十九
ローディウム帝国の始まりは、魔物に変じた領主の討伐だ。それを皮切りに、カルンシュタイン家の祖先は魔物から人々を守り、人類の生存圏を広げていった。それゆえに皇族たる彼らには何よりも戦う力、守る力が求められた。
それは、皇族に嫁ぐ者も同様だ。装っているとはいえ、表向きは妃候補であるミカエルシュナとて例外ではない。
「⋯⋯っ‼」
皇太后がぎり、と唇を噛む。それを見たミカエルシュナは、内心でやっぱり、と思った。
ローディウムの皇室には、三つの騎士団が存在する。
ひとつは皇帝麾下の金獅子騎士団。ひとつは皇妃麾下の銀豹騎士団。最後は皇太子麾下の鋼狼騎士団。現在皇太子は立てられず、皇妃もいないため、金獅子騎士団だけがある状態だ。
だが皇太后は先代の皇妃。本来なら彼女が銀豹騎士団を率いていてもおかしくない。だが彼女の元に、銀豹騎士団は存在しない。
ユリウスは、皇太后に権力は無いと言っていた。それはつまり、皇族としての義務もこなしていないということ。
どうやら皇妃時代から、彼女が戦場に出ることは無かったようだ。勿論、誰しもが戦う才があるわけではない。皇族でも、戦場に出なかった者も少なくなかった。だがその場合、指揮する側に立って皇族の義務を果たしていた。
だが、皇太后はそんなこともしていなかったらしい。それもあって、皇妃時代に抱えていた銀豹騎士団は、ユリウスによって取り上げられていた。
そんな彼女に、正面から皇族の義務をぶつければ、どんな反応を見せるか。
「⋯⋯無礼な!」
皇太后は瞬時に激高し、ミカエルシュナに扇を突き付けた。
「わたくしが、皇族としての義務を放棄していると言いたいの⁉」
「そんなことは一言も申しておりませんが⋯⋯それとも、本当に放棄してらっしゃいますの?」
ミカエルシュナは首を傾げた。その言葉に、皇太后は言葉を詰まらせる。そんな彼女に代わり、目を潤ませたニヴィエが口を開いた。
「ミカエルシュナ様⋯⋯確かに皇族は戦場に立ちますわ。ですが私達の役目は、殿方を癒し、戦場での疲れを忘れさせることではありませんの?」
ニヴィエはどうやら、戦場を忘れさせない貴女に価値はあるの? と言いたいようだ。ユリウスの妃になりたいと言っている割には理解していない様子に、ため息が漏れそうになった。
「しかし皇帝陛下ご自身が、わたくしに共に戦場に立つことを求められたのです。そうせよと陛下に求められた以上、わたくしはそうありたいと思っております」
「それは、戦場でのことでしょう? それ以外はどうなの?」
「それ以外のことはこれから学べばいいと、陛下から言われております。ですがかの方から何より求められるのは、わたくしの力ですので、それ以外のことは陛下の采配で学んでる途中ですわ」
ユリウスから戦うことをこそ求められている、それ以外もユリウスが自ら手配して学んでいる途中だと、ミカエルシュナは明言したも同然だった。とたん、ニヴィエの顔が引きつる。
「⋯⋯ミカエルシュナ嬢は」
言葉を失ったふたりに代わり、口を開く者がいた。皇太后と一緒に入室した、黒髪の少女だった。
少女はサファイアの瞳でじっとミカエルシュナを見つめている。その瞳で思い起こされるのは、ユリウス、ルキウス兄弟だ。
やはり彼女は、と思っていると、少女は言葉を続けた。
「戦えるこを、誇らしく思っているのですか?」
「ええ、勿論です。⋯⋯失礼ですが、貴女は」
「申し遅れました。皇妹のネリアです」
少女はそう名乗り、軽く頭を下げた。
ユリウスの家族構成は、本人から軽く聞いている。
存命の家族は、弟ルキウスと、今目の前にいるネリアのふたりだそうだ。ネリアは皇太后が唯一産んだ子供で、前皇帝最後の子供になる。現在継承権を持つのはこのふたりと、公爵家の直系だという。合計しても四人だけだがそうだ。これだけ大きな国としては、少ない人数と言える。
その数少ない皇族のネリアは、戦場に出たことが無いという。戦う訓練──剣の修行はしているそうだが、戦場に出るのは皇太后が止めているそうだ。大切な玉体なのだからと。
──それを言うなら、最も尊い方である陛下はどうなるのよ。
皇帝自ら剣を取っているというのに、皇妹であるネリアが戦わないことに、彼女自身はどう思っているのだろうか。
「戦うことに、恐怖は無いのですか?」
ネリアは質問を続けた。真意が解らないながら、ミカエルシュナは質問に答える。
「恐怖が無いわけではありません。戦うことが恐ろしいと感じることもあります。ですがそれ以上に、自分が戦わないことで誰かが傷付くことが恐ろしいのです。その恐怖は、戦うことへのそれを凌駕する。少なくとも、わたくしはそうです」
「そう⋯⋯勇敢なのですね、貴女は」
ネリアはそう言って黙り込んだ。
「ね、ネリア?」
皇太后が戸惑ったように娘に話しかける。だがネリアは無反応で紅茶を飲んでいた。
そんな様子を眺めながら、ミカエルシュナも紅茶を口にした。舌に残る甘味に眉をひそめていると、ニヴィエがあの、と声を上げた。
「ミカエルシュナ様は⋯⋯いつまで皇宮にいらっしゃるつもりなのでしょうか」
「いつまで⋯⋯?」
ミカエルシュナは首を傾げて、うーんと唸った。
「陛下が望まれる限りは、お傍にいるつもりですわ」
「⋯⋯ユリウス様のお邪魔になると、そうは思わないのですか」
「邪魔、ですか?」
ミカエルシュナはふ、と笑った。
「邪魔だと思われるなら、直接言われると思いますわ。あの方は、そういう方です」
「そうでしょうか。あの方は優しい方ですから、貴女を傷付けるようなことは言われないのでは?」
「優しい方であることと、必要なことを言うことは、両立します。何より、あの方は皇帝です。それが正しいと判断すれば、きちんと行うでしょう」
「⋯⋯貴女は、自分がいることがユリウス様のご意思だと言うの?」
ニヴィエの声が、不意に低くなった。眼差しに明確な敵意が生まれ、ほとんと睨み付けるような形になる。それに、ミカエルシュナは美しい笑みを返した。
「勿論です。ところで」
「⋯⋯何か?」
「陛下は貴女に名前を呼ぶことを許可されているのですか?」
そう言ったとたん、ニヴィエの顔色が明確に変わった。さっと頬に赤みが増し、唇を噛む。眼差しは、もはや隠しようがないほど鋭くなる。
その変わりように、周囲の貴婦人達は動揺した。先ほどまで愛らしいと持ち上げていた少女の変貌に、付いていけないようだ。
おそらく、彼女達の前でニヴィエはずっと猫を被っていたのだろう。それが剥がれて、戸惑っているのだ。だが、おそらくそれでも彼女達はニヴィエをおだてることを止めないだろう。
ひとつは、皇太后が後ろ盾にいるから、もうひとつは──
「貴女⋯⋯どうして⋯⋯」
皇太后が信じられないという表情をしている。ミカエルシュナはそちらを向き、首を傾げた。
「わたくしがどうかいたしましたか?」
「い、いえ」
皇太后は視線を逸らす。あからさまに動揺する皇太后を眺めながら、ミカエルシュナは再び紅茶を口にした。
「わたくしには甘過ぎますわ」




