七話 砂まみれの雫
『待って―――』
その言葉が艦橋に居る、コウ達全員に聞こえてきた最後の通信だった。
映像はとっくに途切れ、音声も全く聞こえずにノイズ音だけが響いてくる。
最後は殆ど、何がどうなっているのか映像を見ていてもまるで把握できなかったが、赤く焼けた爆発があったことだけは理解が出来た。
それはとても、現実に起きているものだとは思えなかった。
全員が何も映さなくなったモニターに、呆然と顔を向けている中、ボッシだけは淡々と端末の前で操作パネルを叩いて、口を開いた。
「クウル、通信は拾えるか」
『途絶えたまま』
「アンテナが死んだな?」
『多分』
「分かった」
その声を切っ掛けに、艦橋内に居るクルーたちは全員が気付いたように自分の操作パネルへと向き合って、居住まいを正していく。
暗くなったノイズばかりが走る映像を、じっと見つめたまま離れられないのは、コウとジュジュだけだった。
「ジュジュ」
「え? あ、そ、そうね……」
ジュジュは声を掛けられてようやく正気に戻る。
「ホーネットの、回収に向かいます」
「周辺を警戒しながら移動する。 ミミズ共がまだ居る可能性がある、各種センサーからは目を離すな、いいな」
「了解しました」
「分かりました」
ジュジュの声は震えていた。 ボッシが彼女の後を引き継ぐように、指示を出していく。
ようやくコウもモニターから僅かに離れるようにして後退りすると、ジュジュが震えた声で指示を出す姿を追った。
彼女の顔から血の気が引いている。
それが分かるくらい、顔を蒼白にして。
この惑星の何が分かる。
この場所で何ができる。
そう尋ねられた記憶の中の言葉が、コウの頭の中で何度も繰り返されて。
シップ・スパイダルがゆっくりと動き出して、ホーネットの回収に向かって行く。
無事でいてくれ。 それはきっとこの艦橋に―――いや、このシップに乗り込んだ者たちが全員思っていることだ。
ホーネットに乗っている知人なんて、怒声や罵声ばっかり浴びせてきたアンズだけだったけれども。
コウは通信から聞こえてきたアンズの無事を祈らずにはいられなかった。
まだ、謝ってもいないのだ。 これでお別れになるかもだ何て、思う事さえ嫌だった。
「生きてろよ……」
誰にも聞こえないような小さな声。
その言葉を耳で捕らえたのは、すぐ近くに居るジュジュと、ボッシだった。
顔を見合わせ、ジュジュはボッシに小さく頷く。
立ち尽くし、未だにショックを受けているような様子を見せるコウに、低い声がかけられた。
「コウ君、大丈夫か」
「ボッシさん……俺は、ぜんぜん」
「そうか。 スパイダルが動いてる間は、艦内を動き回ると怪我をする危険性がある。 そこで座っていると良いだろう」
「は、はい。 ありがとうございます……あの、ボッシさん……えっと、俺」
椅子に体重を預け、腰を深く落としたコウは、顔を俯かせて言い淀んで拳を握りこむ。
そんな彼にボッシは目を細めた。
時間だけが過ぎて、スパイダルの移動音が響く中、ボッシはコウの傍にずっとついていた。
やがて、目的地にようやく着こうかと、鋼鉄の蜘蛛が減速を始めた頃に、俯いていた顔を上げるコウ。
そんな顔を上げた彼の表情に、鉄面皮で無表情だったボッシの顔が驚いたかのように、少しだけ動く。
「俺、あの艦外機と似たような物を専攻していました。 だから、俺も……!」
「コウ君、その話は後にしよう。 そろそろ現場に着くようだ」
「脚を突き刺して、アンカーを」
「稼働します」
ジュジュの短い指示に答え、無骨な金属の脚から固定用のアンカーフックが射出され、脚が大地に固定される。
大きな振動が一度、訪れて艦橋を揺らしたかと思うと、それまで続いていた振動はまったく無くなった。
ボッシが小さく頷いて、コウの肩を優しく叩いた。
「一緒に見に行くかい?」
「行きます」
この惑星ディギングに生きる事。 それをしっかりと知って貰う為には、一番手っ取り早いと考えて、ボッシはそう提案した。
ボッシが今までに出会ったことのある《祖人》と同じように、コウは現実に惑星ディギングで起こっている事と、千年前の常識の間に挟まれて精神的な不安を抱えていた。
その状態を察していたからこそ、顔を上げた時に見せたコウの強い意思のようなものを敏感に感じ取れた。
だから、大丈夫だと思った。
百聞は一見に如かず、という諺ではないが、今のコウはしっかりと惑星ディギングに住む人々と同じ顔をしている。
今回の《土蚯蚓》の襲来は、シップ・スパイダルにとっても、コウという《祖人》にとっても良い経験になったのかもしれない。
もちろんそれは、幸か不幸かで言えば不幸だろうが。
艦橋から走り出して、先に向かってしまったコウの背が、角を曲がって消えていく。
ボッシは襟首を一度なぞるように、服を整え直すと、蜘蛛の腹にある発着場へ向かおうとジュジュに告げた。
