遠くない未来の話
◇◆◇
俺は夜が好きだ。
夜は人の音が薄く邪魔するものが少なく、どこまでも行けそうな気がする。
かの谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』でガスや電気の無い文化での生活における美を語っていたが、ガスと電気にまみれたこの世界では人々が寝静まり殆どの機械が鳴りを潜めたこの時間こそが最も美しい世界であると俺は思う。
だから俺は夜が好きだ。
そして………
◇◆◇
魔王の斬撃が俺の頬を撫で、屋敷の壁に直撃しその形を崩していく。
彼女の放つ斬撃はどれもが俺の体を破壊するには十分で、一撃でもくらえば俺の体が人間の形を保てなくなる事は想像に容易かった。
それでも俺はあくまで平静を装って慎重に冷静に声をかける。
「赤い髪も似合いますけど、俺はやっぱり黒い髪の方が好きです」
魔王からの返事はない。
彼女の耳に俺の声はすでに届かなくなっていた。
思い返せば、彼女がこうなる予兆は前からあった。
あの手袋も、あの時の行動も、そしてあのメッセージも全てはそういう事なのだろう。
彼女は己の中の衝動に抗い続けていたのだ。
「主、これ以上は…」
魔王の力によって世界が侵食されるのを防いでいた契約精霊からタイムリミットを告げられる。
これ以上は食い止められない。
だが、それでも……
「悪い。それでも俺はやっぱり夜叉先輩を…」
そうして己の心情を口にしようとしたその時だった。
「さようなら愛しい人」
俺の胸は魔王によって貫かれ、大きな風穴を開けていた。