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待ち人来たらず

「花井くん、君は初めて彼女を見た時どう思ったのかね?」

「はい。あまりに普通にあの席に座っていらしたので、きっと営業中だと思って間違って入って来られた方かと」

「ごく普通のお客さんのように?」

「ええ、ごくごく普通に座っていらっしゃったので。準備中だとお伝えしようと」

「何か不自然だとは思わなかったの?」

「はい。まったく。何度も言うようですが、あまりに普通。あまりに自然。店長や天宮さんやほかのお客様がそこにおられるのと何も変わりなく席についておられました」

「その、彼女と話をしたことは?」

「いいえ、わたしが気付いた途端に、いつもすっと消えてしまわれます」

 俺は思った。やはりこの子は本物だ。

 よく世間では彼らは不確かな存在であるように吹聴されている。ぼんやりだとか、ふんわりだとか、とにかくあいまいな状態で表現されることが多い。テレビ番組などでは、そう言う類の写真や動画を見せて「お気づきだろうか」などといかにもわざとらしく煽り立てている。

 しかしそれは違う。俺も今まで何度も見て来たが、彼らには俺たちと変わったところなどまったくなかった。普通に道ですれ違う人のように、またあるいは、普通に駅のベンチに座っている人を見かけるように、とても自然に存在している。知らなければきっと生きている人間だと思うことだろう。

 今彼女が俺たちに言っている内容はまさにそうだ。あの客に対するような敬語もきっと疑う余地がないところから自然に出ているのだろう。


 それから俺は二人といっしょにホールへ入った。

 ティータイムの華やいだ人の気配を残してはいるものの、予想通り、がらんとしていた。誰もいない。メインの照明は落とされていたが、もうすぐ五時だと言うのに、南に向いた大きな窓から入る陽光のおかげでホール内は十分に明るかった。

 俺は目を閉じ、視覚以外のすべての感覚を研ぎ澄ます。調理場の方からカチャカチャと食器の触れ合う音や、流水の音、パンを焼く香ばしい香りなど。

 その中に混じって人々の笑い声やひそひそと囁く声がかすかに聞こえる。しかしその声たちは、さっきまでここにいた客の残して行った声たちだ。愛、憎しみ、悦び、悲しみ、それらの取り留めもない感情が不完全に燃え残ったものだ。やがてこれらの思念は自然に消滅するだろう。残念ながらお目当ての彼女のものではない。もしも彼女の思念であったならばもっともっと強いはずだ。

「天宮さん、何か感じられますかな?」

「あ、いいえ、それらしきものは」

「そうですか」

 壁の時計。文字盤は洋酒樽の蓋を再利用した物だ。その酒樽時計がまもなく五時を指す。

「花井くん、彼女は五時よりも前に現れることもあるのかね?」

 石田がしびれを切らしたように花井に問い掛けた。

「ええ、早いときには十五分ぐらい前にはいらっしゃいますね」

「なぜ、決まってこの時間なのだろうね?」

「さあ、なぜでしょう。もしかしたら誰かと約束でもされているのかも」

「約束ねえ。幽霊でも待ち合わせするのかな」

 石田は腑に落ちない顔だ。

 壁の時計はすでに五時を十五分ほど回ったが、一向に現れる気配はなかった。

「店長、今日はもういらっしゃらないのかも」

「来ない日もあるのか?」

「ええ、ありますよ」

「わからん。なぜ来る時と来ない時があるのだ?」

「それはわかりませんが、店長がお店にいない日はいらっしゃらないことが多いですね」

「え? わたしが? ううむ。待ち人来たらずか」

 石田が半ば諦めたように囁いた。

                                続く  


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