「艦長、では私は発着場へ向かいます。 こちらはお任せいたします」
「はい……お願いします、ボッシさん」
コウの後を追うように、ゆっくりとボッシは艦橋から出て行った。
「何がエネルギー切れだっ! 全部テメェのせいだぞ!」
コウが発着場に駆けつけて、最初に耳に聞こえてきたのは、スヤンの大きな怒鳴り声だった。
ホーネットの動力は電力で、それが無ければ当然起動はできなくなるし、動かなくなる。
その電気はシップに蓄えられた太陽光エネルギーから蓄電を行う。
液体燃料でも稼働することは可能だが、特殊な工程を踏んで作られるそれは非常に希少だ。
二つの恒星から送られるソーラーエネルギーでの蓄電がこの星では主軸であり、出力の増減によって変わるが数時間以上の採掘作業を前提としている為、出撃後すぐにエネルギーが切れるなどと言うことは本来ありえない。
今回は、一機のホーネットがエネルギー切れで動けなくなったせいで、全員が危難に陥った。
ヘルメットを脱いで、砂利と泥と汗に顔を濡らして怒鳴るスヤンの怒りは正統なものであった。
「蓄電は原則だろうが! もう二度と俺はお前に頼らねぇし、ホーネットにも乗せねぇ! あのクソ蚯蚓どもがもう少し速かったら、今頃は全員死んでても可笑しくねぇぞ!」
「も……もうしわけ……」
現場の指揮を預かるスヤンからすれば、論外である。
集団での作業、まして人が生きるに困難な熱砂の大地で命を預かる者からすれば、規則を守れない者は真っ先に切り捨てるしかない。
コウはスヤンの怒号を聞き、背中が震えた。
クウルと雑談し、別れた後にこの発着場で一本のコードを抜いてしまって居なかったか。
艦橋で聞いていた通信からも、トラブルが途中で起きた事は明白だ。
もし、あのコウが足で引っかけてしまって抜いてしまったコードが、ホーネットの蓄電をする為の物だったら?
―――もしかして、俺のせいか!?
そう思い当たった瞬間に、コウは何もしていないのに、額と手の平から嫌な汗がじわりと滲み出る。
胸が押し付けられたかのように、急に息苦しくなった。
人が死んでしまうかもしれない、その原因の一端が自分の意固地だった態度のせいであるかも知れないと気付いて。
「スヤン! もうそれ位にして! ハモンドは怪我をしているのよ!」
「うるっせぇ! アンズは黙ってろ! テメェも同じなんだよ!」
「っ! そ、それは……っ!」
憤慨を押し隠さず、腕を取ってスヤンを諫めるアンズにも、怒鳴り散らす。
エネルギーが切れてホーネットが稼働しなくなれば通信も何もない。
ホーネットの状態の監視、通信が出来ているかどうかを監査しなくてはならない"ソナー員"―――つまりアンズがいの一番に気付かなくてはならない事だった。
スヤンにとっては許しがたいミスを犯したと同然であり、言いたい事はそれこそ山の様にある。
他にも携行用ではなく大地に設置して使う電磁砲をぶちかました馬鹿も居る。 安全の確保が無い限りはホーネットに向かって火砲を向けるなんてことはしてはならない。
そもそもスヤンが言っていたのは、最初にドリルで穴を開けボーリングに使う携行用の電磁砲の事だ。
よりによって火力が桁違いの電磁砲の引き金を引くなど、命がいくつあっても足りなくなる。
今回、怪我人だけで済んだのは奇跡に近い。
息を荒げるスヤンの耳に、電子音が鳴り響いて、舌打ちを一つ。
担架に乗せられたハモンドの容態の変化を示す物であった。
「スヤンさん、ハモンドは気絶しました。 今は、医療室に……」
「クソが、とっとと連れてけ!」
諫められて、ようやくスヤンは全身に火傷を負ったハモンドを運び出すように手を振った。
車輪の回る乾いた音が響いて、場所を開けたコウの横を通り過ぎて行く。
ハモンドと呼ばれた意識の無い男性の顔が、コウの脳裏に焼き付いた。
怪我も、事故も、自分のせいかもしれない。
それは衝撃を伴ってコウの胸を叩いていた。
スヤンの矛先は、俯いて歯を食いしばっているアンズに向かっていた。
「アンズ、お前もいらねぇ。 次の作業からはホーネットから降りろ」
「……やだ」
「何が嫌だってんだ、見てみやがれ!」
大袈裟に手を振って、シップ・スパイダルのアームによって回収されたホーネットを指し示す。
アンズは僅かに視線を持ち上げて、発着馬を見渡した。
十二機のホーネットが固着されていた筈のハンガーデッキには、九機しか鎮座していない。
完全に無事だったと言える機体はスヤンやアンズを含めた七機のみ。
他は四股の何処かが吹き飛んだり、ジェネレーターやコンデンサーが破損をしたりして、大規模な交換作業がなければ動かせないものだ。
殆どが電磁砲と弾頭杭による爆炎によって損傷したものである。
損失となった一機はミミズ共と一緒に、地下数百メートルの空洞の底に沈んでいるだろう。
