ヘビ対ドリル
――それから三十分ぐらい経った頃だろうか。
駅前に沿った大通りから離れると、この街は途端に田んぼや畑で溢れる。
シャレた街というイメージをつけたいんだか、書く事がないんだかで、基本的にガイドブックには書かれない箇所である。
そこも抜けると、目の前に廃ビルがぽつんと立っていた。
四階建ての物で、前市長が新たな都市開発をしようとして失敗した名残だ。
人には見つかりそうがないが、つまりは同時に人の気配もない。 こんな所に来るのは、俺みたいに廃墟めぐりが趣味の人間だけだろう。
汗をマフラーでぬぐい、俺はため息をついた。
ここまでで見つかった皮は無い。 今までこれほど間隔が空く事もなかった。
つまりはまだ、蛇はこの辺りでは犯行を行っていないのだろう。
「そりゃそうか。 いくらなんでもそう毎日食ってるはずが……」
ドダァン!
無い。 と言いかけた所で、俺の安堵交じりの思考をぶち壊す音が響いた。
発生源は、多分あの廃ビルだ。 というか他に建物が無い。
『あったみたいね』
『ダイエットとは無縁みたい』
双子が肩を竦める。
「マジかよ……」
『とにかく』
『入ってみましょ』
ふっと笑った後、ゆるゆると双子は前へ飛んでいく。
俺が動かなきゃそれ以上はいけないのだが、引っ張られるように俺の足も進んだので、その進行は非常にスムーズだ。
これじゃ立場が逆だろう。 心中で呟いたが、そもそも俺がこいつらをリードできた事などない気もする。
ため息をつきながら、俺はビルに近づいていった。
――ビルの入り口は、扉など残っておらず簡単に入る事ができた。
明かりも死んでいるが、ガラスも張ってない窓から差し込む月明かりのおかげで、内部が見えないという事もない。
室内は壁が取っ払われていて、柱が剥き出しの鉄骨を晒していた。
慎重派の頭が前進を躊躇わせる。
だが、足はもはや片方ずつ双子と紐で結ばれており、目は多分あいつらの尻を人参か何かだと思っている。
双子が進むと、俺の足も嫌々ながら動いた。
右奥の隅を見ると、二階に上がるための階段が残っている。
例の如く双子が先行するのでついていくと、ビシィという鞭のような音が響いた。
もはや駄馬同然の体が、竦んで止まりかける。
だが、双子が振り向いて上を指差すので、俺は渋々老朽化し瓦礫に埋まった階段に手と足を置き、四つんばいで慎重に上がった。
ひょこりと二階部分に顔を出すと、バシィとまたも破裂音。
ひゅっと空気を切り裂く音がして、またバシィ。
……あの蛇って、こんな音立てたか?
「くそ、何が起きてるか見えないぞ」
流石に月明かりでは視界に限界がある。
俺より視界に自由が効くはずの双子が、俺の体からギリギリまで体を伸ばしているが、結果は芳しくないようだ。
『距離が遠いわ』
『もっと近づいて頂戴』
「…足動かすのは俺なんだぞ」
簡単に言ってくれる双子を、上目遣いに睨む。
『良かったじゃない』
『好きなステップを刻んでいいのよ』
「スキップと忍び足しか知らねぇ」
もちろん忍び足を選択し、俺は鉄骨に隠れながらそれに近づいていく。
……気づくと、部屋の中を何か甘い匂いが満たしていた。
何だか、嗅いだ事のある匂いだ。 そんな事を考えながら部屋の中ごろまで進むと、そこでは二匹の生物がぶつかり合っていた。
二匹、で良いのだろうか。
一匹目は昨夜見た蛇。 あの黒い体が、月明かりに照らされ浮かび上がっている。
そして、それに立ち向かっているのは、鮮やかな緑色をした、蔓だった。
幾本もの蔓が明らかに意思を持って、月の光を反射しながら蛇を襲っている。
あるいは蛇に巻きついて動きを封じようと、あるいは蛇を強かに打ち据えようと、あるいはその根元に近づかないよう牽制し。
そして、その根元。 蔓は、なんと人間の腕に繋がっていた。
鮮やかな金の髪を翻すそのシルエット。
そうだ、嗅ぎ覚えがあるはずだ。 あの蟲惑的な、植物のような匂い。
