117.王の思い?
「あ、陛下、あそこにいらっしゃいますわ」
オーギュストと一緒にいたクリスティーヌが後ろを振り向いて声を上げる。
お兄様と何か、にこやかに話していた王は、こちらに気づいて不機嫌な顔になり、すたすたと歩いてくる。
皆が頭を下げてさっと避ける中、円の中心にいた私にずかずか近づいてぐっと肩を抱いて引き寄せた。
「ギルベルト王太子殿下とお話した。
その他の国の来賓の方々もご挨拶に見えている。
そなたがいなければ、話にならぬ」
そう言って円から私を引き離して、玉座の方へ私の肩を抱いたままつかつかと歩く。
「今日は私から離れるなと言っただろう。
まったく…どうしてそなたはそんなに隙だらけなのだ」
不満そうに嫌味たらしくぶつくさ文句言う王に、私はむかっ腹が立った。
隙って何よ、私のせいなの?!
あなたがアンヌ=マリーを愛していて、私なんかに見向きもしないのを、慰めこの国を好きにさせてくれた人たちを蔑ろにしろって言うわけ?!
「…陛下こそ、わたくしなど放っておおきあそばしたら宜しいのに。
わたくしは大勢の友人と共に居りますし、ご心配いただかなくて結構でございますわ。
兄とは国葬後には一緒に帰国いたしますので、その時にでもたくさん話せば良いのですから」
私は立ち止まり、王の手を肩から力を込めて外しながら言う。
王はしばらく唖然として私を見ていたが、やがて拳を握って横を向いた。
「…そなたは、私の気持ちなど何も判っていない。
私がどのような思いで、そなたを手放すのか。
何もわかってない」
「え…どんな思い?」
私は思わず訊き返す。
王の思い…なんて一度も聞いたことないし。
判んないよ。
王は私をちらっと見てにやっと嗤う。
「お前なんかにゃ判んないさ。
一生かかったって判りっこないさ」
乱暴な口調で憎まれ口を叩いて、むっとする私をまた抱き寄せて耳元で囁く。
「とにかく、そなたは私の妃だ、少なくともまだ今は。
私に逆らうことは許さぬ」
王は周りを見回し、そこに集った人々に愛想よく手を挙げて合図する。
楽団も心得て、指揮者が指揮棒を振ると、今、ルーマデュカで流行りの曲を奏で始めた。
ざわざわとざわめきがホールに満ち、人々は男女ペアになって向かい合う。
私も仕方なく王と向かい合う。
お辞儀をして顔を上げると、何だかやたら楽しげな表情の王が私の手を取り、腰を引き寄せた。
「そなたと踊るのは結婚式以来だ。
叔父上や伯爵男爵にいつも話を聞くばかりで面白くなかった」
軽快な音楽が始まる。
王は軽やかにステップを踏み、私の身体をくるっとターンさせる。
私は慌てながらも、王の型破りなダンスにだんだん楽しくなってきて、王のリードに負けじとテンポ良くステップを踏む。
いつしかバンケットホールの中で踊っているのは王と私だけになっていて、私たちは広いホールをダンスで一周する。
曲が終わると、周りのギャラリーから盛大な拍手が起きた。
「陛下万歳!」
「妃陛下万歳!」
そんな声も聞こえる。
王は息も切らさず、私を見て微笑む。
私は、どんな顔をして良いか判らずに、汗を拭くふりをして王から距離を取った。
王は何を考えているのだろう。
私を翻弄するばかりで、ちっとも判らない。
「妃」
次の曲が始まり、王が私を呼ぶ。
だけど私が顔を上げるより早く、ぱっと目の前を横切った誰かが私の身体を攫うようにして、私を抱えて踊りだした。
「フォルクハルト…」
私は驚いて、棒立ちになる。
フォルクハルトと踊ったことなんかあったっけ?
えーっと、デビューの時に1回…?くらい??
『リンスター王女、ますますダンスがお上手になられた』
フォルクハルトはメンデエル語で言い苦く笑って、私に踊るように促し、私はフォルクハルトの腕に手をかけて逆の手をフォルクハルトに預け、音楽に合わせてステップを踏む。
フォルクハルトのダンス、上手になった…ような気がする。
『私は…ダンスが下手で苦手で、王女の素晴らしい踊りについていけないので、王女がメンデエルにいらっしゃった頃は恥ずかしくてお誘いできなかったのです。
本当はあなたと、こんなふうに踊ってみたかった』
フォルクハルトは私の気持ちを読み取ったかのように、踊りながら話し始めた。
『王妃様から王女がルーマデュカで王弟殿下とダンスを楽しんでいるというお手紙が来たとお聞きして、私は一念発起して、ダンスを練習したのです。
またいつの日か、あなたと踊れる日を夢見て。
こんなに早くその日が来るとは…思っていなかった』
少し息を切らしながら言って、私を引き寄せ抱きしめるようにして踊る。
ターンした時、一瞬、視界の隅に、立ち尽くす王の姿が入った。
王の表情は不安そうで、それでいて怒っているようで、私ははっとする。
そしてその曲が終わったとき、王の姿はバンケットホールから消えていた。




