十七
淑女教育がスタートした。動き辛いドレスで、ミカエルシュナは現代の貴族令嬢に仕立てられることになる。
礼儀作法、教養、美術、はては社交まで、あらゆる知識を身に付けなければならない。
礼儀作法は、問題無かった。礼の仕方や食事の仕方など変わった部分は多いものの、基本的なことは変わらない。
姿勢正しく、優雅に、余裕を持って、美しく。それができて、初めて礼儀作法は身に付いたと言える。
「お嬢様は体幹が強いですし、お辞儀をしてもぶれませんし、微笑みも崩れませんね。早晩礼儀作法は完璧になるでしょう」
教師のお墨付きをもらい、ミカエルシュナは内心ほっとした。自信はあったとはいえ、そうして認められれば嬉しいものである。
勿論、目新しいものもあった。特に、昼時の軽食だ。
ミカエルシュナの時代には、朝と夜の二食しか食事を取らなかった。魔物を狩る者や兵士達などは魔物の肉を昼頃に食べたりしたし、ミカエルシュナ自身も野営に出た時はそうした食事を共にしたりもしたが、基本的には二食だけだ。
だが現代は、昼時に軽食を食べるようだ。それを社交にも取り入れて、お茶会を行ったりするらしい。初めて軽食を乗せた三段重ねのスタンドを見た時は、感動を覚えたものである。ティースタンドと言うらしい。
芸術も、過去の経験が生きた。ミカエルシュナの知る音楽や芸術知識は現代では古典に分類されるものだが、こちらもまた基礎ができているために難なく受け入れられたのである。かつて令嬢だったことがこんなところで役立つとは、ミカエルシュナも思わなかった。
逆に苦戦したのは、やはり教養だった。
読み書きができないというのはやはり致命的で、文字が読めなければ教本も読めないし、字が書けなければ勉強ができない。口頭ではどうしても限界があるのだ。だからとにかく、文字の練習を重ねることになった。
幸か不幸か文字や文法には過去のそれの面影があったが、それでも一朝一夕で習得とはいかない。とにかく反復を繰り返し、習得に猛進した。
だが、そればかりにかかずらってはいられない。
周囲の認識はともかく、ミカエルシュナの実際の立場は客将、つまり軍事面の客分だ。騎士団のところに顔を出さないわけにはいかない。淑女教育に比重を置き過ぎて腕が鈍るなんてことになってはいけないのだ。なので日に一度、具体的には午後に二、三時間ほど騎士達の元を訪れ、剣の稽古の相手をしていた。
そうして忙しい日々を過ごし、気付けば一週間が経過していた。そんな彼女の元に、予想外の人物から招待状が届いた。
「皇太后から招待状?」
エリルが持ってきた手紙に、ミカエルシュナは眉をひそめた。
皇太后──前皇帝の妃であり、謀反を企てた疑惑のある家門の出身者。ミカエルシュナが妃候補として振る舞う原因となった人物。警戒するなというのが無理である。
エリルとオリヴィアに手伝ってもらって読み解くところによると、明日の昼に開くお茶会に参加してほしいとのことだった。
「確かに明日、皇太后主催のお茶会があります。前日に招待状を送るということは⋯⋯」
エリルは言葉を濁したが、ミカエルシュナも気付いている。
これは、完全な嫌がらせだ。
「ドレスの指定は⋯⋯書かれていませんね。今からでも、参加者に探りを入れてきます」
「ドレスの指定があるの?」
「ある場合があるというだけですが。今は春なので、淡い色合いのドレスの可能性が高いです。それと、お茶会の際は宝石や貴金属類の装飾品の着用はマナー違反です」
「装飾品の辺りは聞いているわ。お茶会の作法を優先して教えられたけど、それが功を奏したわね」
ミカエルシュナは額を押さえた。
未知の社交であるお茶会を教えてもらったのは、まずそちらに参加する可能性があったからだが、まさかこんなに早くその予想が的中するとは思わなかった。
