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2-2

 それから一か月後。ガーデニアとフローラがサザンカラスへ帰る日のこと。

「一か月間、お世話になりました。こうしてヒューマスの方々と一緒に暮らした思い出は、私の経験のみならず、きっと多くのフォクシィの人に新たな思想をもたらす礎となってくれることでしょう。本当に、ありがとうございました」

 荷作りを済ませたガーデニアはフローラと共に、ライゼス一家へと頭を下げる。

 ゲルバートの母は笑って、ガーデニアに言った。

「ガーデニアちゃんがいなくなったら寂しいわぁ。うちの息子あげるから、ここで暮らさない?」

「はは! おいおい母さん、ゲルバートが泣くぞ?」

「泣かないし、別に……」

 ゲルバートは頭をぐりぐり触ってくる両親を鬱陶しそうに引き剥がし、ガーデニアの手を取って彼女を引っ張った。

「ゲル?」

「まだ出発まで時間あるんでしょ? だったら、遊びに行こう」

 ガーデニアがフローラに懇願するような目を向ける。フローラは笑顔でそれに応えた。

「大丈夫ですよ。行ってらっしゃいませ。ゲルバートさん、ガーデニア様をよろしくお願いしますね」

「うん! またたくさん花集めてくるから!」

 フローラに呼ばれると、ゲルバートは嬉しそうな顔を彼女に見せる。手を振って、仲睦まじく走って行く二人の姿に、祖父母とフローラが微笑ましい想いを抱いた。

 その横で、ゲルバートの母が面白そうに言うのだ。

「ガーデニアちゃんとフローラさんに懐きましたねぇ、ゲルバート」

「優しいお子さんですから」

 そしてさらにその後ろで、父が重たそうに、家の奥から何かを持ってきた。

「ほらほら! フローラさん、これお土産に持ってってくださいよ! 泉望郷名産“木彫り狼”!」

 父が持ってきたその木彫刻は、フローラには一見、新手の魔獣か何かに見えた。

「これは……?」

「あ! それ、あんたがこの前の体験会で作ってきたやつじゃないか! そんなゴミみたいな物を貴族様に渡すんじゃないよ!」

 父を睨む祖母が指さすその彫刻は、控え目に評価してもゴミ。それでも父は食い下がった。

「ええ!? でも、これ結構上手くできてない? ね? フローラさん」

 ゲルバートの父がフローラに同意を求めて木彫り狼を差し出し、視線を送る。

 フローラは笑顔で拒絶した。


 ゲルバートはガーデニアを連れて、山間の森の中を歩いていく。

 向かう先は、森の奥に湧く泉。ゲルバートがいつもガーデニアと遊んでいた場所だ。

 泉へ向かう途中、ゲルバートはふと立ち止まり、ガーデニアに尋ねた。

「本当に……、帰っちゃうの?」

 ゲルバートの問いかけが、ガーデニアの心を締め付ける。ガーデニアは小さな声で、「うん」と返した。

 しばらく二人は黙ったまま、風に揺れる森の中を歩き続けた。

 ガーデニアの目に映るのは、何処か寂しそうなゲルバートの背中。初めてできた彼女の友達。本当の弟のように思える、大事な友達。

 だから、ガーデニアはお別れしてしまう前に、彼に夢を語った。

「私ね、将来、介護職員になりたいの」

「……?」

 “介護職員”。それは、ゲルバートが初めて聞く言葉だった。

「最近、アロマとサザンカラスで広まってる仕事。元々はただのお年寄りや、体とか心に障害があって生きるのが大変な人のための仕事なんだけど、今は戦争で生き残った人たちのお世話をすることが多いんだって。だからね、できたら私はその中でも、この国のお年寄りの人のために働きたい」

「なんで……? ガーデは金持ちなんでしょ? 働かなくてもいいじゃん」

 ガーデニアは少し困った風に考える。

「……。昔ね、私、ゲルのお爺ちゃんとお婆ちゃんに助けてもらったんだ」

 ゲルバートはガーデニアを大人しく見上げている。静かな森の中に、精霊と鳥の群れが何処かへ羽ばたいていく音が聞こえた。

「その時に思ったの。世の中にはこんな優しい人もいたんだなぁって。種族が違うとか、国が違うとか、そういうのに縛られないくらい優しい人に私もなりたいなって。だから、少しでも理想に近づきたいから、私も自分と違う国の人のためになれる仕事がしたいんだ」

「ふーん……」

 空を見上げて語るガーデニアを見つめるゲルバートの心には、彼女が遠い存在であるかのような寂しさが浮かぶ。

 ガーデニアの手をぎゅっと握り直して、ゲルバートはガーデニアを引っ張った。二人は早足で土を踏み、森の奥へ進んでいく。

「ガーデ」

「なに?」


 そして――――


「僕も……。僕も……、ガーデと……、同じ仕事に――――!」


 そして、二人は遂に、彼らの運命を変える“それ”が待つ、森の泉にやって来てしまった。

 二人はそこで、“それ”に、出会って――――

「ゲル……」

 ガーデニアの震えた声が、恐怖で全身凍り付いてしまったゲルバートの耳には遠く聞こえるようだった。

 泉の畔にいたのは、一匹の禍々しき竜だった。

 全身はそこだけ光を消し去ってしまったかのように黒く、紅く血走った丸い目がぎょろりぎょろりとのたうっている。

 それは、竜であって竜ではない存在。

「“邪竜”……」

 それは、天災だ。

 アロマ国で千年前に起こったヒガン火山の噴火は地図の形を塗り替え、世界中の空を火山灰で包んだし、ツンベルギア国で一五〇〇年前に起こった大嵐は、国土の六割を沼地に変えた。

