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1-2

 ゲルバートたちが一通りの仕事を終わらせた頃には、時刻は午後九時を目前にしていた。

 その時間になるまでに、利用者たちには自分の部屋に入ってもらって、寝るなり本や発声植物の放送を楽しむなりして、朝まで過ごしてもらうようにする。リビングは九時消灯なので、リビングの天井から釣り下がる紙細工に描かれた光源魔法陣を停止させ、薄暗くしなくてはならない。

 誰もいなくなったリビングの机に座り、ゲルバートは一本のつまようじを手に持ち、それをじっと見つめていた。

「……。‘バル・ランタナ’」

 つまようじは徐々に小さな稲妻を纏い始める。銀狼の里で働いていた頃、アランダ老婆から教わった付呪魔法エンチャントマジックの基礎訓練。ゲルバートはもう五年近く、この練習を毎日続けていた。

「はい、ゲル。お疲れ様」

 珈琲を淹れて持ってきてくれたハルサに見られないよう、ゲルバートはつまようじを軽く振って、エンチャントを解いた。

「ありがとう。ハルサ」

 ゲルバートの隣の椅子に座ったハルサも珈琲をすすり、花弁の口をすぼめて音量を小さくした蓄音植物から流れてくる、ノイズ混じりのジャズに狐の耳を傾けた。

「懐かしい。私、この曲好き。ゲル、いつもこの曲聴いてるよね。やっぱり、これ好きなの?」

 アロマ国で昔から好んで聴かれてきたジャズ。その中でも、三十年前まで続いていた戦争の間で最も聴かれていたのが、この“ワッキー・シザンサス”だ。

「まあ……、好きだよ。古い曲だけど」

「そうそう。これ、戦時中の曲だよ? ゲル、まだ産まれてない頃だもん。何処で知ったのこんなの」

 ゲルバートは珈琲をすすり、ぼそりと答えた。

「……、前の職場」

「ああ……、銀狼の里だっけ。泉望郷せんぼうきょうの奥にあるとこだよね。あそこ給料良いじゃん。なんで辞めちゃったの?」

 何気ないハルサの問いに、ゲルバートは揺れる珈琲の水面に目を落としたまま、口を開かなくなった。

「ゲル……?」

 ゲルバートは思い出す。それは、彼が銀狼の里を離れたきっかけ。まだ彼が十二歳の頃。まだ、この世の全てが尊く、優しさに満ちていると信じていた頃。

 怒りの表情で罵声を叫ぶ利用者たち。何もできない自分。そして、頬に涙を伝わせて走り去ってしまった、“あの人”の背中。

 ゲルバートは珈琲の水面に映る自分を睨みつけ、一気に珈琲を飲み干した。

「いろいろあったんだよ。珍しいことじゃないだろ、この業界じゃ。嫌なことばっかりだ」

 隣のリビングに入ってきた夜勤の職員の方へ、ゲルバートは足早に去って行ってしまった。ハルサは自分がゲルバートの触れられたくない過去に、自覚なしに踏み込もうとしてしまったことに気づく。

「はしゃぎすぎたかな……」

 小さく呟くと、ハルサも珈琲を飲みきって、ゲルバートの後を追いかけた。


 夜勤の職員に仕事を引き継ぎ、ゲルバートはハルサと別れて帰路に着いた。別れ際、ハルサが「ごめんね」と謝ってきたのを見て、ゲルバートはハルサに気を遣わせてしまったかと、逆に申し訳なくなった。

 街は空を泳ぐ無数の精霊(魚に似た姿をした、儀臓に多量の魔力を蓄えている生物)たちの輝きで照らされ、街灯を必要としないくらいに明るい。ゲルバートの歩く高台の小道からは、街の中央にある城を囲む堀にかかる巨大な十字型の橋と、街のあちこちで地中から一部を地上に露出させる、錆びついた古代兵器が遠目に見えた。

 先の戦争では、何千年と前に滅びた古代文明の遺産である古代兵器を地中から掘り出し、使えるように手を加えて、その絶大な力を利用していたという。そうして使われていた兵器はどれも、敵だったフォクシィの国サザンカラスの軍に壊され、めでたくこうして街の風景に加わった。

 深夜営業の売店の老婆に硬貨を渡し、自前のタンブラーに淹れてもらったサザンカラス産の珈琲をすすり、ゲルバートは高台に吹く緩やかな潮風に包まれて、クロスブリッジの夜景を眺めていた。

「よう、お疲れ」

 そんなゲルバートに親しげに声をかけてきたのは、コートを着込んだ一人のトカゲ人間クラシウスの男性だった。鱗に覆われたその顔は、口の端が緩やかに吊り上り、笑っているのだと分かる。ゲルバートはそのクラシウスの男に疲れた目を向けた。

「バーゼル……。“仕事”の話か……」

「そういうこった。まあ、いつもんとこで飲みながら話そうや」


 ゲルバートがバーゼルに連れて行かれたのは、裏通りにある薄汚れた小さな屋台。ゲルバートの仕事終わりにバーゼルが“仕事の話”をしに来た時は、いつもここに来る。その日もいつも通り、ヒューマスの男店主が一人で屋台を切り盛りしていた。

