52.バルバストル大公爵
スレイマン皇子が大股でこちらへ近づいてくる。
大使ではあるけれど、皇子であることを知り、かつ猶、こちらも王と王妃ではないので、私たちは立ち上がって賓客を迎える。
皇子は私たちの前に立つと、長身を折り曲げるようにして深く首を垂れる。
「ようこそ、ルーマデュカへ、スレイマン皇子殿。
あなたのわが国での滞在が、心豊かで楽しいものでありますように」
王太子はそう言って、「お顔を上げてください」と丁寧に促す。
この人…
前にも思ったけど、ちゃんと王太子らしくしようと思えばこんなに立派にできるんだよ。
王様になるのにふさわしい風格だって出せるのに…
私の歓迎晩餐会のときには、思いっきり失礼だった!
あれは、やろうと思ってやってるんだよね!最低王太子。
私は微笑みを浮かべながら、内心毒づく。
スレイマン皇子は顔を上げ、その浅黒く彫の深い顔をほころばせた。
退廃的でアンニュイなその笑顔は、きっと数多の女性の心を虜にしてきたんだろうなあと思わせた。
上流階級の女性ほど、こういう危険な香りのする男性が好きなんじゃないかしら。
私は、物語で読んだ知識を思い出し、他人事のように考える。
「お久しぶりでございます、フィリベール王太子殿下。
初めまして、王太子妃殿下。
ご結婚おめでとうございます。
お会いできて光栄に存じます」
そう言ってまた気障な所作でお辞儀した。
「ありがとう。
今日はあなたをお迎えして、私たちもとても嬉しく思っています」
王太子は急に素っ気ない感じで答え、控えている侍従長に、スレイマン皇子を隣室の晩餐会会場に案内するように命じた。
そこに集まっていた諸侯もざわざわと移動を始める。
私は王太子の態度に少し違和感を覚え、つい先程から刺すように感じていた視線の方へ目を遣る。
でっぷり太ったお父様くらいの年齢の男性が、無表情で私をじっと見ている。
えっと…誰だろう…
私はジェルヴェと王太子以外のこの国の人たちと全く面識がないので戸惑う。
宮廷で今流行りの高価な黒いビロードで作られた丈の長いプールポアンに膝丈のオー・ド・ショース、つま先の反りあがった靴を履いている。
出っ張ったお腹には一面に徽章が飾られていて、とんでもなく偉い人のようだ。
と、考えて、私はあっと思った。
そっか、きっと、アンヌ=マリーのお父様の、バルバストル大公爵だわ!
さっき遅れて入ってきたような気がする。
急に王太子の態度が変わったのは、そういうわけか…
いろいろ気を遣うのね。
大丈夫よ、私はおとなしく何もせずにいるから。
大公爵様に目を付けられるなんて御免だわ。
私は自分の楽しい王宮ライフを守るのが一番だもの。
私はバカバカしいと思いながらも、反逆の意思がないことを示すために瞳を伏せた。
決して睨むという感じではないけど、威圧感のある視線が私から離れたことを感じて、ほっと息をつく。
目を上げると、大公爵は隣の部屋へと大きな体躯を揺らして歩いていくところだった。
その時、王太子が私の方へ僅かに身を乗りだし、低く話しかけた。
「大貴族には逆らうなよ。
特に大公爵の権力は絶大だから。
この国はまだ、完全な中央集権じゃない」
そうなんだ…
メンデエルも宰相の力がすごい強かったけど。
アンヌ=マリーのことだけじゃないのね、王太子が大公爵に頭が上がらないのは。
私は黙ってうなずく。
王太子は「よし」と偉そうに言って、手を伸ばして私の頬にそっと触れた。
はっきりと判るくらいに口角を上げ、楽しそうにブルーの瞳をきらめかせる。
「カスタードクリームくらいには白くなったな」