 けれど、それでも。“それ”はワンダリオにおいて、他のどの災害よりも恐れられる天災だった。

 邪竜と出会った者が生き残ることは、奇跡そのものだ。

 邪竜は何よりも人型生物の儀臓を好み、巣から出てきた邪竜は“必ず”数人の人を無差別に食らう。

 抵抗は不可能。

 人よりも高い知能を持ち、人智を超えた魔法を操る邪竜の力は、何千年と続く人の歴史を以てしても、未だ遠く届かない高みにある。生物を急速に衰弱させる魔法の瘴気を振り巻き、地を軽々と割る筋肉で覆われた体で獲物に近づき、猛毒の牙で獲物を溶かしながら丸のみにしてしまう。

 その上、邪竜はその背に生える“次元の翼”で空間を飛び越え、どんな場所にも一瞬で移動し、密室にも入り込むのだ。獲物である人類に、逃げ場はない。

 百年に一度という頻度で、世界の何処かに邪竜たちは無差別に姿を現す。

 人の手が及ばない脅威。

 正に、それは天災だった。

「なんで……。竜の巣観測所から警報なんて出てなかったのに……」

 ガーデニアは恐怖に身を強張らせていたが、邪竜の目が彼女たちを捉える前に逃げようと、すぐにゲルバートの手を引いた。

 けれど、顔を青ざめさせていたゲルバートの足がもつれ、二人の出だしが遅れてしまう。

 その遅れが、二人の存在を邪竜に気づかせてしまった。

 邪竜の大きく丸い目が二人の姿を捉えると、縦長の瞳孔をぴくりと動かし、ゆっくりと細い四本の脚で

彼らに近寄り始めた。

「ゲル! 急いで! 早く!!」

 恐怖の余り足がすくんでしまったゲルバートに、ガーデニアが一喝する。ゲルバートはなんとか気を持ち直し、走り出した。

 二人は息を切らして走る。

 走って、走って、邪竜よりもずっと速い速さで逃げ続けた……、はずなのに。

「……っ!」

 邪竜は、悠々とした様子で二人の前にある木々の陰から姿を現した。“次元の翼”を使い、空間から空間へと飛ぶ、瞬間移動。全ての邪竜に備わった力の一つ。

 ――――逃げられない。

 ガーデニアは恐怖の中で、静かにそう悟った。それでも、なんとかゲルバートだけは逃がそうと決意を固めたのだ。

 ゲルバートの背中を押し、彼を先に逃げさせて、ガーデニアは立ち止まった。ゲルバートは立ち止まったガーデニアを焦った瞳で見つめる。

「ガーデ……? 早く、早く行かないと……」

「ゲル。ゲルは先に行って、皆に邪竜が出たって伝えて」

「え……。ガーデは!?」

「私は大丈夫。私は魔法が使えるから。だから、ね?」

 ゲルバートは悩んだ。幼いゲルバート少年には、邪竜という圧倒的な存在に怯えるしかなかったから。

 ガーデニアが魔法を使っている所なんて見たこともなかったし、例え魔法を使えたとしても、邪竜に敵うはずがない。

 ゲルバートには分かっていた。分かっていたのに。

 ゲルバートは一人、その場から逃げ出してしまった。その場に残るガーデニアを置いて、邪竜の見えない所まで、泣きながら、恐怖のままに。

 ひたすら走り続けたゲルバートは、石につまずいて転んだ拍子に、ふと我に返った。

「……。ガーデ……」

 邪竜から離れて恐怖が薄れたお陰か、ゲルバートの思考に理性が戻る。

 どうして一人で逃げてしまったのか。このまま自分だけ逃げてしまって本当にいいのか。

 ――――ガーデニアを遊びに連れ出したのは、自分なのに。


 ガーデニア。初めて好きになった女性。


 自分で気づいていなくても、それはゲルバートの初恋だった。

 ゲルバートは立ち上がった。死ぬと分かっていても、やらなくてはならないことがあるのだと、自分の心の奥底から聞こえてくるようだった。

 逃げてきた道を急ぎ戻り始めたゲルバートは、走りながら周囲を見渡して、とある物を探した。

 必死に頭と体を動かして見つけたそれは、枝垂れた木の枝に生った、青煙の木の実。

 ゲルバートは木によじ登ってそれをもぎ採り、地面に三つ投げ落とした。

 木の実が割れ、中から漏れ出す煙が三本、空に上っていく。

 さらにもう一つ木の実をもぎ採って、ゲルバートは木を下りると、ガーデニアがいる方へ再び走り出した。



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