二十三
穏やかに過ぎていく日常に、ミカエルシュナは慣れつつあった。妃候補と呼ばれることにも馴染んできたある日、思いがけない人物を見かけることになる。
「⋯⋯ネリア殿下?」
ミカエルシュナはその日、皇宮の外に出ていた。淑女教育の一環として、皇都の様子を見るためだ。
馬車に揺られてぐるりと一周するつもりだったミカエルシュナは、ふと離宮の方向に目をやり離宮の庭の隅でうずくまる黒髪を見付ける。
鉄柵にしがみつくようにして今にも倒れそうになっているのは、まごうことなくネリアである。ミカエルシュナは馬車を止めさせて慌てて降りた。
皇太后とネリアがいる離宮は、皇都の西側、貴族の屋敷が立ち並ぶ場所にある。離宮とは言うが、外観は屋敷程度の規模だ。立派だが、間違っても城とは呼べない。そもそも皇太后達を皇宮の外に出すために建てられたのだという。
その離宮から隠れるようにしてしゃがんでいるネリアに、ミカエルシュナはそっと声をかけた。
「殿下、大丈夫ですか?」
「⋯⋯あ⋯⋯ミカエルシュナ、嬢⋯⋯」
ネリアは顔を上げた。真っ青な顔に、ミカエルシュナは眉をひそめる。
「大丈夫ですか? 呼吸が苦しいのですか? それとも立ち眩み?」
「大丈夫、です⋯⋯少し、貧血を起こしただけで」
立ち上がろうとするネリアを、ミカエルシュナは押し留めた。
「いきなり立っては駄目ですわ。ドレスは汚れますけど、いったん座って⋯⋯エリル、何か飲み物はあるかしら」
「あ、はい」
同行していたエリルは、馬車から水筒とカップを持ってきた。ミカエルシュナは水筒の紅茶をカップに注ぎ、それを一口飲んでからネリアに差し出す。
「どうぞ、毒などは入っておりません」
毒の効かないミカエルシュナがしたところでただのパフォーマンスにしかならないが、気休めにはなるだろう。実際、ネリアは恐る恐るとだが受け取ってくれた。
ゆっくり嚥下するネリアを、ミカエルシュナはじっと観察した。
顔色も悪いが、身体が小刻みに震えている。寒いのか、あるいはそれ以外の理由があるのか。それに、僅かに瘴気のような気配を感じた。呪いのたぐいをどこからかもらったのかもしれない。
「殿下、これを持ってください」
ミカエルシュナは水晶の玉をネリアに握らせた。お茶会の後に自分を浄化するのに使ったものだ。
「殿下の症状は、おそらく呪いによるものです。この水晶で、少しは楽になるでしょう」
「⋯⋯ありがとう」
ネリアはカップを返すと、僅かに頭を下げた。それに対し、ミカエルシュナは微笑む。
「どういたしまして。⋯⋯殿下、可能なら神官を頼ってください。おそらく、殿下の身近に呪いの魔道具がございますわ。それによって、殿下のお身体に不調が出ているのです」
「⋯⋯でしょうね」
ネリアは呟き、よろよろと立ち上がった。
「ミカエルシュナ嬢⋯⋯ありがとう」
「殿下、まだ立ち上がっては」
「これ以上は、関わらないで」
思いのほか、強い口調で拒絶された。言葉を失うミカエルシュナに、ネリアは顔を背けて言い放つ。
「貴方は皇帝陛下の妃候補なのでしょう? なら、私のことなど気にしないでください⋯⋯さようなら」
ネリアはよろよろと離宮へと歩き出した。引き留めるべきか迷ったミカエルシュナは、結局彼女を見送ることにする。
「お嬢様、馬車に戻りましょう」
オリヴィアに促され、ミカエルシュナは頷いた。後ろ髪引かれつつ戻ったミカエルシュナは、ネリアの様子に顔をしかめる。
──彼女は、呪われていることを承知しているようだった。
──何か、心当たりがあるというの?
