六
飛び出した先にあったのは、城壁に囲まれた街だった。堅牢な壁は、並の魔物の攻撃ではびくともしないだろう。
だが、今攻撃を受けているのは、地上ではなく上空からだった。
「ワイバーン?」
混乱する街に降り立ったミカエルシュナは、空から飛来する翼竜の群れに眉をひそめた。
姿形は、低位竜種のワイバーンに似ていた。
ワイバーンは前脚の無い小柄な翼竜の姿をした魔物で、竜種の中では翼の無い走竜に次いで弱い竜種に分類される。なぜならワイバーンの鱗は竜種の中で一番脆く、ブレスと呼ばれる口から吐き出す炎や氷の魔法を使えないのだ。集団で空を飛び行動するため、倒しやすいかと言われるとそうではないが、少なくともミカエルシュナにとっては脅威ではない。
だが、ミカエルシュナの記憶の中にあるワイバーンとは、明らかな差異が存在していた。
まず、記憶にあるワイバーンより大きい。一匹二匹ではなく、目視できる全ての個体が通常よりもふた回りほど違うのだ。ここまで差があると、見間違いや記憶違いはありえない。
加えて、鱗の色が違う。ワイバーンは基本的に茶色か、赤がかった褐色だ。黒泥のような色は見たことが無い。少なくとも、ルフェ領にはいなかった。
ここまでなら、ワイバーンの生態が変化したのかと思えた。千年という月日は、エルフにとっても短くない期間である。生態が変わるには充分だ。
だが、それだけでなく、ワイバーンは黒い靄のようなものをまとっていたのである。更に口から毒霧のようなものを吐き出していた。
ワイバーンはブレスも魔法も使えない。それがミカエルシュナの常識だった。それが崩れる光景に、彼女は動揺するしかない。
だが、それは一瞬のことである。すぐに切り替えて魔力を練ると、精霊を呼び出した。
雷属性の精霊は、ミカエルシュナの魔力を受けて雷を落とす。落雷はワイバーン達にあやまたず当たり、その巨体を落としていった。
その間にミカエルシュナは、風の妖精魔法で周囲の言葉を拾っていた。
やはり千年前と言語は変わっているようで、聞き馴染みのある単語は無い。だがそれでも、風属性の魔法で会話は可能になった。さっそく、近くの人間に声をかける。
「大丈夫かしら?」
声をかけた相手は、座り込んだ母子だった。
ふたりは突如現れた浮世離れした美女に状況も忘れて目を奪われ、その美女が引き起こした魔法攻撃の容赦の無さに絶句していた。そんなふたりに大きな怪我が無いことを確認し、ミカエルシュナは再び声をかける。
「避難場所があるなら、そこに向かいなさい。ここは危険よ」
「は、はい⋯⋯」
ミカエルシュナの言葉に頷いた母親は、子供を抱えて走り出した。それを見送った後、ミカエルシュナは周囲を見回す。
どうやら人気の無い場所に出ていたようで、周囲には先ほどの母子以外の生きた人影は無かった。あのふたりは、運がよかったのだろう。
ミカエルシュナは風妖精に偵察させつつ、落雷の音に近付いてきたワイバーン達に向かって剣を構えた。
今の落雷は、ワイバーンをおびき寄せるためのものだった。人を襲う彼らを一挙に殲滅する意図もあったが、自分に意識を向けさえすれば、後は魔力温存のためにも剣で対応した方がいい。
現代に魔物を駆逐する軍隊があるかは解らないが、そういった面々が来るまでの時間稼ぎぐらいはできるだろう。
ミカエルシュナは迫りくる黒い集団を、じっと睨み据えていた。
───
ローディウム帝国皇帝ユリウス・カルンシュタインの元に、急報が入った。
隣国ニーベル公国が突如変異種らしきワイバーンの群れに襲われ、公都の状況が解らなくなったというのだ。数から言って、魔物の暴動──スタンピードだろうと。
命がけでその報告を持ってきた密偵に短くねぎらいをかけ、ユリウスはさっそく自身の麾下である金獅子騎士団を率いる準備をした。
「ルキウス、留守は任せた」
「兄上、自ら向かうつもりですか」
戦装束をまとうユリウスに、皇弟ルキウス・カルンシュタインは眉をひそめた。
