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自慢の息子 ―オシドリ結婚相談所物語―

作者: 青井青

「あの……ウチの息子は性格もまじめなんですけど、少し奥手というか、優しすぎるところがあって……」


 週末の午後、面談室には六十代ぐらいの初老の女性がいた。


 ソファの向かいに座る西野梓はメモを手に深くうなずいた。


「ご実家に同居されているのも、ご両親を心配されているからなんですね」


「ええ、本当に親思いでいい子なんです。子供の頃から勉強もよくできました。ただ結婚を考えていた方とうまくいかなくて、それ以来あまりいいご縁に恵まれなくて……」


 梓はちらっと壁の時計を見る。応接スペースに入ってもう一時間が過ぎていた。手元のメモに梓は目を戻して言った。


「今日はご本人はご都合が悪かったんですよね」


「それが来たくないって……やっぱりこういうところに来るのは恥ずかしいんでしょうね」


「お気持ちはわかります。それでお母様がお電話を――」


「ええ……主人に言っても、こういうのは自然に出会うもんだなんてのんびりしていて。そんなんじゃ、いつまでたってもいいご縁なんてないって私は言ったんです」


 結婚相談所は入会金や月会費が高い。だからといって高収入の独身男女が登録しているとは限らず、息子や娘の将来を心配した親がお金を払っているケースも多い。


 家族から電話があると、とりあえず来所して無料のカウンセリングを受けてもらうが、たいてい息子や娘の悩みを延々と聞かされるハメになる。


「本当に自慢の息子なんですよ。子供の頃から勉強が良くできて、有名国立大学に合格して一流企業に就職して……」


「それに親思いの優しいお子さん――なんですよね?」


「そうなのよ!」


 梓は内心で苦笑した。何度も強調してくる。よほど自慢の息子なのだろう。


「わかりました。息子さんに合う方を探すお手伝いをさせてください」


「ありがとうございます。こちらに来た甲斐がありました」


 母親は涙ぐんでいる。喜んだり、泣いたり忙しい人だった。


「ただ、今回はお母様だけでいいですが、実際に相手の方を探すときは、ご本人に来ていただけないと、お相手の写真やプロフィールをお見せできません」 


「あら、厳しいのねえ……今はメールっていうの? そういうので送っていただけるのかと思ってたわ」


 梓は申し訳なさそうに眉尻を下げた。


「個人情報ですので、基本的に事務所のパソコンで見ていただくことになります。私どもがある程度、候補者を絞った上でなら、ファックスや郵送でお送りすることも可能ですが……」


「わかりました。本人が来ればいいんですね」


「はい、今日は資料をお持ち帰りいただき、次回は来所をお待ちしています」


「実際にお相手をご紹介していただける方はいそう?」


「それは条件によります。年齢、身長、体重の幅、学歴、初婚か再婚者は可か。息子さんがお相手の方に何を求めるかです。該当する方が少ない場合、無理に入会はおすすめしていません」


