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 眩い光が収まったとき、轟貴也とどろき たかやが最初に感じたのは、三重の湿った磯の香りではなく、鼻を突くような「清潔すぎる空気」だった。


 貴也はゆっくりと身を起こす。二十七歳。格闘家として完成された肉体は、異世界の石床の上でも一切の隙を見せない。


「……なんや。ここは、伊勢の山奥か? んなわけないわな」


 貴也は整った顔立ちを不機嫌そうに歪め、周囲を見渡した。  

 そこは大聖堂のような広間だった。豪奢な装飾、ひれ伏す老人たち。そして中央には、泣き出しそうな顔で自分を見つめる、煌びやかなドレスを着た生娘がいる。


「おお……救世主様……! 本当に、伝説の召喚が成功したのですね!」


 第一王女――形式上の統治者と化したエルザ女王の娘、ルナが震える声で語りかける。  

 だが、貴也の視線はその顔にすら留まらない。彼は娘の立ち姿、重心の置き方、そして自分との距離を一瞥し、鼻で笑った。


「……おい、姉ちゃん。あんた、誰の許可得て俺の正面に立っとるん?」


 広場を支配していた高揚感が、一瞬で凍りついた。


「え……?」


「耳まで悪いんか? 三歩やわ。男の後ろを三歩下がって歩く。それができやん女は、俺の視界に入るな。親に教わらんかったんか? 三重の女なら、もっとマシな立ち居振る舞いしとるぞ。それとも、こっちの女は脳みそまで飾りなんか?」


 三重弁の柔らかな響きが、かえって彼から放たれる侮蔑の純度を高めていた。ルナは、人生で一度も向けられたことのない理不尽な悪意の塊に、言葉を失った。


「救世主様……? 私はこの王国の王女として、貴方を――」


「王女? 姫さんか。へぇ、道理でええ服着とるわ。やけどな、姫さん。そんな必死な顔して男に縋るもんやないに。売女みたいで格好悪いわ。....難儀やなぁ。国がピンチなんやったら、男の兵隊は何しとんのやわ。全員寝とんか?」


 貴也は立ち上がり、首の骨をボキボキとならした。  

 その傲慢な振る舞いに、近衛騎士アイリスが耐えかねて剣を抜き放つ。彼女はこの国で最も尊敬される武人の一人だ。


「貴様! ルナ殿下に対し、その言い草は何だ! 言葉の訛りは分からぬが、貴様の魂が薄汚い泥水が如く濁っていることだけは理解できる!」


 アイリスの剣が、貴也の喉元に突きつけられる。  

 だが、貴也は指先でその鋭い刃を軽く弾き、心底憐れむような目で彼女を見た。


「……あーあ、嫌や嫌や。これやから女は。見てみ、腕が震えとるやんか。みっともないわ」


「何だと……!?」


「いいか、姉ちゃん。得物持つのはなぁ、力のない女の仕事やに。自分じゃ何もできやん弱い女が、せめてもの護身に持っとくのが武器やわ。武人がそんなもん頼るようになったら、終わりやでさ」


 貴也は一歩、剣先の方へ踏み出した。喉に切っ先が食い込み、白い肌に血が滴る。しかし、彼は楽しそうに目を細めて笑った。


「だから、俺みたいな『ホンモン』は、そんなもん使わへんのよ。 自分の拳一つでカタつけられやんのは、男やないわ。……どきな。そんな包丁みたいなもん、俺の前に出すな。女は女らしく、包丁使うて後ろでご飯でも用意したらええんや」


 アイリスが怒りのままに剣を振ろうとした瞬間、貴也の掌が、彼女の顔面を無造作に、しかし強烈な力で押し退けた。石畳に崩れ落ち、屈辱のあまり目に涙を浮かべるアイリス。


「み、見下ろすな。」


 それでも貴也は彼女を見下ろし続け、心底不愉快そうに鼻を鳴らした。


「……泣いとんの? 難儀やなぁ。ええか、教えたるわ。女の涙なんてなぁ、しょんべんと一緒やでな。出しとればスッキリするかもしらんけど、周りから見れば汚いだけで何の価値もないわ」


 広間の住人たちは、救世主として現れたこの男の「正体」を理解し、絶望に震えた。これは英傑ではない。人間性の欠落した、得体の知れない怪物だ。


「……あんた」


 貴也は出口へ向かいながら、立ち尽くす王女を振り返り、最後の一撃を放った。


「そんな顔しとったら、嫁の貰い手なくなるでさ。そんなんさ、ドブに顔突っ込んで死ねばええよな」


 出口の扉を蹴り開け、男は去った。残されたのは、かつてないほどの静寂と、汚された聖域。


 その頃、街の反対側では、もう一人の男が「平和すぎる魔王領」に戸惑っていた。善意に溢れる勇者と、悪意を煮詰めた格闘家。二つの異物が、この世界の「秩序」をかき乱し始めようとしていた。

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