人間の営み
「……うう、こんなことが」
「加護を失って、雑魚雑魚勇者が、もーっとよわよわザコザコになってしまったのう❤️ キャハハハ❤️」
魔王の煽りに勇者は自失した、かに思えたが、
「……ま、まだだ」
彼は雄々しく立ち上がる。
その目はまだ死んでいない。
加護の力は失われたが、勇気までは尽きていない。
勇気こそが勇者の最大の武器なのだから。
彼は剣を拾って構えると、
「たとえこの体が骨肉の一片、血の一滴、魂魄の欠片に成り果てようとも戦い抜いて見せる!」
燃え盛る炎のように、青い闘気が立ち昇った。
「くらえっ! マグナ・ブレード!」
跳躍し、闘気をまとわせた剣を振りかぶる。
四天王のリーダーを討ち取った必殺剣だ。
「でやあーっ!」
振り下ろされる渾身の斬擊に、
「魔王チョーップ☆ なのじゃっ!」
紫光の光芒を持った手刀が交差する。
激しい激突音、の直後、
くるくると回りながら大きく弧を描いて飛んだ何かが、床に突き刺さった。
それは中ほどから折れ飛んだ、聖剣の剣身。
「ば、馬鹿なっ! 氷剣アズキーバをしのぐ硬度があるこの聖剣を、素手の一撃で……!?」
「ふふふ、超最強となったわしのチョップに砕けぬものなどないのじゃ!」
魔力を高めた肉体はすべての強度が上がっている。
そこから放たれし技は、押し並べて至高。
しかも魔王チョップ☆の☆とは、古の魔族文字で「星をも砕く」という恐るべき意味を持つ。
「こちらもゆくぞ、魔王パーンチ☆ 連打じゃー!」
単発でも脅威だった「魔神突き」に匹敵する突きが、毎秒数十発の速さで繰り出された。
勇者の目の前が無数の拳で埋め尽くされる。
「ぐ、ぐはあーっ!」
閃光の束を浴びせるような高速連打を全身に食らい、彼は喉を見せて舞い上がった。
ドシャッと無惨に床に落下すると、伝説の鎧が細かくひび割れ、ほとんど砕けてしまっていた。
堅牢な鎧に辛うじて命だけは救われた。
だがダメージは大きく、体をすぐに起こすこともできない。
魔王は仰向けの勇者を勝利宣言するようにげしげしと踏みつけてから、胸に馬乗りになった。
「ホ~ント、雑魚雑魚で弱々な勇者よのう❤️ この程度でわしをどうこうしようと思っていたとは、身のほど知らずもいいとこじゃ」
「くっ……真・魔王……つ、強すぎる」
「あ~あ、雑魚勇者が弱っちすぎてぇ、わしもう飽きちゃったなー。ここらでぼちぼち、終わりにするか、のう?」
魔王が掲げた右手に大きな魔法弾を作り出す。
勇者、万事休す。
そう思われた瞬間、その魔法弾がしぼんで消えた。
グキュルルルルル
「変身でおっきなエネルギーを使ったから、腹の虫が鳴いとるのう。さっきからペコペコじゃあ」
腹をさすっていると、魔王は何かに気付いたようにクンクンと鼻をきかせた。
「勇者よ、なにか食い物を持っておるな?」
彼の腰のホルダーに提げられた、小さな袋に目をやる。
それはどんなアイテムも縮小して大量に入れることができ、食べ物などの保存もきく、魔法の袋だ。
「ふふふ、勝者は敗者から奪える権利があるのじゃ♪」
隣にしゃがんだ魔王がゴソゴソと中をあさると、薄紙に包まれた食べ物が出てきた。
包みを取ると、
「んん、なんじゃこれは」
柔らか目のクッキーシュー生地にカスタードをたっぷりと注ぎ入れ、チョコレートでコーティングした菓子だった。
魔王は茶色くモコモコとした形状を興味深そうに色々な角度から眺めていたが、
「まあ、人間の下賎な食い物じゃろうが、腹の足しにはなるか。どれ、食ろうてやろう」
両手で持つと、