「あら、そうなの」


「あまりお相手をご紹介できないのであれば、入会金や月会費に見合いませんし、こちらも申し訳ないので……」


 オシドリ結婚相談所は、入会金10万円、月会費1万円、成婚料25万円。契約期間に制限はない。相場から言えばやや高い。ただ細かいケアと成婚率の高さが売りだった。


 紹介できる人が少ない場合、無理に入会はすすめない。入会金や月会費に見合わないと後からクレームが入っては困るからだ。


「条件はそんなに高くないと思うわ。息子ももう37ですしね……ところで今はどんな男性がモテるのかしら?……」


「昔は3高などと言って、高身長、高収入、高学歴の男性が人気でした。それが3平、平均的な年収、平凡な見た目、平穏な生活になり、今は4低が人気と言われています」


「4低?」


「低姿勢、低依存、低リスク、低燃費の男性という意味です。ようは高望みをする女性が減ってるんです」


「まあ、そういう時代なのねえ……」


「ですけど、息子さんはこれだけいい大学を出て、一流企業にお勤めなのですから、気にしないでいいと思いますよ」


 こうして本人抜きの初回の面談は終わった。梓は母親を相談所の外のエレベーターまで見送りに行き、ドアが閉まるまでお辞儀をして見送った。


 ◇


 その日の夜、西野梓は一軒家の前にいた。スマホで地図を確認し、「高垣」という表札を見て呼び鈴を押す。


「オシドリ結婚相談所の西野です――」


 ドアが開き、先週、面談をした初老の女性が顔をのぞかせる。


「ありがとう。よく来てくださったわね。さあ、どうぞ入って」


 リビングに案内されると、テーブルの椅子をすすめられる。向かいに座った母親が恐縮するように言った。


「すいません。今日はわざわざおいでいただいて……」


「いえ、お気になさらず」


「息子にそちらにお伺いするように言ったんですが、どうしても行きたくないって……それで、西野さんに説得していただけないかと思いまして……」


 母親によって、入会金の10万円と月会費の1万円がすでに振り込まれていた。本人の承諾は得ていないとはいえ、彼女の息子はすでにオシドリ結婚相談所の会員だった。


 ひとしきり雑談を終えた後、梓は言った。


「ではそろそろ……息子さんはどちらに?」


「こちらです。どうぞ」


 母親が席を立ち、階段で二階に上がる。母親がドアの前で膝をつき、ドアをコンコンとノックした。


「慎ちゃん、結婚相談所の方が見えられたわよ」


 返事はない。ゲームでもやっているのか、ピコピコという電子音が聞こえた。


 母親が困惑した顔で「慎ちゃん、起きてるんでしょ? ね、返事をして」と呼びかける。


 梓は母親を手で制し、ドア越しに語りかけた。


「オシドリ結婚相談所の西野と申します。今日はお母様にお願いされて、こちらにお伺いしました」


 梓は苦笑をこらえながら続ける。まるきり天の岩戸だ。


「慎一さん、聞いてください。親御さんって子供が40歳を過ぎると、あまり結婚しろと言わなくなるんです。なぜかわかりますか?」


 ピコピコという電子音が止まった。耳を傾けているようだ。


「お子さんが40歳になる頃には、親御さんも70歳を越えてきますよね? 自分の身体が弱ってきて、子供に介護を期待するようになるんです」


 特に女親の場合、夫が亡くなると、その傾向は強くなる。


 息子や娘も母親が心配だから、などと言って実家にとどまる。互いに依存しあっているのだが、当人たちは気づかない。


「前にウチへおいでいただいたとき、お母さまはおっしゃってました。息子には自分の介護で終わるような人生を送ってほしくないと……」


 梓は顔の見えぬ相手に語りかけ続ける。


「普通は逆なんです。素晴らしいお母さんだと思いました」


 子供を介護役にするため、財産を譲るだとか、甘い餌をぶら下げ、なんとか自分の手元に子供をとどめおこうとする親も多い。


「もちろん結婚だけが人の幸せだとは私も思いません。ただ、パートナーの方と新しい人生を築くことも考えてみませんか?」


 重い静寂、しかし、ドアが開くことはなかった。梓が振り返ると、母親が困った顔をしていた。


 玄関で梓は申し訳なさそうに言った。


「すいません……お力になれなくて……」


「いいんです。ここまでやっていただいてありがとうございます。あの子には私から言っておきますから……」


「返金をご希望されるときはおっしゃってください。まだクーリングオフ期間なのですぐ対応させていただきます」


 結婚相談所は、エステや学習塾などと同じ、特定商取引法の中の「特定継続的役務提供契約」の対象だ。利用者には中途解約権があり、オシドリ結婚相談所も遵守している。


 梓がその場を辞そうとすると、ちょうど父親が会社から帰宅してきた。スーツ姿の初老の男性は梓の顔を見て、戸惑った顔をする。