「わざわざ兄上が動かなくとも、俺が」
「いや、ニーベルの公都と連絡がつかないとなれば、公王と公子のことも気がかりだ。どちらにせよ、皇帝である俺が行くべきだろう」
ユリウスはルキウスの肩をぽん、と叩いた。
「おまえは皇都を守っていてくれ。俺が安心して戦えるようにな」
「⋯⋯皇帝陛下のご命令とあらば」
渋々受け入れた弟に苦笑し、ユリウスは準備を手早く済ませた。
可能な限りの早さで支度をし、ユリウスは金獅子騎士団を引き連れてニーベルとの国境へと向かった。その時点で、すでに変異種ワイバーンは国境の街にまで至っていたのである。
「遅かったか⋯⋯! だが、まだ間に合う。総員、住民の避難を最優先してことに当たれ!」
「「「「「はっ」」」」」
ユリウスの指示ののもと、騎士団はワイバーンに向けて剣を抜いた。
空を飛ぶことのできるワイバーンは、制空権を持つことを見ればそれだけで脅威である。だが特別強い魔物ではないため、騎士が数人がかりで挑めば倒せる相手だった。
だが、今街に出現しているワイバーンは、明らかに通常のものとは違っていた。
大きく、色が黒い、おまけに毒のようなブレスを吐き、瘴気のようなものをまとっている。一体でも厄介なのに、それが無数にいるときた。ユリウスは眉をしかめた。
「魔術師部隊、騎士達の守りを固めろ。神聖魔法が使える者は、解毒を優先して行え。変異種である以上、力押しで戦おうとするな!」
声を張りながら、ユリウスは自らも身の丈ほどもある大剣を振るった。
ユリウスに襲いかかろうとしていた一体が、そのひと振りで首を絶ち斬られる。返す手で後ろから吐きかけられた毒霧を振り払い、身体強化した脚で跳び上がった。
軽く人間ふたり分跳び上がり、低飛行になっていたワイバーンを真っ二つにする。何もできずに墜落したワイバーンをクッションにして地面に降り立ったユリウスが、更に指示を飛ばそうとした時だった。
突如、空の向こうがかっ、と光ったかと思うと、遅れて地響きのような音が鳴り響いた。その音に皆が──人間だけでなくワイバーンまで──動きを止める。
新手かと身構えるユリウスの視界に、ワイバーンがぎゃあぎゃあと聞き苦しい声を上げながら光と音の方角へ飛んでいくのが映った。全てがそうというわけではないが、これでだいぶ数が減ったことになる。
光の先に、何があるというのか。
「ふたり、ついてこい。光の元を探る」
ユリウスはそう言って光の元に向かった。
いつもなら偵察の騎士に任せるのにそうしたのは、彼の中で予感があったのかもしれない。
はたして──そこにいたのは、この世ならざる女だった。
白い花の髪飾りでまとめられた艶めくプラチナブロンド、内から発光しているかのような滑らかな白い肌、しなやかな身体──どれを取っても目を惹かれる。
だが、何より目を奪われるのは、その顔立ちだった。
どれほど腕のいい彫刻師でも、あれほど美しい形は作れないだろう。自らも人並み外れて整った顔立ちのユリウスをして、戦慄を覚える美しさ。完璧な形のパーツが完璧な位置にあるということがこれほどに美を体現できるということを、今目の前に出されたような気がした。もはや、人外の美である。
身にまとった白いドレスが御伽噺に出てくるような様式なのも相まって、女神フローディアが顕現したのでは、と思われた。
そんな彼女は、自らに迫ったワイバーンに向けて何かを振るった。よく見ればそれは細身の剣である。逆の手には小振りの盾もくくり付けてあり、とてもそうは見えないが、どうやら戦装束のようだ。
剣はワイバーンの喉をすっぱりとかき斬った。鮮血を避けるように後ろに跳んだ女と、ふと目が合う。大きな瞳は、春の花を思わせる淡い紫色だった。
春の瞳の女──のちにミカエルシュナ・ルフェという名であることを知る彼女が、自らの伴侶になる未来を、この時のユリウスは知るよしもなかった。




