人間とあやかしの狭間
「う、うーん……。そういうものなのか? いくらあやかしに憑かれてたって言っても、お前の親はもともと人間なんだろ?」
「あやかしに憑かれてた期間は、一日や二日じゃないの。最低でも八年は憑かれてたはず……。憑代になったのは多分、二十年前。あたしが生まれるより四年も前のことなの」
「二十年前、だって?」
その年数に、栗丘はもしやと思う。
二十年前に百鬼夜行が起こったのが本当なら、彼女の両親もその被害に遭った可能性が高い。
「二十年前にあやかしに憑かれて、そこからあたしが生まれて四歳になるまでの八年間、時々人を殺して食べてたんだって。……聞いたことない? 十二年前に捕まった、人喰い夫婦の話」
言われてみれば、過去の事件でそんな報道があった気がする。
栗丘の記憶違いでなければ、長年カニバリズムを繰り返したその夫婦は確か、最終的に獄中自殺を図ったのだとか。
「あたしはまだ小さかったから、親のことはよく覚えてないの。人を食べてたことだって、児童養護施設に入れられてから初めて知った。周りのみんながあたしのこと、人喰い鬼だって気味悪がってたから」
幼い頃に両親を亡くし、周りからそんな風に扱われた彼女の境遇を思うと、さすがに気の毒になってくる。
「警察や御影さんからは、何も聞かされなかったのか?」
「あいつらはこっちに質問するばかりで、情報なんてロクに寄越さなかった。表面的には優しく接して、あたしを利用するだけだった。事件の捜査に支障が出るのか知らないけど、自分たちの手の内を絶対に明かそうとはしなかった。あたしを使って、実験だって色々やってたし……」
「実験?」
不穏なワードに、栗丘は眉を顰める。
「あたしの体のこと、色々調べてたよ。憑代の両親から生まれた個体が、よっぽど珍しかったんじゃない? 実際、あたしはあやかしのことが見えるし、気配を嗅ぎつける嗅覚も優れてる。普通の人間じゃないって、あいつらも認識してたと思う。……最初はあたしも、あいつらのことを優しい人たちだって思ってたから、出来る限りのことは協力してたの。あやかしの捜査だって、あたしは警察犬みたいに使われてた」
そう話す彼女は伏目がちで、視線は手元のグラスに注がれていた。
表面には彼女自身の顔が映っており、どこか憂いを帯びた瞳でそれを見つめている。
「本当に馬鹿だったなって思う。何も知らないまま、あいつらの言いなりになって……。だからあたしは、警察が嫌い。特にミカゲ。あいつはすぐに嘘を吐くし、逆に大事なことはなんにも言わない。いつも何を考えてるのかわかんなくて、信用できない」
今となっては、栗丘も心の底から同意する。
平気で人を騙すような彼のことを、やはり信用することはできない。
(俺の父親のことも、いっそ全部ウソだったらいいのにな……)
しかし、誰よりも御影のそばにいるマツリカでさえその胸中がわからないとなれば、いよいよ御影の思惑を探るのは難しくなってくる。
「あたしは誰も信じない。だからあたしは、自分自身の目で確かめに行くの。自分が本当に『人間』なのか、それとも周りが言うみたいに『人喰い鬼のあやかし』なのか……。門の向こうに行けば、その答えがわかるかもしれない。あやかしが生まれるのは、いつも門の向こう側だから」
「そうは言ってもさ、あっちの世界にはあやかしがいっぱいいるんだろ。たとえそこに行けたとしても、取って喰われるだけじゃないのか?」
「わかんないよ。行って見てみなきゃわかんない。今まで門の向こうに行って帰ってきた人間は一人もいないんだから、あたしがその第一号になってやるの」
その口ぶりからすると、彼女はどうやら栗丘の父親について、御影から何も聞かされていないようだった。
「で、あんたはなんでまた急にあっちの世界に興味を持ったわけ?」
「えっ。俺?」
完全に不意打ちを喰らった栗丘は、慌てて返事を考える。
「あー、いや、その……そうそう! お前が門の向こう側に行きたがってたから、あっちの世界ってそんなすごい所なのかなーって思ってさ」
「ふーん。それだけ?」
さすがに、自分の父親が門の向こうから十年ごとに人を襲いに来る話なんてできない。
栗丘が苦し紛れに誤魔化しているところへ、ちょうどタイミング良くコース料理の一品目が運ばれてきた。
湯気の立つスープに気を取られたマツリカは、それ以上こちらを追及してくることはなかった。
ほっと胸を撫で下ろした栗丘は、そこでふと頭に浮かんだ疑問を口にする。
「ちなみにさ、これはただの好奇心で聞きたいんだけど……」
「何?」
「御影さんって、家の中ではあのお面は外してるのか?」
御影が常に身に付けている狐の面。
その下にある顔は過去の事件で焼け爛れたと言っていたが、自宅では普段どうしているのだろう。
「あのふざけたお面なら、家でもずっと付けてるよ。あたしもミカゲの素顔は一回も見たことない」
さらりと返ってきた答えに、栗丘は唖然とした。
そんな彼には構わず、マツリカはスープを一口飲むと、「まずい」と言って舌を出した。




