二十一
夜、寝室に入ったミカエルシュナは、寝る前に教本代わりの本を開いた。
ローディウムでは児童向けの小説だが、文字を勉強中のミカエルシュナにとってはちょうどいい内容となった。
内容はこの国の始まりを描いた建国神話だ。化け物となった悪徳領主をカルンシュタイン家の始祖が討伐し、そこから魔物も打ち倒して人々を助け、寄り集まって国になったという。
ユリウス曰く、この化け物領主は黒魔法によって変異した領主で、討伐を成したのは始祖本人ではないそうだ。ただ、血縁なのは確からしく、子供向けの話ではあえて一緒くたにしているらしい。
いずれ正しい歴史もきちんと学ぶことになるんだろうな、と思いながら文字を追っていると、不意に、肌をなぞるような悪寒を感じた。
「これは⋯⋯」
とっさにベッドに立てかけてあった剣をたぐり寄せ、ミカエルシュナは目を閉じたまま灯りを消した。しばしの間を置いて、寝室の扉が音も無く開く。ミカエルシュナは足音を消して、その扉に近付いた。
「っ、な」
扉から入ってきたのは、動きやすい服装に短剣を手にした男だった。ミカエルシュナはその男を引き寄せ、剣を突き付ける。
ミカエルシュナに気付かれているとは思わなかったのだろう。戸惑いの声を上げてなすがままになっていた。
「どちら様かしら? こんな夜中に訪れる方なんて、いらっしゃらないはずだけど」
「っ⋯⋯!」
男は答えない。その代わりとばかりに、短剣を振りかぶろうとした。その短剣を、ミカエルシュナは剣の柄頭で弾き飛ばす。短剣は男の手の届かないところまで飛んでいった。
ミカエルシュナは男を放り投げると、剣を正面に突き出した。鈍い金属音の後、小さな悲鳴を上げて別の男が倒れ込む。
「二、三⋯⋯五人か」
侵入者は、ひとりではなかった。同じ服装、似たような髪型の、これといって特徴の無い男達が合計五人、ミカエルシュナの客室に侵入していたのである。
ミカエルシュナはため息をついた。
「昨日の今日だというのに、早いわね⋯⋯我慢が効かなかったのはどちらかしら」
言葉と共に魔力を練ると、襲撃者達の身体に蔓草が巻き付いた。蔓草は固く手足を縛り上げ、五人を動けなくする。
悲鳴は上がらなかった。ただ何とか逃れようともがいている。だが彼らの想像以上に強い締め付けは、そう簡単にはほどけなかった。
それとほぼ同じタイミングで、オリヴィアが慌てた様子で入ってきた。
「お嬢様!」
「あら、オリヴィア。ちょうどよかった」
ミカエルシュナはオリヴィアを振り返って微笑んだ。オリヴィアは部屋の様子を見て愕然として膝を着く。
「申しわけありません! 気付くのが遅れ、お嬢様のお手をわずらわせてしまいましたっ」
「いいのよ。なかなかに手馴れているようだったもの」
ミカエルシュナは襲撃者達を見回した。
「ほかの騎士も呼んでくれる? 彼らを牢に運ばなければ」
「はっ、ただちに」
───
翌日、朝食を済ませたミカエルシュナの元に、ユリウスが訪ねてきた。
「ミカエルシュナ嬢、昨夜襲撃されたと聞いたが、大丈夫か?」
入室するなりミカエルシュナを頭から足元まで眺め、怪我の有無を確認するユリウス。そんな彼に、ミカエルシュナは苦笑した。
「大事ありませんわ、わたくしの強さは、陛下もよくご存知でしょう」
「確かに、貴女は強い。だが、強いからといって心配しないわけじゃない。貴女は、今は余の臣下なのだから」
ユリウスの言葉に、ミカエルシュナは目を瞬かせ、次いで吹き出した。
「陛下は、思った以上にお優しいのですね」
「そうか? これぐらいは普通だと思うのだが⋯⋯」
「そんなことはありません。臣下を人とも思わない、簡単に切り捨てる王もいることを、わたくしは知っておりますから」
ミカエルシュナはアルトゥールのことを思い出し、自然と視線を落とした。
アヴァロン時代のことを思い出さない日は無い。忙しさに紛れて必要以上に沈まないだけで、あの悲劇は今もミカエルシュナの脳裏に深く刻まれている。いつか風化するのだろうが、忘れることはできないだろう。ましてや今は、鮮烈に覚えているのだ。