よく解らない状況だが、自分の胸の内に留められる問題ではない。
戻ったらすぐにユリウスに報告しようと心に決めた。
───
皇宮に戻ってすぐ、ミカエルシュナはユリウスに話があることを伝えた。なかなか許可が降りないことにやきもきしつつ、自室で勉強しているうちに、時刻は夕刻になっていた。
今日はもう会えないかしらね、と思っていると、突如、ユリウスに呼び出された。驚きつつも手早く準備を済ませて執務室に向かうと──
「⋯⋯なぜ、ミカエルシュナ様がいらっしゃるのですが?」
なぜか、ニヴィエ・デュラックがいた。ニヴィエは不満げな顔でミカエルシュナを睨み付ける。それを静かに受け止めつつ、顔をしかめているユリウスに視線を向ける。
彼の隣にはルキウスがいた。部屋の扉も開いていたし、ミカエルシュナが来るまでは文官もいた。万にひとつもふたりきりだと思われないように対策していたのだろう。
「こんな時間に、なぜデュラック嬢がいらっしゃるのでしょうか?」
「火急の用だと皇宮で騒いでな。周囲がどれだけなだめても聞かない上、皇太后とネリアのことだと言われては無視はできない。諦めて話を聞いて、貴女の力が必要だと思ったので呼んだんだ」
ユリウスの言葉に、ミカエルシュナの表情が引き締まった。
ミカエルシュナの力が必要、つまり客将としての実力を指してのことだと、彼女は認識したのである。
「何があったのですか?」
ミカエルシュナが尋ねると、ユリウスは重い口を開いた。
「まだ確定ではないが⋯⋯皇太后は、皇宮に封印されていた魔剣に手を出したらしい」
封印されていた、という不穏な言葉に、ミカエルシュナの眉根が寄せられた。
「その魔剣、とは?」
「我が国の宝物庫には、様々な品が納められている。その中には魔道具のたぐいも数多い。そして、扱いによっては災いになる物もある」
ユリウスは言葉を選ぶようにゆっくり言った。
「その中に、人に強力を与えるが、心身を蝕む魔剣がある。遠い昔、デュラック家から献上されたものだ」
「我が家の領地には古い遺跡群が存在していて、そこから時折魔道具が発掘されるのです。発掘したものは皇家に献上しているのですけど、その中に魔剣がありました」
ユリウスに視線を向けられて、ニヴィエが言葉を引き継いだ。
「最初から禍々しい気配をまとっていたので、封印措置を施して宝物庫に納められたと聞いていたんですけど⋯⋯その魔剣によく似た剣を、ネリア殿下が所持しているのを見かけたのです」
「⋯⋯魔剣の外見を知っているのですか」
「はい。献上品の目録は、絵付きでデュラック家で保管しているので」
ニヴィエは答えた。言葉に淀み無い様子から、本当のことなのかもしれない。
だが──
「デュラック嬢、これ以上はもういい」
ユリウスが冷たく言うと、ニヴィエは意外そうな顔を上げた。
「え? ユリウス様」
「情報提供感謝する。ここから皇室が対処する」
「では、私も」
「そなたの力は必要無い。疾く去れ」
聞いたことのないほど冷たい声だった。ユリウスの初めて見る様子に、ミカエルシュナは目を見開く。一方、向けられているニヴィエは、口端を引きつらせながらもユリウスとの距離を詰めようとした。
「でも、私は魔術師です。どのような場面でも、ユリウス様のお役に立てますわ。ミカエルシュナ様などより⋯⋯」
「そもそも、余はそなたに名を呼ぶ許可を出していない。それに魔術師は間に合っている。これ以上は皇室の問題だ」
「なら、なおさら」
ニヴィエが言葉を続ける間もなく、入室した文官と騎士によって無理矢理外に出された。
ニヴィエは部屋の外で騒いでいるようだった。扉越しに彼女の声が聞こえてくる。それを振り払うように、ユリウスはため息をついた。
「はあ⋯⋯」
「まさか、あんな冷たい対応をするとは思いませんでした」
「あれぐらいしてもめげないのでな。本当は会話するのも嫌なんだ」
ユリウスは頭痛をこらえるような仕種をした。あれでもめげないんだ、とミカエルシュナは遠い目になる。
「とはいえ、彼女の言葉を無視するわけにはいかない。調査は必要だな」
「あの、それなんですが」
ミカエルシュナはそっと挙手し、今日会ったことを話した。
無関係とは、どうしても思えなかったのだ。




