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1-3

「ねえ、ゲル。よかったら、明日遊びに行かない?」

 翌日。

 学校が終わり、エボニーツリーズに向かう途中、ハルサがゲルバートにそう話を持ちかけた。

「悪いけど、無理かな。そろそろ例の仕事が来そうだから」

「仕事って……。ああ、そういうことか……。それなら仕方ないよね……」

 ハルサはゲルバートの口ぶりから、彼のもう一つの“仕事”のことだと察した。そうとなれば、街中で大きな声では話せない。シルバーズロアが起こりそうだと政府が判断していると知られれば、市民に大きな混乱を招いてしまうからだ。

 不安そうな声で、ハルサは尋ねた。

「……、大丈夫なの?」

「市民にカモフラージュしてる見張りがそこら中にいるから、ハルサは心配しなくていい。ほら、今僕らの横を通り過ぎたおばさんも変装した衛兵だ。あの日傘は仕込み杖だろ」

「そうじゃなくて……。ゲルは大丈夫なのかって聞いてるの。また戦争世代の人と戦うんでしょ?」

 声をひそめるハルサ。

 答えるゲルバートは、ハルサを不安にさせないよう普段の調子でいるよう努めた。

「大丈夫だよ。現に、何回も戦ってるけど、まだ生きてる。あ、そうだ。昨日もらったクッキー、美味しかったよ。ありがとう」

「馬鹿……」

 誤魔化された気がして、ハルサはじろりとゲルバートを見た。対して、ゲルバートは知らん顔で歩いていく。

 彼らの歩く道の端を、ローブで顔を隠した少女が目立たぬように歩いているのに気が付くはずもなく、ゲルバートたちは仕事のためにエボニーツリーズへと向かうのだ。

「……」

 人ごみに紛れて逃げるその少女を捉えた瞳があった。

 道を見渡せる段差の上にある喫茶店のテラス席、そこに座る一人のヒューマスの老人が、穏やかな顔に隠した鋭い瞳を少女の背に向けていて。

「やれやれ、タイミングが良いんだか悪いんだか……。今日の仕事が一つ増えてしまった」

 軽くぼやき、老人は静かに席を立つ。それから、会計台の“フォクシィのお客様は四割引き”の張り紙に舌打ちをし、割高な紅茶の支払いを済ませて少女の後を追った。


 老人ホーム、エボニーツリーズ。

 ゲルバートはその一室で、一人の老婆と戦っていた。

「兄ちゃん、もう諦めたらどうだね?」

 命のかかったその戦いはすでに一時間が経過し、緊迫した空気を部屋中に張り詰めさせている。

 ゲルバートが相対するは、クラシウス人種のエリアス老婆。

「僕は諦めませんよ。エリアスさん。あなたが――――」

 互いに譲らぬ攻防は苛烈さを極め、命のやり取りに神経を尖らせる二人は、一向に戦う姿勢を崩すことなく向き合い続けていた。

「あなたが、この夕食をしっかり食べてくれるまで」

 エリアスが座る机の上には、一時間前に出されたまま、ほぼ手つかずの夕食。ゲルバートはなんとかエリアスにそれを食べてもらおうと説得を続けていた。

「食欲ないんだよ。もういらん」

(食べたくなくても、食べてもらわないといけないんだけどなぁ。看護師からも食べさせないと危ないって言われてるし、流石に三日もほとんど食事なしはまずい……)

 ゲルバートがスプーンでスープをすくい、エリアスに向ける。家族から利用者を預かっている以上、利用者の健康管理は介護職員の責務だ。本人が嫌がっていても、栄養を摂るために食事をしてもらわなくてはならぬ。