「髪飾りは⋯⋯花飾りはマナー違反かしら? これを着けて行きたいのだけれど」
ミカエルシュナは戦装束をまとめた戸棚から、髪飾りを取り出した。白い花とリボンで構成された髪飾りは、ドレスの装飾品としても見劣りしない美しさである。
「こちらは⋯⋯使えると思いますが、一体どうして?」
「魔道具なのよ、これ。わたくしの魔法を補助する役割があるの。敵地に行くのだもの、これぐらいの用心はしなくてはね」
さすがに直接的な攻撃はされないと思うが、何ごとも絶対は無い。対策はできるだけするべきだ。
「解りました。では、これに合うドレスを選別いたします」
「お願い。わたくしは、お茶会の作法の復習をするわ」
ミカエルシュナはそう言って、教本と紙の束を持ち上げた。内容はまだ半分も解らないが、一週間もあればざっとした概要ぐらいは把握できる。
勉強は嫌いではない。むしろ好きだ。必要に迫られたとはいえ、こうして勉強できる機会に恵まれて嬉しい。その成果を発揮する場ができたと思えば、気合も入った。
──不出来なところをさらして、嘲笑うつもりなのかもしれないけど、そうはいかないわよ。
生来の負けず嫌いが顔を出し、ミカエルシュナは不敵に笑った。
───
皇太后が住まう離宮の一室で、貴族の令嬢夫人達が集まっていた。
主催である皇太后はまだ現れない。中心にいるのは、ひとりの令嬢だった。
ウェーブがかったストロベリーブロンドを綺麗に整え、白いレースやリボンで飾った淡いピンクのドレスを着こなした、愛らしい少女である。長い睫毛に縁取られた大きな翡翠の瞳を細め、小動物のように小首を傾げて微笑む姿は、庇護欲をかきたてられる。
「ニヴィエ様、今日も愛らしいですわ」
「本当に。さすがローディウムの天使と称される方ですわ」
「ニヴィエ様ほど美しい方なら、皇帝陛下も放っておきませんでしょうね」
「ええ。このお茶会が終わったら、ユリウス様にご挨拶にうかがいますの」
甘い匂いが漂う部屋で称賛に囲まれながら、その令嬢──ニヴィエ・デュラックは歌うように言う。小鳥のさえずりのような、澄んだ声だった。
「さすがですわね」
「ニヴィエ様がいるのに、陛下がよそ見をするわけがありませんわ」
ニヴィエを持ち上げる貴婦人達が思い出すのは、現在皇都で出回っている噂だ。
ユリウスが自ら妃候補を見出し、連れ帰ってきたのだという。現在この噂はかなりの信憑性を持って話されているが、この場にいる誰もそれを信じていなかった。疑念を持つ者がいないではないが、この部屋に入ってニヴィエと話したとたん、その疑念は消え去る。
このお茶会に呼ばれた者達にとって、ニヴィエが妃になるのは決定事項なのだ。ユリウスがそれを否定しているにもかかわらず。
そんな全肯定の中で気分よく笑いながら、ニヴィエはちらりと前の席を見た。空っぽの席は、未だ招待客がいない。
──来れるものなら来なさいよ。
──誰も貴女なんて歓迎しないけどね。
唇に冷たい笑みを上らせていると、最後の客が来たと侍女が知らせてきた。その声が震えているのをいぶかしく思いながら振り返ると──
「まあ、少し遅かったかしら」
そこにいたのは、この世のものとは思えないほど美しい女だった。
まばゆいプラチナブロンドを花飾りで彩り、華奢でしなやかな身体を淡い青色の華やかなドレスに包んだ、浮世離れした美しいエルフ。顔を構成するパーツ全てが完璧な形をしていて、配置さえも非の打ちどころの無い場所に置かれている。影を作るほど長い睫毛の下にある淡い紫の瞳は、引き込まれそうな魅力があった。
絶世の美女というのは聞いていた。だが、ただの誇張表現だと思っていた。
こんな、この世ならざる美の権化だったとは。
「はじめまして、皆様。ミカエルシュナと申します」
春の精のようなエルフは、艶然と微笑んだ。