あむあむ、はむはむ、もふもふ、もちゅもちゅ
「──うっ!」
魔王は目を大きく見開いた。
「うう、美味い! 美味すぎるのじゃ! 外はカリカリサクサク、その下はふわふわで、中はしっとりもちもちじゃ! 特にこの粘性のある中身が甘くて甘くてどうにもたまらん! なんじゃ、この甘いものは」
「……カスタードだが」
「かすたーど? かすたーどというのか」
その目にはキラキラな星が浮かんでいる。
魔王は菓子に心を鷲づかみにされ、完全に魅了されている。
「むうう、人間の世界には、かように美味い物があったのか!? これに比べたら、魔族の間で最高の美食とされるアビスワームの姿煮など、カスじゃ!」
アビスワームは目のないイモムシとムカデを足して、触手と突起を生やしたような虫である。
人間からするとグロテスク以外の何物でもなく、餓死寸前でも口に運びたいとは思えない料理だ。
「勇者、なんなのじゃこれは。人間の最高の王から下賜された、贅の限りを尽くした特別な食い物か」
「いや、それは俺が故郷を旅立つときに菓子職人の両親から渡された、手作りの、どこにでもある普通の菓子だ」
「これが、どこにでもある、じゃと……?」
勇者はようやく片肘で体を起こすと、
「家を懐かしまないように、ずっと食べずに取っておいたんだ。俺の故郷は菓子が名物でな。だが、世界を征服されて人間が滅ぼされたらそんな食い物もなくなる。俺が勇者として、もっと戦えていたら……」
「人間が滅びたら、この菓子がなくなる……?」
魔王の瞳がふるふると震えている。
この戦いが始まって以来、初めて動揺している。
(まさか、世界征服と菓子を天秤にかけているのか? 今の魔王の思考や価値観はおそらく子供同然。うまく煽れば、あるいは、秤を人間側に傾けることもできるんじゃなかろうか)
勇者はあえて平静を保つと、
「ああ、なくなるな。ところでその菓子は庶民が日頃から簡単に口にできるレベルのものだ。それより美味いものなど山ほどある。たとえば、濃厚なバターを上品かつたっぷりと使用したもの、ホイップクリームをこれでもかとのせたもの、フルーツを山盛りにしたものや、焼きたてにはちみつをとろりとかけたものも」
「な、な、なんじゃそれは、一体どのような料理なのじゃ!? うまいのか!?」
「断言する、途方もなく美味い! ……だが、説明したところで、どうせ人間が滅ぼされたら尽く消えるんだ。国ごとに美味い名物料理があり、町ごとに料理の達人や、小さな村に料理名人のおばあちゃんがいたりするが……みんな世界征服の果てになくなってしまうんだ。ああ、本当に残念でならない」
「え、そ、そんな……な、なら、作れる者を我が城に連れてくればよいのじゃ」
「連れてきたところで食材はどうする?」
「食材? その辺のモンスターから採れるものではダメなのか?」
「馬鹿を言うな」
「ば、馬鹿じゃと!?」
「俺は勇者の紋章が浮かぶまでは、普通に菓子職人の修行をしていたんだ。腕前は重要だが、食材も料理の味を大きく左右する。厳選された新鮮な牛乳や卵は必須だ」
「なんじゃ、ならば牛や鶏もここに連れてくればよい」
「そんな簡単にいくか。家畜はデリケートで環境が変われば乳を出さなくなるし、卵も生まなくなる。この辺の酷い気候じゃ味も落ちるだろうな。いや、連れてきてもストレスですぐ死んでしまうかもしれない」
「あ、あうあう、でも、じゃ」
「それに砂糖や小麦粉、油、他にもたくさんあるぞ。どれが欠けても料理は完成しない。そしてそれらを丹精こめて作ってるのは、お前が滅ぼそうとしてる人間なんだ」