 とはいえ、無理矢理口に突っ込むのは当然虐待に当たる。だからこそ、本人が自分の意思で食事をしてくれるように、職員はあの手この手を尽くして説得するのだ。

「あんまり食べないと、病気になっちゃいますよ? ほら、半分くらいでもいいですから、食べておきましょう?」

 エリアスはトカゲにそっくりの長い口を、かたくなに開こうとしない。

「エリアスさん」

「……」

 だんまりを決め込むエリアスに口を開いてもらうため、ゲルバートは彼女に頼んだ。

「他の人たちの着替えも洗濯も残ってますから、そろそろ折れてもらえませんか……」

 それに応え、エリアスが口を開いた。けれどもそれは、決してゲルバートが望んでいた形ではなく。

「だったらそっちに行ったらいいじゃないか! あんたに心配される筋合いなんてないんだよ!! 家族か友達にでもなったつもりかい!!」

「……っ」

 ゲルバートはエリアス老婆の怒声に驚いた訳ではない。利用者から怒鳴られることなど日常茶飯事で、いつもならゲルバートがこの程度のことで動揺することなどありはしない。

 しかし、その時ばかりは、エリアス老婆の言葉の選びがまずかった。

 ゲルバートは銀狼の里にいた頃のとある光景を思い出しかけ、反射的に意識を切り替えて、仕事中の自分を心の表面に引き戻した。

「いやぁ……、まあ、そう言わずに。お願いします。エリアスさん」

 怒鳴り声を上げても退かなかったゲルバートに観念したのか、エリアスが不機嫌そうに舌打ちして、冷めた夕食を口に運び始めた。

 その横で、床に視線を落とし、昔のことを思い出すまいとするゲルバートの額には、冷たく流れる一筋の汗。目を逸らそうとすればするほど、鮮明に暗い記憶の像が浮かびそうになり、強く目をつむった。

「ゲル! ゲル!!」

 慌てて自分を呼ぶハルサの声に、ゲルバートは我に返った。救われたとも言えるか。

「どうかした?」

実力保護専門員パワーケアワーカーのバーゼルって人から、通信来てるよ!」

 ゲルバートが立ち上がり、隣のリビングにある通信機の元へ速足で向かう。受話器の表面の魔法陣の輝きが、通話状態が続いていることを示していた。

 ゲルバートは息を整え、受話器を取った。

「“仕事”か? バーゼル」

『ああ! 六番通りの時計塔周辺で、シルバーズロアが確認された! 相手は一人だ! 先に俺とストックの二人で現場に向かってる! 通信機を付けてネリネと連絡が取れるようにしておけ! あと、街中に召喚獣と思われる魔獣が何匹か確認されてるぞ! 気を付けろ!』

「了解。すぐに向かう」

 受話器を置いて、小型通信機を耳に取りつける。通信機表面の魔法陣に軽く触れると、通信機内側の魔法陣から、音だけは可愛らしい女子の声が聞こえてきた。

『おうおうゲルバート! 元気かー? 仕事の時間だぞごらぁ!』

「音量を三つ下げてくれ、ネリネ。うるさい」

『ほらよー。道案内しつつ状況説明してくから、とっとと行くぞー』

「はいはい」

 リビングの倉庫兼、更衣室のロッカーから支給品の杖とナイフを取り出す。

「ゲル! ヘルプの人に連絡しといたから、こっちの仕事は大丈夫!」

「ありがとう。行ってくる」

 ゲルバートがリビングを突っ切り、速足のまま出口へ進む。

「あれ? お兄さん、どこ行くの?」「シルバーズロアが起きたんですって。ほら、ゲルバートさん“あれ”だから」「ああ! お兄さん、頑張ってねぇ」

「どうも」

「“あれ”って何よ?」「あれよ、“パワーケアワーカー”」「あのぉ、私の部屋どこでしたっけ?」

「あなたが今出てきた部屋ですよ」

「気を付けてね。ゲルバルトさん」

 出口の前まで来ると、ゲルバートはぶっきらぼうなリゼル老婆の方に振り返り。

「ゲルバートです。……、行ってきます」

 微笑み、軽く会釈を一つして、出口の扉を開けた。


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