「今日の午前、クロスブリッジの郊外でシルバーズロアが発生した」

 頼んだ火精霊の佃煮をフォークで口に運びながら、バーゼルは話を切り出した。ゲルバートも注文した水精霊の刺身を店主から受け取ると、仕事中に発声植物から聞こえてきた放送のことを思い出した。

「さっき放送で聞いたよ。なんで僕に連絡しなかったんだ? 僕が学生だからって、まだ気を遣ってるのか?」

「違う。お前は働きすぎなんだよ。今月だけで三回出撃してるだろ」

「たったの三回だ。それで、みんなは?」

「うちの部隊だと、クロッカスとツワブキが病院送りだが、重症じゃあない。あとは……。調子に乗って、一人で飛び出した大馬鹿野郎のストックが、火傷したくらいか」

 ゲルバートは溜め息を吐き、刺身を苛立たしそうに噛み潰す。

「郊外とはいえ、首都でテロが起きるなんて、物騒な話だ」

「全くだ。その上、相手は戦争を生き残ってきた歴戦の猛者老人共さ。やつら、体は衰えても魔力はこれっぽっちも衰えねえ。生涯現役って訳だ。相手は老人一人だってのに、まるでドラゴンの群れとでも戦ってる気分だったぜ」

 バーゼルの服の袖からは、体の傷を覆う包帯が見え隠れしていた。他の仲間同様、彼も無傷という訳にはいかなかったらしい。

「ヒューマスの老人共にとっちゃ、今の世の中は不満だらけの地獄なんだろうなぁ……。自分の孫や息子が、仲間を殺した敵と仲良くしてる上、自分たちは戦争で戦い続けた無理が祟って要介護生活だ。戦争世代はみんな基礎的な回復魔法を始めに覚えさせられるんだ。それを使えば、ガタが来た体を無理やり動かすことくらいはできるのに、魔法は全部禁じられちまった」

「しかも、魔法を禁じたのは戦争を扇動し続けてきた、偉大なる我らが国王様ってな」

 屋台の店主がバーゼルの話に嫌味を添える。バーゼルは続けた。

「戦争が終わった今、強すぎる魔法使いは用済みだ。サザンカラスもアロマも協定を結んで軍を縮小、魔法を禁じるために、両方の国の戦争世代全員の体に封魔の魔法陣を刻んだ。拘束具なしに魔法を封じるにはそれしかねえからな」

「国のために戦ったやつらの体に国が傷を入れる。酷い話だわな」

 気に食わないといった口調で、店主がそう言った。

「“平和のための戦後政策”なんて言ってるが、要はどっちの国も、自分たちが育てた怪物たちにびびって強引に自由を奪ったに過ぎない。その勝手のしわ寄せが、俺たちに回って来てんのが分かってるのかねぇ」

 バーゼルたちの愚痴を耳にたこができる思いで聞きながら、ゲルバートは屋台の壁に貼られたポスターに目を向けた。そのポスターには、“終戦三〇周年記念式典”の文字がでかでかと記されていた。

「三〇年経っても、“戦後”は終わらないってことか……」

 ゲルバートが呟く。そのポスターにバーゼルも気が付き、じっとそれを見つめた。

「……、終わらねえさ。戦争なんてイカれたことを一五〇年も続けてたんだ。どの国も戦争が染み付いちまってる。忘れらんねえのさ。特に、その戦争に負けちまったこの国はな」

 バーゼルは思い切りジョッキを傾け、いっぱいに入っていたホービング樹液を一気に飲み干した。バーゼルに頼まれ、店主の男がジョッキに新たなホービング樹液を注ぐ。しゅわしゅわと音を立てるアルコール入り樹液の強い匂いが、ゲルバートの鼻にも届いてきた。

 ふと、店主が屋台の棚に置かれた蓄音植物の花弁を開く。花弁の中から流れ出す音楽は、戦時中に流行っていたジャズ、ワッキー・シザンサスだ。店主は皺だらけの顔に郷愁を浮かばせ、口を開いた。

「あの頃のアロマは全てが戦争だった。誰も彼も、産まれた時からフォクシィは敵だと教えられ、魔法と戦闘の訓練を積まされた。俺みたいな魔法の才能がないやつは裏方に回されたが、魔法ができたやつらはずっと前線で殺し合いだ。戦場になった所じゃ、ヒューマスもフォクシィも、敵方の民間人をいたぶるようなやつがいたりもしたらしい。同じ種族を目の前で痛めつけられ、仲間を何人も殺された。そういう地獄みたいな場所で戦ってたやつらは、フォクシィの年寄りもヒューマスの年寄りも、互いの種族を心底憎んでる」

