新しい年を迎えて
正月が明け、鏡開きも過ぎた一月の半ば。
腕の怪我で入院していた栗丘は、退院してすぐ都内にある霊園へと足を向けた。
だだっ広い敷地に並ぶ墓石は、新しいものから古いものまで様々である。
その群れの中に、『栗丘家之墓』と刻まれたものがひっそりと佇んでいる。
栗丘がそこへ辿り着いた時、墓の前には先客がいた。
一見若い女性のようにも見えたが、和服を纏ったその体はどう見ても男性のものである。
「御影さん」
栗丘が声をかけると、男性——御影京介はその美しい素顔をこちらに向けて微笑した。
「ああ、栗丘くん。なんだか久しぶりだね」
互いにこうして顔を合わせるのは二週間ぶりである。
あの大晦日の夜以来、彼らはそれぞれ当てがわれた病室で体の回復に努めていたのだ。
「父さんの墓参りに来てくれたんですか?」
栗丘は目の前に建つ墓石を見上げながら言った。
御影は微笑を浮かべたまま、曖昧に頷く。
「二十年も待たせてしまったけれどね」
すでに花が手向けられた墓石の下では、栗丘の母と、祖父の二人が眠っている。
結局、父の遺骨を回収することはできなかった。
しかし二十年前の事件当時から死亡扱いとされている父の名は、隣に建つ石碑の表面にしっかりと記されている。
「って、あれ? 御影さん、もう体は大丈夫なんですか? 確か、俺より入院期間が長引くって聞いてたんですけど」
「ふふ。大丈夫、大丈夫。ちょっとぐらい外を出歩いても、回診の時間までに戻ればバレはしないよ」
「もしかして、抜け出して来たんですか!?」
まるで悪びれる様子もなく笑う彼に、栗丘は面食らった。
「もう、無茶ばっかりしないでくださいよ。急に倒れたりしたらどうするんですか」
「それなら心配はいらないよ。もしもの時は、ちゃんと介護してくれる可愛い娘が一緒だからね」
「娘?」
御影の視線に釣られて、栗丘は霊園のさらに奥の方を見る。
すると、墓の群れの間に立つ枯れ柳の下で、じとりとこちらを睨むマツリカの姿があった。
「『娘』じゃないんですけど」
と、すかさず拒絶した彼女は不機嫌そうに口元を歪ませている。
「マツリカ。お前も来てたのか。御影さんのことが心配でついてきたのか?」
栗丘が歩み寄りながらそう尋ねると、彼女はさらに眉間に皺を寄せて食いかかってくる。
「ちっがーう! あいつの心配なんかしてない! ただ、あいつがどっかで勝手にのたれ死んだりしたら、監督責任であたしが医者から怒られるの。それが嫌なだけ!」
彼女は顔を真っ赤にさせてそう反論したが、言い訳にしてはちょっと無理がある内容だなと栗丘は思った。
やはり彼女も御影のことを心配しているのだろう。
しかしそれを口にしたら殴られそうなので、知らぬ顔をしておく。
「そういや、『門の向こう側』の答えは見つかったのか?」
ふと、栗丘は気になって尋ねた。
先日の大晦日の夜、彼女は一時的にとはいえ、門の向こう側の世界を体験した。
御影の結界を介した上での体験だったが、彼女なりに何か得るものはあったのだろうか。
「全然。なーんにもわかんなかった。あんな暗くてじめじめした化け物だらけの場所を見せられたって、ただ気分が滅入るだけだったよ」
彼女はあっけらかんと答える。
「まあ、そうだよな」
はは、と苦笑する栗丘に、「でもさ」とマツリカは付け加える。
「あんたの父親、二十年もあやかしに憑かれてた割には、ちゃんと自我が残ってたよね」
「え?」
不意に父の話題を振られて、栗丘は思わず目を丸くする。
「二十年経っても残ってたってことは、うちの親も、そこそこ自我が残ってたのかなって。それだけはちょっと思った。憑かれてたのは八年だけだったし……」
「どこを見てそう思ったんだ?」
食い気味に、栗丘が聞いた。
父には確かに自我が残っていた。
けれどマツリカの視点からすれば、父はただ栗丘たちを殺そうと動いていただけに見えたはずだ。
そのどこを見て、彼女は父の自我を感じ取ったのか。
「どこって、決まってるじゃん。だって、泣いてたでしょ。あんたの父親」
さらりと言ってのけた彼女の言葉に、栗丘は言葉を失う。
「もしかして気づいてなかったの? 最後の方、あんたを踏んづけて殺そうとしてた時に、泣いてたよ。口ではあんなこと言ってたけど、心のどこかでは、自分の息子を殺したくないって思ってたんでしょ」
その事実に、栗丘は遠い空を仰ぐ。
