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人間の法律は関係ない

 

 大通りを逸れて細い路地を進んでいくと、次第に店の数は減り、ひと気もまばらになってくる。

 やがて暗がりに現れた五階建ての古びたマンションの前でマツリカは足を止めた。


「ここだね。あやかしのニオイがぷんぷんするよ」


「ここが? なんか、人が住んでる気配が全くないけど……」


 栗丘の言う通り、そのマンションからは生活感というものが微塵も感じられなかった。

 どこの部屋も明かりが点いておらず、建物全体が真っ暗である。

 さらには外壁が見るからに老朽化が進んでおり、壁に張り巡らされた水道管は所々が破損していた。


「どう見ても廃墟だけど、取り壊す予定もないのかな? あやかしにとっては住み心地が良いかもね」


「あ、おい。勝手に入ったらまずいって。不法侵入だぞ!」


 無遠慮に敷地内へと立ち入るマツリカに、栗丘は慌てて声をかける。

 だが、


「あんた警官でしょ。捜査の一環で立ち入ったってことにしとけば大丈夫でしょ。実際、あやかし退治はあんたの仕事なんだから」


「で、でも今は勤務時間外だし令状もないし……っておいこら、待てって! ……あーもう!」


 どんどん進んでいくマツリカに遅れを取るわけにもいかず、栗丘はヤケになって後を追った。


(どうか御影さんにはバレませんように!)






「……で、武器っていうのはあのお札みたいなやつか? まさか銃なんて持ってないよな」


 暗い廊下を歩きながら栗丘が聞いた。

 ここに来る前、マツリカはあやかしを退治するための武器を持っていると言っていたが、さすがに絢永が使っているような銃は一般人が所持することはできないはずである。


「え、持ってるけど? ほら」


「なんで!?」


 マツリカは背負っていたリュックから小ぶりな銃を取り出して見せる。

 まさか本物を所持しているとは思っていなかった栗丘は仰天した。


「言っとくけど、この銃は特別だから。別に実弾を入れるタイプじゃないし、ミカゲから許可も取ってあるし。だから、あたしが持ってても大丈夫なの!」


「で、でも一般人でしかも未成年なのに、そんな危険物を扱うのは……」


「ミカゲに人間の法律は関係ないって言ったでしょ。ていうか、それを言うならあんただって、こんな時間に未成年の女の子を連れ回してるんだから、そっちの方が問題だと思うんですけど」


 いや誘ったのはそっちだろ! と抗議する栗丘を無視して、マツリカは「しっ!」と口元に人差し指を当てて辺りを見回した。


「あやかしの気配がだいぶ近づいてきたよ。この階のどこかだと思う」


「そんなに近いのか? 俺はまだ何も感じないけど……」


 普段ならそろそろあやかしの気配を感じるはずである。

 だが、すぐ近くに潜んでいるというそれの存在を栗丘は未だ感じ取れずにいる。


「そこの部屋が怪しいかも。ちょっと中を見てきてよ」


「えっ、俺一人で行くのか!?」


 今にも朽ち果てそうな部屋の入口に、マツリカは目星を付ける。


「あんたがあやかしを誘き寄せてる間に、あたしが後ろから撃つ。そういう作戦でしょ。ほら、わかったらさっさと行く!」


「ちょ、押すなよ。待てって! お前、銃の腕は確かなんだろうな? 今は御影さんも絢永もいないし、下手したら俺は死ぬんだぞ!?」


「あたしを誰だと思ってんの。余計な心配は無用! それに、あんた警察学校では体力テストでぶっちぎりの一位だったんでしょ。いざという時はその自慢の足で逃げればいいじゃん」


 言われて、はた、と栗丘は目を瞬く。


「え。なんでそれ知って……」


「ミカゲが言ってた。あんたは足も早いし持久力もあるし、囮捜査には打ってつけだって。さすがに握力はないみたいだけど……体力と身軽さでいえば、右に出る者はいないんだってさ」


 思わぬタイミングで褒めちぎられて、栗丘は調子を狂わされる。


「ミカゲがあんたを選んだのは、ただあやかしが見えるからってだけじゃない。ちゃんと他の面も評価して、あんたのことを信用してるの。だからあんたももっと自信を持て!」


 マツリカからの激励を受け、まんまと栗丘はその気になってしまう。


「よおっし、任せとけ! この俺が必ず悪いあやかしを炙り出してやる!」


 そう高らかに宣言するなり、暗い廊下をずんずん進んで指定された部屋の扉に手をかける。

 もはや鍵がかかっていたのかどうかもわからない程ボロボロになっているそれは、栗丘の手が触れただけでほぼひとりでに手前へと開いた。

 キィ……という甲高い音とともに、少しずつ部屋の中が露わになっていく。


「…………ッタ……」


 暗くて何も見えない視界の先から、微かに誰かの声のようなものが聞こえた。

 と同時に、それまで感じられなかった『気配』が、急激に濃度を高めて栗丘の第六感を刺激する。


「……ハラ……ヘッタ…………。血…………ニンゲン、ノ……」


(いる。この部屋の中に)


 まごうことなき、あやかしの気配。

 それは栗丘のすぐ目の前、扉の向こう側に存在していた。


 逃げろ、と本能が警鐘を鳴らす。

 狙い通りあやかしを誘き寄せられたのなら、後は身を引くだけだ。

 栗丘は瞬時に床を蹴って後ろへと飛び退く。


 大丈夫。

 自分はあの御影も認めるほどの身体能力の持ち主で、足の速さなら誰にも負けない——そう意気込んだ次の瞬間。

 部屋の暗がりから飛び出してきた白い腕が、栗丘の右足首を掴んだ。


「って……ええええぇぇ————っ!?」

 

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