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立ち並ぶ建物の向こうに、クロスブリッジの六番通りに建つ高い時計塔が、陽の暮れ始めの青暗い空に伸びている。
シルバーズロア発生地点周辺からの市民の避難は既に済んでおり、そんな人気のなくなった街中を走る人物が二人。
一人はクラシウス族の男、バーゼル。もう一人は――――
「おいストック! 銃弾の入れ替えはしてあるか!? 今度実弾ぶっぱなしたらクビだからな!」
「し、してあるっつーの! ちゃんと全弾! 魔力式に!」
ドゥージ族の青年だ。歳は二二。ヒューマスとドゥージの寿命に大した差はなく、彼はまだ若い。頭頂部付近から生える黒い耳を風に揺らしながら、バーゼルについて行こうと必死に走っている。
『目標が移動したんで報告ー。対象は民間人っぽい人を追って、時計塔前から“ロング・ロング・フェアリーズ”っていうブティックを曲がった路地裏に入ってったよ。うちの黒々鳥ちゃんたちからの映像が途絶えてないから、まだこっちのことは気づかれてないかもね。でっけー機材乗っけた報道機関の足長鳥も元気に飛んでるし』
クラシウス族の耳は、口端の横にある小さな穴だ。バーゼルはその穴に取りつけた通信機から聞こえてくるネリネの報告に、脇道から飛び出してきた大蛇を手に持つ巨大な半透明の剣で真っ二つに切り捨てながら答えた。
「どうだろうな……。戦争世代がそれぐらいのことに気づかないとは思えんが……。さっきからちょくちょく出てくる召喚獣も、随分貧弱なやつばかりだ。何か狙いがあるのかもしれん」
『狙いー?』
別の大蛇が、今度は建物の屋根から飛びかかってきた。大蛇の牙をかわしたストックが、腰に下げた拳銃を抜いて、焦りに駆られた連射を行う。発射された弾丸は、バーゼルが持つ大剣と同じく、半透明で実体を持たない魔力の塊だ。その魔力が発揮する効力は、着弾した物体から魔力を削り取り、使えないように封じ込める“封魔”の魔法。
ストックに銃弾を撃ち込まれた大蛇の召喚獣は、召喚獣を構成する魔力を削られ存在が不安定化、続いて魔力の機能を封じられることで、本来の魔力の形である緑色の光へと変わり、霧散した。
「は、ははっ! おいおーい! 超よえーじゃんこいつら! こりゃ今回の相手は大したことねーな! な、バーゼル!」
『……、なるほど』
「いや、こんな単純なことじゃあないと思うがな……」
調子に乗るストックを引き連れ、バーゼルは時計塔の前にたどり着いた。辺りを素早く見渡し、“ロング・ロング・フェアリーズ”と書かれた看板を掲げるブティックを見つけ、その角を曲がった。
『その先にいるよ! 気を付けて! 竜型の召喚獣を一匹連れてる! それと、追われてた人が捕まってる!』
ネリネの言う通り、バーゼルたちが路地裏を抜けると、開けた道の上で一匹の巨大な竜が唸っていた。
「来たか。いいタイミングだ」
そして、竜の足元に立つ一人のヒューマスの老人。足元にまで届く長い杖を持ち、バーゼルたちに皺だらけの顔を向けている。
バーゼルは老人の背後に、大蛇に巻きつかれ石畳に倒れる、ローブを着込んで顔を隠した少女を見つけた。恐らく、今まさに連れ去られるか、殺される直前だったに違いない。
「パワーケアワーカーのバーゼル・クロウズです。あなたをシルバーズロア対策法の対象として、無力化、及び保護します」
「私はカイドウ・ボーンヘッジ。パワーケアワーカー……。戦争世代の反乱分子を“絶対に殺さずに捕らえる”という、あの無能な国王らしい馬鹿げた役職だ。“国のために戦った戦士たちの命を奪うようなことは、決してあってはならない”? 戦場も知らぬ君たちのような若者に我々を止められると思っているのなら、それこそ最大の侮辱というものだ! そう思わんかね? 国王の犬。いや、国王のトカゲと――――」
カイドウが語り終わる前に、バーゼルの後方から魔力の銃弾が老人を襲った。にやりと笑う、ストックの銃撃だ。