気を抜けば、血と炎の臭いで立ちすくんでしまう。戻らない故郷を想って涙してしまう。
だから、忙しい今が、本当にありがたかった。
黙り込んでしまったミカエルシュナを心配して、ユリウスは彼女の顔を覗き込んだ。
「ミカエルシュナ嬢、大丈夫か? やはり怪我を?」
「あ、いえ⋯⋯本当に、大丈夫です」
「無理はするな。ただでさえ、こちらの事情に巻き込んだのだ。何か不満などあれば、遠慮無く言ってくれ」
「ありませんわ。強いて言うなら、ドレスに少々思うところがありますが」
誤魔化すために冗談めかして言うと、ユリウスは首を傾げた。
「既製品ばかりだったからな⋯⋯気に入らなかったか」
「そういうわけでは⋯⋯派手さは気になりますが、文句があるわけではないのです。そうではなく、コルセットとクリノリンが⋯⋯」
「クリノリン?」
不思議そうなユリウスに、ミカエルシュナはドレスを着る際の下着の不満点を話した。
コルセットがきついこと、クリノリンという防具じみたものを着用せねばならないこと、それを聞いたユリウスは、目を丸くした。
「婦人達のくびれとスカートの膨らみは、そんな拘束具のようなもので作っていたのか⋯⋯」
「そうなんです。わたくしの時代にはコルセットとクリノリンも無かったので、違和感が凄くって」
そう言うミカエルシュナの腰部分に、ユリウスの視線が向かう。スカートの膨らみはともかく、くびれの細さはほぼ変わらないのだが、ミカエルシュナ本人はよく解っていない。
「⋯⋯すまん、婦人の服飾に関しては門外漢だ」
「ですよね」
ドレスの話はそこで終わった。というか、振る話題を盛大に間違えている。
「それより、襲撃者なのですが⋯⋯」
「地下牢に捕えている。今頃尋問をしているが⋯⋯まあ、口は割らんだろうな」
「でしょうね⋯⋯」
彼らはかなりの手練れのようだった。それに襲撃の際もほとんど声を上げなかったところから見て、訓練された裏社会の人間だろう。拷問されたところで、首謀者は吐かないに違いない。
「皇太后殿下とデュラック嬢、どちらでしょうか」
「皇太后なら金の動きで掴めるが、デュラック嬢だったら難しいな。そもそもそちらに関しては、デュラック嬢伯爵家は、ノーマークだった。何しろ七年前の件でも怪しい動きは無かったから見張る理由が無いんだ。勿論、動きを注視するぐらいはしているが」
ユリウスの言葉に、ミカエルシュナは眉をひそめた。
デュラック家は皇太后の実家であるアウグスト家の縁戚である。反乱の疑いがある家と親密でありながら、無関係なんてことがありえるのか。
そもそも、アウグスト家の企みに関わっているからこそ、ニヴィエは選ばれたのではないか。
「⋯⋯陛下から見て、デュラック家の当主はどのような方ですか?」
ミカエルシュナの質問に、ユリウスの眉間にしわが寄った。
「どうとは⋯⋯凡庸な男だな。それに小心者でもある。先代は少し危険なほど野心があったが、今の伯爵は危険を犯してまでのし上がる気概は無いだろう」
「では、デュラック嬢の方はどうですか?」
「デュラック嬢は⋯⋯」
ニヴィエの名を口にしたとたん、ユリウスの顔が苦々しいものになった。
「⋯⋯彼女は、恋に狂っているように見える」
「恋に?」
「俺を運命の人だと言い、執拗に迫ってきてた。俺がどれだけ違うと言っても、聞き分けないぐらいには、自分の恋情に溺れている──そんな少女だ。もはや情念と言ってもいいだろう」
運命の人。ユリウスを指してそう言ったニヴィエは、はたしてどんな気持ちで口にしたのだろう。ユリウスから拒絶されてもそう信じ込むなんて、どれほどの想いを抱いているのだろう。
そんな彼女が、突然現れたミカエルシュナのことをそう思うか。
「⋯⋯デュラック嬢にとって、わたくしは邪魔な存在でしょうね」
ミカエルシュナの呟きに、ユリウスは頷いた。
「そちらの線で調べてみよう。貴女は変わらず、勉強に励んでくれ」
「かしこまりました」
ミカエルシュナは頭を下げた。脳裏の片隅に、ニヴィエの敵意に満ちた眼差しを思い出しながら。




