まさか彼女が
夜のマンション、3階の部屋に灯りが灯っていた。
室内にあった二人の人影は、女の人影に男の人影がキスをし、やがてベッドの影に消えた。
上階を眺めていた山本圭吾の手からビールの缶が投げられた。
2本のビール缶は階段にぶつかり、中身が噴き出す。
近くにいたカップルが山本の奇行をみて、逃げるように席を立った。
「誰なんだよー、相手はよー!!」
月明かりの中、腕時計を確認した。
22時40分、帰宅するはずのマンション304号室には男がいた。
山本は、マンションに帰らずに部屋の周りを行ったり来たりしていた。
「嘘だろ、おい」
今年、大学四年生の山本には同棲中の彼女がいた。
いたとは言ったが、現在進行形の彼女だった。
神戸の芦屋市にいた小学1年生から6年間一緒に過ごした幼馴染だった。
鳴沢由美と再会を果たしたのが、四年前の新歓コンパだった。
その席で山本は、大人になった由美に一目惚れし、告白したのだった。
初恋の相手だった由美は、山本のプロポーズを二つ返事でOKし、みんなが知る公認のカップルになった。
だからこそ、山本は目の前で起こっている事が許せなかった。
前から怪しいとは思っていた。
由美は山本に出かける時にいつも予定を聞いて来た。
新婚のような甘い生活を夢見ていた山本は毎日の予定をこと細かく由美に教えていた。
「二人の間には隠し事はなしだからね」
これが由美の口癖だった。
山本も彼女の唇にキスをすると……。
「もちろん」
と和かに微笑んだ。
由美との四年間、破局しそうになることなど一度もなくとにかく楽しかった。
趣味の方向性、考え方、殆どのことが似ていた。
それに、由美はとても料理が上手く、動きそのものが女性的だった。
四年生の春先、由美の父親から自分の会社に入らないかと言われ、履歴書を出した。
一次審査、二次審査、社長面接ととんとん拍子に進み、夏が来る前に仕事が決まった。
ゼネコンの最大手だった。
プロポーズしたのは、夏。父親公認の旅行で、花火が打ち上がるホテルで海辺を見ながら告白した。
由美は嬉しそうに泣いていた。
なのに、なんだこれは。
確かに破局の予兆はあった。
9月も半分が過ぎたある日、学内で白石琴音から昼休みに呼び出された。
彼女は山本に会うと、ギュッと唇に歯を立てた。
二重の瞳には涙の跡が色濃く残っていた。
「鈴木涼介と鳴沢由美は浮気してます」
白石は鈴木の初めての恋人だった。
大学一年の時、嫌がる白石に頼み込んで出場した美人コンテストで堂々の一位になった。
その審査員の一人が鈴木亮介だった。
その打ち上げで鈴木は白石に告白したらしい。
そんな彼女の言葉だったが、山本にはとても現実味があるとは思えなかった。
だから、真実を確かめるため、由美に初めて嘘をついた。
「9月25日から一泊ゼミの合宿に参加するから、その日一日家に帰れないから」
「本当? 浮気してないよね?」
浮気してるのはお前じゃねえのか、という心の声をなんとか抑えて、俺はその日を待った。
ゼミコン自体は本当にあり、参加予定にも入れていたが、途中で用事を理由に外してもらった。
そして、今の有様である。
俺は、スマホの顔認証を解除し、連絡先を選択する。
『白石琴音』
電話のダイヤルボタンを押した。
数回の呼び出し音の後、高く可愛い声が聞こえる。
「はい、もしもし」
「琴音か?」
「圭吾くん、どうだった?」
「たぶん、浮気してる」
「鈴木は今日、何をしてる?」
「多分おんなじ」
琴音の声は、悲しそうにも聞こえた。
だから、俺はこう言った。
「今からお前の家に行っていいか?」
暫く長い沈黙があり、やがて琴音の声がした。
「いいよ、今日は誰もいないから……」
携帯電話を切った山本圭吾には、二つの全く異なった感情が湧き上がるのを感じた。
鳴沢由美―自分の彼女への怒りと、白石琴音への期待である。
まさか、本気で琴音の家に行けるとは思わなかった。
由美への恨みでいっぱいで思わず、つい口をついて出た言葉だった。
じゃなければ、あんな美人でかわいい琴音に言えるわけがないじゃないか。
そんな勇気はなかった。
「あっ……」
俺の相棒も早々とショックから回復していた。
こっちは自重してもらわないと困るけど。
さすがに下心は隠さないとその気があっても女は引く。
でも心で、何度もリフレインしてしまう。
「今日は誰もいないから」
「今日は誰もいないから」
「今日は誰も……」
いかんいかん。
まあ相手もそれなりに経験積んでるわけで、減るもんじゃあるまいし。
……って、おっさんか俺は。
白石琴音の家は、ちょうど自宅から電車に乗って、5駅目だった。
高級住宅街の一角、ちょうど角地に赤い屋根とクリーム色の壁のヨーロッパ風建築様式の家だった。
両親が出かけているため、家に横付けの駐車場は空いていた。
インターフォンを震える手で押さえる。
「あ、圭吾君、ちょっと待って」
二階からパタパタという足音が響き、玄関が明るくなった。
「どうぞ」
扉を開けて、琴音が部屋に通す。
横を通り過ぎると石鹸の淡い香りがした。
案内されるままに二階に上がる。
琴音の部屋は女の子らしいピンクを基調としていて、今は石鹸の匂いに包まれていた。
「夜遅くにごめんね」
「いえいえ、僕から連絡したわけですから」
「うううん」
「今日はひとりでいたくなかったから、助かった」
ベッドを見ると琴音が椅子代わりに座る。
どこに座ろうか悩んでいた圭吾にどうぞ、とその横に座るように促して来た。
えっ、いいの。俺そのまま琴音ちゃんを押し倒しちゃうよ。