カイドウは欠片の動揺も見せない。銃弾は全てカイドウの周囲に張られた魔力の障壁に弾かれた。
「俺は犬だぜ? じいさん!」
「残念だ。君のようにフォクシィでもない元気な若者を、この手に掛けねばならんのは」
カイドウの目つきが鋭く変わる。一人一人が、長い歴史の中で研究に研究を重ねられてきた魔法を習得し、国を挙げた正気の沙汰とは思えぬ徹底した訓練の果てに生まれる、人の形をした兵器。それが、戦争世代。一人一人が世界を破滅させられるだけの力を有するという、戦争世代だ。
バーゼルは悪寒を感じて、ストックに叫んだ。
「ストック! 下がれ!」
周囲の建物を超える高さの体躯を持つ竜が、力強く筋肉を唸らせた。拳を振り上げ、バーゼルたちに振り下ろす。
「――――ロベリア式召喚魔法。竜操術。我が竜こそ、戦場を砕く王であると知れ」
バーゼルがベルトに刺していた杖を抜き、呪文を唱えた。
「‘ビル・ルクリア’!!」
前方を広く覆う魔力の障壁の魔法だ。けれど、障壁は竜の拳によって、軽々と割られてしまう。
竜の拳は障壁を破る際に勢いを落としたが、そのままバーゼルを殴り飛ばした。バーゼルの体が宙を舞い、建物に屋根から突っ込んだ。
カイドウは次に、唖然とするストックに竜を向かわせる。ストックは後方に下がりながら必死に引き金を引くが、竜を構成する圧倒的な魔力量の前には、銃弾程度の大きさの攻撃ではいくら削っても削り足りない。
竜の拳がストックを殴り殺すかと思いきや、ストックは石畳の出っ張りにつまずいてすっ転び、運よく死の運命を回避した。
続く竜の攻撃を、ストックは飛び跳ね、這いずり、間一髪でかわし続ける。カイドウがストックの足を止めるため、ストックの足元に召喚術の魔法陣を出現させた。魔法陣からは大蛇が這い出て、ストックの体に絡みつこうと胴体をうねらせた。
「ひぃいいいいいいいいいいいいいい!!」
ストックというこの男、逃げ足と危機を察する勘だけは異様に発達している。相手が戦争という大舞台で張り合ってきた戦争世代にも関わらず、彼の動きに合わせて全方向から次々に現れる大蛇を、完璧な身のこなしでかわしていく。
「素晴らしいセンスだな。……、逃げているだけだが」
ストックを仕留めるのに手こずっていたカイドウの背後。建物の中から気配を消しながら戻ってきていたバーゼルが、カイドウに大剣を構えて飛びかかった。
「最大出力でお相手致す!」
魔力で構成された大剣の刀身が伸びる。三、五、十メートルの長さに届くまで。叫びと共に振り抜かれた大剣は、カイドウに横から直撃するかと思われた。
だが、カイドウにその刃は届かない。
カイドウの周囲にいつの間にか貼られた障壁。紙一枚程度に薄く見える黄色の障壁は、しかし、バーゼルの百五十キロを超す体重を乗せた大剣の一撃を、ひび一つ作ることなく受け止めた。
「‘ビル・ルクリア’!? いつの間に!?」
大剣を障壁に弾かれたバーゼルの体勢が崩れた。カイドウは杖を振り、バーゼルの足元に魔法陣を出現させ、そこから大蛇を召喚してバーゼルの体に巻きつかせた。
「バーゼル!!」
ストックがバーゼルの危機に焦り、カイドウへ銃を構え、引き金を引いた。カイドウはその軽はずみな攻撃を逆手に取る。大蛇にバーゼルをカイドウの前に持ってこさせ、バーゼルを盾にして銃弾を受けさせたのだ。
「げっ」
銃弾はバーゼルに当たり、バーゼルは痛みに叫んだ。しかし、バーゼルは傷を負ってはいない。代わりに、着弾した箇所から魔力が緑色の霧となって宙に流れ出ていた。
「魔力の銃弾に魔力の剣。なるほど。我々を傷つけないために、魔力だけを削り取り、肉体には影響を与えないように設定された魔法兵器という訳か」
「ストック……。てめえ、後で覚えとけよ……!」
「わざとじゃない! わざとじゃないって!」
今まで逃げおおせていたストックもついに大蛇に捕まり、宙にぶら下げられた。
「おい! お前まで捕まってどうすんだ!?」
「いやいやいや! 結構頑張ったろ、俺!?」
二人を捕らえた大蛇たちが、それぞれ彼らを丸呑みにしようと、鋭い牙が生える口を開いた。