最後の最後、父が殺される間際に見せたあの微笑みは、やはり見間違いではなかったのかもしれない——と。
今はもう確かめようのないことに、思いを馳せた。
◯
「あら、瑛太。おかえり。すぐに夕飯を作るからね」
霊園を後にしたその足で、栗丘は祖母の病院を訪れていた。
彼女はいつもと同じように、自分の孫と息子を取り違えている。
「ばあちゃん。俺はみつきだよ。孫のみつき。わかんない?」
このやり取りも、もう何度目になるだろうか。
返ってくる言葉は同じだとわかっていても、とりあえずはそう訂正するしかない。
また冗談ばかり言って、と笑う祖母の反応を待っていた栗丘は、しかし急に押し黙ってしまった彼女の様子に首を傾げた。
「ばあちゃん?」
「…………『みつき』?」
自分の名前を、祖母が口にする。
そんなこと、ここ数年は一度もなかった。
普段と違う彼女の様子を、栗丘は固唾を飲んで見守る。
「ああ、そうね。瑛太は、もう……」
言いながら、祖母はベッドの隣にある窓の外を眺めた。
やわらかな陽の光が、カーテン越しに彼女を儚く照らす。
「ばあちゃん……もしかして、思い出したの?」
そんな栗丘の声を聞いているのかいないのか、彼女は再びこちらに視線を戻すと、ふわりと笑みを浮かべて言った。
「おかえり、みつきちゃん。夕飯は何がいい?」
そう語りかけてくる彼女の笑顔は、栗丘が知っている数年前の祖母のものだった。
息子が門の向こうに消え、孫を引き取ることになった彼女は、二十年前の真実やあやかしの存在をひた隠しにして、ただ一心に孫への愛情を注いでくれていた。
だから、伝えなければと栗丘は思った。
彼女が大切にしていた、息子の末路を。
「ばあちゃん、俺……全部、終わらせたんだよ。話は長くなるけど、聞いてくれる?」
「あらあら、どうしたの。そんなに泣いちゃって。男前が台無しよ。ほら、しゃんとして。あなたは見た目よりもずっと強い子だって、私は知っているんですからね」
それから何時間もかけて栗丘は説明したが、結局、祖母に現状を理解してもらうことはできなかった。
何度同じ説明を繰り返しても、数分もすればまた記憶が振り出しに戻ってしまう。
それでも、彼女はもう二度と自分の孫と息子を間違えることはなかった。
それはまるで、栗丘瑛太がこの世を去ったという事実を、彼女が肌で感じ取ったかのようで。
父を失った現実を突きつけられているかのようで、栗丘はたまらず、彼女の腕の中で子どものように泣いてしまった。
やがて病室を出た時には、白い廊下は真っ赤な夕焼け色に染まっていた。
「少しはすっきりできましたか?」
と、予期せぬタイミングで声をかけられて、栗丘は「おわっ!?」と飛び上がった。
「あ、絢永!? お前、いつからそこに……」
病室を出てすぐの所に、彼はいつものスーツ姿で壁に寄りかかっていた。
「ついさっき来たところですよ。御影さんから招集がかかってますが、あなた気づいてないでしょう。きっとこちらに居るだろうと思って来てみましたが、正解でしたね」
「えっ、招集? 今日は休みなのに」
「事件が起これば休みだろうと現場に駆けつける。警察官の基本でしょう。さあ、早く行きますよ」
「えええ、嘘だろ? まだ病み上がりだってのに、人使いが荒すぎる……」
「御影さんなんてまだ入院中です。まったく、体を休めるってことを知らないんですから、あの人は」
はあ……と溜息を吐きながら、絢永は栗丘の首根っこを掴んでさっさと歩き出す。
「ちょっ、やめろよ! わかった、ちゃんと行くから! 子どもみたいな連れて行き方すんな!!」
栗丘が必死に抗議すると、やっとのことで絢永は手を放した。
「先日の百鬼夜行でこちらの世界にやってきたあやかしが、あちこちで悪さをしているそうです。大半は放っておいても問題ないでしょうが、被害の出そうなものから当たっていきますよ」
「へいへい。今年もあくせく働きますよ。ばあちゃんのためにも出世したいしな」
こうして昼夜問わず仕事に駆り出されていると、父の死を悼んでいる暇もない。
それが御影の狙いなのかはわからないが、栗丘はやっと気持ちを切り替えることが出来たようにも思う。
「そんじゃ行くか、相棒!」
「言われなくても」
軽快な掛け声が廊下に響く。
やがて二人は肩を並べて、同時に歩き出した。
『あやかし警察おとり捜査課』-完-




