恋とアプリけーしょん
「しょうがないし、事実だし?」
悪気なんか感じていないといった表情で、北西育美が隣の席の南口静太に開き直った態度を見せている。そんな態度を取られたことに対し、静太は強く出るどころか顔を紅潮させて、何も言うことが出来ない。
教室の一番後ろ、窓際の席に座る二人は、今や全世界の人間に知られた関係だ。
ただし顔や声は、全て加工されたもの――というのは、二人だけの秘密だった。
少なくとも、前日までは。
夏休みが終わった学校では、だるそうにしながら階段を上がる同級生の姿がちらほらと見えている。
そんな中、予鈴を気にしながら上がっている静太に向けて、廊下から軽そうな声が聞こえて来た。
「見たぜ~、静太~! 今までのお前可愛すぎねえ?」
「……え、何のこと?」
「いやぁ、二日前までは確実に惚れてた! それは認める! だが今日からは言えねえわ」
声をかけられても言われたことにまるで見当がつかないのか、静太は唖然としたまま立ち止まっている。
「何が言えないって……?」
「アレだ。元気出せ! 惚れ直しを狙え! まぁ、分かるぜ? あいつドSそうだしな! 現世では諦めるしかねえわ」
「――は? だから何のことなんだよ!」
「そんな顔すんなって! 教室に着くまでは肩を貸してやるから、元気出せ!」
もしかしてあのことだろうか。
同級生の態度と言葉に、静太は何となく嫌な予感を覚え始めた。
嫌な予感の一つであるとある活動が、脳裏をよぎる。
静太はつい最近、少なくとも前日までは動画配信者として活動していた。
主に相方任せではあったものの、かなりのフォロワーがいたことで楽しい日々を送っていたのだ。
しかし本人による顔出しは無く、あくまで架空の人物としての楽しさだ。
身バレは絶対にあり得ないという、徹底したやり方だった。
顔は加工アプリで性別を逆転させ、声はボイスチェンジャーで変声済み。
つまりやることはやったので身バレはしていない――というのが、静太が今朝まで認識していた常識だった。
しかし――
教室に入った静太を待ち受けていたのは、同級生たちからの同情のような視線だ。
男子からは「気にするな!」や「燃えてないぞ」といった声が聞こえて来るし、女子からは「だと思ってた」といった厳しい声があちこちから聞こえている。
静太の予感が確信に変わった瞬間だった。
いつもなら授業がいくつか終わるまで、同級生たちは静太に一切声をかけて来ない。それなのに教室に入った時点で、声がかかって来たのは間違いなくそれが影響していると判断出来た。
このままでは大変な日常になる。そう思った静太は、助けを求めるつもりで窓に目をやった。すると、隣の席の北西育美がすぐに反応を示して来た。
「やぁ、元カノくんっ! 落ち込んでる?」
「そういう元カレさんは、今の状況を楽しんでるつもりじゃないよね? それとも、俺にどうにかしてくれるおつもりがあるので?」
隣の席の一見物静かで清楚そうに見える女子、北西育美はアプリ上の元カレであり、動画配信の相方でもあった関係である。しかしその実態は、いわゆる両想いでの恋人では無く、【いいね】狙いでそうなった関係だ。
事のきっかけは教室で一時的に流行った、顔加工アプリに興味を持った時にさかのぼる。
隣の席の育美と違い、静太は機械に疎くそれでいてスマホの写真機能を一度も使ったことが無いという、ある意味での強者として有名だった。
それに加え、とてもじゃないがスマホいじりの女子に声をかけることなど、あまりに高難易度すぎた。
――というのが、ちょっと前の静太の現実だった。
しかし流行が始まった時、静太の評判が女子の中で急上昇を遂げる。女子と仲良くなるにはどうすればいいのか悩んでいた静太だけに、話を持ちかけて上手い具合に話が進んだというのが今までの流れ。
その時調子に乗って仲良くなり過ぎた結果、隣の席の女子である北西育美と付き合う関係になっていた。そしてその関係は、動画配信の最中に育まれ、気付いたら全世界に応援拡散されていたというオチである。
それの何が問題かといえば、恋人関係はあくまでも加工した状態での話だからだ。
静太は可愛い女子として人気を誇り、育美はイケメン男子として相当な固定ファンを数多く抱えていた。つまり正確には本当の恋人などではなく、動画の中、それも性別加工での関係だったというのが真実である。
――とはいうものの、
そんな関係で得するのは、機材を使いこなし上手い具合に操作していた育美のみ。そこに好き嫌いという感情は何も生まれず、育美のことを可愛いと思ったことも無いというのが、今までの配信内容だ。
そんな静太が取った行動は、画面上の彼女への別れの切り出しと、視聴者への土下座だった。
嘘はつきたくない。そんな思いで動いた静太だったが、視聴者には別の顔が見えていた――というのが、今起きている結末である。
「どうもしないし、身バレしちゃったもんは仕方ないってことで!」
「北西はそれで納得出来てんの? 顔とか色々……」
「や、顔出たの、キミだけ。わたし、セーフだし配信止めてないし。加工アプリも、土下座対応して欲しいよね~! あ、それと名前で呼べ! いきなり他人行儀意味不明だから」
「そんな……俺だけ身バレ!? え、じゃあ関係は?」
「フラれたわたしに何してくれる? あの時の元カレは傷ついたよ、泣いたよ? でもさ、泣いたらフォロワー増えてたんだよ! すごくない?」
何を言っても勝ち目がない。
加工済みの恋なんて、所詮こんなものなのだ。
「あーうん。すごいと思う。じゃあよりを戻す?」
「……加工しないでって意味?」
「そ、そうとも言う」
「んー……そのうち考えとく! あ、じゃあ次は性別そのままで配信で!」
「そのうちってことで……」
加工の無い密かな想いが、いつか叶いますように――。
そう思いながら静太は、育美に頷くしかなかった。
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