 夜を震わす店主の声が語るのは、戦争の時代を生きた男の記憶。バーゼルは佃煮を摘みながら、苦々しい表情で店主の話に乗った。

「戦後もそれを引きずってこじらせた挙句が、“シルバーズロア”って訳だ。ジジババ共は、未だ相手の種族を絶滅させる夢を捨てきれねえってか」

「そうさな。国の在り方は変わっちまったが、ようやく平和になって、子供たちが種族の壁を越えて仲良く暮らすようになったってのに。年寄りがそれを受け入れられずに、サザンカラスとアロマの間に交わされた、魔法禁止条約を破ってテロ活動だ。やつらが見てきた物は、それだけおぞましい物だったのか。それとも、戦時中の反フォクシィ教育の賜物か。魔法を封じられてなけりゃ、やつらはすぐにでも杖を握って老人ホームを飛び出すだろうよ」

「それを止めるのが、僕たちの仕事です」

 店主とバーゼルのセンチメンタルな空気を取り払ったのは、ゲルバートの一声だ。

「“仕事”の話をしよう。バーゼル。僕は明日も学校がある」

 至極真面目なゲルバートの言葉に、店主は気持ちよく笑った。

「はっは! そうだな。昔を思い出してうだうだ言っててもしょうがねえか。後より先より、今を見なきゃな。俺のこたぁいいから、話してやんな。バーゼル」

 バーゼルはやれやれと微笑んで、ホービング樹液で喉を潤し、ゲルバートに彼らの“仕事”の伝達事項を語った。

「今日のシルバーズロアで保護した高齢者テロリストはたったの一人。どうやら聞き込みをして誰かを探していたらしい。被害者のフォクシィの男を殺した理由は、衝動的な物だったようだ」

「その誰かってのは? 何か手がかりはないのか?」

「それが、保護した老人の口が堅くてな。高齢者保護法のせいで取り調べもろくにできんし、困ったもんだ。聞き込みを受けた人に聞いた話で、探してたのは流れ者の若いフォクシィの女性だってことくらいなら分かったよ」

「流れ者のフォクシィ……。訳ありって感じだな」

「やっかいなことになるのは、まず間違いないだろう。俺たちが戦って保護したのは一人だが、聞き込みの際には二人で行動していたらしい」

 ゲルバートの目つきが変わる。頬杖を突いた顔をバーゼルにちらりと向けた。

「まだ一人、何処かにふらついてるのか?」

「ああ。だから今も、衛兵が警戒態勢を敷いてる。恐らく、近いうちにまた出撃要請が出るぞ。次はお前も連れて行く」

 バーゼルが懐から取り出したのは、耳に取りつけるタイプの通信機。木製のボディに施されている魔法陣の隣に刻まれたニーズヘッグの紋章を見て、ゲルバートはそれが機械弄りの得意なクラシウス族の国ツンベルギア産の物であると分かった。

「新型だ。上から出撃要請が出たら、ネリネのやつがすぐにそれでお前に連絡をする。いつでも出られるようにしておいてくれ」

「了解」

 ゲルバートは通信機を受け取り、席を立つ。

「ごちそうさまでした」

 そして、そのまま店主に食事の代金を渡して、屋台を去って行った。ゲルバートを見送る店主が、面白そうにバーゼルに言った。

「えらく堅物な坊主じゃねえか。今時珍しいな」

「堅物過ぎるんだよ。うちの娘ぐらいにとは言わないが、もっと気楽に生きて欲しいもんだ」

「ははっ。けど、結構期待してんだろ? あの坊主に」

 バーゼルは黄金色のホービング樹液の弾ける泡に目を落とす。縦長の瞳孔に瞼が重なり、一瞬だけ目つきが険しくなった。

「……。今の所、あいつは比較的小さな事件にしか出撃していない。もし、あいつが映像付きで中継されるような事件に携われば、すぐに世界中の注目の的になるだろうな」

 店主が呆けた顔でバーゼルを見た。“新手の冗談か”とでも言わん顔で。けれど、バーゼルは――――

「期待の新人なんてもんじゃねえ。あいつは、増え続けるシルバーズロアにあくせくしてる俺たちを救ってくれる、救世主になるかもしれない男だ」

 店主に向けてにやりと笑い、ジョッキを思い切り傾けて、ホービング樹液を飲み干した。



 その夜、ゲルバートたちが知らぬ所で、一人の少女がクロスブリッジの人気のない道を走っていた。

 ローブのフードを被って頭と顔を隠し、何者かに追われているかの如く急いでいるようだった。

 街を見渡せる高台にまで走ってきた少女は、高台に建つ鳳凰の像の陰に隠れて息を吐いた。そんな彼女の目の前を、一匹の精霊が泳いでいく。少女はびくりと驚き、それがただの精霊だと分かるとほっと胸をなでおろした。

 空を悠々と泳ぐ精霊たちを見上げて、少女は呟く。彼女にとって、懐かしく、誰よりも大切な友人のことを思い出しながら。

「元気にしてるかな……。ゲル……」

 ほのかに辺りを照らす精霊たちは、段々と少女から遠のいていき、やがて見えなくなった。


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