人員こそ放り投げだされて無事であったが、そのパイロットも骨折と火傷の怪我を負った。
これはあくまで、艦外機だけの損失である。
本当に重大なのは貴重な人的資源だ。 骨折と火傷を含む重傷者は2人。 軽い怪我を負っているのが3人。
ホーネットが無事でも、装甲などは何も取り付けられていない。
掘削作業機という性質上、装甲をつけてしまえば作業に支障を来してしまうからだ。
剥き出しの外骨格だけでは、爆発の起こした炎や、その余波で飛んで来た破砕された岩石などから人を保護することは難しいのである。
「テメェのミスが引き起こした事だぜ。 判ったか、ホーネットから降りろ」
「嫌ッ! 私はっ、でも、だって私はホーネットに乗る事しか出来ないの!」
「出来てねぇだろうが! 嫌だ、やめてが通る仕事じゃねぇんだよっ!」
「そう、だけどっ―――」
スヤンに食って掛かろうと口を開いたアンズの声は、発着場に響いた鉄を叩く轟音に掻き消されて遮られた。
コウのすぐ隣に、何時の間にか立っていたボッシが金属の棒を床に打ち付けていたのである。
自然とこの場に居る全ての人間がボッシと、そしてコウへと向けられた。
肩を震わせて息を荒げるスヤンも、気付いたかのように顔をあげる。
「何時までくだらん言い争いをしている。 スヤン」
「チッ……あぁ」
「とっとと上に行って艦長に損失を含めた現状の報告に行け。 こっちは私が引き継ぐ」
「わぁったよ」
目じりに涙を浮かべて俯くアンズを一瞥して、スヤンは一つ頭を掻くと了解を返して入口に向かった。
ボッシが発着場で矢継ぎ早に指示を出しながら、スヤンとすれ違う。
コウはその様子を見送りながら、こちらに足を向けてくるスヤンをじっと見た。
気付けば、コウはスヤンの進路を塞ぐようにして前に立っていた。
それは、自分でも良く分からない内に感情に突き動かされて出てしまった行動だった。
手を広げて止めるコウに、まだ呼気の整っていないスヤンが顔を顰める。
「あ?」
「お、俺なんだ……案内された後、ここでコードを一本引っかけちゃって、抜いちまったんだ! だから、もしかしたら……」
「……」
身長が自分よりも十センチ以上は高いスヤンに、見下ろされるようにして見つめられる。
その緑色の瞳の色からは、感情がまるで抜け落ちている様に思えて。
ただ、酷く冷たくコウの顔をその眼に映していた。
「あっ……」
結局、スヤンは何も言わずにコウの腕を引っ張って道を空けると、そのまま一瞥もせずに立ち去ってしまった。
何も言われなかったこと、その行動がスヤンの胸中を物語っているようだった。
ボッシの命令から、発着場に集まっていた人達が慌ただしく動き回っている。
点検作業、交換作業に入る者や端末を叩く者、報告に声を挙げる者。
その発着場の中央に、ボッシも無視する様にして立ち尽くす一人の少女の姿がコウの視界に自然と入ってくる。
小まめ色の髪を揺らして、天井を見上げるように顔を上げて。
コウの足は呆然と立ち尽くしているアンズに向かって自然とそちらへ向かった。
スヤンとは別の意味で肩を震わしている。
コウは近づいてくるにつれて、彼女が動けないでいる理由を察した。
泣いているんだ。
「あ、あのさ……」
コウの言葉が届いているのか居ないのか。
まったく反応見せずに、鼻を啜る音が周囲の喧噪の中に紛れて聞こえてくる。
背を向けて震える後姿が、案内された時と比べて酷く小さく見えた。
アンズが無遠慮とも言えそうなほど、明け透けに物怖じせずに声を挙げる理由が分かった気がした。
いつ死んでも可笑しくない、こんな惑星でしがみついて生きているから、伝える時に伝えなければもしかしたらもう、二度と会えなくなってしまうかも知れないから。
伸ばしかけた手を引っ込めて、コウはそれでも口を開いた。
「ごめん……アンズに謝りたくって、俺」
「……」
「お前が言っていた事、やっと実感できたっていうか、その」
そこで初めて、この発着場に来てからアンズの視線がコウへと向いた。
はっきりと判るほど目を腫らし、頬を紅潮させる少女の視線のの迫力に押されたのか、コウの身体が一歩だけ後退した。
何度か、アンズの口が開いたり、閉じたりしたものの、やがて何も言わずにその口が噤まれる。
スヤンと同じように、動いたかと思ったらアンズはコウの横を通り過ぎて駆け抜けて行ってしまった。
まるで見えない何かから逃げるように。
砂まみれの顔から雫を落として。
「あっ! ちょ、ちょっと待ってくれ!」
急だったせいで呆然と見送ってしまったコウだったが、今度は声を出してアンズの背を追いかけ始めた。
なぜかは分からないが、今ここで別れてしまったらもう二度とアンズと引き離されてしまう気がした。
だから、彼はその背を追って離れまいと、発着場から走り出した。