「えっ、えうぅ」
「……まあ、人類を滅ぼして人間界を制圧するのがお前の野望なんだろう。世界の希望だった俺にはこの通り、もう止める術は残っていない。好きにすればいいさ」
勇者は投げやりに言ってから、だがな、と続け、
「魔王、お前は制圧した地上に君臨し、これから悠久のときを生きるのだろう。数千年か数万年か。だが、人間の美味い料理や菓子を1度も口にすることなく、味や見た目を想像すらできずに、長い長い年月を過ごすことになるんだ。さっき言っていた、アビスワームだとかを毎日モソモソと食いながらな」
最後通牒でもするように言い捨てた。
「あ、あ……あうぅ」
冷徹で残虐無比の象徴である魔王が、瞳のはしに涙を湛えていた。
まるで叱られた子供。
有利不利の立場が逆転している。
「い、いやじゃ、そんなのいやじゃ、もっと美味いものを食いたいのじゃ」
「でも世界征服するんだろう? なら仕方がない、避けようのないことだ。そうだろう?」
逆上でもされたら何もかも終わりだ。
勇者はきわめて冷静に努めながら、魔王の言動を見張る。
しばし、深く沈黙していた魔王が口を開き、
「……や、やめじゃ」
「やめる? なにをだ……?」
「世界征服は止めるのじゃ」
「!?」
ついに世界を左右する決定的な一言を引き出せた。
だが相手は魔王、その一言を言質や担保にできると考えてはならない。
勇者はあくまで沈着を装って、
「……どうした魔王、なぜ、急に」
「なぜ? そんなのは、わしが人間の美味い食い物をもっと食いたいからじゃ! これが食えなくなるくらいなら人間界の制圧はやめじゃ!」
それほどあの菓子が魔王の心をつかんだのか。
グッジョブ、菓子を持たせてくれた両親。
ナイス、なんだかんだで食べずにおいた俺。
勇者は心の中でグッと握り拳を作った。
「この魔王、久々の美食に胸が躍り、心が奮えたわ。しかし、地上にこんな美味いものがあるなど、我が部下どもは誰一人として報告しに来なんだぞ! どうしてじゃ!? これでは職務怠慢ではないか! 各地に派遣した、四天王や八魔衆軍団は一体何をしてたのじゃ!?」
「何をって侵攻作戦だろ。それに魔王にご当地グルメのリポートをする奴がいるか。わざわざ玉座の前に跪かせて、どこの国のどの料理が美味かったとか、四天王にやらせるのかよ。……いや、そんなことより──確認するが、本当にもう世界征服は止めるんだな? どこか魔族に屈したようで忍びないが、人間界が何事もなく平和を保てるなら、それに越したことはない」
「フッフッフッ、甘いのう、雑魚勇者よ」
「!?」
「物事には必ず対価や代償というものが必要なのじゃ。この魔王が、ただで世界征服から手を引くわけがなかろうて」
「なんだと!? 代わりになにを求めるつもりだ! 国の1つか2つ、いや、主要な大陸の一部をよこせとでも要求するのか!?」
「国? 大陸? くだらぬ。そんなものに価値はない。なぜなら、食っても美味くないからじゃ!」
「は?」
「わしにこの菓子のように美味いものを毎日献上するのじゃ。さすれば、その間は止めてやろう。ふふ、よいか、毎日両手で持てないくらい、い~っぱいじゃぞ!」
両手を頭上から左右に開いて、山を表現するように、
「い~っぱい、い~っぱいじゃからな!」
と何度も強調する。
ぴょんぴょんと跳ねながら。
(魔王なのに、端から見ると死ぬほどバカっぽいな)
実際、バカになってしまったのだ。
いっぱい持ってこいと言われたが別に困らない。
勇者の両親は腕のいい菓子職人だが、あの程度の菓子なら店で毎日出している。