少女、椎名雅は右手の先を蔓に変化させ、蛇に立ち向かっていた。
『あら、貴方の知り合いね』
『つくづく変わった知り合いが多い事』
双子が茶化すが、それどころじゃない。
俺はその戦いから隠れるように鉄骨に背中を預けた。 心臓がドンドンと肋骨を叩いている。
『蛇と戦ってるってことは、狩人?』
『でもあれ、どうみても化け物だわ』
例えばミーヤが俺の正体に疑いを持っていて、しかも化け物を狩る狩人だというなら今までの敵意も頷ける。
しかし、そちらは推論だ。 だがこれは、今の彼女の姿はどう見たって俺の、双子の、そして蛇の同類――。
視線を落とすと、床にゴム手袋のような物が落ちている。
が、それは青白く、五本の突起の先には、人間の爪がついていた。
厚みはまるでない。中身がない、人間の、手の皮だ。 皮だ。 双子はスキンなんて言っていたっけ。
バシィ! と、一際高い音がし、俺がそちらに視線を移すと、蔓が蛇を思い切り横薙ぎに払っていた。
これは、あの、ミーヤ、雅の手が収まっていた、皮だ。
彼女もまた、自らの皮を脱ぎ捨て、その本性を晒す――化け物だったのだ。
『それにしても強いわね』
『貴方じゃ入る余地無さそう』
雅は前述の通り、右肘の先を蔓に変形させ蛇を翻弄している。
そして見え隠れする蔓の集合点には、銀色の針――いや、杭の様な物が飛び出していた。
つまり彼女の本命は、蛇を捕らえてあれで串刺しにする事だろう。
そして蛇も近づきたいのは同じなようだ。
地を素早く這ったと思えば跳躍し、鉄骨に体を巻きつけ、飛ぶかと思えばまた地に戻るという目まぐるしい動きをしているが、雅は惑わされることなく着実に蛇を追い込んでいく。
「……パンピー名乗って良いかな」
『だぁめ』
『化け物でしょ、お互い』
化け物が四――五匹も集うこの空間は明らかに異常だ。
腰の下がぐにゃぐにゃとして、現実感がない。
そりゃ、俺だって一応誰が化け物でもおかしくない、と覚悟してきたつもりだった。
だが、目の前で知った人間が、化け物、になった時、その衝撃は予想よりはるかに大きかった。
ついでに、彼女を化け物と呼んでしまうことに酷い罪悪感を感じる。
誰だって嫌だろう。 化け物呼ばわりされて生きていくなんて。
『あら、動いたわ』
『これは蛇の負けかしら』
……こいつらは、そうでもないみたいだが。 自らを進んで化け物と呼ぶ双子は楽しそうに戦いを観察している。
そして、その注目の蛇と雅の戦い(この表現でも眩暈がする)にもついに決着がつきそうだった。
雅の蔓が――我々に慣れ親しんだ言い方で言おう。 一本の触手が蛇を捕らえたのだ。
それは糸が糸に絡むよう。 次々に他の触手もそれに混じり、グネグネと黒と緑が絡まりながら丸まっていく。
蛇は触手に牙を突きたてようとするも、その頭部を残った触手がぴしゃりと叩く。
そうして、蛇がぐったりした頭部だけを露出させた蛇団子が完成し、距離にして十mほどの場所から、雅はゆっくりとそれに近づいていく。
『串刺しね』
『わくわく』
ごくりと、息を飲みながら俺は彼女の杭を見つめ続ける。
雅が狩人なら、彼女が蛇を殺し、事件解決が一番いい形なのは分かっている。 しかし、なんだろうこの焦燥感は。
分かっているのか雅は。 あれは、相手は化け物だけど、だけど俺達の知り合いかもしれないんだぞ。
分かっているのか俺は。 あれは、相手は化け物で、姫足を食い殺した相手なんだぞ。
自身が何に不安を感じ、何に焦っているか分からないまま俺がヤキモキしていると、蛇の様子に変化があった。
頭を叩かれ、ぐったりとした様子だったそいつが急に顔を上げ、するりと蔓から抜け出したのだ。
あんなぐにょぐにょしたものを拘束しようとしたのが間違いだったのか、蛇は地面に体をつくやいなや、再び跳躍。
雅へと飛び掛った。
だが、それに対しても雅は慌てなかった。 あるいはそれが彼女の狙いだったのか。
「シネ」
雅は低く呟くと、腰を低く沈ませた。
キュイイイイン!
