれを苦々しい気持ちで見ていると、頭上からそんな声をかけられた。見上げると、3と書かれたスタート台の上に、ストップウォッチとバインダーを持ったまま膝を抱えて座り込む少女がいる。

 先程俺にタイムを告げた、我が後輩だ。短い髪を両サイドで無理やりまとめた子供っぽい髪型だが、それで隠し切れない利発さが、その大きく好奇心の強そうな目ににじみ出ている。

「それはタイムが? 表情が?」

「両方です。ていうかそんな顔してると、人生まで冴えなくなりますよ」

「君がいるからそれはない。 毎日がバラ色さ」

「はいはい」

 つうかそこにいられると、プールサイドから出ざるをえないのだが。

 第一コースではミーヤが計測中なので、迂闊に移動できない。

 もし、万が一、不慮の事故があって彼女と追突しようものなら、あまつさえ水着の中に手が入っていやんとなってしまえば……今度は命の保証が無いだろう。

 スキンシップは一日一回にしようと、先週反省したばかりだ。 しかし水中に隠れている二つの膨らみを想像すると、なんだか勇気が沸いてくる。

 ……命賭けちゃうか。

「でい!」

 そんな事を考えていると、いきなり頭をバインダーの角で叩かれた。

「痛いなぁ。 何をするのかね」

「いえ、先輩が覚悟を決めた男の顔になっていたので。気持ち悪いじゃないですか」

「ちょっと待て! デレっとした顔して怒られるなら分かる! 引き締めて気持ち悪いってどういうことだ!」

 それならハハァン、ミーヤに見惚れた俺に嫉妬してるなとか言えるだろうに、キメ顔が気持ち悪いと言われてはどうしようもない。

「そっちは先輩のデフォ顔ですし」

「マジで?」

「マジで」

 俺、普段はそんなに気持ち悪い顔しているのか。 ショックを受け、俺は自らの顔をペタペタと触り、確かめた。

「造詣に関しては心配しないで大丈夫ですよ。 部長そっくりですし」

「……あっちが俺に似てるんだ」

 俺が目指しているのは、渋みのあるダンディーフェイスなので、女にそっくりと言われても嬉しくない。

 というか、綾菜が部長と呼ばれるのも未だに慣れない。

 一年の時はサボリ魔だったくせに二年からは急に真面目に部活に没頭しだし、今ではすっかり慕われる部長だ。

 俺が綾菜の顔に部長の肩書きをハメこめずに首を捻っていると、奴がその視線に気づき、こちらを見て同じ角度で首を傾げた。似た顔でそんな事していたら、多分物凄く滑稽だろう。

 プール上の女が、何やら微笑ましいものを見るような目でこちらを見ている。 不愉快なので首の角度を戻す。 同時にあちらの首の角度も戻された。

 しっしと追い払う仕草をすると、あちらも同じ仕草をする。 と見せかけて、俺の顔に水をかけた。まともに食らった俺がやり返そうとする前に綾菜は水中に潜り、プールサイドから上がっていった。