それも単価は1ゴールド以下。
さらに5個、10個ごとに箱に入れてくれるサービス付きだ。
「分かった。いやしかし、勇者の俺がこんなことを言うのもあれだが、本当に世界征服はいいんだな?」
「うーん、考えたらなんかもう色々とめんどいし」
「めんどいし」
「だって仕事丸投げできる部下も残ってないしさー。雑魚の分際で勇者が全部やっつけちゃったせいじゃぞ」
魔王配下を倒しておいたことで、間接的に世界征服の阻止に繋がったらしい。
勇者の数々の死闘は決して無駄ではなかった。
「でもなんか、世界を征した暁には何か目的がって」
「たしかに何かやろうとしてたんじゃが、実は変身したら細かい計画をみ~んな忘れてしもうたのじゃ」
知力が下がりすぎて、最終目的は忘却の彼方。
大賢者であろうと足元にも及ばぬと云われた、人智を超えた叡智の持ち主、魔王の言葉だとはとても思えない。
「まあ、すぐ忘れるような目的じゃから大したことではなかったんじゃろう。もう正直、世界征服とかどうでもいいのじゃ」
にゃはははは、と腰に両手を添えて、魔王は笑い飛ばした。
勇者は察した。
なぜ「変身の秘術」が魔族のなかでも禁呪なのか。
それは凄まじい戦闘力強化を与える一方で、それ以上に、致命的なレベルでの知力低下がこれでもかと顕著に表れるからだ。
貫禄ある老魔王も、まさか自分がここまで変貌するとは思ってもみなかったのだろう。
おもに、おつむの中身的な意味で。
試そうにも、生涯で1回しか術は使えないわけで。
勇者はふと四天王のリーダーを思い出した。
志は違えど、忠義のためなら命も惜しまぬ武人。
傷付いた勇者の不意をつけば楽勝だったにも関わらず、彼の傷を回復させ、一騎討ちを望んだのだ。
死闘の果てに倒されたときも、
「我が命、魔王様の野望の礎となれるなら本望だ」
そう言って散っていった。
彼が今の魔王を見たら、どう思うだろう。
きっと膝から崩れ、腰を折り、そのまま額を地面に擦り付けながら号泣するのではなかろうか。
嗚呼、気の毒である。
そして勇者はなんだかひどく、宿敵魔王のことも気の毒になってしまった。
邪悪なる意思、つまり邪気らしい邪気も抜けてしまって、能力は最強だが、何もかもが子供のいたずら感覚なのだ。
これが文字通りの、無邪気、なのだろうか。
だからといって、これまでの数々の悪行をなかったことにはできないのだが、勇者も怒りや敵意の矛先を向けられなくなってしまった。
「そーゆーわけで、世界征服おしまい!」
知力や思考が子供同然となった魔王は、自身がたとえた「幼子が気まぐれに玩具を壊す」のと同様、気まぐれに世界征服を止めてしまった。
こうしてあまりにもあっけなく、世界の存亡をかけた戦いに終止符が打たれた。
グゴゴゴゴゴゴ
地を揺るがすような地鳴りと震動。
魔王城が崩壊を始めたのだ。
「む、いかん。城が崩れるのじゃ」
「崩れるのじゃ、じゃねえよ。他ならぬ、城主本人が爆発魔法を撒き散らしたせいだろうが」
「うーむ、部下の報告を聞くためだけに建てた城じゃから、安普請で造りが脆かった可能性も否定できんのう」
「そんなこと言ってる場合か!? くそ、ダメージで体がいうことをきかないっ」
「一刻も早く脱出するのじゃ。つかまれ、雑魚勇者」
「な、魔王……」
「勘違いするでないぞ。これもすべてはあの美味い菓子、かすたーどをたらふく食うためじゃ」
魔王は勇者の腕をつかむと、
「魔王ジャンプじゃ!」
今まさに崩落しようとする床から、2つの光が天高く飛び立った。