同時に彼女の腕から、甲高いモーター音のようなものが発せられる。
それと共に触手が彼女の腕へと、ほどけ、暴れながら巻き取られていく。
触手の群れに煽られ、ぶつかられながらも蛇の突進は止まらない。
空中の蛇に対し、雅が跳躍した。
触手は杭へと巻き突いてゆく。 肘のほうへ行くほど多くの触手が巻きつき、その形は円錐状。 まるで糸を巻いたベーゴマのようだ。
もしくは――。
『『ドリル!』』
彼女はそれを、口を開けようとした蛇の下顎へと叩き込んだ。
ブチャッという音がして、先端が蛇に突き刺さる。
双子の表現通り、その途端触手の塊は再び甲高い音を立てながら回転を始めた。
回転しながら、円錐がドンドン小さくなっていく。
あれはきっと、あの傷から凄まじい勢いで蛇の内部に触手を抉り入れているのだ。
脳があるなら、今まさに直接かき回されているのだろう。 蛇の体が声もなくビクビクビクと激しく痙攣している。
「ハジケロっ!」
雅の声と共に、バァンという爆発音。 蛇の頭部のいたる所から触手が突き出た。
更に彼女が腕を振りぬくと、蛇の頭が四散し、ちぎれた胴体がずしゃりと地面に落ちた。
そして雅も着地。 彼女が腕を一振りすると、ピシャァンという音と共に地面の叩きつけられた蔓が、周囲に蛇の肉片を撒き散らす。
俺は鉄骨の裏に隠れなおし、荒い息を吐いた。
「俺、よくあの子にシネ!って言われてたんだけど」
『『へぇ』』
「トーンがまったく一緒なんだ」
『冗談を言わない子なのね』
『有言実行なのね』
恐らく実行される予定があるはずだ。 俺の正体がバレれば、それは確定事項となる。
「逃げよう」
俺の決断は早かった。 そっと一歩を踏み出す。
ベチャ! その踏み出した先には、蛇の黒い肉片が転がっていた。
活きが良かったのかしれないが、そんな派手な音を出さんでも良かろうに。 死骸で仇とはいえ、その生々しい感触に鳥肌が立つ。
「ダレ!?」
だが、悶えている暇もない。 案の定ミーヤが鋭い声を発した。
もう逃げられるとは思えない。 仕方なく俺は鉄骨の影から全身を晒した。
そしてそんな俺の目の前に写ったのは、俺の姿を見、目を見開いた雅、それに――。
「まだだ!」
それを認識した瞬間、俺は叫んだ。 自分でもその事態が信じられなかったが、叫んだ。
雅の足元、胴体だけになった蛇が動いたのだ。 更にその中からにゅるり、粘液に塗れた頭が飛び出した。
亀かあいつは! と俺が内心ツッコミを入れる間にも、蛇は俺の方を向いている雅に対し、のっそりゆっくりと鎌首をもちあげていく。
「ミーヤ、後ろだって!」
俺の二度目の呼びかけで、雅はようやく後ろを向いた。
蛇は彼女が振り向くと、びくりと動きを止め、器用に軌道変更をしその足元を這い抜けた。 そして奴が向かう先は――。
「俺かよ!」
奴は、一直線に俺へと向かってくる。
叫びつつ、俺は一瞬口を開くか逡巡してしまった。
今口を開けば、雅に俺の正体がバレてしまう。 だからと言って、開かなければ俺の生涯がジ・エンドだ。
死ぬよりはマシってので借金を重ねていくと、雪だるま方式に増えていって最後にはあの時死んだほうがマシじゃないかって思うような結果になる。
ふとそんな言葉が思い浮かんだが、今回はそれに当てはまるのか? このまま終わって良い訳……。
などと長考している余裕はもちろんなかった。 蛇は俺の目の前まで迫っており――。
「うわぁぁぁ!」
しかし、俺が予想していたような食う食われるの関係は、発生しなかった。
ごつん! と代わりに俺の下顎にひどい衝撃。
生え変わった蛇の頭が、俺にアッパーを決めていた。
吹っ飛ばされて後ろに倒れた俺の上を、蛇がずろろっと這っていく。 その独特の感触に、俺は口を開くどころではない。
蛇は俺の上を通過すると、ガラスの嵌っていない窓から飛び降りた。
放心したまま俺は、半ば朦朧とした頭でその後ろ姿を見送る。 それから粘液に足を滑らしながら急いで立ち上がり窓枠に取り付くが、もう遅い。
