2.父王の話
階段を上り、長い廊下を歩いて重々しい樫の扉の前に立つ。
宰相が自ら私を迎えに来るなんて…これは天変地異の前触れではないだろうか。
物理的な重量を持った塗料で、心が黒く塗りつぶされていくようだ。
しっかりするのよ、リンスター。
私は両手をを握りしめ、己を鼓舞する。
「陛下。リンスター王女がお越しでございます」
宰相は良く響く低音ボイスで朗々と言う。
「入れ」
お父様の声が聞こえ、扉の両横に立った近衛兵が扉の取っ手に手をかけて引き開ける。
「王女様、どうぞ」
恭しく頭を下げる宰相を横目に見ながら、私は中に足を踏み入れた。
久しぶりだわ、ここに来るのは…
夏の日差しと風が入る部屋の奥に、大きな椅子があり、お父様が座っている。
私はまっすぐに進んでお父様の前に立ち、ドレスを持ち上げて深くお辞儀する。
「お父様、お呼びとのことで罷り越しました。
お父様におかれましては、ご機嫌麗しくいらっしゃ…」
「よい、リンスター。
そのような挨拶は不要であるよ」
お父様はせっかちに私の言葉を遮り、少し身を乗り出す。
「リンスター。
そなたの輿入れ先が決まったぞ」
「えっ?」
私は驚いて顔を上げる。
お父様は乗り出していた身を引き、ごほんと咳払いした。
暑いからか、王冠を外し、マントも着ていないお父様を見るのは、なんだかすごく久しぶりだ。
いつでも謹厳で臣下を玉座から睥睨しているような、怖い王様。
それが私の、お父様に対するイメージ。
あまり親しくお話しした記憶もない。
「ルーマデュカ国から、突然お使者の方々がいらっしゃってな。
もともと、そなたの姉のエリーザベトが嫁ぐはずだったのだが、エリーザベトはあの通り病弱で、とても大国の王妃が務まるとは思えない。
しかし、お使者が仰るには、ルーマデュカの王が病床にあり、急ぎ王太子の婚姻を調えたいと。
王からの親書まで携えられては、エリーザベトの体調が落ち着くまでとはとても申し上げられなくて」
苦り切った様子のお父様の表情を見る私は、急速に心が醒めていく。
ルーマデュカの王太子は、とかく悪い噂が絶えない。
切れ者のようだけど、とにかく女好きなのだ。
私のような、世間をよく知らない小国の王女でも聞き及ぶほど、とっかえひっかえ愛妾が替わる。
ルーマデュカの王様もさぞかし頭の痛い事だろう。
お姉さまもご苦労なさるのでは、と密かに危惧していた。
お父様は、要するに。
そんな男の所へ、可愛い可愛い第一王女を遣りたくないのだ。
不幸になるのが目に見えている場所へ、わざわざ愛してやまないお姉様をお嫁には行かせられないと。
それで、私なわけね。
私なら別に幸福になろうが不幸になろうが、とくに胸が痛むこともない、と。