3 始まり2
目を覚ますとそこは、見慣れた部屋。アイシャの自室である。眠っている間、猛烈な量の記憶を見た。常識も何もかもまったく別の世界で、一庶民の誰かとして生まれ、事故で死ぬまでの20年間の記憶。だが、その時の家族や友達はおろか、自分の顔や名前すら憶えていない。哲学と数学が大好きで、とにかく本を読んでいた。自分もそこに含まれるのだが、人間という愚かで不思議な生物が大好きで、所謂悪といわれる歴史上の人物をプロファイリングして、なりきってみたり。大学というところでは歴史の悪役を研究したくて、研究者になることを目指して勉強していた。
死因は、うっきうきで松永久秀という戦国武将の城、信貫山城跡に向かっていた時に、車にはねられたこと。悪人のなかでも戦国三大梟雄といわれる彼が大好きで、彼が最期を迎えた場所を感じたくて、信貫山城跡には何度通ったかしれない。
とにかく、どこの誰だかわからないが記憶が流れ込んできたお陰で残念おつむにアイデンティティが形成された。今までの自分の人生を振り返れば、小物でしかない。貫く信念も、悪の美学も、悪であるだけの教養も、何もかもない、ただ七光りで生き残ってきた小物。ただ、アイシャには頂点に君臨するものとしての、悪さに手を染めることに何のためらいもない才能だけがある。七光りの小物。おそらく、あの記憶の人物が最も嫌う部類の人間である。
ーーこんな人間で終わりたくないな。
そう考えた途端、鈍い痛みが走る。
「う、ぐ。あたま、いたい。」
なんだか一瞬、もっと大事な何かを思い出しそうだった気がする、のだが。
がたがたがた。
アイシャの声に気づいた侍女たちの足音がする。物思いにふけるのは一度ストップだ。やってきたのは三人。侍女頭のメリダ、侍女のサラ、カルメだ。その中から代表で侍女頭のメリダが話す。
「姫様!お目覚めになりましたか。お体の調子はいかがでしょうか。先ほど玉座の間でお倒れになられてから、半日ほどお眠りになられておりました。王妃様がとても心配されておりました。なるべく早く王妃様にお会いになられてください。」
メリダは王妃、アイシャの母から送られてきた侍女だ。それ故、アイシャに仕えていながらまるで王妃を主としているような発言が多い。今までは全く気にならなかったが、今は違和感に気づく。このメリダも、あと二人も、どこか虚ろな目をしており、とても気持ちが悪い。
「頭が痛いわ。それより、少し一人にしてちょうだい。母様にはわたくしが目覚めたことは黙っておいて。」
「ですが、早く王妃様にお伝えせねば、、」
虚ろな目で、虚ろな表情で、まるで機械のように。アイシャの発言を遮る。そんな彼女に対して、嫌悪感が増す。今までなら王妃という言葉に反応して即座に動いていたが、生憎今のアイシャは王妃に対して気持ち悪さを感じており、きつい体に鞭打って会いに行くほどの存在ではない。
「あら、わたくしの命令が聞けないのかしら?ねえ、あなたの主はいったいだあれ?」
いくら別の記憶が入り、小物な自分が嫌いになったとて、アイシャの「悪役」の才能は消えない。狂気には狂気で。アイシャが歪に、ニヒルに笑いながら話すと、メリダたちは立ちすくむ。恐怖の中に一瞬、彼女たちの自我が見えた気もした。
「あ、アイシャ様でございます。しょ、承知いたしました。なにかあればお呼びください。では、失礼いたします。」
ばたん、と扉が閉まると、ふっと体の力が抜ける。
「はあ、なんで今まで気づかなかったのかしら。」
周りがあんなに虚ろな目をして、虚ろに喋って。国の中枢すらそんな状況で。明らかにおかしい。もしかしたら、私もあの催眠のような、洗脳のような状態に陥っていたのか。
ーー気持ち悪い。
今はそれしか思えなかった。愚かさこそが人間の面白さ。人間臭さ。あの虚ろな人間たちからは愚かさ、人間臭さを感じない。まるで、機械のよう。
「あんなの人間じゃない。」
なんであんなことになっているのか、理由は明確である。母であり王妃、カリナ・クイーン・ミルカナ。彼女の持つ「神聖力」の正体が気になるところである。