周囲はただっ広い田んぼだというのに、視線を巡らせても蛇の姿は既になかった。
なんだったんだ、今の動き。 あれじゃまるで……。
考えながら左右を見回し、隣で同じ動作をしているミーヤに気づいた。
「に、逃げられちまったね」
ぎこちない笑顔で、話しかける。 叫んだ時に口が裂けたかと心配したが、そういうことは無いようだ。
俺が確認の為に自らの顔に触れると、ぬめっとした蛇の粘液が指についた。
ミーヤはそんな俺をギッと睨んだが、それが如何に手加減した表情か今は分かる。
いや、かと言ってこの背中に流れる冷や汗は止められないのだが。
「何で、ココにいるの?」
「いや、でっかい音がしたんで何かと思って」
俺にそう言われると、ミーヤは慌てて窓の外を再度見渡した。
「大丈夫、周りには俺しかいなかったよ」
あくまで多分。 俺が彼女を安心させる為にそう言うと、彼女はほっと息をついた。
しかし、すぐに俺を再度睨む。 バツの悪さもあってなのか、視線ビームの強さは更に三割減していた。
「ええと……」
『一般のフリをしなきゃ』
『化けの皮を被って、人間のようにね』
どう話そうか迷った俺に、双子が唐突に助言した。 心臓に悪いからやめてほしい。
「映画の撮影、とかじゃないよね」
『古い』
『ベッタベタ』
皆がする反応だから、ベタって言うんだろうが。
粘液でベタベタの体を気にしながら、内心で毒づく。笑顔が引きつるのを抑えられない。
しかし、ミーヤはその笑顔を不審には思わなかったようだ。
理由は多分、俺の視線が一瞬、彼女の右腕――いまだにウネウネと動く触手に向けられた所為である。
「別に、無理しなくて良い。 怖いのが普通ダカラ」
睨んでいた視線をはずし、俯き、ミーヤは自虐的な笑みを浮かべた。
そりゃ、誰だって化け物と罵られたり、恐れられたりするのは、辛い。
彼女だって俺と一緒だ。 そう思うと急に胸が締め付けられる。
こんな時俺ならどうして欲しい? なんて言って欲しい?
――彼女は、どうしてくれた?
「大丈夫、忘れさせてアゲル」
思い出そうとしていた俺の思考に、ミーヤの言葉が割り込んだ。
いつの間にか顔が近づけられている。
え、何? 唐突に色っぽい展開? いやいやいや。
俺は窓と彼女から後ずさりして離れた。
雅の表情は、先程の弱弱しいものから、ゾクりとするような冷たいもの。 蛇を始末した時のようなお仕事モードに戻っている。
これはまずい。 何をされるか分からないが、猛烈にやばい予感がする。
何か、彼女を思い留まらせる素敵な言葉は無いか?
「今日の素敵な君を、忘れたくないな」
その言葉に、ミーヤが怯む。
皮肉だと思われたか? いや、違うんだ。 別にその姿が変って言いたいわけじゃなくて……。
しかし彼女を慰めてる場合ではない。 ミーヤは再び俺に近づいてきている。
他に彼女の歩みを止める言葉はないか。 俺は頭の中を必死で探り――。
「昨日も蛇を見た!」
叫ぶと、ミーヤの足が止まった。 口を開けすぎて、端が少し破れたが
彼女が完全に留まったのを確認して、更に一言足す。
「それで、今日も奴を探してたんだ。そしたら――」
「詳しく話して」
よし、食いついた。
ミーヤの右手のにょろにょろも興味深げに揺れている。 そう考えるとあの腕もちょっとだけ可愛いものに思えてきた。
俺自身の混乱も治まってきた。 充分だと判断し、俺は喋っていた口を一旦閉じた。
「……どうしたの?」
「この先は、君の知っている事と交換でどうよ」
肩を竦め、両手をかるく挙げてながら言ってやる。 グローバルなジェスチャーのほうが分かり易かろう。
「取引する気?」
対するミーヤは生意気、とでも言いたげである。
「一応君より先輩なもんでね」
あくまで学校の中では、だが。 世界的に年功序列って通用するんだっけか。
言ってやると憮然とした表情になり、ミーヤは考え込む仕草を見せる。
考え込む彼女の返事を、俺は冷や汗を流しながら待った。