「やっぱり部長のほうが、上手ですね」

 そう言えばこういったやり取りで、俺がアイツに勝った試しがない。 

 こんなんだから万年弟ポジションなのだろうか。 昇格出来るものならしたいものだ。

「とにかくあがるぞ。ほら、手ぇ貸せ」

 プールサイドから上がる姉の尻なんざ見ても、何の嬉しさも無い。 俺もプールから出ようと決め、少女に手を伸ばした。

 ここにいても、この女の股間しか見られないしな。 こちらはまぁそれなりに、想像力の働かせ甲斐のある光景だけれど。

「はいはい」

 不承不承という感じで、少女が俺に手を伸ばす。 多分俺はデヘッとした顔をしたはずなのだが、まるで気付いてない。

 やはりこれが通常顔だと思われているのか。 ショックを受けつつ彼女の手を取る。

 彼女を支えに体を引き上げながら、俺は愛しい少女の名前を呼んだ。

「ありがとう、馬鹿子…」

「あ?」

 その瞬間、手が放されました。

 ザッパンという派手な音と共に、背中から水中に戻る俺。 急な事だったので、ちょっと水を飲んだ。

「あにすんだ馬鹿子!」

「誰が馬鹿子ですか!」

「そのまんまだろうが、そのまんま!」

 女の子に馬鹿子はないだろう。あなたはそんな風に思うかもしれない。 しかし彼女の名前を聞けば、誰もが俺のあだ名に納得するはずだ。

 では聞いていただこう。

 ――彼女の名前は、有馬鹿子。

 マジで。 一応言っておくと、ありましかこと読む。

 本人はこの素晴らしい名前を好いていないようで、これを言うとすごく怒る。

 ミーヤと同じ一年生だが、体の発育があまりよろしくない。 ただしスラリとした足を持ち、細い体に薄く脂肪が乗っているので、特定の需要はあると思われる。

「次言ったら、ここが断崖絶壁でも同じ事しますよ」

「すみませんでした」

 そもそもそんな状況に陥ることが無いとは思うのだが、ここは素直に謝っておいた。

「ていうか、そうじゃなくて」

しかし鹿子は、人を落としておいてそんな事はどうでも良いと言いたげに手をパンと打ち付ける。

「そうじゃないって?」

「先輩、手に怪我してたでしょ」

 俺が尋ねると、鹿子は飛び込み台に両手を突き、前かがみで尋ねた。

「あ、あぁ……怪我って程のもんじゃないけどな」

 鹿子が言ったのは、今朝掌についた擦り傷の事だろう。 痕は残っているが、もちろん血は止まっている。

 そんなに目立つものでもないと思ったが。

「今朝、ミーヤに投げられたんですっけ? よく無事でしたね」

 本人から聞いたのか、鹿子が思い出したように言う。

 部活の同じ一年生ということもあって、二人は仲が良いようだ。 ミーヤって俺のことどんな風に話すんだろ。

 気にはなったが墓穴を掘りそうなので適当に答える。

「小杉の魂が守ってくれたんだ」

「誰ですかそれ」

「忘れた」

 そう答えると、俺が適当な事を言うのは慣れたものとでも言うように、鹿子は肩を竦めた。

 まぁ説明しても、あいつが鹿子と付き合うなんてミラクルは起きないだろう。

 そもそもそんな奴いないし。

 同じくおおげさに首をすくめた俺は、再度手を差し出し、やり直しを要求した。

 鹿子もそれに応えようと手を伸ば……。

「どいてくださいますか?」

 そうとした所で、後ろから声が響いた。

 その声に後ろを振り返った鹿子が、ヒッと飛びのく。

 なんだと俺が訝しんでいると、スタート台の後ろからひょっこりと顔が出た。

いや、顔を出した少女がいた。

「大輔さん、お手を」

 このプールにあって、唯一水着を着ていない女。 推奨されているジャージ履きすらしない女。 制服でいながら水滴一つ被らない女。

 水泳部でただ一人のマネージャー、三橋愛華であった。俺と同じ二年生。 彼女は俺に手を差し出すと、片手でその豊かな黒髪をかき上げた。

「あ、普通に上がれるからいいよ」

 やろうと思えば普通に一人で上がる事はできる。 実践してみせると、鹿子が恨めしそうに睨んでいた。 ……本当は俺が水に沈めてやろうとしていたのは秘密だ。

「あ、では大輔さん、タオルです」

 と、三橋はそれにもめげず、そそくさと俺にタオルを差し出した。

 俺の私物ではない。 かと言って、この部にそんなものが用意されている訳ではない。

 彼女が用意したものだ。ついでに言えば俺以外もらってない。

「ええと、あぁ、うん、自分のあるから」

 俺はそう言って、さりげなく彼女の好意を無碍にした。

「そ、そうですか」

 シュンとしながら、愛華はタオルを引っ込め、鹿子からバインダーをひったくった。

 そりゃ見事に、顔はシュンとしたままひったくった。

「タイムも私が計りましたのに」

「いや、君小数点切り捨てするじゃん」

 言ってるそばから、鹿子が書き込んだタイムの下一桁を書き直している。

 そうだ、そうなのだ。 俺は彼女にえこひいきされている。 露骨に。しかも稚拙に。

「そ、それじゃ私はこれで……」

 鹿子がそう言って、そろそろと退散しようとする。

 三橋が振り向き、彼女に視線を向けると、鹿子は本当に逃げるように去っていった。

 こちらからはどんな表情をしたのか見えなかったが、あまり関係が良好とも見えない。

「あんまり後輩脅すなよ」

「あの子は女狐です」

 真顔でそんな事言われたら、誰でも吹き出すだろう。 少なくとも俺は吹き出した。

「じゃぁ俺は、あの娘に化かされてる訳だ」

 油断したら、ケツ毛まで抜かれて、断崖絶壁から叩き落されるとでもいうのか。

 面白くてつい乗ってしまってから、三橋の顔が真剣そのものである事に気づく。

 ついでに俺の同意を受け、その可憐な鼻の穴がちょいと膨らんだところまで見えた。

「そ、そうです! いえ、大輔さんなら分かってて弄んでいる事もわかってます!」

 そんな事を勢いこんで言われても困る。 俺の部内での評判ってどうなってるんだろう。 ちょっと人生を振り返りたくなる。

「俺、君の事は弄んだつもりないんだけど」

「ほ、本気ということですか!?」

「そうじゃなくて」

 コナの一振りもかけてないって言いたいのだよ。

 興奮した様子の三橋を、俺はどうどうと宥めた。

 ……さて、そんな餌も何も与えてない彼女、のはずなのだが。 良いだろうか。 意外と思われるかもしれないが、女性経験どころかお付き合いの経験すらない俺が言ってしまって良いだろうか。 まぁ勘違いであれば勘弁していただこう。

 ――この女は、俺に惚れている。

 世の中のイージーラブを満喫している兄ちゃん風に言うなら、ヤレる。 もしくは彼女は、俺を騙してケツ毛毟って集めようとする特殊性癖だ。 ただ、鹿子もそうだが、俺のソレにそんな価値があるとも思えない。

 しかし、俺は彼女を受け入れられない。それは三橋が怖いからでも、女性との付き合い方が分からないからでもなかった。 いや、それもちょっとはあるけど、大元はあくまでも、俺自身のちっぽけな問題のせいである。

「ごめん、弄んでるかも」

 俺がそう答えると、三橋は何故かとても満足そうな顔を浮かべた。

 そして俺が彼女に冷淡になりきれず、対応が中途半端になってしまうのは、結局のところこの笑顔が可愛らしいと思ってしまうせいだった。

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