緊張した面持ちで横に座った。
目の前に大きな存在感のある二つの膨らみ。
白いブラウスに黒を基調としたフリルのミニスカート、足を組んだふとももからは、見えそうで見えない絶対領域。
思わず唾を飲み込んでしまう。
さすがに由美では何度も経験があるが、ミスコン一位の琴音は比べるまでもなく可愛かった。
「今日は優しくしてね」
俺は琴音の身体を抱き、震える彼女の手をにぎる。
「忘れさせてあげるよ」
そして、ブラウスをたくしあげ……。
「なに、飲みます?」
「はっ……」
あまりの急展開に、想像が現実を追い越してしまった。
「何か言いました?」
「だから、何飲みますかって」
「あー、ごめん、ごめん」
「いいんですか」
「今日は同じ境遇どおし、飲み明かしましょう!」
「じゃあ、ビールで」
「ビールでいいんですか?」
「えっ、ビールじゃダメですか」
「ダメですよー、そんな弱いお酒」
「わかりました」
「わたしが選んであげますね」
「えと……」
目の前に佇むのはウイスキー、その横には明らかにピッチャー。
「あの、水は?」
「えっ、水入れるんですか?」
「入れませんか?」
「入れませんよね」
「はい」
「ですよねえ、そんなことありえないです」
いや、充分にありえるだろ、と言うツッコミはこの際心の中に隠しつつ。
どうせ女性だし、強くないだろうし。
すぐ酔っ払って後は、めくるめく想像の世界に……。
30分後……。
「酷いと思いませんかー、こんないい女がいながら、由美のところに行くなんて」
「あんまりですよ」
「あっ……」
「ごめんなさい、由美の彼氏さんの前で、彼女が可愛くないと言ってるわけじゃないんです」
「いえいえ、気にしてませんから」
「そうじゃなくて」
「啓介のセリフ」
「僕には君だけだよ」
「あり得なくないですか」
「はい……」
「マヂ、あり得ない」
「こんないい女捕まえて、浮気するなんか」
「万死に値しますよね」
「……」
「はい」
「じゃあ、飲んでください」
「なんで、俺?」
「いや、それは男の子の仕事でしょ」
「一気に……」
えっ、まぢでこれ飲むの。しかもロックで、コップもでかいよ。てか、ピッチャーじゃねえの、これ。
こんなの行くの。俺、これ飲んだら死ぬよ。
「男でしょ!」
いや、男だけども、男の前に人間なんだ。
「飲まないの?」
「いえ、飲みます」
これは予想外だった。頭の中が完全にお花畑であわよくば、今日は抱けるかなあ、なんて甘いこと考えていた。
いや、もしかして人一倍俺が酒に強ければ可能だったかもしれない。
でも、これ飲んで生きて返れる気が全くしない。
「じゃあ、飲み会らしく」
「カウントダウンしましょうか」
「いや、しなくっていいって」
そもそも飲み会違うし。
「3……」
「2…」
「1」
俺は一気にピッチャー風グラスを持ち、ウイスキーを一気飲み込んだ。きっつう、濃厚なアルコールが喉を焼き、そのまま胃に入っていくのを感じる。
そのまま俺は意識を失い、気がついたらベッドに寝かされていた。
ピピピ、ピピピ…。
アラームの音に目を覚ます。
気づけば7時45分。
昨日何したっけ。そういえば昨日は倒れた。
下の厨房から朝の支度をしている音が聞こえる。卵を焼く音に、ベーコンの焦げる音、それにパン焼き器から、チンという音ともに飛び出す音。
「おはようございます」
階段を駆け上がる音の後に琴音の声が響いて来た。
エプロン姿でパタパタと走って来た琴音は、ベッドに横になっている山本の前にやってくる。
「昨日はすみません」
頭を深々と下げて謝った。
お酒が絡むとこうなるらしく、あの時俺が倒れて大変焦ったらしい。
山本は非常に残念な気分になった、
チャンスはあった、ただ俺が弱すぎた。
一階のダイニングルームに行くと、朝食のハムエッグ、サラダ、牛乳が用意されていた。
ご飯を作ってくれた礼を言い、いただきます、とご飯を食べる。
「本当にごめんなさい」
「大丈夫、大丈夫。それより昨日はごめんね」
「夜遅くまで付き合ってあげられなくて」
「そんなことないですよ、そもそもあれはわたしのせいですし」
「それより圭吾さん、共同戦線張りませんか」
「わたし、啓介のこと許せないです」
「圭吾さんは由美さんのこと許せますか?」
「いえ、俺も許せません」
「じゃあ、お互い共同戦線」
「ふたりをあっと言わましょう」
「そして、……」
「それが終わったら、わたし圭吾さんの彼女になろうかな」
「圭吾さんが良ければ、ですけどね」
えっ、本当にいいの。
こんな可愛い琴音が俺の彼女になってくれるの。
由美と別れるけれど、それはそれで楽しいことがありそうだ、と考えていると自動車が近づく音がする。
リビングのインターフォンが鳴った。
「まずい、パパだ」
「ちょっと逃げて、見つかったらきっと殺されるよ」
「嘘、マヂ……」
結局、圭吾は二階をつたって逃げ出すという夜這い男でもびっくりの逃走ルートで辛くも脱出した。
可愛いけど、こんなこと繰り返したらきっと俺死んじゃうよ。
「それにしても」
「共同戦線か」
由美の浮気への仕返しにはいいかもしれないと圭吾は思った。
こちらはショートショートです。
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本日、連載版を投稿しました。
毎日三話ずつ投稿していきます。
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