腑分け
それから風呂に入って、ハンバーガーの匂いのする歯を磨いて、布団を被って五分。
俺は起き上がると、テレビをつけ、即座に音声を消した。 昔、テレビでエロい番組を見る為に行った手順なので、実にスムーズである。
『何してるの?』
『ムラムラでもしてきた?』
表情まで中学生当時に戻っていたとでもいうのだろうか。 双子が両の肩に顎を乗せる形に現れ、俺に囁きかける。
つうかパソコンのない中学生のエロ事情に、何でこいつらが精通しているんだろう。
「……ちょっと今日の出来事がフラッシュバックして」
ミーヤとの逢瀬で薄れていたあの、蛇と蔦が絡み合う光景が、今になって蘇ってくる。
ついでに破裂する蛇、常識外の動きをするミーヤもだ。
俺はゲーム機の電源も入れ、コントローラーを握った。
入っていたのは格闘ゲームだ。 綾菜と対戦してボコボコになった記憶が真新しい。
「俺はゲーム脳になりたい」
俺の操るキャラクターが、CPUの超必殺にやられて破裂した。
しかし、次のラウンドでは何事もなかったかのように起き上がり、また戦っている。 その姿は、まるであの蛇だ。
「現実とか投げ捨てて、妄想で生きれば良いんだ」
自分に言い聞かせるように、俺は呟いた。 蛇は、そんな風に生きているんだろうか。
そんな奴が、人間に紛れて暮らしていけるのか? 俺は、そんな風になれるか?
「ま、無理だわ、そりゃ」
俺はすぐ飽きて、ゲームの電源を切った。 こう思っているうちは無理だろう。
「せめて死なない範囲が分かればな」
『範囲も何も』
『決めるのは貴方よ』
「それが出来ないから、困ってるんだろ」
例えばRPGでも、中盤辺りで世界が広がりどこへ行っても良いとなると、ひどく困る。
頼るべき指針、普通の人間ならここでどうするかが分からないと、不安なのだ。
双子は俺が綾菜に憧れて、この顔になったと言っていた。
まぁ、間違ってはいないのだろうが、俺が真似ているのは綾菜だけではない。
俺はきっと人間の模範的な行動、ニュートラルな考えを目指して生きてきたのだ。
奇行が目立つ時もあるかもしれないが、それはあくまで口を隠す為でであって……。
「俺は常識人なんだ。 いきなり完全無欠の化け物になれって言われても困るっての」
『自分の体って言う現実は見えてないのに』
『そもそも人じゃないじゃない』
俺が愚痴ると、双子がピーチクパーチクと言い返す。
渋面になりながら俺がベッドに倒れこむと、スプリングがギィッと音を立てきしむ。
こいつらは、本当に人間という言葉に敏感だ。 逆にそうでもしないと、この非常識な体を保ってはいられないのだろうか。
……双子は多分、相当死に難いのだろう。 触れられないし、今のところ食事もしていないし。
自分が願ったからこそ、この姿になったのだと双子は言っていた。
それがどんな事情かは知らない。 だが自らの体を明確に化け物だと認識して、何にでもなれると信じ込んで、こうなったんだろう。
信じて、それが叶う。 言葉の響きだけなら、素晴らしい事だと思う。
しかしだ。 本当に代償は無いのか? タダほど高いものは無いというではないか。
例えば猿の手。 本人の願いを歪めて叶えてしまうという、意地の悪い話。
俺の考える事なんて、適当で、曖昧で、言語にすらなっていない事も多い。
実際、俺は自分の口が裂けて欲しいなんて、願った事は、ない。
俺が冗談か何かで言った事を、誰かが拡大解釈して、間違った風に実現させたのではないのだろうか。
誰が? 誰かが。
『そうね、一つ指標はあるわ』
『貴方、今まで大きな怪我をしたことは?』
長い思索に入りかけた俺を、双子の言葉が引き戻した。
俺は口の端に垂れていた涎を、枕で拭う。
「ええと……」
双子の問いかけに、俺は仰向けになって思い出そうとした。
怪我……思い返すが、大きな負傷に繋がるような事件、事故に遭った覚えが無い。
何かの拍子に顔の皮が破れる事を避ける為、喧嘩なんかも気を使って避けてきたし。
「あんまり無いな、そういうの」
寝転がった姿勢でそう答える俺。
それを見下ろす形で現れた双子が腰に手をあて、しょうがないわね、とでも言いたげなポーズを取る。
それから彼女達は重ねて尋ねてきた。
『それじゃ、小さいのでも良いわ』『出来れば最近で』
「最近だと……昨日、ミーヤに投げられてコンクリに叩きつけられた」
『何やってるの、貴方』
『投げられたって事は、どこか打ったでしょ?』
「背中ぶつけたけど……、そういや何で無事なのって皆に言われたな」
あまり痛くも無かった。 アレは受身で消力が成功したからだと思っていたのだが。
『じゃぁそこは化け物』
違うのか。 俺が、化け物だからなのか。
「その時手をすりむいた」
『じゃぁそこは人間』
そして、人間。 俺にも人間な部分があるらしい。 じっと手を見る。
『便宜上人間と変わらないって言っただけで』
『貴方は立派に化け物なんだからね』
だが、それを感慨深く思っていた俺に、双子がすぐに釘を刺す。
こいつらは、俺を一瞬でも喜ばせないという職業についていらっしゃるんでしょうか。 どっから給料もらってるんだ?
「分ぁってるよ」
しぶしぶ俺がそう答えると、双子は満足そうに頷いた。
『よろしい』
『まぁ、手足は人間風味って事でいいんじゃない?』
それから、何のフォローだかそう付け加える。
俺だって、別に浮かれてた訳じゃない。 手足が人間だろうと、頭と胴が化け物なら、そりゃ間違いなく化け物だ。
割合の問題ではない。 体のほんの一部分でも、人にあり得ない器官が人のフリをしていれば、それは。
例えば、それが右腕の先だけだったとしても、それは……。
「ミーヤもきっと……」
彼女もきっと、自分が化け物であるという確信に近い不安を抱えているはずだ。
それを、自分を化け物を殺す正義の狩人と思い込むことで誤魔化している。
俺達は自分で作ったルールに縛られて、自分を追い詰めている。
「何にでもなれるってのに、難儀だな」
呟いて、俺はベッドに戻った。