「あなた、こちら結婚相談所の方、慎一のお嫁さんを紹介しに来てくださったのよ」


 父親は何か言いかけるが、それを梓は手で制し、「少しお父様とお話させていただいていいですか?」と外へ連れ出した。


「オシドリ結婚相談所の西野と申します。奥様からご依頼を受け、本日はお伺いしました」


 梓が名刺を差し出すと、父親は事務的に受け取った。最初の表情からすると、自分のことは聞いていなかったのだろう。


「あの、申し訳ないんですが、慎一は――」


「もしかして、今は求職中でしょうか?」 


「……ご存じだったんですか」


 父親は驚いた後、重苦しそうに顔をうつむかせた。


「結婚寸前までいった女性から婚約を破棄をされて……会社も辞めて、家に引きこもるようになりました。もう3年になります……」


「奥様のお話では、有名国立大学卒で一流企業にお勤めと……」


「だった、と言うべきでしょう。今はただの無職ですよ」


 父親が疲れたように続けた。


「そちらにお伺いして家内が言ったことはほとんど嘘や妄想です……家に引きこもって以来、ウチではあいつと喧嘩ばかりです。特に私は慎一に煙たがられてるでしょうね……」


 それから不思議そうな顔で訊いてきた。


「……西野さんはどうしてお気づきになられたんですか? 息子が会社を辞めていると……」


「息子さんは、三年前、ウチの結婚相談所に資料請求の申し込みをされていたんです。婚約を解消された後かもしれません」


「慎一が?」


「はい、それで記載されていた携帯の番号にお電話を差し上げたのですが、つながりませんでした。メールもリターンになって……」


 念のため、勤務先に電話をしたところ、すでに退職したことを伝えられた。


「なぜ慎一は結婚相談所に……」


「息子さんなりに、人生を立て直したいというお気持ちがあったのではないでしょうか」


 資料請求の申し込みはあったが、実際に彼が相談所を訪れることはなく、正式に会員になることもなかった。


「……わかっていて、なぜウチに来てくださったんです?」


「奥様が入会金と月謝を払われていますし……どんな事情であれ、会員の方やご家族のお気持ちに寄り添うのがウチのモットーです……ですが、今回は返金対応をさせていただきます」


「お手数をおかけして申し訳ない。妻には私から言っておきます」


 梓は鞄からクリアファイルを出し、父親に渡した。


「これ、三年前、慎一さんご本人が書かれたものです」


 A4サイズの紙には、サイトから入力されたプロフィールが印字されていた。


氏名:高垣慎一

年齢:34歳

職業:システムエンジニア

趣味:映画鑑賞、読書、ランニング

尊敬する人物:父親


自己アピール:

 僕は両親に愛されて育ちました。結婚したら、自分も父と母のようにいつも笑顔のたえない仲のいい夫婦でいたいです。

 一人っ子の長男ではありますが、将来、高齢になった両親の世話は僕がするつもりなので、介護のことなどは心配しないでください。


 父親は押し黙ったまま、じっと紙を見つめた。


「お母様はおっしゃっていました。とても優しくて親思いの息子さんだと……少なくともそれに関しては嘘ではなかったと思います」


 梓はにこっと笑顔を浮かべた。


「今回は退会処置をとらせていただきますが、また私どもの力が必要になったときはいつでもお声掛けください。全力でサポートさせていただきます」


 頭を下げ、高垣家をあとにする梓の視界に二階の窓が入り、カーテンの向こうに黒い影が見えた。恐らく息子の慎一だろう。


 ドア越しに話をしていたとき、彼の憔悴や怒りが伝わってきた。


 あのとき、梓は伝えたかった。両親にこれだけ愛されて育ったあなたなら、きっと立ち直れる。人生の困難に立ち向かえる強さがある。だって、あなたは自慢の息子なのだから。


(完)

オシドリ結婚相談所を舞台にした作品(短編)は他に……


「理系の婚活必勝法 ―オシドリ結婚相談所物語―」

「リモートお見合い ―オシドリ結婚相談所物語―」


……があります。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 読みながら息子はろくでもない奴なんだろうな…と思いました。 しかし、予想に反して見どころもある男でした。 結婚できるかは分かりませんが、何とか立ち直って欲しいです。
[良い点] 描写が伝わってきて良いです [一言] 続きが読みたいです!
[一言] 面白かったです。 他の作品も、読ませていただきました。 どの作品も、面白く読みやすかったです。 いつも、作品がランキング上位で、凄いです。 私は、最近投稿し始めて、青井さんに憧れてます。 良…
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